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15 ヴィルヘルミネの人事 

 

「待っていたぞ……どうやら卿は、なかなか優秀であるな」


 壇上からエルウィンを見下ろし、手を差し伸べてヴィルヘルミネが言う。口元には薄い笑みが浮かんでいた。

 

 エルウィンの後ろを歩いていたラインハルト=ハドラーはヴィルヘルミネの声を聞き、眉間に皺を寄せる。「待っていたぞ」とはどういう意味か。灰色髪の内務卿は固唾を飲んで、喉仏が大きく上下した。


(まさかお嬢は、ここに軍閥の子弟が来ることを予見していたというのか!?)


 ハドラーとて、優れた頭脳を持つ男だ。思考を高速で巡らせ、ことの真相を探っていく。

 まぁ――赤毛の令嬢に関しては、彼が思考を巡らせれば巡らせるだけ、真相から遠ざかるだけなのだが……。


(そうか、お嬢はボートガンプに付いた貴族の数を正確に把握していた。その中にデッケン家が含まれていないことも知っていたのか……!)


 もちろんヴィルヘルミネは何も把握していないし、そんなものを知る由もない。最初の段階でハドラーの思考は、見事なまでに空転している。空回りしすぎて、灰色の髪が煙に見える程だ。


(そして、現段階でエルウィン――デッケン家が来たことを評価する理由は……、彼が自分の味方になると確信しているからだな! お嬢! 相変わらず最高かよッ!)


 さらに違う。ヴィルヘルミネが「優秀」と評したのは、単にエルウィンの容姿である。彼女は彼を、九十一点と評価していた。

 本来ならばヘルムートとも遜色無さそうなレベルの容姿だが、若干点数が低いのは、彼のパリピに見える桃色掛かった金髪のせいだ。ヴィルヘルミネは内向的かつ自堕落な性格の為、パリピには抵抗があるのだった。


 それに、そもそもヴィルヘルミネは、まだ内戦に突入するなどとは露程も思っていない。その程度の予測もできない少女に、権謀術数の機微など分かる訳がないのだった。


 ■■■■


 近衛大隊の演習が一段落したところで、ヴィルヘルミネはゾフィーと共にイケメン二号、三号、四号を伴い演習場に併設された官舎へと向かった。そこは平時、近衛大隊の指揮官、兵が共に起居する場所である。


 また、近くにある厩舎では千頭を超える馬が飼育されており、武器庫には千を超える銃剣、そして百の火砲があった。火薬の備蓄もたっぷりとあり、彼等が宮殿を要塞として籠城するならば、相当な期間を耐え忍べるだろう。


 それだけではない。近衛大隊は二つの歩兵中隊と、一つの砲兵中隊から編成されている。しかし全員が騎乗スキルを持った、いわゆる竜騎兵ドラグーン大隊であった。よってこの機動力を上手く使うことが出来れば、ボートガンプ陣営を強襲し、痛烈な打撃を与えて帰還することも可能だ。


 しかし如何せん、数が少なすぎる。わずか六百の手勢では、たとえ籠城しても敵を打ち破ることが出来ない。あるいは攻めに転じても、決定打を与えるには至らないであろう。

 そもそも、この六百の兵には今、指揮官がいない。これでは籠城も機動戦術も、語ったところで絵にかいた餅であった。


 さらにこの状況下、ボートガンプが隣国プロイシェと結んでしまえば、ヴィルヘルミネは二方向から攻められるだろう。ヘルムートが恐れているのは、まさにこれであった。

 ゆえに指揮官を人選できる軍務大臣の確保をハドラーに託し、自らはボートガンプとプロイシェの共闘を止める為、奔走しているのだ。


 それはそうと、イケメン二号がラインハルト=ハドラー、三号がトリスタン=ケッセルリンク、四号がエルウィン=フォン=デッケンだ。これを赤毛の令嬢は、心の中で勝手に名付けた。もちろん一号は、ヘルムート―=シュレーダーであることも補足しておこう。

 そんな令嬢は、当然ながら現在の逼迫した事態に気付いていない。気付いたらきっとベッドで毛布を被り、二度と出てこなくなるので、誰にとってもその方が良いのだろうが……。



 さて――イケメン達と美少女を伴い官舎の応接室に入った赤毛の令嬢は、悠然と上座に腰を下ろした。背後にゾフィーとトリスタン=ケッセルリンクが立ち、正面にプラチナブロンドの髪を持つニュービー、エルウィンが座る。灰色髪のナイスガイことハドラー医師はヴィルヘルミネの左側へ、そっと腰を下ろした。


「摂政閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます。この度お目通りが叶いましたこと、まこと恐悦至極に存じます」


 礼儀正しくエルウィンが頭を下げると、ヴィルヘルミネは小さく愛らしい鼻を膨らませた。彼女はイケメンが大好きで、しかも傅いてくれたら最高なのだ。エルウィンはその両方を併せ持っているから、令嬢的に大満足。点数が一点、加算される。九十二点だ。


「――んむ。して、何用か?」


 来訪の用件を既に聞き及んでいたラインハルト=ハドラーが、ヴィルヘルミネにそっと耳打ちする。すると令嬢は秀麗な眉目を開き、大いに頷いて言う。


「余に、味方すると……?」


 そこで言葉を切ると、ヴィルヘルミネは紅玉の瞳に戸惑いの色を浮かべて卓上に視線を落とした。それからゾフィーに目配せをして、「桃のジュース。あ、客人にも」と言う。

 一瞬だが、金髪の少女が眉を顰めていた。「あれを……ですか?」と、ため息交じりの声も聞こえている。


 ハドラーとエルウィンは、そんなゾフィーの声と表情を見逃していない。何かがある――と思い、天才、神童と呼ばれる少女の内心を探っていく。


 用心深い令嬢が、簡単に人を信用する訳がない。考えてみれば、エルウィンがボートガンプの放った密偵ではないと、どうして言えようか。


(そうか! お嬢はジュースに何かを仕込み、エルウィンの反応を見るつもりだ!)


 ハドラーは額に浮かんだ汗をハンカチで拭い、エルウィンを見極めようと、銀に近い灰色の瞳を彼へ向けた。


 エルウィンとしても、ここは正念場だ。信じてもらえなければ、重用されるどころではない。じっと少女の言葉を待っているところで、気が付けば飲み物が運ばれてきた。彼の前にもヴィルヘルミネと同じく、桃のジュースが置かれている。


 これを美味しそうに飲む令嬢に、追従しようとエルウィンもジュースに口をつけた。甘い、甘すぎる。そう思い意識が遠のきかけたところで、ヴィルヘルミネが言った。


「――美味いじゃろう?」


 悪魔めいた三日月のような笑みを浮かべ、公爵令嬢が同意を求めている。

 味覚だけはお子様なのか!? エルウィンは絶句した。

 いや違う。この凶悪な笑みは――僕を殺すつもりか!? ピンクブロンドの髪を持つ少年に、戦慄が走る。


 だとすれば、これは毒! いや、でも何のために?

 今、ヴィルヘルミネ様が僕を殺す意味なんて無い! うぉぉぉ、自分を信じろ!

 この方は今、僕を試しているんだ……!


 きっと、これを飲まなければ令嬢は僕を信用しない。そう思い、エルウィンは一息にジュースを飲みほした。


「……は、と、とても……冷たくて、お、おお美味しゅうございまし……たぁ」


 上ずった声で、エルウィンは答える。

 ヴィルヘルミネは冷然と口を横に広げ、笑みを浮かべていた。

 彼女の笑みを見て、心なしか、お腹が痛くなってくる。やはり毒……?


 むろん、毒ではない。桃の果汁に蜂蜜を溶かし込み、砂糖と牛乳を混ぜた、極甘な飲み物というだけだ。むしろヴィルヘルミネの好物である。


 ヴィルヘルミネは、これをヘルムートやゾフィーに不味いと言われ、傷ついていた。ゾフィーに至っては、「あんな凶悪な飲み物、他の人に飲ませてはいけません」とまで言ったのだ。

 そんなときエルウィンだけは美味いと言ってくれたから、赤毛の令嬢はホクホクとなった。

 

 そのお陰か令嬢の信用を勝ち取れたようで、話が先に進む。

 

「――で、卿が余の味方をするのは、いったい何を望んでのことじゃ?」


 すっ――と細められる紅玉の瞳に、エルウィンは心臓の鼓動が早まった。一難去ってまた一難だ。自分は今日、ここで死ぬかもしれない。

 そんな風に思うエルウィンは、完全に勘違いをしてる。ヴィルヘルミネの年齢に似合わない美しき凶相に、彼は勝手な想像力を働かせただけなのであった。


 一方ハドラーも下唇を噛み、己の詰めの甘さを悔いている。

 そうだ。なんの見返りも無く、千二百もの兵を提供する者はいない。金か、地位か――……。

 さすがはお嬢、しっかり相手を見ていやがるぜ……、そんな風に思うハドラーも、やはり勘違いをしてるのだった。


 このときのヴィルヘルミネは、ただ単にイケメンがタダで手に入るとは思っていないだけ。いつも通り、人身売買な気持ちなのである。


 ヘルムートを家庭教師にしたように、ハドラーに病院を与えたように、ゾフィーの売っていた野菜を全部買ったように、今もまた、エルウィンを得るには、何かを与えねばならない――と考えただけのこと。

 だけどエルウィンとは味覚が合うから、きっと商談もすぐに成立だよ! とウキウキな気持ちだ。まあ、本当は全然合っていないのだが。


 逆にヴィルヘルミネへの恐怖心を募らせたエルウィンは、ついに言った。座して死を待つよりは、進んで何かを掴むのみ! といった心境である。恐ろしいまでの、二人の齟齬だ。


「つきましては、我が父ニコラウスに、軍務大臣の地位を賜りたく……」

「委細承知」


 頷くヴィルヘルミネを見て、勝負に勝った! エルウィンはそう思った。しかし続く言葉で、彼の全てが瓦解していく。


「しかしエルウィン――卿はこれより我が近衛大隊に所属せよ。分からぬことは、そこなトリスタンに聞け」


 この瞬間、ハドラーとトリスタン、そしてエルウィンの目が見開かれた。

 つまり、お前の父は軍務大臣にしてやる。ただしエルウィン、お前は人質だ――そう、赤毛の令嬢が言ったのだと思ったから。ましてや、待遇は平民であるトリスタン以下なのだぞ――とも。


「せ、摂政閣下。その――僕は士官学校で、曹長の階級を与えられているんです。なのに軍曹の下に付けっていうんですか。そんなの――……」

「で、あればトリスタン。お前を今日より大尉とする。大隊の指揮を執れ。それで問題なかろう」

「なっ!? 僕は貴族ですよッ!? それを差し置いて平民を士官になんてッ――……」


 ヴィルヘルミネの正面で、エルウィンが揺れた。トリスタンは不動のまま、「はっ」と声を発したのみである。


「それがどうした、エルウィン。余が求めるは、ただ優れたることのみである」

「ヴィルヘルミネ様は……僕が、その男に、平民に劣るっていうんですか……?」

「うむ……二点……な」

「二点……それは一体、どの部分と、どの部分なのでしょう?」


 エルウィンの質問に、小さく首を傾げる赤毛の令嬢は冷然と笑みを浮かべている。どの部分、とか言われても、正直意味が分からなかった。だって九十二点と九十四点の差なのだから。


「……答えては、下さらないのですね。い、いえ……分かりました。父を軍務大臣にして頂けるのでしたら、僕に否やはありません……」

「うむ。では、これで決まりだ。両名とも、よいな」


 ヴィルヘルミネはホッとして、こう宣言した。以前より長身イケメンオッドアイを、もっと自分の傍に侍らせたいと考えていたのだ。唇の片端を吊り上げ、本当に喜んでいた。

 これぞ一石二鳥――などと悦に浸る赤毛の令嬢。しかし平民を士官にし、その配下に貴族を据えるというトンデモ人事をやったことに、全然気付いていない。


 エルウィンは、まったく暗澹たる気持ちだった。

 ああ、今後ヴィルヘルミネ様は僕を人質にして、父上を顎で使うつもりなのか――と。

 彼は今、神童と呼ばれた少女の洗礼を、見事に受けた気分なのだった。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

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