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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 8 合わせ鏡のマグノリア
77/97

File:5 ハンプティ・ダンプティは突き落とされた

 

 17:44、練馬ねりま区。


 A.R.R.O.W.(アロー)が予測した場所に向かって車を走らせ続け、白い矢印の終わりで車を停止させる。

 車を降り、目の前にある建物たちを見上げながら、蕗二ふきじは疑問を吐き出した。


「遊園地?」


 入場ゲートは格子状こうしじょうの柵におおわれ、工事中の看板が立てられている。その向こうには、観覧車やジェットコースターのようなものも見える。

 だが、よくよく目をらせば、ブルーシートがかかっていたり、床に鉄パイプなどの資材や反射板の張られた蛍光色けいこうしょくのベストやヘルメットなどが置かれている。


「廃墟か? それとも取り壊し中か?」


 振り返れば、片岡かたおかが指先で眼鏡を押し上げた。


「いいや、正確には改装中だよ。ここには昔、『としまえん』という遊園地があったんだ。私がまだランドセルを背負っていた頃の話だがね」


 片岡は左手の端末からちゅうに展開している3つの画面のうち、案内終了と書かれた画面を上にスライドして閉じ、代わりに立ち上げたウェブ検索画面に片岡が「としまえん」と発音する。検索欄に文字が自動で打ち込まれ、すぐに検索結果が表示される。

 片岡は画面をもうひとつ追加で表示させ、ひとつは様々な遊園地のアトラクションの画像を、もうひとつには『としまえん』の概要を表示させた。


「土地の買収で閉園となってから他のテーマパークができたんだが、市民の反対や相次あいついだ自然災害での不景気の影響もあってそう長くは続かなかった。だから大規模防災公園もねて再度改装と言う形で再び遊園地を作ろうとしているんだよ。当時現役で稼働していた世界最古のメリーゴーランドが機械遺産として希少きしょう価値が高かったのもあって、それを展示する目的もあるようだけどね」


 木製の大きなメリーゴーランドの画像をながめていると、竹輔たけすけがうーんとうなり声を上げた。


「でも、なんでここなんでしょうか?」


 首をかしげる竹輔に、蕗二はわきに抱えていたタブレットを起動させ、周防すおう一家の個人情報を確認する。


「どうやら、親父さんの持ち家が近くにある。もしかしたら、周防すおう耕作(こうさく)は実家に潜伏せんぷくしていて、周防遊冶(ゆうじ)から連絡を受け、警察がまず探しそうもないような場所に移動した、ってところか?」

「確かに、遊園地に逃げ込むとはまず考えませんね」


 納得したとうなずく竹輔とは反対に、野村のむらが不満げに頬をふくらませた。


「でもさぁ、犯人が簡単に入っちゃったって事は、防犯システムが動いてないって事でしょー? ちょっと物騒ぶっそうじゃなーい?」


 野村の疑問に答えるように、片岡がああと声を上げた。


「それはね紅葉もみじくん、私が解除した。もちろんわざとね。そして周防耕作が入った後に、防犯システムを作動させた。つまり、ここから出ると警報が鳴るよ。ふくろのねずみとは、まさにこういうことだ」


 クックックッと喉奥で笑う片岡は、目の下の濃いクマのせいで悪人面あくにんヅラだ。あまりにもさまになっていて、これじゃあどっちが悪者か分からない。心配そうな竹輔と野村が見つめる中、不敵に微笑ほほえんでいる片岡に、芳乃ほうのが気だるげに手を上げた。


「じゃあ、ぼくたちも入れないですよね。いくら極秘部署だからとはいえ、不法侵入ふほうしんにゅうになりませんか?」


 芳乃の言葉に蕗二と竹輔はうなづく。捜査でどこか建物に立ち入る場合、警察は必ず所有者に許可を取る。だが今は時間がしい。ここは片岡に頼むほかないだろう。

 すると、片岡が突然手を叩いて声を上げた。


「あああ! それは困ったなぁ! 君たちは警察だぁ、私のような犯罪者予備軍がハッキングという犯罪行為を許すとは思えないッ。しかーし! 君たちが、もし目をつぶってくれると言うのならッ、私がちょちょいのちょいでこの入り口だけ防犯システムを解除しようじゃないかッ!」


 わざとらしい手振りとともに早口でまくし立てる片岡を、思わずひっぱたきたくなる。徹夜でハイテンションになっているのはわかるが、頼むからちょっと落ち着け。

 思わず周囲に人がいないか確認しつつ、拳にしてしまった手をポケットに隠す。同意を求めて竹輔に視線を向ければ、彼はコミカルな動きで肩をちょっと持ち上げて見せ、ぎゅっと目をつぶるとわざとらしく手で覆い隠してしまった。

 だめだ、竹輔もどっちかというと茶番ちゃばんに乗るタイプだった。

 横目で確認すれば、同じく茶番派の野村がにやにやと笑い、反応が楽しみだと言わんばかりにこちらを見てくる。その隣、芳乃はめんどうだから早くしろと冷たい表情でこちらを見ている。

 しぶしぶ、わざとらしく視線を遠くに向け、吹けもしない口笛を吹いて見せる。


 警察二人の姿にようやく満足したのか、片岡は宙に黒い背景に緑の文字でなにか英語や記号が並ぶ画面と、赤く色付いた地図を追加で展開する。赤い地図はどうやらこの遊園地のものらしい。地図が表示されている画面の右端にLOCKという赤い文字が7つ並んでいた。片岡が黒い背景の画面に文字を打ち込むと、一番上に表示されていたLOCKの文字が赤から緑へと変わり、地図の一番下の端が緑色に点灯する。


「さあ、できたよ諸君しょくん。ご入場あれ!」


 目の前の格子状こうしじょうさくが上に巻きあげられ、入場口の遮断器しゃだんきが開いた。

 中に入ると、赤い三角コーンに張り紙が無造作に張られ、手書きで「事務所はこちら→」と書かれていた。壁の色にまぎれるように閉まっているドアに手をかけると、何の抵抗もなく開く。外ゲートの防犯がしっかりしているからだろうが、驚くほど不用心だ。10人ほど入れそうな部屋の床には青いブルーシートが敷かれ、折り畳みの長机やパイプ椅子が並び、雑然とヘルメットやメガホン、工具や資材、コピー用紙、パソコンやプリンターなどが置かれている。


「そうだ諸君。ついでに防犯カメラもハッキングしてみたが、7つの出入り口にしかカメラは付いていないようだ。まあ、まだ建設中だから、取り付けるのは最後になるだろう。周防らしき人物が園内えんないに入った映像はあるが、出た映像はないよ」


 片岡が宙に展開している画面をのぞくと、防犯カメラの映像が映っていた。黒いヘルメットをかぶった人物がゲートを乗り越えている姿がはっきりと記録されていた。しばらくすると、ゲートがひとりでに閉まる。恐らくこの時に片岡が防犯装置を再作動させたようだ。片岡が映像に触れ、下に表示された白い横ラインをなぞる。映像は早送りされ、ふと蕗二たちの姿が映りこんだ。周防が侵入してから蕗二たちが到着するまでの間は10分足らずだ。そう遠くには行けないだろう。


「まさか園内を走り回ってるとは思えねぇ。どこかに隠れてるだろう」

「隠れられるような場所ですか?」


 なにか地図はないかと竹輔が机の上に視線を向ける中、片岡がひとり事務所の奥へと突き進む。

 事務所の奥の壁には大きなディスプレイが立てかけられていた。すると、片岡は何のためらいもなくかたわらに置かれていたノートパソコンの電源ボタンを押した。あっと言う間もなく、ブルースクリーンに白い文字で起動中と表示される。


「おい、勝手に触って大丈夫なのか?」

「セキュリティが甘い会社やシステムに詳しくない会社はね、いちいちパスコードを入力したり、パソコンを立ち上げること自体を面倒がって、スリープのままにしていることが多いんだよ」


 うんざりした顔で片岡が呟いた通り、とくにパスワードなどを求められることもなく計画表と書かれた予定表が映し出された。

 メリーゴーランドや、ジェットコースターなど複数の遊具に済のマークがついていた。


「身を隠すなら、屋根や壁、遮蔽物しゃへいぶつが多くある場所だろう。お土産屋はどうだね?」

「うーん、たな入れが終わってないからぁ、たぶん外から丸見えじゃなーい?」


 事務所の窓から外を覗く野村が指摘する。


「お化け屋敷はまだ着手ちゃくしゅされていないようですね」

「メリーゴーランドは隠れられないね」

「観覧車は個室だから意外と分からないかもよぉ?」


 片岡と野村と竹輔が次々と建物を指していく中、蕗二とともに一歩離れていた芳乃が一点に目を止めた。


「あそこが、一番隠れやすそうですね」


 芳乃が指差したのは、済と書かれた場所だ。ミラーハウスと書かれていた。

 蕗二は小さく首をひねる。何度か遊んだ地元の遊園地にはミラーハウスがなかったこともあり、どういうアトラクションなのかいまひとつ分からない。が、他のメンバーは納得したらしい、善は急げと事務所を出ていく皆の後ろについていく。


 入ってきた正面ゲートを背に左側へ駆け、足場の組まれた建物やブルーシートがかかっている遊具たちを横目に進んでいけば、ひとつの建物が見えてきた。

 MIRRORHOUSEと洒落しゃれた看板に、赤と白のストライプで塗装された派手な外装はサーカスのテントを思わせるが、外見だけでは中がまったく想像できない、室内型のアトラクションに間違いはないだろうが、お化け屋敷と似たようなものだろうか。

 蕗二が問うよりも先に、竹輔が右耳にワイヤレスイヤホンを装着して、ミラーハウスの裏側が見える位置に立ち、手を上げる。蕗二もジャケットのポケットからワイヤレスイヤホンを取り出し、電源を長押しして竹輔と同様に装着し、電話の通話モードではなく、無線機のようにボタンを押し込んでいる間だけ会話できるモードを選ぶ。


「テステス、こちら三輪、聞こえますかどうぞ?」

『感度良好、問題なしどうぞ』


 竹輔に見えるように手を上げれば、彼は親指と人差し指をくっつけてOKとサインをくれた。


「片岡、電気つけられるか」

「もちろん、本番さながらに点灯しようじゃないか」


 片岡が宙に展開した画面を操作すると、看板のライトが点灯し、受付や装飾のライトも華々(はなばな)しく光り始めた。

 にぎやかしい建物の前、蕗二は神経を張り詰め、物音や気配を探る。

 1分ほど待ってみるが、動きはない。裏を見張る竹輔にも動きはない。


「さすがに驚いて出てこないか」


 蕗二はイヤホンのボタンを押し込んだ。


「竹、俺は中に入る。そのまま見張りを頼むどうぞ」

『了解』


 ボタンから手を離し、こちらの様子をうかがう三人に視線を向ける。


「三人はこのまま待機してくれ。もし周防が出てきても捕まえようとするな、刃物を持ってる可能性も」

「ぼくも行きます」


 蕗二の言葉を遮り、芳乃が一歩近づいてくる。


「だめだ、中で周防に遭遇そうぐうしたら危険だ」

「直接、視て確かめたいことがあります」


 強い視線に思わず口をつぐむ。

 周防の勤務先で遭遇した双子の兄・遊冶ゆうじを見て、なぜか「視えにくい」と言っていた。それから芳乃は考え込んでいるところから、何か仮説を立てているのだろう。蕗二は建物を見上げる。どういうアトラクションか分からないが、自分が先陣を切れば芳乃だけでも逃がすことはできるか。

 蕗二は眉間をまみ、深く息を吐き出す。


「わかった、離れるなよ」


 受付の前を通り抜け、深緑のカーテンを潜り抜けると、一人しか通れないほどの狭い廊下が現れる。床と壁と天井をぐるりと繋ぐ蛍光グリーンのLEDライトが等間隔に並んでいて、時々奥に向かって波打っている。歩いて進めば光の動きのせいか体が加速するように感じる。

 歩いて5mほどだろうか。不意に光の線が無数に立ち並んだかと思えば、いきなり人影が現れた。

 周防か! と拳を固めて身構えると向こうも同じ、いや左右対称の姿で身構えた。

 目の前に驚いた顔の蕗二と、その姿に怪訝けげんな視線を向ける芳乃がいた。


 冷静に周囲を見渡し、気がついた。薄暗い室内一面に鏡が立てられている。なるほど、迷路に鏡が置かれている単純でアナログなアトラクションのようだ。だが、鏡には少しずつ角度がついているらしい、自分と芳乃の姿がいろんな角度で浮かんでいた。また、鏡の両端に取り付けられた蛍光グリーンの光が映り込んでいて、それが反射を繰り返しているせいで、無限に光の線が並んでいるように見える。錯覚さっかくだ。頭では分かっているが、無限に広がる空間に感覚が狂わされていく。

 振り払うように短く息を吐き、進もうとして体が反射的にびくりと止まる。

 避けたはずの鏡が目の前にある。進んでははばまれ、進んでは阻まれ、ますます混乱する。

 たまらず手を前に突き出して鏡を確認しながら恐る恐る動くしかない。


「何やってるんですか? こっちですよ」


 芳乃は躊躇ためらいもなく歩みを進める。慌ててその背中を追ったはずが、なぜか鏡にぶち当たった。


「おい、おいッ! 待てって! コツとかあるんだろ? 教えろよ!」


 芳乃が振り返ると、あわれむような表情で溜息をついた。


「こういう時だけ下手に頭が働きますね? 目を頼りすぎですよ、あなたならかんの方が強いと思いますけれど」


 芳乃が近づいてきた。と、後ろからそでを引かれ、たまらず体をねさせる。どうやらさっきまで向き合っていたのは虚像きょぞうだったらしい。

 本物の芳乃の黒い眼を見て、蕗二は胸をで下ろした。


「目に頼るなって……目でもつぶれって言うのか?」

「そんな事したら置いていってやりますよ」


 袖を強く引かれる。散歩の犬のように大人しく後ろをついていきながら、握り込んだ拳の中にじっとりと汗がにじんでいく。

 芳乃を守るために前へ出るつもりだったが、まさかの事態だ。芳乃がいなかったら周防を探すどころではない。いやそれ以前に、ここは竹輔に任せた方がよかったかもしれない。羞恥しゅうちと後悔が頭をもたげ、らしくもない弱気なことを考えてしまうのは、鏡が途切れてはへっぴり腰の情けない自らの姿が次々と映り込むからだろうか。

 芳乃は何か違いが分かるのか、一度もぶつかることもなく進んでいる。

 目をらして見分けようとするが、くもりもない鏡の中からこちらをじっと見つめる強面の男が映るだけだ。

 時々、仕掛けとして映り込んだ虚像が横に広がったり、縦に伸びたりするときもあり、いっこうに慣れる暇がない。

 くねくねと曲がっていて、同じところを回っているような気もするが、一体どこまで進んだのだろう。

 不意に大量の虚像が横一列に並んだ。さきほどまでは角度が付いていたが、今度は合わせ鏡になっているのか、無限に横へと広がる空間にげんなりとする。

 さっさと抜けてしまいたいという心が盛大に漏れてしまったのか、芳乃の袖を引く力が強くなる。

 やや早足に歩きながら横をついてくる無数の自分を眺めていると、ふと鏡の中の一人だけが動いた。

 いや、違う。

 一枚だけマジックミラーが混じっている。

 鏡の向こうに映る黒い背中は防犯カメラで見たものだ。

 鏡の裏に潜んでいるのだ。


「周防ォ!」


 蕗二は躊躇いを捨てて床を蹴る。しかし向こうの方が一歩早かった。

 合わせ鏡の領域区域ゾーンを抜け、黒い背中に手を伸ばす。が、はじかれる。鏡だ。


「クソッ、なんで!」

「刑事さんこっち!」


 すぐに引き返し、芳乃の背を追う。

 角を曲がり、そこでなぜか鏡にはばまれた。

 右に行っても左に行ってもなぜか鏡にぶつかる。

 あせれば焦るほど、自分が向いている方向さえ分からなくなる。


「犯人は、あなたですよね」


 芳乃の声に振り返れば、鏡の中、芳乃の横顔が鋭く前をにらんでいた。

 視線の先に、ヘルメットを被った男の後姿が見える。


「学生か? 探偵ごっこでもやってるのか?」


 あざける言葉とは逆に、いつでも動けるように構えられた姿勢は、芳乃を警戒している。


「答えてください、あなたが犯人ですか」


 周防は答えない。芳乃が瞬きもせず見つめたまま、左手を持ち上げた。

 指が鼻にかかったところで、ふいに周防が体勢たいせいいた。


「その眼、いいな」


 周防がヘルメットのカバーを持ち上げた。途端に芳乃が弾かれたように一歩下がる。

 蕗二の位置からはまだ周防の背中しか見えない。だが、鏡に反射する芳乃の表情だけは見えた。

 ヘルメットの奥から目が離せないのか、潮が引くように顔から血の気が引いていき氷像ひょうぞうのように固まっている。


「濁ってなくて、夜の闇よりも黒いのに、奥は青く光ってる」


 周防が大きく一歩踏み出し、ひゅっと芳乃の喉が鳴った。


「芳乃! 目を閉じろ!」


 周防がこちらに振り返る。ヘルメットの間から目が合った。その目が細まり、弧を描く。

 蕗二は鏡が震えるほどの咆哮ほうこうを上げ、鏡を突き破るつもりで突進する。

 すると驚くほどぶつからずに前に進み、急に視界が拓け、床に芳乃が倒れていた。


「芳乃!」


 横向きに倒れる体におおい被さり、すばやく体を確認する。血の臭いや濡れた感覚はない。首筋に指先を沿わせれば、規則的に動く脈を確認した。

 すぐさま蕗二は右耳のワイヤレスイヤホンのボタンを押し、返事よりも前に吠えた。


「周防が出る! 追え!」

『はい!』


 竹輔の返事とともに通話が切れる。

 芳乃の体を仰向けに変え、もう一度首元に手を添える。左手の親指と人差し指で首を挟むように添え、両側の脈を、右手で右手首の脈を確認する。どちらも同じ拍動を掴めるが、返しが浅く脈拍もやや遅い気がする。それに触れている首筋がしっとりと冷たい。

 羽織っていたジャケットで体を包み、袖を胸の前で結ぶ。首が動かないようにそっと、しかし素早く上体を起こし抱え込んで肩にもたれかからせ、膝裏に腕を通し横向きに抱えあげる。

 道を戻り、先ほど周防が潜んでいた場所に向かう。

 行き止まりの壁、その鏡に透明なシールでSTAFF ONLY(スタッフオンリー)と控えめに貼られていた。行き止まりだと言う思考に反抗して、体は勝手に動いていた。芳乃をかばうように背中で鏡を強く押すと、あっさり向こう側に開いた。勘は当たった。室内型のアトラクションには必ず緊急脱出用の非常出口が必ず設けられている。

 足元をわずかに照らす黄色い光と、コンクリート打ちっぱなしの狭く薄暗い通路を走っていると、右耳のワイヤレスイヤホンから突然『強制通話を開始します』と女性の声が聞こえた。A.R.O.W.W.だ。すぐさま片岡の声が鼓膜を叩く。


『警部補、悪い知らせだ。防犯アラームが作動した。それに、他の警察も周防耕作の≪ブルーマーク≫を感知して、ここに集結してきている』


 やはりか。頭の片隅で予感はしていた。


「わかった、全員で撤退てったいする」


 真っ直ぐな廊下、数メートル先で行き止まりだ。非常出口の標識の下にドアがある。

 ドアノブの上に、暗証番号を打ち込むパネルが見えた。施錠中せじょうちゅうを示す赤いランプがついている。


「片岡、開けろ!」


 声に反応するようにすぐさま甲高かんだかい電子音が鳴り、パネルのLOCKの赤い文字がUNLOCKの緑の文字に変わる。

 自動でドアが向こう側に少しだけ開いた。足で蹴り押し、廊下を突き進む。

 進むにつれ少しずつ明るくなっていく廊下の先、最後のドアは蕗二が指示を飛ばす前に向こう側へ開いた。

 勢いそのまま飛び出す。光に一瞬目がくらんだ。一瞬強く目をつぶり、力を入れて目を見開くと、目の前で片岡と野村が驚いた顔でこちらを見つめていた。


三輪みわっち、れんくん!?」

「中で何があった?」

「周防に遭遇そうぐうした、芳乃が何か視たらしい……竹は?」


 姿の見えない相棒を視線だけで探せば、野村がゲートの方を指差した。


「周防耕作を追いかけてあっちに」


 そうだ、周防を追っているはずだ。竹輔を呼び戻さなければ。

 膝をついて、芳乃を抱えたままイヤホンのスイッチを押して呼びかける。向こう側から上がり切った呼吸音が聞こえた。


「竹、止まれ! 追跡中止だ」

『すみま、せん、見失いました』

「もういい、深追いはするな。他の捜査員がここに到着するらしい。鉢合わせると厄介だ」

『分かりました、戻ります』


 片岡がふと人差し指に嵌る指輪型端末を二回叩いた。イヤホンから短い電子音が鳴る。


「割り込み失礼するよ。坂下巡査部長、携帯のGPSをオンにしてくれたまえ。途中で拾おう」

『ありがとうございます』


 通話が切れる。


「さあ、急ぐぞ諸君」

「ああ」


 腕の中、ぐったりと力の抜けた体を確かめるように抱え直し、走り出した片岡と野村の背を追いかけた。







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