39 東部国境防衛戦 3
ヴィルヘルミネの側には、トリスタン、エルウィン、ゾフィー、ジーメンスといった、後に将軍、元帥、あるいは国王として名を馳せる勇者たちが揃っている。その彼等をして今しがた始まった敵の砲撃は、信じがたいものであった。
「馬鹿なッ! プロイシェ軍は、味方ごと撃つのかッ!?」
眼前の敵を斬りつけながら、エルウィンが叫ぶ。
「チッ! 追い詰められれば、鼠とて猫を噛むものだ。エルウィン――まずはヴィルヘルミネ様をお守りしろッ!」
トリスタンは苦虫を噛み潰したような顔で、舌打ちをした。いくら目の前の敵兵を斬り伏せても、砲弾が相手となればどうにもならない。
ここは一端後退して味方と合流すべきだが、敵が味方ごと撃つとあっては、そうしたところで損害は馬鹿にならないだろう。
――ヴィルヘルミネ様に、何かお考えがあれば良いのだが。
その時だ、ヴィルヘルミネの眼前に敵の砲弾が迫ってきた。
「ヴィルヘルミネ様ッ!」
「うわぁ、大変!」なんて思いつつ、ジーメンスは真っ先にヴィルヘルミネの前へ飛び出した。砲弾には銃も剣も効かないとなれば、我が身を盾に令嬢を守る他に道は無い。
ジーメンスは理屈でそう思いながらも、咄嗟のことで現実感が無いまま死を覚悟した。
――どうせ戦場さ。せいぜいカッコよく散ってやる。
そう思う彼の心に、ブルーノの姿が浮かんでは消える。
「ヴィルヘルミネ様は転進なさって下さいッ! 早くッ!」
「やめよ! 卿も退くのじゃ!」
叫んだ瞬間、盛大に土砂が巻き上がる。その中にジーメンスが飲まれると、ヴィルヘルミネの視界から、一人の少年が消えた。
「い、嫌じゃ、ジーメンス……!」
愛馬が竿立ちになり、ヴィルヘルミネの目には見る間に涙が溜まる。学友にして戦友が、目の前で消えてしまった。信じたくない、信じられない光景だった。
だが実際のところ運命の女神は、ジーメンスを見捨てなかったらしい。つまり、生きている。くすんだ金髪の少年は柔らかな泥濘に埋まった頭を自ら掘り起こし、顔をブンブンと振っていた。
「ハ、ハハハ。ご心配、どうも。ボクはエリートですから、そう簡単に死なないや」
どうやら弾はジーメンスの手前に落ち、直下にいた敵の肉体を潰したらしい。お陰で彼の馬も弾の残骸を浴びて絶命したが、幸いそれがジーメンスの盾になった。
そうして馬を失ったジーメンスは地上に投げ出され、頭から地面に落ちたのだ。それが柔らかな泥濘であったことも、彼の幸運を物語ることであった。
けれど安心するには、まだ早い。今この瞬間も彼の頭上に、敵の銃剣が迫っていた。
「ジーメンスッ!?」
主君の悲痛な声が聞こえた。今度こそ学友が殺されると思ったのだ。けれどジーメンスは即座に立ち上がると、迫る敵を刀剣でねじ伏せた。強い。ヴィルヘルミネがほれぼれする程、彼の剣技は冴えていた。
「だ、大丈夫です、ヴィルヘルミネ様! それよりも――……敵は味方もろとも、ボクらを撃ってきた! 危険ですッ! 早く退いて下さいッ!」
■■■■
ジーメンスの言葉に、当然ながらヴィルヘルミネは狼狽した。敵が味方ごと自分を狙い撃ってくる――などという状況を瞬時に理解できるほど、令嬢の頭脳は高速度で回らない。
基本的に推しについて考える以外、ヴィルヘルミネの頭脳は大して役に立たないのだ。というか、それもそれで何の役にも立っていないのだが……。
――は? 味方ごと撃つなど、敵は気でも触れたのか!? いや、そんな状況ともなれば、確かに離脱せねばならんのじゃけどもッ!?
敵との戦闘が近接に限られているなら、なるほど近衛連隊に守られていれば、とっても安全である。だがしかし、いくら近衛連隊が精強でも大砲や銃弾には敵わない。
彼等とて鋼鉄で出来ている訳もなく、生身の人間だ。肉の壁としてヴィルヘルミネを守ったとて、限界があろう。何より令嬢としては大切な精鋭を、こんなところで無駄に死なせたくは無かった。
だが転進するにしても、既に敵中深く入り込んでいた。だからここで下手に部隊の方向を変えては、敵に「攻撃限界点」と悟られ、反撃される恐れもある。
その場合の犠牲も当然考慮に入れてジーメンスは「退いてくれ」と言ったわけだが、精鋭大好きヴィルヘルミネとしては、なかなか容易に決断できることでは無かった。
だって退いて損害を出せば、せっかく育成した近衛連隊が台無しになる。ましてや今は、鋼鉄の薔薇だっているのだ。
ヴィルヘルミネは花壇を賊に踏み荒らされる乙女の心境で、「嫌じゃ、そんなのは絶対に嫌じゃ!」と背筋に冷や汗をかいていた。
――どうする。考えねば……考えさえすれば、余は天才のはずじゃから、きっと何か打開策を思い付けるはずなのじゃ! この窮地を脱するにあたり味方の損害を抑え、あまつさえ敵を撃滅する方法をッ!
ヴィルヘルミネはついに、自らを騙すという暴挙に出た。天才である自分なら、何とかなるんじゃあないかと思っちゃったのだ。しかし残念ながら、彼女はどちらかと言えば天災である。
とはいえ今もヴィルヘルミネの耳元を銃弾が掠め、大砲の轟音が大地を揺るがせていた。砲弾が落ちる度、馬も怯えている。
そんな状況では、自身の虚名という藁にも縋りたくなるのが人情だ。ましてや、ここにいる誰もがヴィルヘルミネの天才性には期待しているのだから。
もちろん普通に考えればジーメンスの言う通り、転進して後退すべき状況だ。しかしトリスタンやエルウィンは、そうと分かっていても尚、ヴィルヘルミネには何か策があるのでは――などと思っていた。
もう、完全に二人は重症だ。後光の差した天使を見るような目で令嬢を見つめ、「ご命令を!」などと言っている。
だが、いくら赤毛の令嬢が幸運に恵まれていようとも、その鉱脈が無限であろうはずもなく。ましてやヴィルヘルミネは赤毛で白馬に跨っていたから、誰よりも目立っていた。
結果、無言で宙に視線を這わせて思考を巡らせるヴィルヘルミネの前に、隊列を整えた敵の歩兵部隊が迫ってくる。思考の為に、空しく時間を浪費してしまったからだ。
「あっ」
小さく悲鳴を上げたヴィルヘルミネに、銃弾の雨が降り注ぐ。
パパパパパパパパパパン!
パパパパパパパパパパン!
パパパパパパパパパパン!
戦場に乾いた音が響き渡り、硝煙の匂いが立ち込めた。
無数の銃弾が、ヴィルヘルミネに迫っている。
赤毛の令嬢は、咄嗟に馬上で身を伏せた。その瞬間、直上を何発もの銃弾が通り過ぎていく。
――ヒィィィィィ!
声にならない悲鳴を上げ愛馬にしがみ付いていると、今度は馬がグラリと揺れた。前足が折れ、つんのめる。ヴィルヘルミネは泥の中に投げ出される形になって、ゴロゴロと転がった。
「「「ヴィルヘルミネ様ァァァ!」」」
悲鳴にも似た臣下達の叫びが当たりに響く中、ヴィルヘルミネの視界はぐるぐる、ぐるぐると回っているのだった。
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