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File:5 大衆というやつは、理性で判断するということを知らない。ただ目に見えるところだけで好悪を決めるのだ

 


「落ち着かねぇ」


 溜息を落とし、背もたれにしていた公衆電話ボックスを振り返る。強化ガラスに映りこんだ自分の姿を見れば見るほど、眉間のしわが深くなる気がした。


 黒いハイネックのセーターに柔らかなカジュアルジャケット、すその細いテーパードパンツにスウェード生地のハイキングジュースを履き、いつもは野ざらしの毛先も、ワックスで髪を後ろに流したオールバックだ。

 私服は上下ジャージか、トレーナまたはTシャツにジーパンか綿パンの自分では、この組み合わせは絶対に選ばない。だからか、自分の姿なのに自分ではない不思議な感覚におちいる。


 結局あの後、警視庁を出てすぐに、「あれが食べたい」と片岡にせがまれてショッピングモールへ行ったのが間違いだった。飯を食って、そのまま片岡が洋服店へ突撃してしまった。大声で呼ばれ、手招きされれば無視する訳にも行かない。周りからの突き刺さる視線に耐え切れず、しぶしぶ店内へと足を踏み入れれば、あれよあれよという間に着せ替え人形をさせられ、この格好かっこうとなったわけだ。

 しかも、会計で表示された金額に、目玉を落としそうになった。貧乏性の自分は、普段服にこんな値段をかけたことが無い。絶対に嫌だと言いかけた俺に、片岡がカードで一括払いっかつばらいと言う太っ腹具合を見せられ、文句は喉奥で縮こまって出てこなかった。


 そして、潜入作戦中はモールで待ってると言う片岡が、俺の全身をながめて満足げに「自分で仕立ててなんだが、腹立つなぁ」と謎の言葉を残していったが、意味が分からない。似合わないと言う事なのか、不安しかない。さっきから通行人ともやたら目が合う気がする。悪目立ちしているなら勘弁なのだが。


「落ち着かん」

「さっきからそれしか言ってないですよ」


 歩道のガードパイプに腰かけ、液晶端末を操作していた芳乃ほうのが、呆れたとばかりの視線を向けてくる。蕗二は振り返り、腕を広げてみせる。


「なあ、なあ、ぶっちゃけ、似合わないか?」


 芳乃はさらに眉を寄せ、鬱陶(うっとう)しいとばかりの顔で、爪先から頭の先まで視線で撫で上げる。


馬子まごにも衣裳いしょうってやつですよ」

「え? それって誉め言葉? 罵倒ばとう? どっちだよ」

「そんな事より、眼鏡もかけてください」


 無造作に芳乃の腕が振られる。放物線を描いたそれを難なく掴み取り、確認する。

 片岡から渡された、カメラが内蔵された黒縁の眼鏡だ。

 これで顔認証をかけて、前科がある人間を割り出す寸法だ。

 眼鏡をかけ、レンズの端、フレーム上部にある小さなボタンを長押しする。一瞬ちかりと赤いライトがついて、液晶端末が短く震えた。端末を見れば、片岡から「Connected」とメッセージが入っていた。ついでに画面端にある時刻を確認する。12時31分だ。受付が開始している。


「時間だ」


 蕗二の呟きに、芳乃が液晶端末をポケットにしまうと、面倒くさげにガードパイプから腰を上げ、きびすを返す。

 すぐそこにある階段を上がって、幹線かんせん道路の下と都道とどうの上をまたぐ大きな歩道橋を越えれば、目的の場所はすぐそこだ。

 15階建てほどのシティホテルは、見た目から華やかさをかもし出し、ランクが高いことは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。

 ガラス張りの入り口をまたげば、エントランスは温かな光で満たされていた。天井が高く、花をしたりガラス状の照明器具によって光が乱反射している。落ち着いた光によって、より高級感のある空間となっていた。

 これはスーツの方が合っているんじゃないかと周りをうかがってみるが、同じ目的でやってきている人も含め、普通のホテルである事には変わりがない為か、意外とラフな格好の人々ばかりだ。

 ふと前を歩く芳乃が、ポケットからなぜかサングラスを取り出し、装着した。しかし掛け慣れていないのだろう、両手でサングラスの位置を調節している。

 正直あまり似合ってないのだが、お洒落しゃれのつもりなのだろうか。芳乃も多感なお年頃だからな。


「違いますよ」


 心を読んだのだろう、不機嫌をあらわにサングラスの隙間からにらみつけられる。


「じゃあなんだよ」

「人混みは、え過ぎるんです」


 その言葉に、ああそうだったと納得する。

 芳乃の心を視る能力は、人の心を強制的に覗き見することができるが、自分の意思ではコントロールできないらしい。彼自身はこの能力をコントロールすべく、日々試行錯誤(しこうさくご)を繰り返している。不慣れなサングラスをかけたのも、その一つなのだろう。


「気分が悪くなったら言えよ?」


 そう言えば、芳乃は肩を軽く上げて返事をする。

 エントランスを左に曲がれば、ラウンジが広がっていて、ゆったりと座れそうなソファと小さなテーブルがところどころに並んでいる。ホテルの真ん中は吹き抜けになっているようだ。小規模ながら美しい庭がある。光が差し込み、テラリウムさながらガラス越しにながめられるようになっていた。

 その反対側、壁沿いに「受付」と言う札と、白いクロスが掛けられて長机が置かれている。

 受付は4人ほど並んでいて、流れはスムーズだ。

 芳乃と並び、液晶画面を掲示すれば、手のひらサイズの小型読み取り機でQRコードを読み取られる。


三輪みわ様、ご参加いただきありがとうございます。まずこちら、本日のスケジュールになっております」


 QRコードのついた小さな紙と油性ペン、白い名札と名札ケースが渡される。名札には登録時の名前が印刷されていた。裏は真っ白だ。

 説明書を読み込むために、受付を離れようとして「三輪様」と呼び止められる。


「こちらをお付けください」


 差し出された手のひらの上に、チャック付きの透明なビニール袋が乗せられていた。その中には、見たことがある青いリングが二つ封入されている。


「これは?」


 蕗二の問いに、男性スタッフは張り付けた笑顔で、愛想あいそう良く答える。


「この会場にはホンモノの、≪ブルーマーク≫の方もいらっしゃいます。あえて全員装着することで、偏見をなくし、外側ではなく、内面や人柄を見ていただく企画でございます」


 ふと、野村の『暗黙で区別はされてるんだぁ』という言葉を思い出す。それを知ってしまえば、このイベントの趣旨であるはずの「☆多様性を受け入れて、誰でも生きてていい!」というフレーズが白々しい。


「俺も笑顔が怖いと言われるので、楽しみです」


 歯をいて笑ってやれば、男の口の端が引きつった。その顔に満足して、受付から離れる。

 壁際で待っていた芳乃のもとに駆け寄ると、端末をいじったまま顔も上げずに芳乃が呟いた。


「スマイルが足りないですよ~」

「うるせぇ、知っとるわ」


 ビニール袋からイヤリングを取り出し、装着する。バネで挟むだけの簡易式なはずだが、普段イヤリングを付けることが無いからか、下に引っ張られるような違和感と重みがある。

 これを付けっぱなしで生活を強いられるのは、どれだけ苦痛か。それとも慣れてしまうのだろうか。

 静かに溜息を吐きながら、渡されたQRコードを読み込むと、イベントについての案内が表示される。

 なるほど、名札の白い方に渾名あだなを書き込むようだ。

 とりあえず「三輪」と書き込み、名札ケースに差し込んで胸元にクリップで止める。

 芳乃は偽名の田中と書き込んでいた。田の文字が少しいびつなのは、本来の名前を書きそうになったのだろう。

 名札を付けると、スタッフが中へどうぞとうながしてくる。

 両開きのドアの向こうへ案内されると、大きなホールが現れた。

 華やかなホールは結婚式や他のパーティーにも使われそうだ。

 部屋の左端にはステージがあり、右端には料理と飲み物が並んでいて、真ん中にいくつかテーブルが準備されている。


「なるほど、お見合いと言うよりは立食パーティーみたいなもんか」


 スケジュールを確認すると、会場内で何種類かゲームを行うらしく、初対面でもある程度コミュニケーションが取れるように工夫されているようだ。それが真ん中で並んでいるテーブルの意味だろう。

 しかし、自分たちの目的は、あくまで会場に参加するメンバーの顔認証を行い、前科者を見つけ、用が済めばとっとと帰る。

 入り口付近が混雑して来たので、壁に沿ってステージ付近まで移動する。

 眼鏡に仕込まれたカメラで、会場にいる人の顔を映るように首を振る。

 と、男女問わず視線が合う。露骨な視線だ。顔や身長、仕草など舐めるように見られている。

 警察として、まじまじと見られることには慣れている方だが、品定めされているのが分かると居心地が悪く、どうも苦手だ。

 溜息をつきそうになるのを堪え、不自然にならない程度に顔を動かす。

 とはいえ、壁に貼りついて三脚さんきゃくとして徹するのも限界がある。左腕を上げ、腕時計を確認すれば、開始まであと五分だ。今のうちに、宿木やどりぎ巡査が参加したかどうかをスタッフに聞くべきか。

 蕗二が一歩踏み出したところで、ステージに男女二人がけ上がった。


「はーい、ご来場の皆様! こんにちは! 本日の参加者さまが全員(そろ)いましたので、少し早いですが、これよりイベントを開始します! 司会進行は、わたくし笠井かさいと」

林田はやしだつとめさせていただきま~す! 本日はよろしくお願いいたしま~す」


 司会役の男性と女性がそれぞれ自己紹介をしてお辞儀じぎをすると、拍手が沸き上がる。少し陽気な音楽が流れ始め、ステージに全員の視線が集まった。

 蕗二も合わせるように手を打ち鳴らしながら、カメラに全員映るよう首をゆっくりと動かした。


「では、笠井さん。真ん中のテーブルでは何が行われるんですか~?」

「林田さん、良い質問ですね! 真ん中のテーブルでは、ハンドマッサージ、タロットカード占い、風船運びゲーム、腕相撲、共通点探しゲーム、サイコロ自己紹介ゲームなどなど、二人が仲良くなれるようなゲームをたくさん用意いたしました!」

「わ~楽しそう! ご飯も飲み物も食べ放題、飲み放題でしょう? でも飽きたらどうしようかなぁ~」

「もちろん、途中で抜け出してもいいですよ! でも、途中で〇×クイズや、最後に行うビンゴゲームでは、ペアグッズや超豪華な景品もありますので、最期までお楽しみに~!」


 慣れた様子でコミカルに話す笠井と林田は、息を合わせたように説明をこなしていく。


「ここで! 皆さんに一番大事なことをお伝えしますね! この会場では≪ブルーマーク≫が付いている方も混じっています。でも、≪ブルーマーク≫がついてても同じ人間です。まずはお話ししてみましょう! 傷つけるようなお話しや乱暴なことをする人は、退場して貰いますので、注意してくださいね!」

「笠井さん真面目~! そんなのわかってるよね~? それに、私たちが話してばかりじゃつまんないでしょ? さっそく始めましょうよ!」

「そうだね。ではでは、皆さん、心の準備は良いですか? レッツ、スタート!」


 再び拍手が起き、陽気な音楽が音量を上げた。人がそれぞれ動き出し、一気ににぎやかになる。


「あーなるほど、気持ちが悪い人たちですね」


 耳に氷柱つららを差し込まれ、背筋がぞわりと震えた。低く小さな呟きは、賑やかな声達にかき消され誰の耳にも届いていないだろう。華やかな音楽が鳴り響く中、その異質な声はまぎれもなく芳乃の声だった。

 視界の端で足早に去る小さな背を、慌てて追う。

 声をかけられそうになったのを手で断り、ホールを出て、受付を「ちょっとお手洗いに」と言って横切った。

 ガラス張りの庭をぐるりと半周し、人気が無くなったところで芳乃は立ち止まった。


「おい、芳乃、大丈夫か?」

「≪ブルーマーク≫は、ぼく以外いませんでしたよ」

「え?」


 サングラスをむしり取り、芳乃が目をおおうように左手を額にかざす。


「≪ブルーマーク≫が付いていない方がいいに決まってるんですよ。でも、自分は良いことをしている、偏見なんて持っていない自分、差別なんてしていない自分、正義側であると信じている自分に、酔いしれていたい奴ばかりなんですよ。所詮しょせんはごっこ遊びですよ、馬鹿馬鹿しい。凡人であればあるほど、変わってると言われることを喜んで。型にハマらないことや他人と違うことがカッコいいなんてそんなこと、普通だから言えるんですよ。まあ、この会場を出れば、外せますからね、簡単に。気軽なファッション感で。楽しそうで何よりです」


 低く吐き出される冷気を押さえるために、芳乃の左手が額から下り、口元を覆った。

 重く垂れた前髪の向こうで、黒い眼が見開かれている。

 まただ、分厚い氷の奥でうごめくもの。

 嫌悪、怒り、憎悪、諦め。内側から彼を食い尽くそうとばかりに蠢いている。


「全員死ねばいいのに」


 くぐもった、地の底から響くような声に、芳乃の手を掴む。


「痛いですよ」


 冷えた指先が、逃げようと足掻あがくのを力づくで食い止める。蕗二はもう片方の手で電話をかけ、耳に押し当てる。


「片岡、どうだった?」

『そうだね、残念ながら特に面白そうな人物はいないようだ』

「じゃあ、今回はハズレだ。出るぞ芳乃、サングラスは付けとけ」


 イヤリングをむしり取り、芳乃を引きるように来た道を引き返す。何事かとこちらを見てくる受付の男女に、「急用ができた」と二人分の名札とイヤリングを乱暴に受付の台に置いて、ラウンジを横切ってエントランスに向かう。


「手、いいかげんに放してもらっていいですか」

「え、あ、すまん」


 蕗二が強く握っていたためか、芳乃は少し赤くなった手を擦ると、サングラスを外した。

 前髪の奥に潜む漆黒の眼は、凍った湖のようにいでいる。


「謝らないでください」


 ふと聞こえた声に、眉をしかめる。


「謝られても、困ります」


 先ほどとは違い、弱々しい声だ。

 確かに、会場に連れてきたことをびようとしていた。芳乃にとって、≪ブルーマーク≫がつけられていることは、片岡や野村よりも嫌悪感が強い。

 あの会場では、コンセプトに掲げていた「☆多様性を受け入れて、誰でも生きてていい!」なんて耳障りの言い台詞を掲げていたくせに、蓋を開ければただの上っ面だけ。悪意なき悪意にさらされれば、芳乃の怒りも分かる。だが、「死ねばいい」なんて、強い言葉を吐くほどだろうか。そういえば、今日は様子がおかしい気もする。使い慣れていないサングラスもそうだ。過去に風邪を引いていたように、本調子ではないのかもしれない。


「俺は心配してるんだ、それは分かってくれ」


 そう言えば、芳乃は特に何も言わないまま、うつむいていた。思い詰めたような、少し苦しげな表情から、やはり体調が悪いのかもしれない。どこか座るところはないかと視線を巡らせる。芳乃の手を再び引くより先に、芳乃は手をポケットにしまう。もぐりと口を動かし、ぽつりと「甘い物が食べたいです」と呟いた。

 眼を使うと、かなり疲労するらしく、前に燃料と称して砂糖と板チョコレートを一心不乱にむさぼっていた姿を思い出す。


「そうか。よし、竹がここら辺パフェの美味い所があるって言ってたし、行くか」


 液晶端末で地図を展開しながら、ラウンジからエントランスに辿り着き、外へと向かう途中、ホテルの中へと入ってくる人達とすれ違う。ふと突然「あれ?」と何か引っかかった。意識するよりも先に体が止まる。いきなり足を止めたせいで、背中に芳乃がぶつかった。


「なんですか」

「いや、今、どっかで見た事ある人がいた気がしたんだが……」


 エントランスには6人の男女がいるが、顔に見覚えはなかった。

 気のせいだろうか、首を傾げていると、ポケットの中で端末が震える。

 取り出せば、竹輔たけすけからの着信だ。


「こちら三輪、どうした」

『蕗二さん、お疲れ様です。実は、検視官と野村さんが盛りに盛り上がってしまってて……』

「あー……仕方ないな。ちょうどこっちも終わったところだ。一旦いったんそっち行くから、合流して、菊田さんが言ってた要警護対象者マルタイに会いに行こう」

『了解』




***********

次回更新予定日は、2025年2月15日金曜日予定。

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