03 爪を噛むのは他所でやれ
屋敷に来て3日目。
アニーの仕事は領主の食事を作ること、紅茶を淹れること、菓子を作ることなど、
食べ物を中心としたものだった。
時々領主の、何に使うかすら分からない気味の悪い機材にまみれた自室を掃除をやらされること意外はほぼ食事に関しての仕事に偏っていた。
もっと過重な労働を強いられると覚悟していたアニーは肩透かしを食らった気分でそれらの仕事を淡々とこなし、密かに溜め息を吐いていた。
昼には休憩を貰っていて中途半端に疲れた体を休めるべく自室へ向かった。
扉を開け、中に入ってからベッドに見知らぬ女の子が身を縮めるように座っているのに気付き、ぎょっとして数歩後ろへ下る。
「…ここは私の部屋なのですが、何か御用でしょうか」
聞くと子供は俯いていた顔を上げこちらを見返した。
腰まで届くストレートの髪は白というより銀色で、瞳は鮮やかな金。
青白い肌に目の下の濃いのクマが不健康そうだが顔は綺麗過ぎるほど整っていた。
しかしやはりイライダと同じく、整い過ぎていて逆に不自然な感じがする。
子供はアニーの質問に答える気が無いのか、押し黙ったままでいる。
いくら見た目が小さな女の子とはいえ、この屋敷であの領主に関係のある者だ。
子ども扱いして機嫌を損ねるのも困るので、これ以上うかつに質問も出来ない。
「……お菓子」
下手をしたら聞き逃しそうな小声で子供は呟く。
アニーは内心げっそりしながら手に持っていた自分用の菓子を子供に渡す。
折角休憩用に作っておいたお菓子なのにと文句を言っても始まらない。
しかし子供はそのお菓子を口に含むと、すぐに吐き出した。
あまりに唐突な出来事にアニーは無意識にうなり声を上げていた。
「味、しない」
そんなはず無いでしょ、とアニーは大声で怒鳴りそうになった。
何が悲しくて自分用の菓子に味を付け忘れたりするというのだ。それでなくても砂糖を焼き菓子に加えた記憶はちゃんと有る。
「あなたは、味、分かる、味覚、舌」
「……どういった事を仰りたいのか分かりません。何も御用が無いのならお引取り下さい」
「あたし、それ、欲しい。くれ」
ふと疑念がよぎる。
喋り方がたどたどし過ぎやしないか。
体格差からして4・5歳ほど歳が離れていると目算していたがその年齢よりも下だとしても明らかに言葉が角張りすぎている。
その違和感に気付いた瞬間、相手の左手にも気が付いた。
刃物を握っている。
――いや、腕が刃物になっている。
先程の言葉の意味と、その腕の異様さを鑑みて嫌な汗がどっと噴き出す。
案の定相手はその刃物を頭上に振り下ろしてきた。
その一振りは咄嗟に避けられたものの、アニーよりも相手の動きの方が数段早くアニーは自分のものとは思えない無様な声を上げて逃げ惑った。
「コゼット、来い」
その領主の声を合図に子供の動きが止まる。
少しの間逡巡していたがもう一度「コゼット」と大声で呼ばれ、強く爪を噛む仕草をし、いかにも惜しそうにしながら部屋を出て行った。
暫く経って、怖いものが去ったと認識して、ようやくアニーの思考が動き出した。
しかしそれに伴いどうしようもない吐き気が襲ってきて、部屋が汚れるのも構わず自分の中にあった全てを吐き出した。
覚悟が出来ているなんて思っていた自分が愚かしい。
何も、全然、覚悟なんて出来ていなかったことを吐き気と恐怖で思い知らされる。
そしてこの屋敷は予測していたよりもずっと狂っていた。




