File:4 ああ、かわいそうに。こいつのことはよく覚えている
翌日。10月29日土曜日。
AM8:25。第6会議室。
静かな部屋に、甲高い電子音が二回鳴り響く。
ドアが横へとスライドすると、すぐさま女性が飛び込んできた。
「おはよぉ、三輪っち!」
昨日より高く結い上げられたポニーテールの毛先が、機嫌のいい犬のしっぽのように踊っている。いつにも増してテンションの高い野村の後ろ、休日にも関わらず刑事さながらスリーピースのスーツを着込んだ細身の男が入ってくる。
「やあ諸君、なかなか今回も厄介そうな事件だね」
「ぼくとしては、聞いてるだけで気分が悪いので、帰りたいですけどね」
格好つけて右手中指で眼鏡を鼻上へと押し上げる片岡の言葉を遮ったのは、不機嫌そうな少年だ。
いつもの学ラン姿ではなく、一回り大きな上着を着ていることと、眠たげに垂れた目も相まって、いつも以上に気だるげだ。欠伸を噛み殺し、ぼそりと不機嫌丸出しで文句まで言う。
「休日に呼び出されるなんて最悪。いつもならあと2時間は寝られたのに」
「おやおや芳乃くん、休日でも規則正しく起床するのが体にいいのだよ」
「普段の休日は昼まで惰眠を貪っているあなたに言われたくないです」
「流石、今日も目の方はバッチリのようだね」
「てゆーかぁ、藤っちなんでスーツ着てるのぉ?」
「こういうのは、まず形からだ。朝から呼び出されるなんて、我々の実力も認められていると言っても過言じゃないだろう? なんたって我々の検挙率は100%だからね!」
「極秘部署なんですから、実績なんてあってないようなもんでしょう」
相変わらず、この三人がそろうと賑やかだ。
ドアを締めながら困ったように眉尻を下げている竹輔が、修学旅行で引率をする教師に見えてくる。
「楽しみなのは分かったから、だべってないで座れよ」
机を軽くノックすると、野村がスキップしながらすぐさま蕗二の正面へ座り、その隣に片岡が足を優雅に組んで座る。不機嫌を隠しもしない芳乃が、野村から少し離れた位置にしぶしぶと言った様子で座った。三人の気ままな様子に苦笑交じりの竹輔が、隣に座ったところで、蕗二は声を張り上げる。
「メールで簡易的に伝えた通り、連続殺人事件が発生していて、昨日で3件目になった」
手元のタブレットのスリープモードを解除すれば、すぐに三人の後方にあるホワイトボードが起動した。
本来の役割であるホワイトボードとしても使用できるが、液晶画面としても使える代物だ。
竹輔が手元のリモコンで操作すると、部屋の明かりが落ち、画面が白くはっきりと浮かび上がる。
内容は、今回の事件を簡単にまとめたものだ。
三人が画面へと視線を向けたところで、蕗二は口を開いた。
「一件目の発見が9月30日の渋谷区、2件目の発見は昨日の10月28日に板橋区と豊島区、3件目は同日、世田谷区で発見された。
1件目、前科該当者は磔にされた状態で窒息、同居家族の内1名は絞殺、もう1名は肛門に異物を挿入され、陵虐後に絞殺。
2件目、前科該当者は橋に逆さ吊りの状態で窒息、同居家族は全員大型自動車にて轢死。
3件目に関しては、窒息死、溺死、焼死と全員死因が異なった。
全ての犯行に共通するのは、一家の中に、『犯罪防止策』が施行される2031年以前に、事件を起こし、服役した前科があるものが必ず一人いること、そして前科者を拷問の末に殺害、残りの同居家族を全員惨殺していること、この2点だ」
その言葉に、片岡が眉をひそめ、芳乃がゆっくりと瞬きをした。
「ただ、1件目と2件目は前科該当者一人を拷問、残りの家族を惨殺しているが、3件目のみ前科該当者は現在確認できていない。また、2件目のみ被害者を人目につくところに晒した理由も不明だ。
この事から、犯行自体に規則性はなく、目的もはっきりしない。
被害者全員には、≪ブルーマーク≫は付いていなかった。
被害者一家の消息が途絶えるのは、帰宅後だと思われ、死後24時間以内で発見されていることから、犯行時刻は夜間に行われている可能性が高い。また、複数犯の可能性が極めて高いことが推測される。
そして今回、2件目と3件目が同日中に犯行が行われた可能性があり、非常に犯行ペースが速い。これ以上の犠牲者を出さないために、早急な解決が必要な案件だ」
蕗二が言葉を区切ると、真面目に画面の文字を読んでいるのだろう芳乃とは正反対に、片岡は早々にこちらへと向き直った。机に両肘をつき、前のめりで蕗二を見つめる。
「三輪警部補、私は待ち遠しくて、ネット上を検索したのだがね」
そう切り出し、片岡は左手を突き出した。結婚指輪の光る薬指の二本隣、左人差し指に嵌る幅広の黒い指輪を指先で軽く二度タップする。空中に二つ画面が展開されるが、蕗二はそれを無視して、画面越しに片岡を睨む。
「また俺の携帯をハッキングしたんじゃないだろうな?」
「心外だな、今回はしてないよ? ただ坂下巡査長からちょっとだけ聞かせてもらっただけさ」
ウィンクして見せる片岡に、蕗二は顔を顰める。情報漏洩だぞと隣の竹輔を睨めば、少し肩を竦めて「すみません、名前と事件現場だけ教えてしまいました」と申し訳なさそうに呟いた。
その様子に片岡は他人事のように、落ち着きたまえと薄く笑う。
「これくらいで怒ったって、すでに全国ニュースへなりつつあるさ。殺人事件となれば、ニューストピックのコメント欄やSNS、ネット掲示板でも、それなりに憶測や推理ごっこで大いに盛り上がるのだが、的外れではないものがあってね?」
片岡はニューストピックスのコメント欄やSNSの書き込み、さらに掲示板を表示させる。
表示されている内容は2件目の事件についてだろう。1件目や3件目の遺体は屋内にあったが、2件目だけは遺体が一般人に目撃されやすかったのもあり、コメントも100件を超えている。
『これ宙吊りの奴?』
『それそれ』
『おれ見た。やばかった。昨日寝れんかった』
『マジ乙』
『こいつさ、ひき逃げ犯だった希ガス』
『老害〇リウスミサイルの犠牲者か』
『〇ヨタ風評被害』
『家族に付き添われて現場に現れたDQN』
『名前違うくない?』
『同チュー情報やけど名前変えたらしいでwww』
『被害者の女、妊娠してたやつね』
『リア充爆発しろ』
『kwsk』
『死刑一択』
『総理辞任しろ』
『ggrks』
『裁判は自首してたのと、賠償が全額払えるから懲役12年だったらしい』
『日本は終わった』
『1000万とかマジ裏山』
『妻が金に変わったな』
『親がカネモのボンボン』
『保険だろ情弱死ねカス』
罵詈雑言も混じっているが、片岡の言う通り的を外れていないコメントもある。
展開されていた画面が消えた。その向こうで、楽しそうに目を細めた片岡がこちらを見つめている。
「警察ならこの辺りは調べているだろうが、真偽はどうかな?」
「ああ、間違いない。補足するなら、当時の調書によると、事件発覚を恐れてバックで再度轢いたこと、妊婦は自力で歩道まで避難していたところを救助されたが、内臓破裂による出血死での死亡。
容疑者は現場に戻ってきて自首したが、すでに弁護士へ相談済みだったこと。
取り調べの際から事実を認め、深く反省している様子だったこと。
被害者が横断歩道ではない場所を横切った過失と、略式命令で罰金30万が確定していたこと。
さらに妊娠はしていたが月齢周期があまりの初期だったため、胎児を人として認めなかったことで殺人は2名ではなく1名となった、くらいだろう」
蕗二の言葉に、片岡は笑顔を引っ込めて眉を顰める。
「胎児は人としてカウントしないのか?」
「細かい話だが、母体保護法で22週未満なら中絶できるからな」
「重箱の隅をつついて申し訳ないのだが、22週目を過ぎていれば殺人として適応するのか?」
「いや、それは堕胎罪の話だ。たとえ22週目を越えていたとして、交通事故が原因で子供が亡くなったとしても、体の外に出ていないなら人として認められない方がほとんどらしい。だからその分、慰謝料を上乗せして請求するんだとさ」
片岡は納得したように何度も頷いてはいるが、表情は暗い。無意識だろう、左手の薬指に嵌る結婚指輪を撫でている。彼にも幼い子供がいるのだ、同情してしまうのは無理もない。
蕗二自身も、この情報を菊田から聞いた時は、犯人に情状酌量が認められた嫌悪感と、胎児を人とカウントしない理不尽さに不快な表情を露わにしたくらいだ。
「てゆーか、たったの懲役12年なのぉ? なんか納得できなーい!」
突然そう叫んだ野村が、ふて寝するように机へ上半身を投げ出した。画面を読み終わったらしい芳乃も、こちらに体を向き直している。蕗二はひとつ溜息を吐いて、腕を組んで椅子の背もたれに体重をかけた。
「納得できなくても、判決として過失運転致死傷罪と、自動車運転処罰法第3条 準危険運転致死傷罪に該当行為なら妥当だ」
蕗二の言葉に竹輔も頷く。
「そうですね。もしこれが危険運転致死傷罪の2条該当行為、つまり薬物や飲酒で正常に運転できる状態じゃなかった場合は、さらに過失運転致死アルコール等影響発覚免脱罪で加重されますけど。
この件では防犯カメラからは蛇行や信号無視などの違反行為がなく、裏道であった一本道でのみの超加速だったことから、飲酒による泥酔や酩酊までの影響は少なかったとされて、2条が適応されたそうで、懲役12年以下は妥当になります」
「感情的には納得できないかもしれないが、裁判としては問題ないって事だ」
竹輔と蕗二の言葉に、野村は不満そうに唇を尖らせている。その様子を横目で見つつ、片岡が顎髭を探すように指でなぞりながら、ちなみに、と声を上げた。
「この掲示板に書かれていた、元犯人が改名したというのは事実かね?」
「ああ、事実だ。この加害者だった枸杞は、出所後に母方の苗字である蓬田へ一家そろって改名していたようだな」
「犯人はそれを知っていた、という事かね?」
片岡の言葉に、蕗二は押し黙る。
確かに、『犯罪防止策』によって、国民の監視をするにあたり、個人情報保護法が最低限まで破棄されているが、警察などの特殊な職業ではない限り、他人の戸籍謄本を勝手に取り寄せることはできない。
ただ、確かにタイミングが良すぎる。
かつての被害者が、母子ともに轢き殺された事件を再現するように、妻を腹の子供もろとも轢き殺し、さらに加害者両親も轢き殺した。そして加害者本人は、拷問のように逆さ吊りにして、わざと気を失わないように血抜きをしたり、内臓の位置が下がらないように手が加えられていた。
「この件に関しては、なんらかの手段で、かつての加害者を特定したうえで犯行に至ったのなら、犯行理由は復讐で間違いはないだろう」
蕗二が絞り出した言葉に、片岡はふむと頷いて、顎を撫でる。
「なるほど。では、他の二件はどうなのかね?」
足を組み替えて、事件の内容を吟味する片岡に、竹輔が手元のパソコンを確認する。
「実は、1件目の渋谷区の事件に関しても、同様に前科がありました。
元恋人がストーカー化して家に押し入り、当時自宅にいた妹の頭部を殴って殺害。
帰宅した元交際相手を刃物で脅し、強姦中に絞殺。
争う音で異変に気が付いた隣人により通報、その場で現行犯逮捕されました。
裁判では殺意を否定、妹は殺すつもりはなく頭を殴って気絶させただけ。いびきを掻いているから寝てると思ったとのこと。
元恋人の姉とヨリを戻したかっただけで、行為の最中に暴れたため首を押さえただけで殺す気は全くなかった、本当に申し訳ないと述べています。
また、犯行時に刃物を所持していたが殺害に使用していないこと、別れ話になって精神的に不安定だったことによる心神耗弱が友人とのメールのやり取りやSNSの書き込みから立証され、警察の取り調べを素直に応じた事ことから、懲役は18年でした」
「はあ!? たったの18年!? こっちは二人殺してんじゃん!」
拳で強く机を叩いて立ち上がった野村に、片岡が椅子から跳びあがった。
竹輔が焦ったように立ち上がって、「おおお落ち着いて野村さん」と宥めるが、野村の強烈な怒気を受けて冷汗を吹き出した。蕗二は注意を向けるように、机を二回ノックする。
怒りに染まる赤い眼がこちらに照準を合わせたのを見計らい、努めてゆっくりと言葉を吐きだした。
「野村の気持ちも分かる。だが、この裁判で争点になったのは、殺意があったのかどうかだ。
殺意が認められれば、強制性交等罪に殺人罪も適用され、併合罪で1.5倍の刑期だっただろう。
死んでも構わないとか、殺してやるとか、そういう意思があって、周りに宣言したりSNSに書き込んだり、さらに刺したり切ったりして負傷させたり、待ち伏せや付きまといがあれば、悪質とみなされ無期懲役も妥当だ。けど、この事件の場合は、あくまで殺意が無かったが殺してしまった衝動性と不慮の事故として認められて、強制性交等罪と過失致死罪が適用されたんだろう」
自分で言っていて嫌悪感が込み上げてくる。
殺意が無かった、など後から何とでも言える。頭を鈍器で殴れば死ぬ可能性がある事、また首を絞めれば死ぬ可能性があるのは、馬鹿でも分かるはずだ。
理不尽で不条理だとざわめく心を押さえつけ、冷静に淡々と事実を告げる。すると、野村の顔から怒りが引いていくのが見える。だが燻る怒りの炎を抱えた無表情な眼が、こちらを見据えたまま、冷えた声を放つ。
「あー、なるほどねぇ。だから死体があーなっちゃうんだぁ。被害者の事を考えたら、あれでも足らないくらいだけどねぇ。私は被害者の家族に同情しちゃうなぁ」
そう言って野村が乱暴に着席し、腕を組んでふんと鼻息を吐いて顔を明後日の方へ向けた。
その隣、驚きでずれた眼鏡をしっかり掛け直した片岡が、行儀の良い生徒のように真っ直ぐ手を上げる。思わずどうぞと言えば、片岡は顎を掴むようにして悩む仕草をした。
「単純な疑問なのだがね、この被害者家族には、男しかいなかったのかな?」
「ああ、被害者……ややこしいな、元加害者家族の母親は、判決後に亡くなっていた。死体検案書には自死と書かれているのを確認してる」
片岡が目を見開き、そうかと溜息を落とした。
「自死か、それはまた、救いがないね」
片岡は同情しているようだが、加害者家族の自死は珍しい事ではない。
加害者の家族が事件後に、兄弟などが婚約破棄になったり、仕事を解雇されたりと、家庭崩壊することは実際よくある。
この加害者一家の母親も、息子の起こした事件に責任を感じたのか、周りからの厳しい視線に耐えられなくなったのだろう。
しかし今回、もし生きていれば、犯行の再現のために真っ先に陵虐の対象として狙われるのは女性である母親だっただろう。そして、矛先は父親へと向いたのだろう。
生きてても死んでいても救いはない。
だが、加害者家族だけが不幸なわけではない。
被害者家族は、それ以上の苦しみを背負っている。
野村が感情的になるのが、その証拠だ。
彼女は過去、ストーカーが自宅へ侵入し、母親を刺殺。彼女を性的に暴行、陵虐(陵虐)の果てに彼女の腹上で自死を遂げた。被疑者死亡により書類送検として事件は幕を閉じたが、周囲の反応は被害者の彼女に対して非常に冷酷だった。きっとそれを思い出してしまったのだろう。
被害者としての感情と、判決結果への理不尽さも合わさって、憎悪が増幅されるのだろう。
また、蕗二自身も未成年の時に巻き込まれた無差別殺傷事件は、父親を含めて大勢の人が犠牲となったにも関わらず、犯人が自殺したことで、被疑者死亡のため書類送検で同じく幕を閉じた。
そして納得が一切できずに、10年間も苦しんだ。
今回の連続殺人事件が、もし本当に復讐殺人であるのなら、元被害者遺族として同情できる。
犯人は過去の納得できない判決に苦しみ、何年も積もらせた憎みの果てに、復讐を考えつき、実行した。
それを責め立てることが、俺にできるだろうか。
重苦しい空気の中、野村が突然ホワイトボードを指差した。
「ねぇねぇ! 三輪っち三輪っち! 昨日の死体はどうなったのぉ? 東っちは何か言ってたぁ?」
欲しいものを指差す子供のような、無邪気な笑顔を向けてきた。
野村は嫌な記憶に蓋をして、心の底に沈めたのだ。そして、≪ブルーマーク≫として、死体に異常な関心を持つ派手な≪彼女≫を演じることに徹しているのだ。
そんな無理をさせたことを、心苦しく思う。だが、彼女が被った仮面を無理やり剥がすのは違う。
野村のあまりの切り替わりっぷりに、片岡と竹輔が呆気に取られている中、蕗二は淡々とタブレットを操作して、検死時のご遺体の画像を見せる。
「ああ、3件目の件だな。被害者家族は、莢蒾家。
夫の忍は、服の下には無数の煙草による火傷の跡があり、生体反応があったことから、手足を縛られて身動きが取れない状態の中、煙草を押しつける拷問を行い、顔にラップを巻かれたことによる窒息死と判明。死後に服を着せ、首を吊るされたと推測。
息子の剣生は、どうやら父親の連れ子だったらしい。鼻と口に糞を詰められた状態でトイレの便器内に顔面を押し込まれ、便意内の水を吸ったことで咽頭痙攣を起こしたことによる窒息死とのこと。
妻の菖子は生きたまま手足を縛られ、毛布で包まれた状態でアルコール燃料を火種に着火。天井付近にシアンガスの反応が見られたことから、毛布の素材はアクリル製だったと推測される。被害者は火だるまになったのち、自らの脂肪を燃料に芯燃焼したとみられる。生体反応があったことから、着火時には生きていた可能性が高い」
タブレットを差し出せば、受け取った野村は喜ぶかと思ったが、目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いた。
「え、全員生きたままって、やば……」
流石の野村も引いたようだ。口を押さえたまま、それでもご遺体の画像から目を逸らさない野村の正面で、疲れたように竹輔が溜息交じりに呟いた。
「そういえば、他の事件に比べて、この3件目。世田谷区の事件は、少しやり過ぎ感がありますね?」
吐き気で現場を離脱した竹輔は、思い出したくもないのだろう。額を右手で覆って、何度も溜息をついている。血や臓物が飛び散る現場とは違い、苦痛を与え嬲り殺すような現場はあまり見た事がない。その衝撃で、蕗二自身も昨晩は食が進まなかったくらいだ。
「しかもこの一家、誰にも前科が無いんだろ? 別件の事件の可能性もあるな」
「いや、別件として捜査するには早合点だと思うよ」
片岡の声に、蕗二は眉を寄せる。
いつの間にか、また指輪の端末を展開していて、黒い画面に白い文字が打ち込まれている画面を凝視している。
「世田谷区の事件だが、確かに被害者一家全員を検索しても、過去に容疑者として服役した形跡はなかった。ただ、猫の糞を食べさせる、顔面ラップ、焼死体で絞り込むと、ヒットしたものがある」
片岡が左手を突き出して、画面を見るように促してくる。
展開された二つのWEBサイト。片方は有名なインターネット百貨辞典のサイトページだ。
もうひとつは、裏掲示板と書かれた黒い背景に白い文字で書かれた、ブログのようなものだ。
「14年前の2028年に、焼身自殺した未成年がいたようでね。そこから出身校を辿って、とある高校の裏掲示板を特定した。現物はすでに閉鎖済みなのだが。裏掲示板が好きなハッカーにお願いして、魚拓……君たちだとキャッシュの方が通じるだろうか? それを取り寄せて、当時書き込まれていたコメントを復活させてみたのだよ」
さも当然のように言ってのけるが、蕗二は恐怖から仰け反った。
「14年も前……そんな昔のサイトを見つけて、復活させたのか。ネット怖いな」
「むやみやたらに怖がらなくても大丈夫さ。ネットは清く正しく使えば、最高の文明機器だよ。まあ悪口には気をつけた方がいいがね」
片岡は得意げに笑うと、画面を人差し指で下から上になぞった。すると、蕗二の液晶端末が震える。
「今、このブログを画像化して送った。内容を確認して見てくれたまえ」
端末を引っ張り出し、送られてきた画像を開く。
画面の文字を読むと、どうやら学校内で起きたいじめの目撃情報……いや、半分は犯行の記録だった。
つまり、加害生徒が自ら行ったいじめの様子を掲示板へ書き込んでいるようだ。
内容は、動物の糞を食べさせる、顔面にラップを巻いて窒息ごっこをする、煙草を体に押しつける、トイレの便器を舐めさせる……読むに堪えかねる内容ばかりだ。
いじめと呼ぶには生温い、激しい暴行の様子が鮮明に記録されている。そして気が付く。3件目の被害者の殺害状況に酷似していた。
眉間がキリキリと痛みを訴え始めた所、竹輔が強く肩を叩いてくる。なんだと顔を向ければ、パソコンの画面を向けてきた。いつの間にか、事件の捜査資料を検索していたようだ。
「蕗二さん、担任教師はいじめに加担したとして暴行および自殺教唆で逮捕、懲戒解雇になっています。
校長に関しては、いじめの事実を知りながら教育委員会への報告を怠ったとして引責辞任になっています。
また、いじめに関与した生徒の内、三名は暴行罪で書類送検、主犯格生徒1名は児童相談所に送致されています。それに、3件目の事件の被害者の出身高校を調べてみた所、母親の方がこの学校の出身です」
「ちょっと貸してくれるか」
蕗二は自分の警察IDを打ち込み、再検索をかける。
すると、階級で閲覧制限がかかっていた生徒の名前が表示された。
名前は、唐白菖子。被害者の名前だ。さらに戸籍を閲覧すれば、こちらも母方の天草に姓を変え、さらに去年の結婚によって莢蒾へ苗字が変わっている。
「ビンゴだな。この事件も、被害者がかつての加害者ってことだ。これで全ての事件が、復讐による殺人だと証明された」
自分で吐いた言葉に、溜息が出る。
「因果応報って、こういうことを言うんでしょうね」
蕗二の考えを汲み取ったように、竹輔が弱々しく呟いた。
「僕らは、警察として犯罪者を逮捕しますけれど、結局は裁判で軽く判決されて、出所して、また犯罪を犯して……捕まえてもすぐに出所して堂々巡り。それなら次の被害が出る前に、被害者が直接手を下す以外なかったって、考えると……情けないというか、すごく、悔しいです」
俯く竹輔の背中を擦る。
「落ち着けよ、竹。今はもう、一度犯罪を犯せば、≪レッドマーク≫が付く。過去は変えられない、でも今は違う。今なら、罪は正しく裁かれる」
悔しいが事実だ。法律や時代が変わり、昔は罪として裁かれなかったものが、2042年の今、やっと正当に裁かれるようになった。
刑事を長くやっていれば、何度も感じる理不尽のひとつだ。
無意味とさえ思う職務をひたすら全うし、ただただ未来が良くなるように祈るしかない。
言葉を噛み締めているのか、俯いたままの竹輔の背中をあやすように優しく叩く。
と、のんびりとした声が上がる。
「じゃあ、この事件はもう解決って感じー?」
野村が大きく伸びをして、見ていたタブレットを机の上に置いた。
「だって、もう復讐って分かったんだから、あとは恨みを持ってる家族を捕まえるだけなんでしょぉ?」
遊びに厭きた子供のように椅子へもたれかかる野村の隣、片岡が同意とばかりに何度も大きく頷いた。そして腕を組むとふんぞり返って大きく笑った。
「ついに現場へ赴かなくても解決できるまでになってしまったな! ははは! 優秀過ぎて困ってしまうねぇ!」
「いえ、ぼくはまだ気になることがあります」
不意に口を開いたのは、今までずっと静観していた芳乃だ。
呆けたような片岡と、びっくりした猫のように目を丸くする野村。言ってる意味が分からないと戸惑いの視線を向ける竹輔と蕗二を、前髪の間から黒い眼が見据える。
「まだ、違和感があるでしょう?」
何が、と問うよりも先に甲高い電子音が部屋に響いた。
蕗二と竹輔がすぐさま立ち上がり、ドアを睨みつけたと同時に勢い良くドアがスライドし、壁にぶち当たる振動が空気を揺らした。
「菊田係長?」
竹輔が戸惑いの声を上げる。菊田は何処からか走ってきたのか、乱れた髪にネクタイが肩にひっかかった状態でぜーぜーと息を切らして立っていたからだ。
「蕗二くん、大変なことになった」
ドアを乱暴に閉めた菊田が駆け寄ってくる。蕗二が席を譲ると、そのまま勢いよく椅子に座った。
脇に抱えていたタブレットの画面が汗で曇っているのを袖で乱暴に拭い、机の上で立てる。
「説明は後だ、捜査会議を、そのまま、内密に視聴してもらう」
息も絶え絶えに、菊田がタブレットを操作する。状況が読めないまま、菊田の後ろから画面を覗き込む。
すると突然、画面に鑑識の桑原の顔が映りこんだ。が、桑原が慌てて画面に指を近づける。すると今度は捜査会議の全体が映りこんだ。間違えてインカメにしてしまったらしい。
部屋には、制服を着た警察官や鑑識、スーツ姿の背中が大勢並んでいる。
ふと、右奥のドアが開き、三人の男性と一人の女性が入ってくる。途端に、大人しく座っていた全員が一斉に立ち上がった。画面が警察官たちの背面で埋め尽くされる中、低い男の声が部屋に響く。
「えー、これより第一回、捜査会議を始める」
礼の号令で全員腰を30度折った敬礼をし、着席の号令で全員が椅子に座り直した。
部屋の奥にスクリーンがあり、その前に置かれた長机に、先ほど入室してきた男女たちが座っていた。
四人の内、真ん中の男が装着していたヘッドセットのマイクを口元に近づける。
「捜査一課長の麻田だ。さっそくだが、本日台東区にて、ご遺体が発見された」
スクリーンに人間の形をしたシルエットが表示される。シルエットには、なぜか赤く表示された部分があった。
「そのご遺体はバラバラの状態で発見。手足と、それから指が切り落とされ、さらに頭部も切り離された状態であった。現在、胴体と下肢、上腕、頭部は回収。喪失部位は現在も捜索中である」
つまり赤く表示されているのは、見つかった部位のようだ。
「東検視官」
そう呼ばれ、男性の右隣に座っていた女性・東検視官が立ち上がった。椅子が床を擦る音が響く。刑事たちから一斉に向けられる威圧的な視線をもろともせず、よく通る声が部屋に響く。
「現在見つかっている部位から、全身に複数の打撲痕が認められている」
東検視官が手に持っていたペンをスクリーンへと向けると、赤い点が表示された。点は表示されたシルエットの背中を上下に撫でるように揺らした。
「また、脇下から下肢に掛けて一定方向の擦過傷が見受けられる。恐らく、全身を殴打されたのち、手首を頭上に縛られ、頭を起こした状態で車などにより引き摺り回されたと思われる。その後、頭部、胴体、肩関節、股関節、陰茎、陰嚢、各手足の指、手首、足首、肘、膝と、関節全てを切断されたと思われる。生体反応から、切断の際にはまだ生きていたと推測され、死因は現在確認中。以上」
東検視官が着席し、椅子を引く音がする中、麻田警視が口を開く。
「被害者の身元であるが」
刑事たちの姿勢が食い入るように前のめりになり、麻田警視は一度口を噤む。
眉を寄せ、眉間に深い溝を作ると、手に持っていた紙を両手で挟むように握り潰した。
瞼を下ろし、会議室全員を睨みつけ、口元のマイクを握り締めると、自らの声を張り上げた。
「警視庁交通部交通総務課 宿木千鳥巡査である、と判明した」
どよめきが爆発し、会議室の空気を揺らした。そして、隣で悲鳴が上がる。
「なんで!?」
そう叫んだ竹輔が、両手で口を押さえた。その顔からみるみるうちに血の気が引いて真っ青になっていく。
画面の向こう、スクリーンには警察手帳の証明写真として撮影されたのだろう青い背景に制服姿の男が映し出されていた。
「あれ? こいつ……この前の?」
そうだ、確かに見覚えがある。昨日の朝、竹輔と話していた交通課の男だ。
画面をもう一度覗き込むと、麻田警視の左隣の男が「静粛に」と声を張り上げた。
よく躾られた犬のように、刑事たちはすぐに口を閉じ、一斉に前を向く。
握っていたマイクを離した麻田警視は、落ち着いた口調で、しかし怒りを込めた低い声で言う。
「諸君の憤りも重々承知だ。中には親しかった者もいるだろう。だが、捜査に私情を挟めば、犯人から遠ざかる。また、あくまで推測に過ぎないが、9月末より捜査中の連続殺人との関連も考えられる。より慎重に捜査を進めるように。
まず最優先は、携帯電話の確保および退勤直後の足取りだ。
巡査の消息が掴めているのは、午後17時。つまり通常通り退勤した後、なんらかの事件に巻き込まれたと推測される。防犯カメラを徹底的に洗い出すように。機動捜査隊は増員し、鑑識と合流後、ただちに遺体発見現場にて残りの喪失部位の速やかな発見に努めよ。これを持って第一回捜査会議を終了する。第二回は明日、同時刻に再開する。以上!」
掛け声とともに、殺気立った刑事たちが一斉に会議室から出ていった。
警察官は仲間意識が強い。麻田警視に宥められたとしても一人の警察官が犠牲になったなら、いつも以上に躍起になって捜査するだろう。
画面の映像が揺れ、インカメに変わる。桑原が素早く敬礼し、画面がブラックアウトした。
「大丈夫か、竹」
まだ口元を押さえている竹輔の肩を掴んで揺する。野村が椅子を近くに寄せ、片岡が肩を押してやっと椅子に腰を落ち着けた。が、まだショックが抜けないのか、顔を覆って前かがみになったまま黙り込んでしまった。
菊田も動揺しているのか、真っ黒になった画面の前で、額に手を当てて項垂れている。
憔悴する二人の刑事に、焦っているだろう三人を振り返る。
「お前たち、とりあえず」
しかし、そこで蕗二は唖然とする。芳乃は眠たげに目元を擦っていて、片岡は肩をほぐすようにぐるぐると回し、野村は散歩前の犬のようにそわそわと落ち着かない様子でこちらを見ていた。
「ねぇねぇ三輪っち! 私、東っちのところ行ってもいーい?」
「え、ああ、おう。先に連絡するから、ちょっと待て」
「はぁい!」
ジャケットのポケットから液晶端末を取り出し、東の連絡先を探していると、ストレッチを終えた片岡がさて、と声を出した。
「我々も陰から援護しようじゃないか」
そう言って、指輪型端末に触れ、何やら文字を打ち込み始める。
「俺たちができることは、あまり無いと思うぞ。他の刑事はまず監視カメラを総当たりするはずだ。第一、携帯が見つかってないんじゃ、お得意のハッキングも役に立たないだろう」
蕗二の言葉に、片岡が眼鏡を鼻上に押し上げた。眼鏡に展開された画面の光が当たり、怪しく煌めいた。
「甘いね、三輪警部補。私がただのハッカーじゃない事、証明して差し上げよう」
片岡が口角を持ち上げて、悪人面で笑った。
更新予定日:4/26金曜日




