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File:4.5 人間の命、いざ消えるとなれば、「ひとつ」と数えるひまも要りはせぬ

 


 空中に展開された複数の画面を背景に、片岡(かたおか)が挑むようにこちらを見据(みす)える。


「さて、三輪警部補。ひとつ参考に聞きたいのだが、被害者の彼に何か心当たりがあるようだね?」


 この混乱の最中(さなか)蕗二(ふきじ)がうっかり(こぼ)した言葉を拾い上げていたらしい。

 目敏(めざと)さに感心しながら、蕗二は(うなづ)く。


「ああ、被害者の宿木(やどりぎ)巡査は昨日の朝、確か8時前だったな。竹を、その、コンパ? あれ? 合コンだったか? に行こうって誘ってて」


 昨日の光景を思い出す。濃紺の制服、中肉中背、合わせられた両手。()びるように眉尻を下げ、竹輔を下から見上げる表情。だが目は逃がさないとばかりに意志が強く、悪く言えば執念深そうな視線。こちらを見て、青ざめた顔と引き()った悲鳴。走り去る後ろ姿。所属は交通総務課と言っていたから、外で取り締まったりする外回り組ではなく、内勤なのだろう。普段あまり運動をしていないと分かる、走り慣れていない崩れた姿勢の走り方だった。そういえば、竹輔が同期と言っていたが、俺も同じ卒業期だ。歳は27歳前後か。残念ながら、やはり顔に覚えはない。

 記憶を探っていると、片岡が興味深そうに「合コンねぇ」と呟いた。


「警察にも(ぞく)っぽい人間がいるもんだね。まあ、警察とは言えど、その前に人間か」

「遊びだと公安部からチェックされるって噂はあるがな。で、質問は終わりか?」

「おお怖い怖い。あとは、そうだね。彼の住居は?」

「いや、知らないな……警察個人の情報は、流石に総務か人事担当者じゃないと分からねぇし。捜査に参加してないから教えてくれるかどうか……」


 菊田(きくた)係長や竹輔(たけすけ)は傷心の()只中(ただなか)だ。菊田は刑事歴が長く、捜査一課では知らない人の方が少ない。捜査一課であれば、捜査で他部署との連携も多いだろう。被害者の宿木巡査とも顔見知りだった可能性は十分ある。竹輔に至っては合コンに誘いに来るほどの仲だ。昨日まで顔を合わせていた仲間の死に、ショックを受けない訳が無い。今、二人に被害者についてあれこれ聞くのは(こく)だろう。

 となれば、関わりが薄い自分が率先して動くほかない。

 さて、被害者について詳細な情報を知っているとすれば、やはり東検視官だ。

 彼女は野村の腕を買っていて、非常に気に入っている分、贔屓(ひいき)しているところがある。そう言えば、野村に検死をしたいと強請(ねだ)られていた。依頼ついでに宿木巡査の住居なども確認しようと、メールフォームを開く。


「宿木巡査の住居は荒川区。最寄り駅は三ノ輪(みのわ)駅だったはずです」


 ふいに()けられた声に顔を上げると、椅子に座ったままの竹輔が赤い眼でこちらを睨みつけていた。


「竹、お前……」


 大丈夫なのかと言う言葉を、竹輔は手を上げて遮った。目の縁に涙を溜め、耐えるように上を向く。


「あの時、彼と一緒に行っていれば、もしかしたら……って考えます。でも」


 涙を(こら)えた鼻声と、無理に出した声が(うわ)ずる。しかし、再びこちらに向けた赤い眼には、怒りと使命感の光が宿っていた。


「僕に今できることは、嘆くことではなく犯人を捕まえること。それが(とむら)いにもなる。僕はそう思います」


 強い口調で言い切った竹輔に、蕗二は心配の言葉を飲み込んだ。

 怒りに任せた行動は、時に間違いを生みかねない。身に()みている。だが同時に、無理やりにでも動かなければ、深い後悔に飲まれてしまうことも知っている。竹輔は特に優しい性格だ。自責の念に()し潰されかねない。なら、使命を与えてやった方がいい。

 詰めていた息を鼻から追い出し、努めて普段通りに問いかける。


「竹、宿木巡査は他に何か言ってたことはあるか?」


 大きく鼻を(すす)った竹輔は、安堵(あんど)したように息を吐き、姿勢を正した。


「合コンは19時半から開催で、21時半に終了だ、と言ってたと思います。あとは飲み放題と食べ放題付きだとか……ただ会場は、どこだったかな……」


 竹輔は拳を口元に当て、なんとか記憶を掘り起こそうと眉間に皺を寄せる。

 警察の勤務時間と言えば、24時間を4つに分ける4交代制が有名だ。だがこれは交番勤務の警察官や機動捜査隊や通信センターなど、24時間常時人が必要な部署の話で、生活安全課や宿木巡査のような内勤業務となれば、完全週休二日制で勤務時間は平日の朝8時半から夕方17時15分だ。とはいえ、多少の残業はあるだろうから、席を立つのは17時半か18時だろう。19時開催と考えれば、警視庁からさほど離れていない会場なのだろう。

 片岡も同じことを思ったのか、うんうんと納得したように頷いた。


坂下(さかした)巡査部長、なかなかいい情報を聞いたよ。合コンという場で異性へ会いに行くのなら、本気でも遊びでも、それなりにカッコつけ……失礼、身だしなみを整えておきたいだろう。だからと言って、勤務中から髪型など気合が入った状態は悪目立ちする。特に警察官なら尚更(なおさら)だ。ロッカールームくらいあるだろうが、帰宅時に洒落(しゃれ)こんでいるのも、仲間から後で何を言われるかわかったものではない。となれば、一度帰宅するのが無難だ。勤務地から自宅へ帰る時間を逆算して、昨日の夜に開催していた男女交流イベントをピックアップすれば……候補はこの2つだ!」


 画面が地図へと変わり、三ノ輪駅を中心に円を描いた範囲、二か所に赤いピンマークが立った。別のウィンドウが開き、それぞれイベントの詳細画面まで丁寧に表示された。

 尊敬のまなざしを向ける竹輔に、片岡はふんぞり返って満足げだ。その後ろ、GOサインを今か今かと待ちかねている野村の様子を見兼(みか)ねて、蕗二は淡々と依頼メール文を作成し、送信する。

 返事を待っている間、イベントサイトを確認する。

 片方は飲み屋で行われる10人ほどの小規模イベントのようだ。もうひとつは上野のホテルで行われるようで、規模も100人ほどありそうだ。そこに気になるワードを見つけ、蕗二は眉を寄せる。


「ん? なんだこれ、≪ブルーマーク≫だけの合コン?」


 宙に展開されているサイトの内、右の画面に視線を凝らす。片岡が画面の右上端と左下端を()まみ、引き伸ばした。見やすくなった画面には、(はな)やかなピンクの文字でこう書いてある。


 ☆多様性を受け入れて、誰でも生きてていい!

 ☆偏見と先入観を捨てたパートナー探しを応援します

 ☆優しい婚活パーティーを目指しています


「いや待て、巡査は≪ブルーマーク≫じゃないぞ!」


 見当違いだと画面を消そうとしたところで、片岡が画面をスライドして蕗二の指を避けた。


「待ちたまえ三輪(みわ)警部補。このコンパ、≪ブルーマーク≫である必要はないようだよ」

「はあ? どういう事だ?」


 ほらここ、と指差された先に目を凝らす。

 確かにやや小さい文字ではあるが、≪ブルーマーク≫が付いていない方も大歓迎! と書かれている。

 器用に片眉を上げて怪訝(けげん)な顔をする蕗二に、君の悪い笑顔を浮かべた片岡が顔を寄せる。


「面白い話をしようか、三輪警部補。≪ブルーマーク≫は、確かに偏見を受けやすい。だが、最近ある種のブランドに近くなりつつあるのだよ」

「はあ? ≪ブルーマーク≫が、ブランド?」


 意味が分からないと(にら)みつければ、片岡はわざとらしく眼鏡を中指で鼻上に押し上げる。


「例えばだが、眼鏡をかけている人間を見て、君はどう思う?」

「え? あー、頭良さそうって思う」

「それだよ!」


 勢いよく鼻先を指差され、蕗二は戸惑いから思わず竹輔を見る。竹輔もこちらを見て、同じく戸惑いの表情を浮かべて首を傾げていた。その様子にふんと鼻息を吐いて、片岡は自慢げに腕組みをする。


「眼鏡は本来、視力を矯正(きょうせい)する器具に過ぎない。昔は、レンズが分厚く丸い形しかなかったために『瓶底(びんぞこ)』と呼ばれるほど不格好で、陰キャだとかオタクの象徴として嫌われたものだが、1980年代には海外の役者が伊眼鏡を付けるようになり、2000年代に人気俳優がファッションとして取り入れたウェリントン型眼鏡がヒットしてね。技術の進歩によって、レンズが薄くなり、フレームの形や色、素材まで大幅に広がって安価で手に入るようになれば、小顔効果や賢そうに見えたりする印象効果を狙って、あえてファッションの一部として眼鏡取り入れられるようになったのだよ。今や眼鏡っ子やメガネ萌えすらあるだろう? ≪ブルーマーク≫も、少しずつだが一部に需要が出始めているのだよ」


 絶句する蕗二に、片岡は構わず得意げに言葉を続ける。


「それに、≪ブルーマーク≫の判定とは、決められた基準の(わく)から外れているかどうかを、数値として判定しているだけに過ぎない。規格外の野菜が廃棄されるのと同じだね。だが、その規格から外れると言うのは、一種の才能でもある。例えば、芸術家や研究者、その(すじ)を極めた人に≪ブルーマーク≫が多い。そこに目を付けた大学が、あえて≪ブルーマーク≫の学生を積極的に受け入れたのも、世間の意識が変わるきっかけとなっているだろう。しかも、15年間何も罪を犯さなければ外れるという保険がある。だから、≪ブルーマーク≫が付いていると言う事は、付加価値に近くなりつつあるのだよ!」


 興奮して(まく)し立てる片岡に、思わず納得しそうになる。

 それを(とが)めるように、冷たい声が鼓膜へ突き刺さる。


「曲がっていますね」


 視線を向けずとも(わか)る。興味がないと言わんばかりに液晶端末を触っている野村の隣、芳乃(ほうの)の冷たい視線がこちらを射抜いていた。


「≪ブルーマーク≫は、犯罪者予備軍ですよ。本来の意味を見失う事なんて、どうかしてますよ。そんなに特別に見られたいんですか」


 ()てつく視線に、竹輔が気圧されたように身じろぎする。蕗二の体も無意識に半歩下がってしまうほどの威圧感に、息を吐けば白く曇りそうなほど部屋の温度が急激に下がった気さえする。

 それを正面から受け止めているはずの片岡は、(おび)えることもなく、こちらが驚くほど飄々(ひょうひょう)と言葉を返す。


「確かに。≪ブルーマーク≫は犯罪者予備軍だ。だが、あくまでテストと言う机上の数値で線引きされただけの状態だ。(げん)に君だって、≪ブルーマーク≫が付いているが、犯罪者ではない。そうだろ?」


 指を差され、芳乃は能面のようにピクリとも表情を動かさないまま、ゆっくりとひとつ(まばた)きをした。

 それを()と受け取った片岡は、指を振って天井を指差し、声を張り上げる。


「そして! 人間と言うのは(おろ)かにも、オンリーワンに恋焦がれる生き物なのだよ。仲良しこよし、みんな平等、一番もビリもいない優しい世界にしよう! と言ってた時代もあったが、やはり誰でもなく、自分が最強でありたいと願うものだ。平凡(へいぼん)でいたくない、社会の歯車になんかなりたくない、特別でありたい、誰よりも優れていたい、天才でありたい、参謀(さんぼう)でありたい、勇者でありたい、実は俺には秘められた力があるんだ! 俺TUEEE!! を一度は目指すものだよッ!」


 後ろからスポットライトでも当たっているかのような、素晴らしい演説だ。ここまでほとんど一呼吸で言っているんだから感心してしまい、思わず生温い拍手を送る。その様子に(あき)れかえってしまったらしい芳乃が、椅子の背にだらしなく(もた)れてそっぽを向く。蕗二と同様、空気に飲まれたのだろう竹輔と野村の(まば)らな拍手を受け、片岡は下がってもいない眼鏡を鼻上に押し上げ、今更恥ずかしそうに咳払いをした。


「まあ、一言でいうなら、中二病(ちゅうにびょう)ってやつさ。自分には特別な力が宿ってるって信じるんだ。封印されし右腕が(うず)く、とかね?」


 片岡が右腕を縦に、カッコつけたようなポーズをする。竹輔が、やんわりと顔の前で手を振って否定する。


「いやそれはちょっと極端な()二病だと思いますけど」

「ん? そうかね? 眼帯や包帯、剣とか槍とか刀とか、タトゥ、ピアス、十字架とか好きだったろ?」

「黒歴史を掘り返さないでくださいよ……」


 顔を両手で覆った竹輔の耳が、茹蛸(ゆでだこ)のように真っ赤になる。呆れた視線を向ける芳乃の隣、野村が携帯で顔を隠して必死に笑いを(こら)えている。

 そういや、高校の野球部の時に、遠征で土産屋に行くと、小松や栩木(とちぎ)はやたらとゴテゴテした(いか)ついキーホルダーを好んで買っていたなと思い出す。自分はだいたい腹が減っていたので、当時彼女だった(あおい)とご当地アイスや名物をよく食べていたな。

 懐かしい思い出に浸りかけるが、話が完全に()れている。蕗二は仕切り直しの意味を含めて大きく二度咳払いをする。


「とりあえず、この合コンに宿木巡査が参加した可能性が高いなら、主催者に宿木巡査が参加したか確認を取るか」

「あー、待ってぇ三輪っち。ちょっと気が早いと思うんだぁ」


 笑い過ぎて涙が出たのか、目の端を指先で拭う野村に、蕗二は思わず眉間に皺を寄せる。


「なんでだよ、宿木巡査が殺害されたのが合コンの後だとするなら、そこで出遭(であ)った人間が犯人だろう。参加者リストを片っ端から探せば、必ず犯人に行き着くはずだろ」


 断言する蕗二に対し、甘い甘いと野村が人差し指を振りながら、ちっちっと舌を鳴らす。


「初対面の人間をバラッバラにするような人間がぁ、≪ブルーマーク≫ついてない、なんてあり得ないと思うんだよねぇ。てゆーか、みんな今日のイベントばっかり見てるけどさぁ、事件が起きたのって昨日だよぉ? イベント開催時間中、この区域って、≪ブルーマーク≫は立ち入り制限されてるって、知ってるぅ?」

「え?」


 全員で野村を凝視する。ほら、と液晶端末が向けられた。画面には一つのアプリが立ち上がっていた。

 犯罪予測アプリ広目天(こうもくてん)。通称・K-10(けーてん)だ。このアプリには、日本の地図上をタップすると、そこが何時から何時まで≪マーク付き≫への立ち入り制限があるか確認できるモードがある。マークが付いていない一般人は、≪ブルーマーク≫や≪レッドマーク≫のいない時間帯と場所を把握して、安全に過ごすことができる。

 野村が先ほどから暇を持て余して端末をいじっていると思っていたが、こちらの話を聞きながらしっかりと調べていたようだ。


「よく気が付いたな」

「だってぇ、この前さぁ……剝製(はくせい)を見に国立科学博物館行った帰り、ついでに夜ご飯食べたかっただけなのに、追い出されたんだもん……」


 むすっと不機嫌な表情になった野村を、気の毒に思う。

 立ち入り制限地区で≪ブルーマーク≫及び≪レッドマーク≫の反応が検知されると、すぐさま警察が駆けつけて、必ず職務質問するようになっている。野村はただ夕飯を食べたかっただけなのに、立ち入り制限地区に居たがために、警察から散々問い詰められたのだろう。

 そこで、ふと気がついて、蕗二は「ちょっと待て」と考えるよりも先に言葉が漏れ出た。


「その合コン会場、≪ブルーマーク≫OKと言いつつ弾くのかよ!」


 詐欺だろ詐欺! と片岡に向かって声を荒げれば、野村は「三輪っち落ち着いてぇ」とのんびり呼び止める。


「完全に弾くわけじゃないよぉ? ほら、ここって朝の8時から夕方18時まで立ち入り制限が解除されてて、他の時間は立ち入り制限区域に変わるでしょぉ? でね、平日開催の時は立ち入り制限時間中になるけど、土日は日中開催で立ち入り制限『解除』時間中でしょぉ? だから、ホームページに書かなくても、自動で≪ブルーマーク≫は平日参加できないから、住み分けって言うかぁ、ほら差別してませんよぉっているアピールにもなるから、嘘ではないんだよぉ? こうやって、暗黙で区別はされてるんだぁ。≪ブルーマーク≫はまだまだ嫌われてるからねぇ」


 ちらりと野村は片岡に視線を向ける。片岡は気まずそうにずれていない眼鏡を鼻上に押し上げた。


「そうなると、≪ブルーマーク≫が参加できない会場で、なんで宿木巡査は殺されたんだ? どうやって犯人は宿木巡査と接触したんだ?」


 蕗二の疑問に、竹輔は首を傾けながら自信なさげに答えた。


「運悪く巻き込まれた、とかでしょうか? たまたま会場に、≪ブルーマーク≫がついていない前科者が参加していて、たまたま宿木巡査と仲良くなり、イベント後にどこかで食事をしようと、立ち入り制限区から出たところを、待ち構えていた犯人たちに拉致(らち)され、殺された……とか」


 竹輔の推測に、そうだなと頷く。


「現状、それしか理由がないだろう。犯行のペースを考えると、犯人たちは前科持ちを片っ端から殺すくらいのスピードだ。もはや無関係の同伴者(どうはんしゃ)がいようがいまいが、見境(みさかい)が無くなってると考えてもいいかもしれない。たまたまにしては、運が悪すぎるが……」


 犯人たちは、確実に復讐のために前科者を狙っている。そう考えると、行方をくらませている前科者をどうやって見つけているのだろうか。前科者がどこかしらで犯人に接触をしているか、いや、流石に東京のような人口密集地で奇跡の再会など皆無(かいむ)に等しい。協力者がいると考えるのが妥当だろう。

 そこで、不意に脳内を過ぎった赤い線に息を飲む。


「待てよ、もしかして……」


 タブレットを鷲掴み、被害者のリストをもう一度確認する。


「片岡、サイトをハッキングして過去の参加者リストを出してくれないか?」

「どうしたんだい?」

「いいから早く、できたらここ一年くらいのデータが欲しい」

 もしもだ。ボードに貼られた被害者たちの写真から、赤い糸を伸ばして辿り着く先が、まったく同じところへ伸びているのなら。


「出たよ、警部補」


 片岡は親切にもデータを送ってくれたのか、手元のタブレットの画面が切り替わった。

 すぐさま検索をかけ、被害者の名前を打ち込む。


「やっぱりそうだ!」


 次々と画面を保存し、データを並べて全員に見えるように裏返す。


「見ろ! 被害者たち全員、この合コンイベントに参加してる!」


 4人の視線が画面へ向き、ハッと鋭く息を飲む音がする。

 そこに、被害者である【蓬田菊人】【木蔦西司】【天草菖子】の名前があった。

 参加時期はバラバラだが、この一年以内に全員が参加しているのだ。


「おかしいと思った。事件から何十年も経ってて、事件当時から名前も変えてるのに、なんで探し出されて殺されたのか引っかかってた。今まで逃げきれてたのに、なんで今更って……被害者たちはイベント会場に呼び出されたのか……いや逆か? イベントに参加してきた人間を片っ端から調べて、前科持ちがかかるまで待ってるのか?」


≪ブルーマーク≫との出会いを容認しているようなイベントだ。前科者のような後ろめたい過去があったとしても、受け入れるような寛容(かんだい)さを持っている人が多いだろう。

 所詮(しょせん)、前科者も人だ。名前を変えて、新たな人生を手に入れたのなら、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって、普通の人生を歩もうとする。

 そして、新たな家族を求め、人生のパートナーを求めてイベントに参加した。

 犯人はそこに目を付けて、イベントの関係者に(まぎ)れているか、横流ししてくれる協力者によって、前科者の情報を手に入れるのだろう。

 ()わえた巣の真ん中で、ひたすら獲物がかかるまで何日も、何年も待っていたというのか。

 何という執念だ。

 いや、それは自分にも当てはまる。

 大切な人が無残に殺されたとなれば、犯人が憎くて憎くて堪らない。

 犯人が生きていることすら許せない。

 法廷で裁かれ、首に縄がかかって、その体が虚空(こくう)に吊り下げられるまでは、絶対に(ゆる)せない。

 もし罪を(まぬが)れ、行方をくらませたとするなら、生き地獄だ。

 地獄の果てまで追いかけ、刺し違えてでも(かたき)()ちたくなる気持ちも、正直分かってしまう。

 父を殺されてから(いだ)くようになった、犯人の腹に刃物を突き立てる幻想。

 柔らかな(はらわた)に沈む鈍色(にびいろ)と、網膜を焼くほどの(したた)る鮮血だけが、脳裏にこびりついて離れない。

 一度芽生えた殺意は、そう簡単に消えはしない。

 ボコリと、腹底で泡が弾ける。

 そうだ忘れるなよ、と殺意が笑っている。


「刑事さん」


 冷たいものが手首に巻き付く。びくりと体を跳ねさせ、手首を見下げる。白くて小さい手が手首を握り締めていた。手を辿(たど)れば、前髪の奥から氷の眼がこちらを見上げていた。

 彼の名を口にするよりも先に、あっけなく手が離れ、何もなかったように氷の眼が(まぶた)の裏へと隠れた。

 冷たさの残る手首を擦りながら、彼へ感謝の言葉を心の中で送り、安堵(あんど)の溜息を吐く。

 そうだ、俺は殺意を飼いならし、刑事として職務を全うする。

 そう決めたんだ。

 画面を見ながらあれこれと議論しているメンバーと、自身の思考を切り替えるように、大きく二度手を叩く。


「この事実は、とりあえず捜査本部に報告する。すでに捜査としては、おそらく元被害者……前科者によって殺された方の被害者たちには、聞き込みはされるはずだ。ただ、これまでの犯行速度を考えると、すでに次のターゲットが決まってるか、今まさに探している可能性も考えられる」


 蕗二の言葉に、野村と竹輔が頷く。と、片岡が腕まくりをしたかと思えば、指輪型端末をタップし、宙に新たな画面とキーを展開した。黒い画面を見つめたまま、リズミカルな電子音を鳴らし、緑色の文字の羅列(られつ)をひたすら打ち込み続けている。


「では、善は急げだ。警部補、会場に入ってくれたまえ。もし前科者が名前を変えていても、顔は変わらない。君にはカメラを持ち込んでもらって、会場の参加者に顔認証ソフトで前科者がいるか確認しよう。というわけで」


 片岡が、エンターキーを(たか)らかに鳴らした。すると、ひと呼吸おいて、蕗二と芳乃の液晶端末が音を立てる。通知を見ると、メールが届いたようだ。


「さあ、これで潜入捜査ができるぞ! 張り切っていこうではないか!」

「いやいやいや! ちょっと待て! なんで俺!? 竹輔の方が向いてるだろ!」


 警察では、身分秘匿(みぶんひとく)捜査と言われている捜査方法が存在する。

 身分を完全に(いつわ)り、犯罪組織のメンバーとして潜入したり、(だま)されたふりをして犯人から薬物などを購入したりする、おとり捜査や潜入捜査の事だ。

 特に、横領(おうりょう)および詐欺(さぎ)などの検挙を主にする捜査二課(にか)や反社会的勢力の排除を主とする組織犯罪対策課、テロリストなどを未然に逮捕する公安部などでは主流の捜査方法だ。

 しかし、これにも実は向き不向きや才能が必要となる場合がある。


 蕗二の場合、平均よりも背丈があり、強面で目立ちすぎるため、潜入捜査やおとり捜査、尾行などからは外される方が多い。実際に芳乃を尾行した際には、すぐに気づかれている。逆に竹輔は目立ちすぎず、物腰も柔らかく周囲と馴染むのが早い為、こういった秘匿捜査に向いていて、何かと重宝されるのだ。


 もちろん、今回のイベント潜入も竹輔が適任だと思っている。自分は周辺を巡回(じゅんかい)、監視予定であった。

 早々に予定を崩されて怒り心頭の蕗二に、片岡は飄々(ひょうひょう)とした表情で蕗二の目の前に手をかざして、指を親指から順番に折り曲げて見せる。


「年齢は適齢、高長身、公務員、出世していて収入も安定。異性からすれば、スペックだけなら魅力的だ」

「おいこら! だけってなんやねん、だけって!」

「ちなみにだ、参加費の支払いがクレジットカードか電子決済のみだったから、手続きの関係上、本名のままで登録しているが、そこは勘弁してくれ。むしろ捜査経費として申請したまえ」

「さらっと不正アクセスするな! しかも経費申請なんてできるか!!!」

「あ、カード会社から不正アクセスの疑いがあると問い合わせがあるだろうから、よろしく頼むよ」

「うるせぇ!!」


 一発しばいてやろうかと拳を握り締めれば、竹輔に優しく肩を叩かれ、まあまあと(なだ)められる。

 その隣で、めんどくさいとばかりの表情で芳乃(ほうの)が手を上げた。


「はい、片岡さん」

「なんだい?」

「なぜぼくも参加なんですか。刑事さんだけで十分でしょう」

「何を言っているんだね? 犯人を捜すのなら、芳乃くんが必要だろう?」

「ぼく16歳なんですが」

「ああ、18歳以上であれば参加可能だから、大学生と言う事にして、今しがたネットバンクのクレジットカードを作ったから、安心してくれたまえ。ちなみに君はタナカタケシだ。そこら辺に居そうだろ?」

「全国のタナカタケシに謝ってください。そもそも偽造できるんですか。会場でバレるでしょう」

「問題ない。なんせ、その返信メールが身分証明書の代わりだ」


 疑いの眼を向ける芳乃に、片岡は端末を指差しながら、再度「大丈夫だ」と念を押す。


「君が思っているほど、こういうイベントのセキュリティは厳重ではないのだよ。個人情報を提出される方が保管や管理にコストがかかるからね。だから、参加手続きの段階で、クレジットカードなどの身元がはっきりしているもので支払いさせることで、身分証明の代わりにして、入場コードなどをメールアドレスへと送れば、間違いがない。私のような特殊なハッカーでもない限りは、偽装なんぞ起きない事態だからね。もっと厳重にするなら、アプリの登録や顔写真などの実物を撮影してWEB提出させるだろう」


 納得したのか、小さく息を吐いてそっぽを向いた芳乃とは逆に、蕗二が驚きの声を上げた。


「え、そうなのか? んな、ガバガバなセキュリティで良いのかよ。メールだって他の奴に転送したら簡単に成りすましできるだろ?」

「転送すれば、入場コードのアクセスリンクが切れるから問題はない。セキュリティについては単純に、人が人に会うだけ、だからだよ。もしこれが、口座開設や株式取引など、金銭が絡む場合は別だがね。そもそも、この程度の事務手続きができない人間や、めんどくさがるような人間を排除するだけでも、ある程度セキュリティとしての役割を果たしているんだよ。第一次試験みたいなものだ。結婚相談所のように、年会費を払う訳でも、個別契約をするでもないんだ。あくまで主催は、異性が出会う()()()提供しただけなのだから、個人間のトラブルは個人で解決したまえよってことだ。参加規約書にも書いているが、まじめに読む奴はほとんどいないだろう」


 わざとらしく片岡が肩を(すく)めたところで、ごそり、と動く気配がした。

 振り返ると菊田がゆっくり立ち上がっている。


「菊田さん、大丈夫ですか」


 ああと(かす)れた声で答えた菊田の表情には疲れが(にじ)んでいるが、眼光は刑事の威厳(いげん)を表すように鋭いままだ。


「見苦しい所を見せてすまなかった。君たちの話は横耳で聞かせてもらったが、私からもひとつ、君たちに依頼したいことがある」


 菊田の言葉に、蕗二と竹輔が背筋を正した。


「今までの犯行の傾向を重く見て、宿木巡査部長の血縁者である妹の護衛をしたい」

「護衛、ですか?」


 畑違いなのでは、と竹輔が戸惑う。視線で続きを(うなが)す蕗二に、菊田が分かっていると、深く頷く。


「現時点での推測に過ぎないが、宿木巡査は犯行に巻き込まれただけだ。しかし、液晶端末が出て来ないと言う事は、そこから親族を辿(たど)ることができると言う事だ。犯人たちの執着は異常だ。私のただの杞憂(きゆう)であればそれでいい。しかし、万が一彼の家族に危害が及ぶ可能性があるのなら、全力で潰しておきたい。しかし、本来護衛といえば警備部が行うが、一般人かつ不確定な護衛としては(いささ)仰々(ぎょうぎょう)しい、と本部が判断した。しかし、まったくの無防備では正直心許ない」

「だから、俺たちが適任って事ですね?」


 菊田が頷く。そう、警察が護衛すると言えば、セキュリティポリス、つまり警視庁警備部の管轄(かんかつ)となる。

 彼らを動かすとなると、警察庁公安部に警護計画を提出し許可をもらう必要があり、思っているよりも大規模なものとなる。第一、まず総理大臣や国賓(こくひん)でもない、一般個人への警護はしない決まりだ。

 しかも今回はあくまで菊田の杞憂(きゆう)によるものだ。だからこそ、俺たちのような極秘部署であれば、秘かに動いていても、警察本部は知らぬ存ぜぬで突き通すことができる。


「宿木巡査のご家族は、今どちらに?」


 菊田の意図を理解したのだろう竹輔の問いに、菊田は机の上に置いていたタブレットを手に取り、指先で画面を叩いた。


「宿木巡査のご両親はすでに他界しているようで、直接的血縁者は妹一人だけのようだ。名前は、宿木紅姫(こうき)荒川(あらかわ)区に在住……いや、正確には宿木巡査と同居していて、現在は17歳。大学付属の音楽高等学校の三年生。本来なら土曜日の今日は休校なのだが、月一で開催される定例会があり、この土日は学校へ泊まり込んでいるようだ」


 菊田がタブレットを閉じると、蕗二と竹輔の携帯が震えた。


「端末に住所を送った。あとで確認してくれ。また、今回は女性の警護に当たって、女性の刑事にも極秘協力をお願いしている。また、犯人が危害を加えてくるのなら、土地勘がある方が有利だろう。荒川区を管轄にしている地域警官も捜査協力するように手を回した。君たちの用事が済んでからで構わないから合流してくれ。そして」


 菊田が不意に姿勢を正した。顎を引き、二人の刑事に言い聞かせるように口を開く。


「定期的連絡はもちろん、犯人が確定した場合は速やかに報告を。もし、やむを得ず犯人確保に当たる際、激しい抵抗および警護対象者への危害も考えられる。刃物などの殺傷力のある物を所持している可能性も高い。身柄確保には周辺の安全に十分な注意を払い、自身も怪我をしないよう気をつけるように。以上」

「はい」


 蕗二と竹輔が(かかと)をそろえ、そろって返事をする。と、同時にタイミングを計ったように、菊田と蕗二の携帯が震えた。菊田は着信だったようで、背中を向けると通話を開始する。部下からの報告のようだ。蕗二も端末を確認すれば、待望のメールだった。


「野村、待たせたな。東検視官から許可が下りた。竹、検死室へ案内してやってくれ」


 蕗二の声に野村が椅子から勢い良く立ち上がって、伸びをするように両手を振り上げた。


「やったぁ! 待ちくたびれちゃったぁ、竹っち早く行こ行こ!」


 スキップで部屋を出ていく野村の後を、「そっちじゃないですよ!」と慌てて竹輔が追いかけていった。

 その後ろ姿を見送った片岡が、「さて」と言って、右腕を左から右へゆったりと振り、空中に展開していた画面を閉じた。


「ではこちらは、潜入捜査の準備をしようじゃないか。時間は本日13時からだよ、もう3時間は切っているね。昼食を取ってから行くだろう?あまりゆっくりもしていられない。参加事項などしっかり読んでくれたまえ」


 めっちゃ仕切るじゃねぇか、と思いながらも、蕗二は液晶端末に届いていたイベントの参加メールを開く。添付されていたURLからホームページへアクセスして、注意事項を確認していく。


「スーツ禁止か」

「うむ、こういう場所はフォーマル禁止だね」

「……服屋、寄っていいか?」


 ぼそっと呟いた蕗二を、片岡が意外と言わんばかりに凝視した。


「なんだ、君も意識しまくりじゃないか」

「違うわ!! 服を取りに行く時間がねぇんだよ! 場所が現場と真反対だから!!」

「なに? 君は会社員でもないのに、スーツのまま出勤しているのかね? 何という事だ、ズボラ(きわ)まりない。でも安心したまえ! 素敵なマイファミリーを持つこの私が、女心をガッと掴むモテ男コーディネイトをしてあげようじゃないか! 腕が鳴るなぁ! ほら早くついてきたまえ!」

「お前は人の話を聞け!!!!」


 颯爽(さっそう)と部屋を出ていく片岡を、蕗二がドスドス足を立てて追いかけていく。


「片岡さんが一番楽しんでるでしょ……」


 呆れたように呟く芳乃に、菊田は咳払いをするふりをして笑いを堪えた。



次回更新予定:10月28日月曜日

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