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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 8 合わせ鏡のマグノリア
73/97

File:2 名無しの森の小鹿の正体

 


 廊下から駆け足で近づいてくる足音に顔を上げると、ドアが勢いよく開いた。


「やっほー! 三輪みわっち!」


 会議室に漂う陰鬱いんうつな空気を吹き飛ばす声は、廊下の端から端まで響き渡る勢いだ。

 慌てて全開になったドアを締める竹輔たけすけをよそに、野村のむらは両手を合わせ、わざとらしいしなをつくる。


「なんかすごーく変わった死体って聞いて急いできちゃった! すごく楽しみにしてきたんだからぁ、早く見せて見せて!」


 きらきらと目を輝かせる様子は、食べたくて堪らなかった話題のスイーツを食べるために長距離を移動してきたようなテンションだが、相手は死体なのだからどう反応すべきか毎度悩む。

 とはいえ、さすがに半年ほど経って慣れてきた。蕗二ふきじは準備万端と長い机の前に野村を案内する。

 白く長い机は表面がディスプレイをねていた。そこにすでに大きく映し出された画像を見て、野村は大きな歓声を上げた。


「わーお! 透明標本じゃーん! すっごーい!」


 机に飛びつくやいなやじっくりと画像をながめ、さらに拡大して隅々(すみずみ)まで目を通していく。


「やっぱり分かるのか」

「もちろーん! 私の大学の研究室でもやってるもん。私は本剝製ほんはくせいメインだけどぉ」


 すべての写真を一巡見終わって、勢いよく顔を上げた。


「ね、ね、三輪っち、これ本物は見れないのぉ? 見たい見たい、ちょー見たい!」

「ああ、すまん。今回のは科捜研に回されて、もう本部にはない」


 すると野村は関節が外れたのではと思うほど肩を垂らし、唇をがらせて机にしなだれた。


「そっかぁ、本物見たかったなぁ……人間規模なんて見た事ないもーん」


 頬をふくらませてしょぼくれる姿は、おもちゃを買ってもらえなかった子供のようだ。

 だが彼女の下に映っているのはどう見てもご遺体なのだが。

 蕗二はおのれと野村の気持ちを切り替えるために、机を2回ノックする。


「なあ野村。そもそも、その透明標本ってやつは何のためにやるもんなんだ?」


 美しい標本と言われているそれは、元は何かしら観察するための物だと思うが、まさか芸術のためだけに生み出されたものではないだろう。


 蕗二の疑問に野村は体を起こして、人差し指を頬に当てると、言葉を選ぶように視線をちゅうに向ける。


「うーんとねぇ、骨格が取り出せない場合に使うんだけどぉ……ほら、理科室とかで人の骨の標本があったりするでしょ? あれが骨格標本なんだけどねぇ? あれは骨を見るための物でぇ、作るにはまず骨を取り出すんだけどぉ、小魚とか幼体ようたいは骨が小さかったりもろかったりして骨がバラバラになっちゃうことがあるのぉ。ちまちまピンセットで解剖かいぼうするのも大変だしー? あと軟体なんたい動物とかはまず骨がないしー? でね、この透明標本にすれば、筋肉が透けて軟骨なんこつが青く硬骨こうこつが赤く染まって、簡単に観察できるんだよぉ」

「犯人は、人間を観察するためにやったわけじゃないだろ?」

「うーん、人間を全身透明標本化する意味はあんまりないかなぁ? 脳とか部分的に透明化することはあるんだけどぉ」

「透明化の手順は、どんな感じなんだ?」

「えーっとねぇ、まずホルマリンで『検体』がくさらないようにホルマリン固定するでしょ? そのあと、透明化の見栄えが悪くならないように、内臓と皮膚をいでぇ、エタノールで脱水して、アルシアンブルーで軟骨を染色して、ホウ砂で中和してからトリプシンで透明化させてぇ、アリザリンレッドで硬骨を染色したら、余計な染色を取るためにもう一回透明化してぇ、で最後に体から液体をグリセリンに置き換える作業があって、最後はグリセリン100%と防腐剤のチモールを加えて容器に入れて完成ぇ! って感じ?」


 料理のレシピを語るように淡々と語る野村に、蕗二の眉間のしわを深くなり、竹輔はだんだん青ざめていく。


「薬品が何種類もあるんだな」

「うーん、端折はしょったのもあるけど10種類くらい? 代替品だいたいひんもできるけど、完成度を上げようと思ったらちゃんとしたのをそろえた方がいいよねぇ。でも、試薬の取り扱いには資格だっているしー、『検体』の下処理も丁寧ていねいにやらないと出来栄えが悪くなっちゃうから手も抜けないよねぇ? あとはぁ、『検体』によって染色条件が変わるから、作ってる途中で何回も様子を見ないといけないねぇ? 染め過ぎたら真っ黒けになっちゃうし、漬けこんでる薬品も汚れるからこまめに変えたり、作ってる環境条件とか季節によっては温度管理もしないといけないから、薬液を作って死体をどぼーんって漬けてほったらかしもできないし、すーごく手間がかかるんだよねぇ」


 困った表情で溜息をつく野村に、顔面蒼白がんめんそうはくの竹輔が震える指先で画像を指差す。


「って、ことは、つまり、その……犯人はご遺体を加工中、近くでずっと出来栄えを見てるってことですか?」

「うん、そうだねぇ? 透明骨格標本はぁ、指一本くらいの小さい奴でも1ヶ月くらい平気で時間かかるからぁ、人間規模を作ろうとするともっとかかるかもねぇ?」


 のんびりと語られる事実に、竹輔がついにハンカチを口元に当てて視線をそらした。


「1か月も一緒にご遺体と同居してるなんて、そんなの、正気じゃないですよ」


 竹輔たけすけの横顔を不思議そうに見ている野村のむらの隣、蕗二ふきじは深く頷いた。


「ああ、≪マーク判定≫でかなり高い数値を出していてもおかしくないだろうな。野村、その透明標本を作る時に必要な薬品名、全部リストに出せるか?」

「もちろーん、まかせて!」


 野村は画面を右から左へとスライドさせる。大きく映っていた画像は小さく縮小され、デスクトップが浮かぶ。野村はすぐに文章作成ソフトを呼び出し、タッチパネルのキーボードで文字を打ち込んでいく。

 ホルマリン、無水エタノール、トリプシン、氷酢酸(ひょうさくさん)……と次々にリストアップされる薬品に、ほとんど覚えはない。


「ぶっちゃけ、ほとんど毒劇法どくげきほうで入手規制されてる薬品ばっかりだからぁ、無免許じゃあ絶対に手に入らないんだけどぉ」

「それなら、個人で購入してる奴、しかも大量に購入している奴をチェックしたら足がつきそうだな」


 できたよぉ、と野村が画面から離れた。すぐに文章を保存し、画像に置き換えて液晶端末へ飛ばす。

 蕗二と竹輔の端末が震え、届いたことを知らせた。

 ハンカチで口元を押さえていた竹輔の背を叩いて座るように促すが、竹輔は首を振ると気を取り直すように深呼吸して端末を操作し始める。


あずま検視官に、リスト送ってもいいですか?」

「ああ、もちろん。約束だし、これでボコボコは回避だな?」


 蕗二は自分の顔を殴るふりをすれば、竹輔が小さく笑う。顔色は悪いが素早く端末を操作し始めた竹輔を横目に、蕗二は片岡へとリストを送る。その間、手持無沙汰てもちぶさたになった野村は、机に両肘をついて再び画像をながめていた。



「あ、そうそう。この試薬ねぇ、すごーくお金かかるんだぁ。試薬の中には1グラム3万円くらいするやつとかもあるしー?」


 蕗二の動きが止まる。


「え? 1グラム何円(なんぼ)って?」

「安くても3万。メダカ一匹染色するのに、10万円くらいかなぁ?」

「はああああああああああ?? メダカいっぴき10万!? 高ッッッッ! なんやそれアホちゃうか!?」

「でしょでしょ? めーっちゃ高いのぉ。ぶっちゃけ自分で作るよりも完成品かった方が安いもん?」


 竹輔と入れ替わりに青くなった蕗二を気にする様子もなく、野村が見ていた画像の中から3つ選んで並べた。それぞれ3件のご遺体の画像だ。


「だからかな、3つともできが違うんだよねぇ。1番目はすごく慎重しんちょうだったのかなぁ、色もはっきりしてるから丁寧ていねいだなぁって感じ。だけど、2番目は試薬ケチったのか、前の使いさしの古い試薬を使ったのか、アルシアンブルー染色にムラがあるんだよねぇ。透明化もちょっと足らないしー……うーん、ぶっちゃけざつぅ? で、3番目はすーごく綺麗なの。pH管理もまめにやってたんだろうなぁ、文句なしの完璧!」


 3つの画像を拡大してはうんうんと頷く野村に、メールの送信が終わったのか、竹輔が液晶端末から顔を上げた。


「東検視も、2件目は雑な気がするって言ってました」

「やっぱりー? さっすが東っち!」

「と言われても、どれも同じに見えるけどな」


 ご遺体を見比べてみるが、何がどう違うのか全く分からない。竹輔も首を左右にひねっている。

 二人の反応に、野村はつまらなさそうに口をとがらせた。


「うーん、わかる人は解るんだけどなあ。あ、そういえば、東っちは来ないの?」

「ああ、捜査会議に出席するのに忙しくてな」

「そっかぇ、東っち偉い人だもんねぇ。でもなぁ、東っちがいたら絶対分かってくれるのになぁ。そしたらいっぱい語れるのに……」

「わかる人」


 ふと引っかかる。蕗二は腕を組んで、東の言葉を思い出す。

 衝動的で被害者を襲うほど我慢ができない、自己顕示欲じこけんじよくが強く目立ちたがりで自己主張が激しい奴。


 1件目の犯行は丁寧だった。それで自信がついたのか、2件目は見せつけるように大衆の目に触れる場所に置いた。しかし作りは雑だと野村は言う。

 しかも事件はあまりにもるいを見ない事件で、厳重な緘口令かんこうれいを敷かれて隠されてしまった。

 犯人は不満なはずだ。

 もっと主張を激しくしてもおかしくない。

 だが3件目は人目がないような場所に、まるで隠すように置かれていた。

 手間と金をかけて作ったにも関わらず、予想とは違いニュースにも取り上げられなくて自信を失ったのか。

 だったら、もう二度とやらないのではないか?

 なぜ、また同じ犯行をした?


「そうか! 分かったぞ!」


 突然声を上げた蕗二に、竹輔と野村が画像から顔を上げた。


「蕗二さん、もう違いが分かったんですか?」

「違う違う! 標本じゃなくて、犯人だよ。犯人は警察に見てもらいたかったんだ!」

「えっ、どういうことですか?」


 眉をひそめる竹輔に、蕗二は人差し指を立てる。


「今回の犯人は、わかる人に見せたかった……つまり、警察に見せるつもりだったかもしれない」

「警察に? どうしてまた?」

「正確には鑑識だ。警察はありとあらゆる事件に関わる。言ってみれば検死のプロ、死体を見ることを合法とされているのは警察だけだ。もし鑑識が分からなくても、捜査協力として大学とかいろんな場所に解剖の依頼ができる。より多くの専門家が見るだろ? つまり、透明標本の出来栄えがちゃんと解る人にたどり着く」


 同意だと野村が嬉しそうに手をたたいた。


「あー! すっごい分かるぅ! だって、解んない人に見せたってフーンって感じだもん! 上手にできたらちょっと自慢したいし、共感してほしい!」

「なるほど! それなら今回の遺体遺棄場所の意味も分かりますね!」


 ハンカチを握りしめる竹輔に、蕗二は力強く頷いた。


「気が早いかもしれないが……周防耕作の周辺を聞き込むぞ」


 足早に部屋から出ようとする蕗二の腕を、竹輔がつかんで引き止めた。


「待ってください、蕗二さん! いくら何でも早すぎます。あんまり証拠がそろっていない状態で周辺と接触すれば、被疑者に警察が近くにいるとバレて逃げられるかもしれません」

「いいや、逆だ。10年も捕まってない犯人だからこそ、すぐにでも追わないと逃げられる」


 確かに2件とも証拠不十分で、逮捕までにはいたらなかった。

 だがもうすでに3件の犯行が行われている。材料の準備などを考えて、次の犯行まではまだ時間があるはずだ。これ以上の犯行は何としてでも阻止そししなければいけない。


「10年前とは違うのは、【俺たち】がいることだ。絶対に解決するぞ」





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