File:5.5 足元に落としたプラムケーキ
PM18:29。 東京警察病院。
「迷走神経反射性失神ですね」
パソコンからこちらへと向き直った医者は、何ともない口調で言った。
大きな液晶画面に何枚も映し出された脳の画像から医者に視線だけを移す。
「……つまり?」
「強いストレスで脳に血液が回らなくなって、一時的に気分が悪くなったり、気絶するものです。脳貧血といえば、分かりやすいですかね?」
平然と言う医者に、蕗二は前のめりで睨みつける。
「それ、大丈夫なんですか?」
強く睨み過ぎたのだろう、医者は怯えたように仰け反った。意味もない咳払いをして、手元のタブレットを慌てて確認する。
「通院履歴から過去2度同じ症状を起こしているようです。今回も心電図やCT、血液、神経などにも異常が見当たりませんので、同じようなストレスを感じさせないようご注意いただければ問題はありません。意識が回復次第、今日はご自宅で安静にされるように」
竹輔に促され、しぶしぶ丸椅子から立ち上がる。あからさまに安堵の表情を浮かべる医者をひと睨みし、診察室を出ると後ろをついてくる形で一緒に出てきた看護師が「こちらです」と先導する。
診察室が並ぶ廊下とは反対側、ナースステーションを横切り、応急処置室と書かれた部屋に通される。
広い部屋をカーテンだけで簡単に区切った部屋。その一番奥に進み、看護師が白いカーテンの前で止まって「失礼します、開けますね」と言ってカーテンを引いた。
カーテンの向こう、丸椅子に座っていた野村と片岡がこちらを見て、すぐに立ち上がった。
「お医者さんどうって?」
「休めば治るって。迷走なんとか反射? だったか」
「迷走神経反射だねぇ、それだったら大丈夫だよ」
ほっと胸を撫で下ろす野村とは反対に、片岡は心配そうに視線を下げる。
その先には目を閉じたままの芳乃が横たわっていた。看護師が芳乃の左腕に繋がっている点滴を確認し、「もし芳乃さんが起きましたらお呼びください」と言って、カーテンの向こうに消えた。
看護師がいなくなり、押し黙った4人が残される。
お互いの様子を窺う気配の中、蕗二が先陣を切る。
「あとは俺が見てる。また明日」
言葉を遮るように、竹輔が強く肩を掴んだ。
「僕たちも、芳乃くんが目を覚ますまで一緒にいます」
野村も大きく頷いた。
「そうだよぉ、三輪っちだけじゃないよ」
眼鏡を鼻上まで押し上げた片岡が深く頷いた。
「我々はチームだよ、警部補」
三人の強い視線に居心地悪く視線を足元に落とす。
『なあ蕗二』
ふと父の声を思い出す。
『いっぱい1人で抱え込むんやろ? たまには預けなあかんで?』
仲間を信じろ、抱えるな、荷物は分け合えばいい。
蕗二は意識して息を吐き出す。知らぬ間に息を詰めていたらしい、深呼吸を繰り返せば強張った体から力が抜けていく。
「わかった」
自分にも言い聞かせるように呟けば、褒めるように竹輔が肩を叩いた。緊張感のなくなった空間に安心したのか、片岡が天井を押し上げるように背伸びをして、喉奥が見えるほどの大きな欠伸をする。
「とはいえ、大人数で待っていては少々迷惑そうだ。近くで待機しているよ」
「うんうん、藤っちは寝ないとねぇ? 倒れちゃうもん!」
「そうだねぇ、休める場所は……A.R.R.O.W.」
『はい。周辺に10件。ネットカフェ、ビジネスホテルなど多数ヒット。評価の良い順番に表示します』
宙に展開された画面を見ながら片岡がカーテンを開けて出ていく。その後ろを野村が付いていき、ふと立ち止まったかと思えばカーテンを掴んで振り返る。
「じゃあね三輪っち、ちゃんと連絡してよぉ?」
「おう、必ず連絡する」
蕗二の返事に野村が嬉しそうに笑って手を振りながらカーテンを閉めた。足音が遠ざかり、片岡たちが座っていた丸椅子に腰かけ、芳乃の白い顔を見つめる。
「蕗二さん」
肩をタップされ、顔を上げると目の前に缶コーヒーが差し出された。
いつの間にか買ってきてくれたらしい。
「ああ、ありがとう。悪いな、竹も疲れただろう」
受け取れば、指に染みるような熱さが缶から伝わってくる。熱を分散させるように手のひらの中で転がしていると、隣に丸椅子を引っ張ってきて座った竹輔は首を横に振る。
「いえ、僕の方こそすみませんでした。結局、周防を取り逃がしてしまいました」
「落ち込むな、どっちみち撤退だった……」
缶コーヒーのプルタブを開け、唇につけ傾ける。缶の熱さに対し中身はほどよく温かい。
頬に貯め、ゆっくり喉奥へと流し込めば、緊張していた筋肉がほぐれていくようだ。つい溜め息とともに言葉が漏れてしまう。
「俺は、芳乃を止めるべきだった」
こめかみを片手で掴むように目を覆う。真っ暗になった視界でミラーハウスの光景が再生される。
「俺自身も、過信した」
そうだ、過信した。
芳乃の能力はもちろんだが、自分自身についてもだ。
分かっていたはずだ。不利な状況だと思った時点で引き返すべきだった。
もしあの時、周防が刃物を持っていたら。
そして芳乃を殺す気だったら。
鏡の中で芳乃の腹に沈んでいく光る刃。
助けようと伸ばした手は鏡に阻まれ、近寄ることさえできない。
何が起こったのかと呆然とこちらを見る黒い眼から光が消える。
血溜まりに横たわる体を、ただ見ているだけか。
10年前の過ちをまた繰り返すつもりか。
慢心にもほどがある。
刑事の肩書きを持ってるだけの役立たずめ。
「そうですね」
小さく跳ねた背中を強めに二度擦られ、活を入れるように強く叩かれる。
「失敗を悔やむんじゃなくて、次どうするか考えろ」
真剣な声に手のひらから顔を上げれば、穏やかな表情で竹輔が待っていた。
「これは僕が尊敬する教官の言葉です」
一回言ってみたかったんですよぉ、と竹輔は照れたように人差し指で頬を掻いた。
「蕗二さんだけじゃありません。僕も過信しました。皆さんの事を信じていますが、甘えすぎたとも思います。だから一緒に次どうしたら失敗しないか考えましょう。そのための相棒じゃないですか?」
拳が差し出される。それに同じく拳をぶつけると、なんだか照れくさいが心強くもあった。
「そうやな」
手のひらで冷めつつあるコーヒーを飲み干す。それを見届けて、竹輔もコーヒーを一気に飲み干し、膝を叩いて勢い良く立ち上がる。
「さて! 診察も終わりましたし、まずは保護者の方に連絡しないとですね」
「いや、もう親御さんには連絡してある」
竹輔は鳩が豆鉄砲を食らったように、ぽかんと口を開けて瞬きを繰り返した。
「い、いつの間に……もしかして検査の時ですか?」
「ああ、言わなかったのは悪かった。ただ座ってるのも落ち着かなくて。留守電だったけど、警察って名乗ったから飛んでくるはずだ」
通話履歴を確認すれば、30分ほど前だ。そろそろ到着してもおかしくないかもしれない。
「失礼いたします」
突然かけられた声に、驚いた竹輔が立ち上がると同時に、カーテンを少しめくって、先ほどとは違う看護師が顔を出した。
「芳乃さんの保護者の方が来られてますが、お連れしてもよろしいですか?」
「はい、お願いします」
蕗二は素早く竹輔の手からコーヒー缶を預かって見えにくい場所に置いた。
竹輔が落ち着かない様子で身だしなみを整える中、蕗二はゆっくり立ち上がり、カーテンに向かい合う。
「失礼します」
と男性の声がカーテンの向こうから聞こえ、はいと返事すればカーテンが開く。
そこに立つ細身の男に、蕗二と竹輔は驚きを隠せなかった。
「加藤先生、なぜここに?」
8月、畦見の起こした無差別殺人事件の時、多田羅先生とともに犬猫の検視を担当してくれた獣医だ。偶然にも芳乃とは近所の仲で親しい間柄なのは知っているが、今ここに彼が現れた理由が分からない。
表情に漏れ出していたのだろう、加藤は顔に対して大きな黒縁眼鏡の奥で目を瞬かせ、気まずそうに小さく笑う。
「蓮のご両親からお願いされて来ました」
加藤はベッドに横たわる芳乃に近づく。顔を覗きこみ、瞼の上にかかる黒い髪をそっとよけて額に触れ、流すように後頭部までひと撫でした。
「蓮、大丈夫ですか?」
「迷走神経反射による失神を起こしているそうです」
竹輔の言葉に、眼鏡の奥で加藤の目が怒りを孕んで細まる。
蕗二はすぐさま踵をそろえ、背筋を伸ばして頭を直角に下げる。
「この度は誠に申し訳ありませんでした。彼が倒れたのは、私の不注意によるものです。大事に至らなかったとはいえ、ご心配とご迷惑をおかけいたしました。今後の再発防止に努め、治療費と慰謝料につきましては、誠心誠意対応いたします。後日改めて正式に謝罪と事情説明に伺います、本当に申し訳ございませんでした」
竹輔が同じく頭を下げる気配がする。
しばらくの沈黙。後頭部に加藤の重い溜め息が落ちた。
「そんなに謝られたら、怒るに怒れなくなるじゃないですか」
顔を上げてくださいと言われ、ゆっくりと頭を持ち上げる。向かい合った加藤は、困ったように眉を下げていた。
「蓮も無茶したんでしょ?」
蕗二が黙っていると、加藤は芳乃の顔に視線を落とす。
「前に2回倒れたことがあるんです。授業中と、通学の電車の中で。蓮は理由を言ってくれなかったけど、両方すぐに逃げられない状態で何かすごくストレスがかかることが起きて、SOSが出せなかったのかなと俺は考えてます。でも今回は刑事さんたちといて症状を起こしたのなら、蓮が何か無茶をしたのかなと……」
「加藤先生は」
芳乃をどこまで知ってる?
喉をついて出そうな言葉を、寸前で飲み込んだ。
芳乃が受けたストレスの原因は、ただひとつ。周防と対峙し、心を視たからだ。
おそらく、過去に倒れた時も誰かの心を視てしまい、身体に負荷がかかったのだろう。
親しい間柄であろう加藤に、芳乃が氷の眼についてどこまで教えているのかは分からない。能力を嫌悪している様子から、もしかしたら誰にも教えていない可能性さえある。
蕗二は喉奥に留めた言葉を唾とともに飲み込み、首を傾げて言葉を待つ加藤に向き合う。
「加藤先生、あなたは確か、芳乃のご近所さんでしたか?」
「ええ、はい。2軒隣に借り家があるんです」
「おひとりですか?」
「見ての通り、独り身でして。ああ、シグマがいるので二人暮らしですね?」
ふふっと微笑んだ加藤は、ふと蕗二を視線だけで見上げる。
「うーん。刑事さん的に、ちょっと仲良すぎるって感じですかね?」
はっとする。つい事情聴取みたいになってしまった。
「いや、そう言う訳ではなく」
慌てる蕗二に、加藤は思わずと言った様子で吹き出した。
「分かりますよ。職業病と言うか、染みついているものってありますよねぇ。俺も獣医ですから、つい癖で診察しちゃったりしてますから」
はははと軽快に笑っていた加藤が、はたと止まった。
「あれ? もしかして獣医って言うのも疑われてる? あっ、そうそう、今日はちゃんと持ってきたはず」
独り言ちた加藤は背負っていたリュックを抱え、フロントポケットを探る。
「今度会ったら渡そうと思って、最近は持ち歩くようにしてたんです」
取り出した艶消しの施された薄いアルミ製のケースから名刺を一枚抜き取り、差し出してきた。
名刺の半分下が青く塗られ、「バーナード動物病院」とかわいらしい文字で印刷され、その下に犬か猫の白い足形が横切っている。もう半分上の白い部分に「獣医師 加藤露草」と書かれていた。
裏面には病院への簡単な案内地図と住所、診察時間が印刷されていた。
「すみません、詳しすぎるなと思って、つい……」
「まあ、蓮との付き合いはもう10年くらいになるかな? 俺があそこに引っ越したとき、蓮はまだ小学生だったんです。蓮は両親が共働きで、昔で言う鍵っ子っていうんですか? 学校帰りにシグマを見に毎日家の前で立ち止まってるから、病院が休みのときは一緒に遊んでたりしてて、そしたらご家族さんからいつの間にかいろいろ頼まれることが多くなってて。俺も弟ができたみたいで、ついつい兄貴面しちゃったりするんです」
照れくさそうに笑った加藤は、慈しむように芳乃の手に右手を握り、温めるように擦った。
二人で大阪に旅行するような仲だ、血は繋がっていなくても兄弟のような関係だろうことは想像できた。
「芳乃が何か悩んでる様子ってありますか?」
「え? 悩みですか?」
しまったと口を押さえるが言葉は拾い戻せない。
「あ、いや、なんていうか、その……芳乃とは、雑談が続かなくて。もしかしたら思春期のそういう悩みがあったりするのかなって」
もごもごと言えば、加藤はうーんと唸る。
「蓮が悩んでることですか? クレーンゲームやりすぎて、部屋の一角がぬいぐるみだらけとか? いや違うな。たぶん身長かな? 根拠がないとかぶつぶつ言いつつも牛乳と煮干しを食べては、壁に貼ってある身長を測るポスターと背比べしてたから……あ、今のは秘密ですよ? 言ったら拗ねるから」
悪戯っぽく口の前に人差し指を立てた加藤は、瞬きの間に表情を引き締めた。
「俺も、刑事さんに質問してもいいですか?」
打って変わった低い声に、隣の竹輔が身を固くする。
「蓮とはどういう知り合いで? 警察が、ただの高校生を理由もなく連れ回すとは思えないけど」
眼鏡の奥から鋭い視線が突き刺さる。
いつか問われると思っていた。
何を話すべきか、どこまで言えばいいのか。もうはぐらかすことはできないと覚悟を決め、拳を握り込んだ時、加藤は突然目の前で両手を合わせて、頭を下げた。
「ごめんなさい、答えなくていいです!」
出鼻をくじかれ、言葉を見失った蕗二と挙動不審の竹輔に、加藤は申し訳なさそうに何度も頭を下げる。
「本当にすみません。ちょっと出来心で、いじわる言っただけなんです。実はこの前、蓮に刑事さんとは仲良いの? って探ってみたんですが、見事に話をそらされまして。聞かれたくないんだろうなと思っていますが、正直どうして警察と知り合っているのか気になってたので。でも無関係の俺が首を突っ込んでいくのもおかしい話ですよね」
照れたように笑う加藤に、気がつけば頭を垂れていた。
「申し訳ありません」
蕗二の旋毛に、加藤の微かに笑う気配を感じた。顔を上げるよりも先に静かな言葉が落とされる。
「謝らないでください。本当に蓮を心配しているんだったら、あなたを問い詰めるべきです。それをしない俺も、ずるい大人なんです」
自嘲を含んで笑う加藤に、蕗二は背中に冷や汗が伝い落ちるのをただ感じることしかできなかった。
加藤の言葉に、改めて【特殊殺人対策捜査班】の異常性を突きつけられた。
≪ブルーマーク≫という特異点を除けば、芳乃、片岡、野村は一般人だ。とくに芳乃は未成年者で、本来捜査にも関わらせるべきではない。
しかし、警察のトップから2番目の階級である警視監・柳本は独断で極秘部署を作った。≪ブルーマーク≫による犯罪を≪ブルーマーク≫を使って止めるという名目で三人を選出し、脅して協力させている。
芳乃も馬鹿ではない。極秘部署の事を話してしまえば、加藤を必要以上に巻き込みかねない。それを防ぐために、極秘部署の存在をはぐらかしている。だが、加藤もうっすらと勘づいているからこそ、こちらに直接問うことにしたのだろう。巻き込まれた側の被害者は脅されたりして言えないことがある、だからこそ巻き込んだ原因に聞くのが一番だ。
そして加藤は、さっきの一瞬で察したのだろう。俺たちの背後にいるより大きな権力に。
だから、目を逸らすことに決めたのだ。巻き込みたくないという芳乃の意思を尊重するために。
それに比べて、俺はどうだ。
心を視るたびに疲弊するのを分かっていて協力させ、あれだけ非協力的だったのに、いつの間にか小言ひとつで済ませてしまうほど、芳乃の意思を無視し、抵抗する気力さえも奪ってはいないか?
「ぼくは便利道具じゃありません」
いつかそう言った芳乃の言葉。
その言葉通り、芳乃に責任を負わせ、縛りつけている。そしてもう、今さら引くに引けないところまで連れて来てしまった。
「三輪さん」
びくりとする。反応してしまった体を押さえ込んだはずだが、獣医と言う職業ゆえなのか、些細な仕草を見落としてはくれなかった。
「俺はあなたを責めているわけじゃないですよ? 今回の件は、三輪さんだけが悪いわけでも、蓮が悪いわけでもないと俺は思います」
言葉の意味がよく分からず、窺うように見詰めると、加藤は口の端を持ち上げて小さく笑った。
「蓮は責任感が強いってわけじゃなくて、頼り方が分からないんだと思うんです。だからきっとこれからも黙って無理をすると思う。たぶんそうやって一人で解決してきたから。もし、三輪さんが蓮のことに責任を感じるのなら、頼っていいよって言ってやってください」
まっすぐこちらを見つめる加藤の視線から顔を伏せて逃げる。
俺にそんな資格はあるのだろうか。
「芳乃は、俺たちにもあんまり教えてくれることはありません。本当はこっちから一方的に信頼して勝手に信用してるだけかもしれません」
弱音を吐いてしまうが、加藤は怒るでもなく蕗二の言葉を吟味するように腕を組む。
「うーん、それについては本人に聞かないと分かりませんが、少なくても俺から見たら、皆さんのことは好きなんだと思いますよ? 蓮、本当に嫌だったら話題にも出しませんから」
ツンデレだからなあ、と芳乃の頭を犬でも撫でるようにわしわしと豪快にかき混ぜた加藤は、さてと、と声に出した。
「蓮の無事も確認できたので、病院に戻ります。うち、獣医が俺と院長しかいないもんで。ああ、蓮の親には俺から説明しておきますね。代わりに、三輪さんに蓮を預けるから、帰りは家までちゃんと送ってくれますか?」
肩にかけていたバックを背負い直した加藤に、踵をそろえて姿勢を正す。
「もちろん! 責任もって送り届けます」
「ははは、三輪さんは堅いなぁ。でも刑事さんが言うとすごく心強いね」
じゃあよろしくお願いします、と笑って加藤はカーテンを閉めた。
足音が部屋を出ていったのを聞き届け、二人そろって溜め息を吐き出した。
「びびったぁ……ご両親とはまた違う緊張感がありましたね」
「まあそうだな。でも味方なのは間違いない」
「ですね。加藤先生に見捨てられる前に、周防耕作を取っ捕まえないと」
竹輔はジャケットから液晶端末を取り出し、通知を確認する。
「芳乃くんが起きるのが先か、東検視官からの報告が先か。どっちにしても待たなきゃいけませんから、僕たちもちょっとだけ休憩しましょう。缶も捨ててきますね」
「ありがとう。ついでに売店で何か美味そうなもん買ってきてくれ、竹の分もこれで払っていい」
ポケットから銀色のマネーカードを取り出し、壁際に追いやっていた缶とともに渡す。竹輔は任せろと胸を叩いてカーテンの向こうに出ていった。
周防を取り逃がしたのを気負っていないか心配したが、軽快な足音とともに遠ざかる竹輔に安心する。握り込んでいた加藤の名刺を丁寧に財布の中へ仕舞い、椅子に腰かける。
ベッドの上、身動きひとつしない芳乃が不安になり、胸元を観察すれば穏やかに上下している。
視線を上げて顔を覗きこむ。加藤に撫でられて少し乱れた前髪の間から、伏せられ睫毛が覗いていた。
こうしてみれば、さらに幼く感じる。氷の眼に印象ばかりが先に擦り込まれているが、まだ16歳だ。俺が事件で父親を失った時の年齢よりも若い。
「頼っていいよって言ってやってください」
そうだ、そんな簡単な言葉さえもかけてやれてなかった。
加藤の言葉で気がつくとは情けないが、その通りだ。
心が視えるからと甘えてはいけない。口に出さなければ自由だが、保身的でもある。そして一度言葉にすれば取り返しがつかない。だからこそ自分の口で、自分の言葉で責任を持って伝える必要がある。
なんだか教えられてばかりだなと、堪らず苦笑し、点滴が一定の速度を保ちながら落ちるのを眺めていると、不意にジャケットのポケットの中で液晶端末が激しく震え始めた。
早く出ろと急かす端末を引っ張り出すと、画面には菊田の名前が表示されている。
通話ボタンをタップし、耳に押し当てれば、菊田の呼びかける声がした。
『聞こえてるか、蕗二くん』
「はい、三輪です。なにか」
問うよりも前に、菊田の焦った声が被せられた。
『箱詰めのご遺体が発見された。今すぐ来てくれ』




