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File:6 人の思いは所詮、記憶の奴隷

 千代田区霞が関(かすみがせき)。PM13:15。


 警視庁の裏手に止まると、見覚えのある男女がこちらに駆け寄ってきた。

 女性は後ろに乗り込み、男性が助手席に滑り込んでくる。男・坂下竹輔(たけすけ)が何か言おうと口を開け、そのままこちらを凝視してくる。


「言うな、恥ずかしい」


 車を発進させると、竹輔は大きく息を吐いて胸を()で下ろす。


「びっくりしましたよ……乗り込む車、間違ったのかと思いました」


 竹輔の言葉に、後部座席から野村紅葉(もみじ)が身を乗り出した。


「え? え? なになに? わあ、三輪(みわ)っち!? かっこいい! どうしたの? イメチェン?? ねえねえこっち向いて!! 写真撮らせて!!」

「あっ、僕も!」

「うるさいやめろ! 恥ずかしい言うとんやろ!」


 向けられた液晶端末を握り込んで押し返す。ちぇっと言って、竹輔が渋々スーツの胸ポケットに液晶端末を仕舞った。

 身を乗り出してこっちの覗き込んでくる野村の頭を押し戻そうと手をかざすと、素早い動きで後ろに引っ込んだ。バックミラーを見れば、こちらもちぇっと口を(とが)らせて不満げだ。


「そういえばぁ、(ふじ)っちと(れん)くんと一緒に潜入捜査してたんだよねぇ? 二人はどうしたのぉ?」


 広い後部座席で両隣の座席をポンポン叩く。


「野村、すまんがこれから別の警察官と合流する。片岡(かたおか)たちは喫茶店(きっさてん)で待ってもらってるから、そっちと合流して待機してくれ」


 極秘部署である【特殊殺人対策捜査班】は、すでに難事件をいくつも解決し、いわば捜査の横取りという派手な動きをしてしまっているため、警察内部では着実にひっそりと(うわさ)は広がっている。だが、柳本(やなぎもと)警視監(けいしかん)が入念に情報操作を行っているのか、まだ≪ブルーマーク≫である三人の存在は上手く隠されたままとなっている。


 しかし、ひとたび存在がバレてしまえば、いつかは必ず世間へと流出するだろう。

 そうなれば、俺や竹輔、菊田係長、(あずま)検視官、柳本警視監の首が飛ぶだけでは済まない。警察全体の信用に関わってしまうだろう。世間は常に、国家権力に厳しい不信感を持っている。全ての元凶である柳本警視監はそのリスクを分かっていると思うが、あの(たぬき)男の真意は今も不明のままだ。


 どちらにせよ、俺たちが異動になったあの日から、(つな)渡りをしていることに変りはない。

 そんな中、いくら菊田(きくた)からの伝手(つて)で協力してくれる警察官と言えど、東検視官のような立場ではない、どちらかと言えば庶民に近い存在だ。だからこそ、≪三人≫と接触させるのは非常にまずい。なので、芳乃より要望があった大きなパフェがあると言う老舗の喫茶店に二人を待機させてきた。野村も一度、そこで待機させる予定だ。


 蕗二(ふきじ)意図(いと)()み取ったのか、野村は素直に「はぁい」とのんびり返事をした。


「で、野村。その前に聞きたいんだが、宿木(やどりぎ)巡査のご遺体の見立てはどうだ?」


 腕を上げて体を伸ばしていた野村が、ストレッチを続けたまま首を傾げた。


「うーん、東っちとほとんど一緒の意見だよぉ。だってさぁ、被害者の警察官をボッコボコにして、車で引き()り回して、手足を切断でしょぉ? そーとーな(うら)みでもないと、あんな拷問(ごうもん)みたいなことはできないだろうねぇ」

「相当な恨み……」

「だってねぇ、関節ぜーんぶを丁寧にバラバラにしてるからねぇ。(あずま)っち(いわ)く、意識あった可能性は高いから、文字通り拷問だよねぇ? てゆーか、いたぶり殺したと言ってもいいかもねぇ? こう、生きてるバッタの足を引きちぎってる感じ?」

「やめろやめろ! ぞわっとする! 例えが生々(なまなま)しいわ!」

「あれぇ、ごめーん?」


 けたけたと笑う野村に、蕗二(ふきじ)は頭を抱えた。そうこうしているうちに、上野駅に到着し、朝に潜入会場が開始するまで待っていた公衆電話ボックスの横に、車は自動停止した。

 駐車措置(そち)をして、後ろを振り返り返ると、野村が派手にデコレーションされた液晶端末を(かか)げて見せる。


「大丈夫だよぉ! 藤っちから連絡あったからぁ」

「そうか、じゃあ後で」

「まったねぇ」


 野村がドアを開けると街の喧騒(けんそう)が流れ込んできた。ドアが閉まると、車内は一段と静寂に包まれる。

 機嫌よく歩いていく野村の後ろ姿をバックミラーで見送ってから、ナビを操作しながら竹輔に話しかける。


「お疲れだったな、竹」

「いえ、野村さんと東検視官の分析を聞いているうちに落ち着いてきました。だからこそ、護衛対象は必ず守らないといけないな、と身が引き締まりました」


 竹輔はシャツの(えり)を整えると、ネクタイの小剣(スモールチップ)を引いて締め直した。


「そう言えば、その助っ人の女性刑事と管轄(しょかつ)の警官とは、どこで合流予定ですか?」

「ちょうど、上野の森美術館前だ」


 ナビのStartボタンに触れ、ギアをPからRに入れ直し、シフトレバーを押し下げる。

 車は後ろからやってきた車を待った後、危なげなく車を発進させる。

 高架下(こうかした)(くぐ)り抜け、上野(うえの)パーキングセンターと書かれた地下へと通じる駐車場へ迷いなく進んでいく。

 黄色と黒で縞模様のついた遮断桿(しゃだんかん)の前で車が自動停止する。脇に立っている、ナンバープレート読み取り装置が「一旦停止」の表示から「進め」に変わると、遮断器が上に持ち上がった。ナビに登録完了の文字と、液晶端末が連動して振動した。


 昔は精算用のカードを取ったりしなければいけなかったらしいが、今では全国民に配布されている個人認識番号カードでもあるマネーカードに(ひも)付けることで、支払いは全て電子決済で行われる。経費精算も連携(れんけい)されていて、必要な項目(こうもく)をチェックすれば良いだけで、いちいち打ち込む必要が無く、簡単に経費処理ができて便利だ。まあ、不正利用防止のためとも言えるだろう。


 車は自動で空いているスペースへ、難なく駐車して見せた。車から降り、ドアの取っ手に触れてロックをかける。地下から地上へとエレベーターで上がれば、目の前に壮大(そうだい)な森が現れた。


「ああ、上野(うえの)公園かぁ。懐かしい。ここ、桜がすごく綺麗なんですよ」


 竹輔が落ち葉が目立つ木々を見詰めながら、目を細めて楽しそうに言った。


「バカでっかい公園だなとは思ってたが、壮大だな」

「壮大ですよ! 上野公園は約57ヘクタール、東京ドーム約12個分! そこには、上野動物園や国立科学博物館、正岡子規(まさおかしき)記念球場に、さらには神社まであって、一日では回り切れないくらい見どころ満載(まんさい)の公園なんですよ! 」


 東京出身の竹輔には馴染(なじ)み深い場所なのだろう、意気揚々(いきようよう)と語る彼の姿にほっとしながら、硝子(がらす)張りの建物を回り込むように歩く。

 と、すぐに煉瓦(れんが)作りの建物が見えてきた。あれが上野の森美術館らしい。看板を見るよりも早く、冬の紺色の制服を着た男性と、パンツスーツを着た女性が立っているのが見えたからだ。


 男の方は背丈や体格が竹輔に似ているが、どちらかといえば筋肉質なのだろう。(あご)ひげを(たく)えているのも相まって、ゴリラっぽい。なんて無粋(ぶすい)なことを考えている蕗二(ふきじ)をよそに、竹輔が足早に駆け寄って、初めましてと声をかけ、背筋を伸ばして敬礼をする。それに反応し、制服の男性はすぐさましっかりと(かかと)をそろえ、胸を張るようにして帽子のツバに手をそろえて敬礼をする。


「菊田係長より任命(たまわ)りました、台東(たいとう)区上野警察署 地域安全課、糸杉(いとすぎ)と申します。本日はよろしくお願いいたします」

 大胸筋(だいきょうきん)が張り出して、ますますゴリラみを帯びる糸杉の隣、柴犬を思わせるような、ふわっとした茶色い髪を後ろに結んだ女性が、背筋を伸ばして敬礼する。


「同じく、菊田係長より任命を受けました、警視庁捜査一課 第5強行犯捜査6係 栗田(くりた)と申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 二人とも、やたらと緊張しているようだ。あまり緊張されると、護衛対象にも緊張が伝わってしまう。特に未成年は多感だ。護衛に不安を感じさせてしまえば、連携不足が生まれるだろう。

 蕗二はわざと竹輔の肩に(ひじ)を置いて、あえて軽く挨拶をする。


「ああ、俺は警視庁刑事部の三輪だ。で、こっちは相棒の坂下(さかした)巡査部長。今日は忙しい所、協力してくれてありがとう。立ち話もなんだから、歩きながら説明させてもらうぜ。天気も良いしな」


 二人を手招きして先陣を切って歩き出す。バタバタとついてくる足音を聞きながら、整備された道を歩いていく。何か話題はないかと周りを見回していると、ピンク色の大きな花が書かれた看板があった。

 隣を歩く竹輔に、声をかける。


「なあ竹、さっきハスがどうって看板見かけたけど、池でもあるのか?」

「ああ! 不忍池(しのばずのいけ)ですね! 約2kmもある大きな池で、三分割されているんですが、夏は蓮の花が一区画一面(いちめん)に咲き誇るんですよ! あと、カラフルなスワンボートが有名ですね。あとは昔のプロレス系格闘漫画でも舞台になったこともあるんですよ」

「あっ、それ知ってます! ライバルのエリートが敗北する地!」


 突如(とつじょ)、糸杉が鼻息を荒くして食いついてきた。


「続編の息子シリーズでは、不忍池(しのばずのいけ)に銅像が建てられたんですよね!」

「マニアック!! ファンの間で賛否分かれる続編息子シリーズの話、マニアック!!」


 竹輔と糸杉が突然意気投合し、蕗二は呆気(あっけ)にとられる。緊張がほぐれたようでいいのだが、このままでは池の方まで走りかねない勢いだ。ため息をついていると、ふと、栗田(くりた)がこちらを(うかが)うように恐る恐る口を開いた。


「あの、三輪警部補。無礼を承知でお(うかが)いしたいのですが」

「ああ、どうぞ?」

「三輪警部補は、その、地方出身でスか?」

「え? まあ、そうだが?」

「やっぱり……どこ出身だべ?」


 懐っこい笑みを浮かべた栗田の(なま)りがきつくなる。


「あ? 大阪やけど、どないした?」


 わざと方言を話してみれば、栗田は突然飛び跳ねて喜んだ。


「そうでしたが! 地方出身はしばらくぶりだす! おいだば秋田出身で、通じねで困るんだすよぉ!」

「へぇ秋田か! 自分、びっっくりするくらいズーズーに(なま)るやんか! めっちゃオモロイなぁ!」

「んだんだ! 初対面はしったげ受げんだ! おいの鉄板ネタだす!」

「ええなぁ! 大阪弁は怖がられるだけやで!」


 栗田に対し、一気に親近感が沸き上がる。出身地の方言を押さえる気はないのだが、東京ではどうしても意味が通じないことが多くコミュニケーションが困難になりやすい。なので、仕方なく東京だと気を遣って標準語をしゃべっている身としては、なんとなく肩身が狭いのだ。

 突然盛り上がったためか、竹輔と糸杉が困惑した顔でこちらを見ていた。


「どないした? なんか顔についとるか?」

「いや蕗二さん、通じてる方がすごいですよ」

「そうかぁ? まあ、通じるって言うか、なんとなくのフィーリング的な? 俺も方言で苦労したからなぁ。つか、竹も最初は俺と話し全ッ然通じひんかったやん? 何なら怖がっとったやろ?」

「そう言われるとそうですが」


 照れるように竹輔が頬を指先で()く。懐かしい話だ。大阪は特に東京に対して、ライバル心のようなものがあり、大阪弁を突き通してしゃべるのが当たり前だったおかげで、相棒を組んで間もない竹輔には苦労を掛けた。あの頃は、まさかアイコンタクトで意思疎通できるようになるとはお互いに思っていなかったはずだ。

 しみじみと思い出話でもしようかと思っていれば、広大な公園を無事に縦断(じゅだん)できたようだ。

 噴水の脇を通り、公園を出て横断歩道を渡ったところで、糸杉がガタイの良い体を不安げに縮める。


「ずいぶん歩いていますが、どちらに向かっているのですか?」


 隣を歩く栗田を横目で見れば、糸杉の言葉に不思議そうに首を(かし)げていた。菊田は糸杉には情報を共有していないようだ。


「もうすぐ着く」


 それだけ言えば、糸杉はそれ以上何も言わず、しかし不安げな表情のまま黙々とついてくる。

 塀に沿って角を曲がれば、目的の場所が見えてきた。


 閉ざされた鉄門の前に立ち止まる。糸杉と栗田は、すぐ(へい)に取り付けられた青銅(せいどう)製の銘板(めいばん)を凝視した。そこには縦書きで「藝術大学音楽学部 附属音楽高等学校」と(かか)げられている。

 蕗二は二人に向き合うとわざと背筋を伸ばし、(かかと)(そろ)えて見せた。すると、栗田と糸杉はすぐに反応して、同じく敬礼の態勢をとる。


「栗田さん、糸杉さん。菊田係長より聞いていると思うが、今回の案件は私人(しじん)警護および護衛だ。本来、警察が行う業務範囲からは外れる。くれぐれも、これから行うことは、警察内部にも口外しないように。また、これより場合によっては、容疑者との接触も考えられる。容疑者の身柄(みがら)確保は二の次で構わない、警護対象の安全の優先するように。また容疑者の武器所持に十分警戒すること。以上」


 蕗二の言葉に、二人は声を揃えて「はい」と力強く返事をした。


「今回の護衛隊対象かつ遺族は女性だ。申し訳ないが、栗田さんから話を進めてくれないか。俺は隣に座っているから、何かあればフォローする」


 そう指示すれば、栗田はなぜか両頬に手を当て、耳を赤くしてそっぽを向く。


「しったげ、かっこいい人だぁ。おい、隣にねまるの、緊張します」

「え? いや、これはちょっと、特殊と言うか、いつもはこんなんじゃない、です」


 詳しくは通じなかったが、隣に座るのが照れるとのことだ。そんなことを言われると、つられて照れてしまう。くそ、調子が狂う。竹輔はこういう時どうするんだ。ちらりと竹輔を(うかが)えば、握った右拳を脇で小さく振った。頑張れとのことだ。いや何を頑張れというのだ。


 苛立(いらだ)ちと動揺を隠すように、銘板とは反対側、郵便受けの隣に埋め込まれたインターフォンへ突進し、呼び鈴のマークが彫られた長方形のボタンを強く押し込んだ。ピンポーンと軽やかな電子音が鳴る。一拍(いっぱく)おいて、「はい」と男性の返事があった。呼び鈴の上に、丸いガラスがはめ込まれている。カメラで間違いないだろう。二歩下がり、顔が見えるようにカメラのレンズを覗き込む。


「お忙しい所失礼いたします、私、警視庁の三輪と申します。14時よりアポイントを取っておりました」


 そう伝えると、すぐさま「あ、お待ちしてました」と慌てた声がする。すぐさま、鉄門の奥からカッターシャツの上にパーカーを羽織った眼鏡の男性が駆け寄ってきた。

 鉄門を人ひとり通れる程度に開け、こちらを見ると、慌てた様子でこちらに深くお辞儀をした。


「お待ちしておりました、中へどうぞ」

「失礼いたします」


 会釈(えしゃく)をしてから、門を通り抜ける。同じように、竹輔、栗田、糸杉と通ると、眼鏡の男はすぐさま鉄門を閉め、鉄門に(かんぬき)と錠前をかけた。

 防犯はしっかりしているようで安心だ。


 腰の低い男は教師なのだろうか、警察が来ることに慣れていないだけかもしれないが、やたらと緊張した様子で、構内へと案内される。

 来賓(らいひん)用と書かれた靴箱があり、スリッパに履き替え、校内へと入る。

 玄関からの逆光になっているせいか、廊下は薄暗い。省エネ対策もあってなのか、照明も消してしまっているようだ。


 薄暗い中、男性の後を追って廊下を歩いていると、職員室の室名札(しつめいふだ)が見えてきた。それを通り過ぎ、隣り合うように校長室と書かれた室名札の元まで進む。

 男性がドアを(せわ)しなくノックし、覗き込むように細くドアを横へスライドさせ、小声で失礼しますと声をかける。

 奥から人の気配が近づいてきたかと思えば、大きくドアがスライドした。

 白髪交じりの髪を後ろになでつけ、鼻下にきっちりと整えられた(ひげ)を蓄えた男が現れる。

 そして、その両耳には≪ブルーマーク≫が打ち込まれていた。

 警戒心が隠しきれていない視線を目の形だけ変え、一見(いっけん)すれば(おだ)やかそうな表情へ変えて見せた。


「本日はお越しいただきありがとうございます。ささ、中へどうぞ」

「失礼いたします」


 蕗二は大げさにかしこまったお辞儀をする。護衛対象の情報を受け取るときに、学校のことは軽く調査している。

 この男、いや校長の名は、黒鉄望月(くろがねもちづき)。有名なカリスマ性のある指揮者(マエストロ)だったらしいが、かなり厳しい指揮者だったようで、精神的に支障をきたす演奏者もいたそうだ。だからか、『犯罪防止策』が施行された直後に、眼光と同じく冷たい青の光を反射する≪マーク≫がついたのだろう。しかし実力者であることから、現役を退いても校長として抜擢(ばってき)されたようで、また「音楽に国境も差別も存在しない」と理念を掲げていることもあり、≪ブルーマーク≫が付いた学生も分け隔てなく採用しているようだ。


 だが、≪ブルーマーク≫として、警察は対象外らしく、理念に含まれていないようだ。こちらを観察する視線を強く感じる。気に入らない粗相(そそう)があれば、場合によっては叩き出されるかもしれない。

 その証拠に、ここまで道案内をしてきた男は、黒鉄(くろがね)の事を恐れているのだろう。

 (さいわ)い、竹輔はもちろん、糸杉や栗田は真面目だ。入室時も警察学校を出た後のように、堅苦しいお辞儀をしている。緊張も(あい)まっているのだろうが、この様子だと粗相(そそう)を起こすことはないだろう。


 全員が部屋に入り、案内役の男がドアを閉めたところで、背筋を伸ばし、校長の黒鉄に向き合う。


「改めまして、警視庁 刑事部の三輪と申します。こちら、坂下、栗田、糸杉と申します。本日はお忙しい所、ご対応頂き誠にありがとうございます。早速ですが、宿木(やどりぎ)紅姫(こうき)さんとお会いすることは可能でしょうか?」


 こちらの対応に不満はなかったようだ。黒鉄はわずかに口角を上げる。


「すでに待機していますので、こちらでお待ちください」


 部屋の真ん中に置かれている革張りのソファを手のひらで指し、ドアの前で縮こまって立っていた男に、「君」と声をかける。男は慌ててドアから出ていくのを見送ってから蕗二は「失礼いたします」と頭を下げ、栗田を奥へ誘導し、隣に立つ。竹輔は糸杉を誘導し、ドアの隣へと移動した。

 黒鉄はその場から微動だにしない。こちらの動向(どうこう)を監視しているようだ。

 これはいろいろ面倒かもな、と思った直後、(せわ)しないノック音。「失礼します」とか細い男の声の後、静かにドアがスライドすると、丸眼鏡のふくよかな女子生徒が立っていた。


「失礼いたします」


 女子生徒は()んだよく通る声でそう言った後、部屋に一歩踏み入った。後ろから男に(うなが)され、女子生徒が蕗二たちのソファの前にやってくる。


「二年一組 宿木紅姫です。本日はよろしくお願いいたします」


 丁寧にお辞儀をされ、つられるように頭を下げる。男に促されて、紅姫が着席するのに合わせ、蕗二と栗田はソファに腰かけた。正面では、紅姫は膝をそろえて、やや左斜めに足を流す。背筋が美しく伸び、膝の上で組まれた指まで洗礼されていた。

 栗田はスーツの内側の胸ポケットから、丁寧に警察手証を取り出し、手のひらの上で開いて紅姫に向けて見せる。


「宿木紅姫さんですね。私、警視庁 捜査一課 栗田と申します。こちらは上司の三輪です」


 紅姫はわずかに顎を引き、手帳を一瞥(いちべつ)する。蕗二も習って同じく手帳を差し出せば、ひとつ瞬きを落とし、すぐに栗田を真っ直ぐ見た。


「ご用件をお伺いいたします」

「お兄さんについて、お話ししなければいけないことがあります」

「兄が、どうしたんですか?」


 落ち着いた様子に見えるが、表情は強張(こわば)っている。栗田が息を吸い込む音がする。この瞬間はいつも苦手だ。日常を突き崩す引き金でもある。


「本日、お兄さんが何らかの事件に巻き込まれ、お亡くなりになりました」


 紅姫の呼吸が止まる。膝の上で組まれた右手が、左手を強く握り締め、じっと言葉の続きを待っている。


「現在、殺人事件と見て捜査中です。申し訳ございませんが、司法解剖をおこなっていますので、お兄さんのと面会は、もう少し後になります」

「そうですか」


 紅姫はそう静かに呟くと、不意に立ち上がった。えっ、と驚きの声を上げる栗田に、紅姫は背筋を伸ばした優雅なお辞儀をしてみせる。


「練習に戻ります」


 そう言って(きびす)を返した紅姫(こうき)を「こら、待ちなさい!」と男が止めようとする。が、竹輔が制する。紅姫の突飛な行動は想定内だ。戸惑っている糸杉と栗田を落ち着かせるように、またこちらの様子をじっと観察してくる黒鉄(くろがね)と男に向かって、蕗二は代わりに努めて冷静に言葉を(つむ)ぐ。


「構いません。突然の事ですので、気持ちの整理を付けたいのだと思います。代わりに、彼女の担任教師と、宿木さんと親しい友人とお話ししたいのですが、お時間よろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん」


 黒鉄はやっと踵を返すと、男を連れて退出していった。

 その背を見送り、ドアが閉まった途端、栗田が胸に手を置き、大きく息を吐いた。


「どでんしたぁ……ですが、淡々としてましたね、彼女。正直、泣きだすかと思ってました」

「いや、逆だよ。現実味がないんだ」


 蕗二はそう呟いて、ソファから腰を上げた。ドアの壁際に立っている竹輔を視線で呼ぶ。すぐさま竹輔が近づいてきた。


「竹、ちょっと様子を見てくる。次の女子生徒は栗田さんと聴き込みを頼む。俺より話しやすさが違う」

「分かりました。何かあれば、すぐに連絡します」

「頼む。それから糸杉さん、あなたはこの学校の敷地内に防犯カメラが何台あって、どこに設置してあるか、どこを向いているかを確認してきてくれないか?」

「分かりました」


 糸杉の返事を聞いてから校長室を出る。

 ドアを閉めてしまえば、廊下は空間が切り離されたかのように静寂(せいじゃく)に包まれていた。

 ドアが閉まる直前、紅姫が走り去ったのは、確か蕗二たちが入ってきた来賓側の玄関の方角ではなかったはずだ。

 静かな廊下を歩きだす。

 宿木紅姫、彼女には少し気になることがある。

 菊田からの情報を思い返すと、確か宿木巡査の両親はすでに他界していると言っていた。そして今、彼女は唯一の家族を失ったことを知ってしまった。


 身内の死を受け入れられないのは当然だ。朝、行ってきますと言葉を交わした家族が、遺体となって帰ってくる日が来るなんて、誰も考えない。まさか、あり得ない。現実感が無いまま、死体安置の部屋へとやってきて、遺体を見た途端に卒倒する遺族は決して珍しくはない。

 ただ、未成年が家族を失った時の絶望は、計り知れない。

 帰る場所がなくなってしまった。

 いってらっしゃいと送り出してくれる人、お帰りと出迎えてくれる人がいない。

 静間に帰った部屋の中で、一人ぽつりと世界に取り残されたような恐怖。

 この先、ひとりでどう生きればいいのか。

 誰を頼りにすればいい? 誰に相談すればいい?

 この先、ずっと一人で生きていかなければいけないのか。

 そればかりが頭の中を埋め尽くしてしまうだろう。

 絶望に支配され、選ぶ選択肢のうちの一つに、自殺がある。


 そう、死が救いに見える時がある。

 俺もかつて父が亡くなったとき、自殺の言葉が自然と脳裏に浮かんだ。

 何も考えたくない、今この辛い状況から逃げたい、だただた、楽になりたい。

 そう考えてしまうと、止まらないのだ。

 彼女の揺れ動く心が、死に向かってしまうことは避けたい。

 俺の身勝手な正義感だ。生きていればどうにかなる、なんて甘い言葉を吐くつもりはない。

 ただ、今すぐに死を選ばないでほしい。そう伝えなければと、一人もいない廊下に彼女の背を探す。


 歩くたび、薄く平たいビニール製のスリッパがペッタペッタと廊下の床を叩く。

 ふと、何かの音がする。低い音だ。管の中を空気が通ったような、響く音。

 何かの楽器の音だろうか。音楽学校なのだから当たり前なのだが、何かの曲かと耳を澄ます。いや、曲じゃない。一定の間隔で音が続いている。音の方へと向かって足を進める。上から音がするようだ。階段を上るたび、音が変わっていく。最初に聞いた音から、ひとつずつ高くなっていく。丁寧に音を確認しているようだ。


 階段を登り切ると、上部に小窓のついた鉄製のドアが一つ現れた。

 音が止む。緊張が走る。円筒(えんとう)状のドアノブを強く掴むと、不意に優しい音が聞こえてきた。

 深呼吸を促すような、低く落ち着いた低音が、寂しい音を奏でる。

 握り込んでいたドアノブをひねり、ゆっくりと押し開ける。


 一面に薄霞(うすかす)んだ青空が広がっていた。

 大空と対峙(たいじ)するように、宿木(やどりぎ)紅姫(こうき)が立っていた。

 背を向けた彼女は金色の管楽器を抱え込んでいた。長い管をくしゃくしゃと巻き取ったような、複雑に(から)まった(へび)のようにも見える不思議な形をしている。

 なぜか音が噴き出すラッパ状の部分に右手を差し込んでいる。それのおかげか、音は少しこもっていて、それでもどこまでも遠くまで届きそうな、しかし不意に消えてしまいそうな(はかな)い音を奏でていた。

 静かに曲を聞き入っていると、音が止んだ。曲が終わったようだ。

 唇に押し当てていた楽器の吹き込み口を離し、大きく息を吐きだすのを見計らって声をかける。


「なんて曲なんだ?」

「亡き王女のためのパヴァーヌ」


 蕗二の問いに、紅姫(こうき)間髪(かんぱつ)入れずに答えて見せた。なるほど、屋上に入ってきていたのは察知していたらしい。曲に全く動揺が見られなかったところを考えると、やはり音楽を専門として習っているだけはあるのだろう。何が起きていても音を乱さない訓練をしているのかもしれない。

 紅姫は楽器を抱えたまま、最小限の動きでこちらへと振り返った。


「作曲家のラヴェルが、ルーブル美術館で見たマルガリータ王女の肖像画を見て作曲したそうです。当時、宮廷舞踏(きゅうていぶとう)では、ノスタルジックな曲が流行っていたそうです」


 にこりと微笑む彼女に、こちらの動揺を(さと)られまいと前髪を後ろへとなでつける。


「すまん、音楽は専門外で……吹奏楽部のイメージが強くて、こう、もっと元気な曲のイメージがあるというか、ラッパとか、横に吹く銀色のやつとか、でっかいラッパとかのイメージが強くて、すごい良い音がするな?なんていう楽器なんだ?」


 器用に楽器を抱えたまま、ラッパ部分から左手を抜いた紅姫(こうき)は、腕まくりを戻しながら、そうですねと思案する。


「トランペットやフルート、トロンボーン、ユーフォニアムは目立ちますから、この楽器は知らない人も多いかもしれませんね。これはホルンっていう楽器です」

「ほるん……?」

「世界一難しいマイナーな楽器なんです。オーケストラではホルンのためにある曲もあって主役になる楽器ですが、一般の学校で吹奏楽部が選曲する演奏では裏打ちが多いですし」

「裏打ち?」

「バックビート……えーっと、じゃあ、こうやって普通に手を叩いてみてもらえますか?」


 言われた通り、ぱちぱちと一定の速度で手を叩く。すると、紅姫(こうき)はホルンを抱え直し、手拍子の間に音を吹き込んできた。


「おおおお! なんかすげぇ! これだけで音楽っぽいな! じゃあ、メインになる曲ってどんな?」

「そうですね……では、モーツァルト ホルン協奏曲第一番……いえ、有名なモンスターを狩る有名なゲームの主題歌なんてどうでしょうか?」


 そう言って紅姫は、右手をラッパ部分に差し込んで、ホルンを胸の前で構え直す。

 大きく息を吸い込んだ紅姫(こうき)が、ホルンへと息を吹き込むと、武器を片手に大きな怪物狩りへ出発する壮大なゲーム音楽が響き渡る。


「おおお! これ知ってる知ってる! あの曲ってホルンだったのか! 音が低いから、もっとでっかい楽器だと思った! へぇ!! すげぇ!!」


 興味深いと少女の腕の中で渦巻く金色の楽器を見つめる男に、紅姫は口元を覆ってくすくすと小さく笑った。


「なんか、刑事さんっぽくなくて、話しやすいですね」


 紅姫の言葉に、驚いて見つめると、彼女は慌てて手を振って否定した。


「すみません! その、捜査一課はドラマでスーツを着ていらっしゃるイメージがあって、もっと怖いイメージがあったし、刑事さんがとてもお洒落(しゃれ)だったのでつい。または、特別な捜査官だったりしますか?」

「いやこれは、捜査で変装してたと言うか……」


 刑事っぽくないといわれると複雑な心境だ。この格好はチャラそうに見えるのか? 捜査中、いや警察となってからは交番時代などを除けば、万年スーツしか着たことがないから分からない。いい加減どこかのネットカフェでシャワーでも浴びてしまおうかと地図を思い浮かべていると、紅姫が懐かしそうに目を細めた。


「兄は交通課だったので、会社で着替えるからと、いつもTシャツにデニムと、ラフな私服でした」


 そう言って、紅姫は楽器を抱えたまま、こちらへと向かってくる。脇に避けると、彼女はそのままドアを引き開けた。後ろからドアを支えると、軽く会釈(えしゃく)される。

 彼女は階段を下りながら、ぽつりぽつりと、静かに呟いた。


「覚悟は、していました。私の父も母も、警察官でした。兄と同じ交通課で……3年前、私が中学校の時、仕事中、車に当たられたそうで……母は頭を強く打って即死、父は足の骨折によって、血が止まらず、私たちが連絡を受けて向かった時には、もう……失血死だったそうです。警察官の殉職(じゅんしょく)は、交通事故が一番多いと、あとで知りました」


 紅姫(こうき)が階段の踊り場で立ち止まる。まるで暗い気分を振り払うように、軽やかな動きでこちらへと振り返った。何でもないように、声を明るく張り上げる。


「私、受験を諦めようと思ったんです! 音楽で食べていくのは、厳しいとは分かっていたので。でも兄は、私に『お金は気にするな、俺が稼ぐ』って、言ってくれたんです!」


 演劇でもしているように、リズミカルにスカートを(ひるがえ)しながら階段を下りる。


「今の高校に受かってからは、群馬から引っ越す私が心配だって、学校の近くまで一緒に引っ越してきてくれて! すごく頼りがいのある兄で! 定時に帰るからって晩御飯も作ってくれるし、お弁当も毎朝作ってくれるんです! 毎朝、私の学校近くの駅まで一緒に歩いてくれて、行ってらっしゃいって……」


 階段を降り切ったところで、不意に言葉が止まる。口を動かそうとした紅姫(こうき)の口の端が波打ち、目の淵から水滴が(あふ)れ、丸い頬を転がり落ちた。


「ごめんなさい、泣くつもりは……」


 紅姫(こうき)は震える声を抑えるように口元を覆って、(まばた)きで必死に涙を抑えようとする。


「兄が言ってました。すぐに会えないってことは、ひどい状態なんですよね? 事件性があって、状態がひどい場合は、会うまで時間がかかるって。顔も、見れないほどひどいんでしょうか?」


 鼻を(すす)り、震えた声が問う。こちらを見上げる涙を湛えた黒い眼が、深い絶望と諦念(ていねん)に染まっている。

 蕗二は階段を降り、紅姫(こうき)の隣に並ぶ。

 しっかりと目を合わせ、誓うように答える。


「いえ、頭を無事に発見されています。お顔も、ちゃんとお会いできるくらいに綺麗です。ただ、手や足など、まだ見つかっていない部分があります。しかし、今、ほかの警察官が全力で探しています。お兄さんのすべてを見つけるまで、絶対に誰も諦めません」


 蕗二の言葉に、紅姫(こうき)は大きく鼻をすすり、瞬きで涙を落とすと、震える声で問う。


「兄さんを殺した犯人、捕まると思いますか?」


 願うように呟く紅姫に、強く頷いてみせる。


「捕まえます、絶対に」


 紅姫は涙を流しながら、それでも蕗二の眼を真っ直ぐ見つめる。


「お願いします」


 ボルンを抱きしめ、深く深く頭を下げる。


「まかせてくださ」

「あ、三輪警部補、おかえりなさい」


 蕗二の言葉にかぶせるように、ドタバタと階段を下りてくる男を睨む。

 さらに目を赤く泣き腫らした宿木紅姫に見上げられ、男・糸杉は動揺を隠せずあたふたとする。

 溜息を堪えていると、紅姫は蕗二の顔を見上げ、表情を引き締めると「よろしくお願いいたします!」と声を張り上げた。

 そして、もう一度深く頭を下げ、糸杉にも頭を下げると、(きびす)を返して走って行ってしまった。


「すみません、お邪魔しました」

「いや、構わない。それより防犯カメラはあったか?」

「はい、えーっと数は……」


 端末を確認しようとする糸杉を手で制し、とりあえず校長室へ戻るぞと声をかける。

 バタバタと階段を下りてくる足音を背に、足早に校長室の前に立つ。三回強めにノックすると、ドアの向こうに人影が見え、男が細くドアを開ける。


「宿木紅姫さんの安全が確認できたので、戻りました」


 そう言って、半分強引にドアを開け、部屋の中へと入る。

 ちょうど、女子生徒が二人席を立とうとしているところだった。

 通り過ぎる生徒たちと会釈を交わしつつ、ソファを回り込んで竹輔の隣に立つ。


「聴き込みは?」

「ちょうど終わったところです」


 竹輔の回答に、そうかと頷く。どっちみち、校長の黒鉄の視線がある場所では本音は話しずらいだろう。

 女子生徒たちがドアをくぐったところで、黒鉄(くろがね)と男に向き合って、背筋を正す。


「本日はご協力いただき、ありがとうございました。大変恐縮ですが、この後、監視カメラのモニターにて見張りと門の外での張り込みの許可をいただけないでしょうか?」


 そう言えば案の定、黒鉄の眼がより鋭くなった。


「理由をお伺いしてもよろしいですか?」

「これは内密にしていただきたいのですが、現在捜査中の事件において、宿木紅姫さんのお兄さんの液晶端末が紛失しています。犯人は被害者の家族まで手にかける傾向があり、接触を図る可能性が高いことから、周辺の見張りを強化したいと思っています。犯人検挙まで、どうかご協力いただけないでしょうか」


 かなり端折ったが、危険な状態であることは伝わったのだろう。黒鉄は表情を崩しはしなかったが、一つ深く頷いた。


「本校生徒の安全が(おびや)かされるのは、大変遺憾(いかん)です。ぜひとも、協力いたします」

「ご理解いただきありがとうございます。では本日はこれにて失礼いたします」


 竹輔と栗田に視線を送れば、竹輔がすぐさま立ち上がる。栗田を誘導し、先に部屋を出る。糸杉が退出した後、黒鉄とドアの前で縮こまっている男に丁寧なお辞儀をしてから退出する。見送りはなかった。どうやら、黒鉄と男はその場で話をしているようだ。

 校長室を背に、元来た道を戻りながら、糸杉と栗田へと視線を向ける。


「栗田さんか糸杉さんは、車の運転はできるか?」


 蕗二の問いに、二人は首を縦に振る。


「対象は、定例会の合宿で、今日一日校舎内からは出ないだろう。糸杉さんは後でお願いしてたことをメールで連絡してくれ。それから今日一日、監視カメラで不審者が現れないか確認を頼む。で、栗田さんはこの後本庁から車を一台借りてきてくれ。そのまま、門の外で不審な動きのある人物がいないか見張りを頼む。もし不審な動きのある人物を発見した場合、端末で写真を撮って画像を送ってくれ。追わなくていい。もし、緊急事態があれば電話を。なければ一時間に一回、状況を報告してくれ。電話番号はこれ」


 スリッパへ履き替えた下駄箱の前で、二人にメールアドレスと電話番号は登録させる。


「俺たちはこの後、菊田係長に連絡しなきゃいけないことがある。終わり次第、あとで合流する。緊急事態があれば、遠慮なく電話してくれ」


 端末を仕舞った糸杉は、胸を張り、帽子のツバに手をそろえて堅苦しく敬礼をする。


「了解いたしました。では、モニター前より張り込み、開始いたします!」


 そういって機敏(きびん)な動きで、校長室のある方向へと歩いて行った。

 その背を見送り、靴を履き替えて校舎を出る。秋を感じる、冷たい風が吹き始めている。

 どこまでも高い薄青い空を見ながら、端末を再び引っ張り出し、喫茶店で待機しているメンバーへ今から向かうことを連絡しようと画面を開いたところで、隣から小さな呟きが聞こえた。


「可愛いべ、妹さん」


 隣を見下げると、栗田が正面を向いたまま、ぼんやりと立っていた。その表情は、遠いところに立っている人を見つめるような、寂しさと(うれ)いに満ちた表情だった。


「もしかして、妹がいるのか?」


 蕗二の問いに彼女は遠くの風景に目を凝らすように、目を細める。


「とても大切な、妹だったんです」

「だった?」


 問えば、溜め息をつくように掠れた声で呟いた。


「7年前に、事故で亡くなってしまって……すみません、こんな話」


 そう言った栗田は、深く(うつむ)いてしまった。ふわりと風に舞い上げられた茶色い毛先が、彼女の表情を完全に隠してしまう。しかし、涙を(こら)えているのは分かった。

 奇遇というべきか、両親を事故で亡くした紅姫と自分を重ねてしまったのだろう。だからより同情してしまうのかもしれない。


「じゃあ尚更、彼女を護ってやらなぇとな」


 見上げた赤い空色に、丸い月が白く薄っすらと浮かび上がっていた。







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カプコン:モンスターハンター「英雄の証」

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次回:5月4日予定。

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