37 東部国境防衛戦 1
「どうじゃ、トリスタン! やはり橋は安全地帯であったじゃろう!」
馬上で荒い息を吐きながら、ヴィルヘルミネが占拠した橋の先で胸を反らしている。実際に彼女は一兵の損害を出すことも無く、ここを守る敵歩兵大隊を蹴散らしていた。
もっとも、それを可能にしたのは令嬢の指揮能力というより、近衛連隊の練度の高さによるものであろう。馬上において彼等は、鋼鉄の薔薇にも匹敵する高い戦闘能力を発揮するのだから。
「――しかし、問題はここからでしょう。敵の行動はいくつか予測できますが、指揮官が優秀な人物であれば、我等を自陣深くへ引きずり込もうとしてくるはず。ご油断めさるな」
今はトリスタンも刀剣を抜き、兵士達と共に突撃を敢行した直後である。幾人かの敵兵を斬った彼の刃は血に濡れ、赤い雫がポタポタと大地を汚していた。にもかかわらず明晰な頭脳は一切の妥協を許さず、状況を冷静に分析している。
「ぷぇ?」
だがヴィルヘルミネは違う。局地的な勝利に酔いしれ、「はい、余の勝ちー!」とご満悦だ。何をどう考えたら、こうまで能天気になれるのであろうか。
ともかくヴィルヘルミネは「フッフ」と笑い、説いて聞かせるように人差し指を立てている。
「案ずるな、トリスタン。まずは、この師団を壊滅せしめ、次――その次と攻撃を続行する。なぁに、一万九千対一万の戦いを、三度繰り返すだけじゃ。勝って当然というものであろう」
「では閣下は敵に策も統制もなく、バラバラに攻撃を仕掛けて来ると申されますか」
「なんとな? 余がおるのじゃ、当然であろう?」
ヴィルヘルミネは問答の意味が分からず適当に答え、トリスタンはあくまでも忖度をした。
――なるほど! ヴィルヘルミネ様が前線にいれば、敵は功に逸り統制どころではなくなるッ! ならば閣下は自ら囮となる為に、あえて最前線に突出したもうたのかッ!
思わず目頭を押さえ、キラリと光るものを隠すトリスタン。彼の溢れんばかりの妄想癖は、ヘルムートもかくや、という程の成長を見せている。噛み締めた下唇の奥から、呻くような声が漏れた。
「流石です、ヴィルヘルミネ様……!」
とはいえ実際、今のところ敵には後退して味方と合流する素振りがなかった。どころか前進しつつ陣形を再編成し、ヴィルヘルミネを半包囲しようという気配である。
となればこちらを引きずり込んで三個師団で包囲殲滅という最悪のシナリオは想定しづらく、現有戦力のみをもって戦うつもりであろう。
――やはりヴィルヘルミネ様は、敵の行動を予測なさっておられたのだッ!
もちろん、そんなことはない。あろうはずもない。
けれど参謀総長トリスタンは勘違いの果てに感極まって、涙で前が見えなくなった。ビー玉をダイヤモンドと誤解するレベルの、大変な間違いである。
長身、イケメン、明晰な頭脳と、天は彼にあらゆるものを与えたが、唯一、人を見る目だけは与えなかったようだ。見事な節穴である。
「ヴィルヘルミネ様。敵は現有戦力のみをもって我等を半包囲し、殲滅せんと致しております。まさに狙い通りですな……」
「……うむ」
何度も言うが、ヴィルヘルミネは何も狙っていない。むしろ勝ったのに、なんで敵が前進しとるんじゃ? などと考えキョトンとしている。
涙を拭ったトリスタンはサーベルを腰へ戻し、副官から馬上銃を受け取った。
銃は近衛連隊と同じ仕様で、銃身にライフリング加工が施してある。これにより通常の銃より射程距離が大幅に向上したが、一方で弾込めに技術を要することから、配備されているのは近衛連隊などの精鋭部隊に限られていた。
要するに今までの、弾が無くなれば小石でも詰めておけば良い――というアバウトな発想が時代遅れとなり、きちんとした規格の銃弾が用意されるようになったのだ。この銃弾が銃口と殆ど変わらないサイズだから、戦場の恐怖で手が震えてしまうような新兵では、弾込めも出来ないのであった。
このような事情からフェルディナント軍は世界に先駆け、「誰もが扱いやすい後装式の銃」を本格的に開発していくことになるのだが、それはまた別のお話である。
トリスタンは悠然と銃身に弾を込め、前方の敵に狙いを定めていく。敵はこの新式銃を知らないから、攻撃を食らえば、さぞや面食らうことであろう。
だがしかし、今この状況で一番面食らっていたのは、誰あろうヴィルヘルミネ本人であった。
何と彼女は愚かにも橋を突破し橋頭保を築けば、敵はそれで戦意を失うと思っていたのだ。それが七千余りの敵軍に迫られ半包囲されようというのだから、こっちはこっちで半狂乱である。
――ヒェェェェ、後続の味方はまだ来ぬのかァァァァ!?
来るわけが無い。僅か幅十メートルの橋を、一万八千もの兵が渡るのだ。時間が掛かるに決まっている。だからここは迫りくる七千の敵兵を暫くの間、近衛連隊千二百の兵力で凌がねばならないのだ。
ヴィルヘルミネは後ろを振り返って遅々として進まぬ味方の進軍を睨み、馬上で仰け反っている。
――遅いのじゃああああああ!
なぜ、その点を計算に入れなかったのか。
どれほど数学が得意でも、計算すべき項目を忘れれば、何の意味もないのだった。
ヴィルヘルミネは恐れ慄き、さっそく回れ右をして逃げ出そうと思った。けれど、石橋の上は味方の部隊で一杯だ。
――ああ、余、なんで「総攻撃」なんて言ったのじゃろう!? これではちっとも全然、勝てないのじゃあああああ!
少し前の自分が恨めしくて恨めしくて仕方が無い赤毛の令嬢は、トリスタンと別の意味で涙目になっている。
挙句の果てには味方の進軍に押される形で、近衛連隊がさらに前へ、前へとせり出していく。このままでは半包囲された敵軍の射程へ入ってしまうのも、時間の問題であろう。
だというのに近衛連隊の連中ときたら、誰もが気合満々の顔をしている。エルウィンに至っては不敵な笑みを浮かべて、夜空色の瞳に戦意を滾らせていた。
「横陣、銃――構えッ!」
このような状況にありながら、エルウィンは動揺することなく近衛連隊に命令を下している。
――イケメンは慌てず、決して騒がない、という特殊能力でも備えているのじゃろうか?
どうでも良い事を考え、現実世界から脱皮を図る赤毛の令嬢の視界に、頼もしい近衛連隊の雄姿が映っている。
ピンクブロンドの髪色をした青年の号令と共に、近衛連隊は横陣を展開した。同時に正面の敵へ向け、銃を構えている。歩兵よりもやや銃身の短いそれは、馬上でも扱いやすい銃であった。加えてライフリング加工がなされた最新式だから、敵軍よりも間違いなく射程距離が長いのだ。
「輪番射撃用意――撃てッ!」
パパパパパパパパパパンッ!
パパパパパパパパパパンッ!
パパパパパパパパパパンッ!
エルウィンの号令一下、近衛連隊の銃が予ての順番に従い、小隊ごとに火を噴いた。前方で敵陣に穴が開き、綻びが生じている。
青年がピンクブロンドの長い髪を揺らし、最愛の主君を見た。
「さぁ、突撃のご命令を! 敵の亀裂を穿ち、瞬く間に蹂躙してご覧に入れますッ!」
「うむ、うむ――そうじゃな……では行くぞッ!」
「え……いや……ヴィルヘルミネ様は、ここでお待ちになって頂ければ……流石に危険です。兵は僕が率いますから……」
「と――と、突撃じゃ!」
「え、あ、は……御意ッ! 総員、ヴィルヘルミネ様に続けッ!」
ヴィルヘルミネは必至であった。横を見ても後ろを見ても、逃げられそうにない。
そんな時、味方の攻撃によって目の前に大きな穴が開いた。ならばもしかして、そこが一番安全かも知れないと思ったのだ。
だから赤毛の令嬢は、再び馬腹を蹴る。そして先頭に立ち、今度は半べそで突撃を敢行するのだった。
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