48 イシュトバーンの初恋
イシュトバーンは警戒しつつ南下している途上で、ニームに残留していた二個大隊を発見した。彼等によれば、ヴィルヘルミネはヴァレンシュタインとの会談を望んでいるとのこと。
「そういう事情から、ヴィルヘルミネ様は我々を無傷で開放してくれたのです。会談の結果次第では、捕虜の交換も視野に入れているとのことでした。実際、南方とはいえ冬も近い。兵達も故郷へ帰りたいでしょうし、ここは休戦なり講和なり――あ、いや、これは出過ぎたことを申したようですな、忘れて頂ければ幸いです、イシュトバーン少佐」
「いや、なるほど。確かに大尉の言う通り、彼女は戦いを望んでいないのかも知れないな。であれば俺の偵察任務も、無駄に終わるのだが……」
だからと言ってイシュトバーンとしては、任務を放棄する訳にもいかない。残留部隊の指揮官と握手を交わし別れると、再びニームを目指し進んでいく。
翌日ニームの近郊に到達すると、イシュトバーンは一個大隊六百名を十五の小隊に分け、周辺の偵察に当てた。ヴィルヘルミネはヴァレンシュタインとの会談を望んでいると言うわりに、街の北側を要塞化しようと目論んでいるらしい。やはり、偵察を命じた兄には先見の明があると思った。
「出来る限り正確な敵陣の地図を描け。しょせんは突貫工事に過ぎんだろうが、要塞が完成すれば厄介だ。
万が一の場合の状況判断は小隊指揮官に任せるが、友軍の支援を期待するな。戦闘は可能な限り避け、集合地点まで今後各部隊は一切の接触を禁じる」
命令を下して部隊を散開させると、イシュトバーン自身は海岸沿いから夜陰に紛れ、ニーム市内に直接の潜入を果たした。率いる兵は直属の小隊から選び抜いた五名の精鋭だけだ。
イシュトバーンは砂浜から表通りへ出ると、五人の部下達と共に酒瓶を抱えて酒に酔ったフリをする。そのまま目抜き通りを真っ直ぐ進み、最も光と喧騒に溢れた一軒の酒場に足を向けた。
古来より情報を収集する為には、人の集まる場所に行けばいい。ましてや酒の入った人々の口は、空に浮かぶ雲よりも軽くなるのだから。
まずは何気なく席に座り、酒場の喧騒に耳を慣れさせる。暫くすると個々の会話が浮き立って聞こえてくるので、その中から有用だと思える幾つかの話題を選んでいく。
イシュトバーンはちびり、ちびりと葡萄酒を舐めて、部下達とカードゲームに興じるふりをしていた。
「まったく、キーエフの艦隊も不甲斐ないもんだ。たった一回の戦闘で、降伏しちまったっていうじゃあないか」
「そりゃあアレだろ。軍事の天才とか言われる、ヴィルヘルミネ様が凄すぎたってやつさ」
「ああ、聞いたぜ。ブラッディ・メアリーを一騎打ちで破ったんだってな」
「それはそうと、今度はヴァレンシュタイン公と戦うらしいぞ」
「へぇ~~そりゃ、どっちが勝つんだろうなぁ?」
「知るか。そんなことより、俺達いつになったらキーエフに帰れるんだよ?」
暫くしてイシュトバーンは赤ら顔で語り合う人々に近づき、軽く手を上げた。彼等は同国人である、との確信を得たからだ。それから給仕の少女に葡萄酒を瓶で注文し、皆のグラスに注いでいく。
「やあ、兄さん達も帰れなくて困っているんですね。実は僕もなんですよ――……」
「なんだ、お前さんもキーエフから来たクチかい?」
「ええ、ええ、そうですとも。まったく、キーエフの軍人さんに煙草を売ろうと思って内地からはるばるやってきたのに、今じゃ周りはランスの軍人さんばっかり。キーエフ産の煙草なんて売れやしませんよ、はぁ~~~……。ま、そんな愚痴を言っても仕方がありませんし、さ、皆さん、これ、お近づきの印です。飲んで飲んで! 今日は楽しく騒ぎましょうよ!」
「お、有難いねぇ! お前さん、若いのに分かってるじゃねぇか! 何にしても、持つべきものは同郷人さ!」
「そういえば同郷人っていやぁよ、ヴィルヘルミネ様だって同郷人には違いねぇだろ? でもランスの海軍を乗っ取るわ帝国の名将と戦おうとするわ、いったい何を考えていらっしゃるのやら……」
「え……ちょっと待ってください。ヴィルヘルミネ様が、ランスの海軍を乗っ取った? その話、詳しく教えて貰えませんか?」
■■■■
昨夜遅くまで情報収集に勤しんだイシュトバーンは、殆ど眠らずに翌日の行動を開始した。ウィーザーら海軍関係者が収容されている施設の場所を聞き出せたからである。
イシュトバーンは東の山脈から登り始めた朝日に目を細めつつ、『フェルディナント海軍司令部』と書かれた施設の前で足を止めた。
彼が今目にしている看板は、二度名称を変えている。最初は『ランス海軍南方艦隊司令部』であり、次が『キーエフ海軍西方艦隊司令部』であった。そして現在は先程の名称になっている。
「やれやれ……これがヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントのやり方か。本当に乗っ取ったとはな」
施設の周りは海軍の兵士が常に警戒しており、潜入は出来そうもない。出来れば中に入ってウィーザーに接触したかったが、それは諦めた方が良さそうであった。
ともあれ彼等が生存していることと居場所は、昨夜の情報で確定している。ならばこれ以上、危険を冒す必要は無かった。
午前十時、そろそろ街を出ようかと考えていたイシュトバーンの耳に、ヴィルヘルミネが要塞構築の視察へ出るとの情報が飛び込んできた。どうやら、この工事は令嬢の肝煎りらしい。
ふと、イシュトバーンの心に好奇心の芽が出てきた。
――軍事の天才と呼ばれ元女海賊を打ち負かし、そしてランスの海軍を奪った女か。ちょっと見てやろう。
イシュトバーンは住民に紛れて沿道へ出ると、すぐに近衛連隊に守られて行進するヴィルヘルミネを見つけることができた。
紅蓮を思わせる真紅の髪が秋風を孕んでふわりと踊り、白い外套の上で揺れている。人の心を全て見透かすかの如き切れ長の瞳は、神に挑むかのように虚空を見つめていた。
――まるで魔王だ。しかし、美しすぎる……。
イシュトバーンは凛と前方を睨み部隊を率いる赤毛の令嬢に、自身の立場と状況も忘れ見惚れていた。と、その時。紅玉の瞳が彼に注がれて――
「……何を見ておるのじゃ?」
馬の脚を止め、イシュトバーンをじっと見下ろす赤毛の令嬢だ。燃えるような赤毛の頭頂部で、ひとふさのアホ毛が揺れていた。
変装の為、イシュトバーンはフード付きの汚れた外套を身に纏っている。しかし、どうやらヴィルヘルミネが誇るイケメンセンサーの前には無力だったらしい。血沸き肉躍る赤毛の令嬢は、さっそく彼の採点に入っていた。
「む、むむむ! くすんだ金髪に青い瞳。薄汚れているが隠しきれぬ、この気品! 九十点以上は確実な逸材と見たのじゃ!」
などという荒んだ内心はおくびにも出さず、ヴィルヘルミネは静かに命じた。
「卿は……何者か? 顔を見せてみよ」
イシュトバーンは奥歯を噛みしめ、己の迂闊さを呪っていた。敵に見惚れて正体を気取られるなど、最悪の事態だ。
動かないイシュトバーンに周囲が騒めき、ヴィルヘルミネの衛兵が彼の前に進み出る。
「は、はい……」
イシュトバーンは観念してフードを背中に降ろし、赤毛の令嬢に跪く。くすんだ金髪と紺碧色の瞳が露になると、周囲も彼の美貌に感嘆の声を上げた。
もちろんヴィルヘルミネも満足気に頷き、自らの慧眼を誇り鼻を鳴らしている。
「卿は何故、ニームにおるのか?」
イシュトバーンにとって、このヴィルヘルミネの質問は恐ろしかった。全てを見通されている――と感じたからだ。
「キーエフから煙草を売りに来たのです、閣下。しかし閣下が街を占領なさった為、私は帰るに帰れず、それで、この地に留まっている次第でして……」
「煙草売りと申すか? ふうむ……そうじゃ、余の知人に煙草好きがおる。どうじゃいっそのこと余の下に来ぬか?」
令嬢の口元が、ぱかりと三日月型に割れた。余りにも恐ろしい笑みだ。イシュトバーンは背筋が凍りそうになって、思わず後ずさる。
この時ヴィルヘルミネは、「このイケメン、何とか連れ帰りたいのじゃ」と思っていただけだ。しかしイシュトバーンは「もはやこれまで」と、腰の拳銃に手を伸ばす。赤毛の令嬢と刺し違えることが出来れば、多少なりともヴァレンシュタインの役に立つことが出来ると考えたからだ。
その刹那、腰にぶら下げたルイーズの気持ち悪いウサギの人形が顔を覗かせた。
「む――……それは呪術師のお守りではないか?」
「はい、これは、その……妹が私の無事を祈り、早く帰れるようにとくれたものでして」
「ほう、家で妹が待っておるのじゃな?」
「はい、さようでござます」
「ふむ。では、卿を連れ帰る訳にはいかんの。よい、せめて名を教えよ」
「はっ。私めはイシュトバーン、妹はルイーズと申します、閣下」
「で、あるか――……妹も卿の帰還を、一日千秋の思いで待っておることじゃろうの。戦も間もなく終わるゆえ、楽しみに待っておれ。では、さらばじゃ」
ヴィルヘルミネは馬腹を蹴って、その場を立ち去った。
実のところ、あのお守りには一つの伝説があったのだ。それは、「これを持つ者に手出しをしたら人形が牙を剥き、その相手をかみ殺す」というものである。
この伝説を知っていた赤毛の令嬢は、一瞬でビビリまくった。なので、イシュトバーンを連れ帰ることを諦めたのである。
一方イシュトバーンはヴィルヘルミネが全てを承知の上で、自分を解放したのだと思った。だからこそ「戦も間もなく終わる」と言ってのけ、挑発をしたのだろう。
イシュトバーンは悔しさに歯噛みをした。しかしそれと同時に、目を閉じればヴィルヘルミネの美しさが浮かび上がる。
そう、つまり彼は――敵に恋をした。それも一目惚れなのであった。
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