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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 8 合わせ鏡のマグノリア
71/97

File:1 鏡の国の虫たちの標本

 


 10月2日木曜日、AM8:19.

 警視庁。6階資料室奥。



 相変あいかわらず狭い部署で、蕗二ふきじは体を小さくたたんでちまちまとパソコンを操作し、メールをチェックしていた。静かだったこともあり段ボールの壁の向こう、ドアのロック解除音がよく聞こえた。


「おはようございます」

「おはよう。竹、さっそくだけどメール転送したからチェックしてくれ」


 竹輔たけすけはリュックを置いて、すぐノートパソコンを開いた。


「えーっと、再来週の土日に秋の交通安全運動ですね。もうそんな時期でしたか」


 文章に目を通しながら、竹輔はリュックの中から液晶端末やコーヒータンブラーを机の上に並べていく。


「アンケート回収と回答のデータ入力と抽出ちゅうしゅつ……春と一緒ですね」

「あとチラシ配りだな。会場設営の助っ人の件は、また現地集合でいいか?」

「はい、もちろん」


 蕗二はパソコンのカレンダーにイベント予定を打ち込み、液晶端末のカレンダーにも予定を打ち込む。あまり詳しく書くと、もしも端末を落としたときに情報漏洩じょうほうろうえいになるので、イベントの文字だけだが。

 予定追加の文字を指先でタップしたところで、あっと竹輔が声を上げた。

 なんだと顔を上げれば、竹輔が蕗二の手元を指差していた。


「蕗二さん、端末変えたんですね!」

「ああ、やっぱ慣れてる奴がいいな」


 大阪の一件で長年愛用していた液晶端末は無残にも壊れてしまった。かろうじてデータを回収できただけ奇跡だろう。応急処置で購入した安いのが売りの液晶端末はシンプルで扱いやすかったのだが、いかんせん一度高性能の物を使っていると不便さが目立ってしまって、結局以前使っていたシリーズを再購入してしまった。

 まだ傷の入っていない表面を撫で、ふと竹輔の手元を見れば、同じく真新しい端末を持っている。


「なんだよ、竹も変えたのか」

「新しいシリーズが出たのでついつい」


 よほど買い替えたのが嬉しいのか、よく見えるように差し出してくる。確かCMでは新しいシリーズは和の色をモチーフに4色しているとか宣伝していた気がする。竹輔は深く落ち着いた緑を選んだようだ。


「確かそのシリーズって、片岡が付けてる指輪型もあったよな。竹はあれにしないのか?」

「あれはまだ海外でしか販売してないんですよー」

「そうなのか。でもそのうち日本にも入ってくるだろう? その時は買うのか?」

「いやー、憧れなんですけど、僕はまだ使いこなせそうにないので……あと指短いから似合わなさそう」


 指輪がはまっている姿を想像しているのか、手のひらを広げたり裏返したりする竹輔の指をながめる。


「竹って、案外見た目とか気にするよな」

「そりゃあ、どうせならカッコいい方がいいですけど、着たいのと似合うのは別なんですよー」

「え、そうなのか。機能性しか気にしたことないな」

「蕗二さんコーディネイトしたら絶対カッコいいのに。あ、ちょっと足組んでみてください」

「ええー?」


 真新しい端末を構える竹輔の前、わざとらしく足を振り上げてから足を組んでみる。


「スマイルが足りないですよー、ほら笑って笑ってー」


 照れくさくて、わざと変顔を作ってみる。するとパシャシャシャシャシャと連続した電子音がした。


「なんで連写やねん!?」

「あっ、しまった! ビデオにすればよかった」

「余計あかんわ!」


 液晶端末を取り合っていると、突然の大きな電子音に二人して飛び上がる。

 蕗二と竹輔の間、一台だけ置かれている固定電話が鳴っていた。怒鳴りつけるような大きな音と、早く取れと画面を光らせている電話を取ったのは竹輔だ。「はい、坂下」と答え、だがすぐに保留ボタンを押して、受話器を蕗二に向けた。


「蕗二さん、3番に総務課そうむかからです」

「総務? 俺なんかやったか?」

「いえ、どうやら外線がいせんだそうですよ?」

「外線?」


 この『特殊殺人対策捜査班』に配属されてからは、極秘部署と言う事もあり、警視庁内でも俺と竹輔の連絡先を知っている人は刑事部の上司である菊田きくたと、鑑識の桑原くわばらと検視官のあずま、そして【特殊殺人対策捜査班】創設者の柳本やなぎもとだけだ。さらに今どきは個人の携帯があり、知り合いであればわざわざ警察署にかけてくることなどあり得ない。

 不審に思いつつ受話器を受け取り、緑色に点滅する3番目の内線ボタンを押す。


「はい、三輪です」

『おはようございます、総務課の森です。お電話が入っています、5番をお取りください』


 誰からかたずねる間もなく、通話が切れた。とっとと電話を替わりたいのもあるのだろうが、あまりにもそっけなさ過ぎて、思わず受話器を見つめてしまったほどだ。

 電話機を見ると、外線の5番が赤く点滅している。

 取りたくない。

 本能的な部分が拒絶している。この手のかんは、なぜかよく当たる。嫌な予感だ。

 緊張でわずかに汗がにじてのひらをズボンにりつけ、意味もなく受話器を握り直す。ひと呼吸、大きく深呼吸してから外線5番の赤く光るボタンを押した。











 足立区。AM9:05.


 車では通れない細い道がくねくねと続いている。

 飲み屋が多いのだろうか、壁から好き勝手()える看板に頭をぶつけそうになる。

 シャッターが閉まったままのすたれた建物も多く、都心の華やかさとは似ても似つかない。あまりにも違い過ぎて、同じ東京とは思えない場所だ。


「そういえば、竹って足立区に勤務してなかったか?」

「僕は川向こうの千住せんじゅあたりが管轄かんかつでしたので、ここらへんはあんまり……」


 竹輔が声を詰まらせた。すれ違いざま、作業着姿の男に肩をぶつけられたようだ。

 男は何か言いたげにこっちを振り返るのを蕗二がひと睨みすると、ぶつぶつ文句を言いながら去っていく。


「大丈夫か」

「すみません、避けたつもりだったんですけど」

「じゃあわざと当たりに来たか、たちが悪いな」


 舌打ち交じりに端末を起動し、KOMOKUTEN(こうもくてん)のアプリを立ち上げる。

 予想通り、ここら辺は昼間にしては犯罪発生率が89%とかなり高い。詳細を見れば、暴行やスリなどの窃盗も多発警戒地域だ。夜になればもう少し数値が上がる予報も出ている。

 そんな物騒な場所で、その男は似つかわしくない顔で待っていた。


「お久しぶりでーす!」


 颯爽さっそうとした笑顔で帽子を取る青年・竜胆りんどうは、蕗二が紹介するよりも早く竹輔に名刺を差し出した。


「どーも、サニースマイルの竜胆です。どうぞどうぞ名刺だけでも」


 竹輔は両手で受け取った名刺の文字を驚いたように見つめ、目を丸くしたまま竜胆の顔を見る。


「特殊清掃……お掃除屋さんですか。初めて見ました」


 蕗二が竜胆と初めて会った時と同じ反応だ。そして竜胆も同様にこやかな笑顔を浮かべている。


「あんたも災難だな。いくら仕事とはいえ、遺体ホトケさんと会いたくないだろ?」

「仕事柄、おいする確率は五分五分ですね。僕らが呼ばれるのは基本、後片付けなので」

「今回は違ったのか」

「ええ、普通のハウスクリーニングの予定だったんですけど」


 帽子を被り直した竜胆は、さあこちらへと指をえた手で路地を差し、先導する。

 どうやら現場は、狭い一歩通行の交差点の角に立つこの建物らしい。二階建てのコンクリートでできた建物は、一階部分が店だったようだが、看板はペンキがかすれて読むことはできない。二階部分は住居になっているようだ。築年数が古いのだろう、取ってつけたような屋根もない急角度の赤く錆びた鉄骨階段だけが、二階へ通じる唯一の通路らしい。一段上がるたびに薄い鉄板が振動するのが足裏に伝わる。

 ふと、蕗二は竜胆の背中に声をかける。


「そういや、あんた。俺の名前よく覚えてたな?」


 名刺を受け取りはしたが、こちらから名刺は渡していなかったはずだ。

 振り返った竜胆は開いているかどうか分からない細い目をほんの少し見開いていた。しかしすぐに弧を描くと軽快な笑い声を上げた。


「やだなぁ、刑事さん。僕だってぼんやり立っていたわけじゃないんですよ? あと、原宿はらじゅく署のたちさんと言う方から御贔屓ごひいきついでに聞いちゃいました」

「あの野郎……」


 思わず目の端が怒りで痙攣けいれんする。

 たしか5月、市谷紫音いちたにしおんが起こした完全殺人事件でたまたまった、やたらと記憶力の良い部下を連れていたあのいけ好かない原宿署の刑事だ。

 警察と言う役職上、一般人に頼りにされることは多々ある。その中には警察が対応できない案件、たとえば近所トラブルやごみのルール違反などは自治体や市役所がけ負うような相談や恋愛や就職などの超個人的な相談もされることがある。刑事とは言え人間だ、対応するのにも限界がある。だから、刑事は捜査に集中できるよう、むやみやたらに名刺を配ったり、意味もなく同僚の名前を教えたりはしない。適当にはぐらかすか、教えられないと跳ねのけるべきだ。だが、あの男は分からない。たがたんに嫌がらせの可能性もある。


 溜息ためいきを吐き出す蕗二に、竜胆りんどうは申し訳なさそうに肩をすくめた。


「今回も舘さんに通報した方がいいかな……とは思ったんですけど、いや僕もちょっと初めて見ると言いますか、変わっていると言いますか。ふと刑事さんのことを思い出したので電話しちゃいました。突然ですみません」

「いや、それは構わないが……変わってるって?」

「うーん、見てもらった方が早いと思います」


 階段を上がり切ると、これまた取ってつけたような鉄製のドアがひとつあった。

 竜胆は作業服のポケットから鍵を取り出す。


「あ、ここの管理人さんですが、中のものを見て気分が悪くなって帰ってしまって……連絡先はうかがってるんですけど、やっぱり呼んだ方がいいですか?」

「いや、改めて俺たちから伺う。それより、発見時の状況を聞いても?」

「今の状況とまったく一緒ですね。見積りを出すために内見をしようとして、管理人さんとこの階段を上ってきて、鍵を開けてもらって、中に入った。それだけです」


 竜胆がカギをひねると、ガッチャンと大きな音を立てた。

 ドアが引かれ、全開になる。

 蕗二と竹輔は思わず眉をひそめた。

 食べ物が腐った臭いだ。とにかく臭い。

 そして汚い部屋だ。

 脱いでそのままなのか洗ったのか分からない服の山、米粒がついたままの弁当の空きトレーや空のカップ麺、洗っているかも怪しい鍋やフライパン、一応まとめようとしたらしい大きなゴミ袋は口が開いたままで、そのまた上へゴミを山積みにしている。

 それはおそらくリビングに繋がっているのだろう。だがそこもゴミが散乱しているように見える。


「うーわ、これは……すごいな」

「すごいでしょう? これを片付けるために来たんですよ」


 はははと軽快に笑った竜胆は、いつの間にか白い使い捨てのゴム手袋をはめていた。さすが特殊清掃員、装備品は万全ばんぜんのようだ。手早く使い捨ての靴カバーを取り出している竜胆を横目に、蕗二と竹輔も捜査用に持参した半透明の靴カバーと使い捨ての白いゴム手袋をはめる。


「では、ゆっくり確実に歩いてくださいね。滑って転ぶと大変なので」


 竜胆が躊躇ためらいもなく部屋を進んでいく。

 よく見れば、ここに住んでいる住人が踏みながら歩いているのか、踏みつぶされて平らになったゴミが獣道のようになっている部分がある。

 踏み出して一歩目で、蕗二はたまらずうめいた。

 堅いものだったり柔らかいものだったり踏みしめるたびに不快な感触がする。最小限、踏まないように大股で爪先立ちで中へと踏み入れる。


「夏じゃなくてよかったですね」


 ハンカチで口元を押さえながら歩く竹輔に、竜胆りんどうがそうですねぇとのんびりした声で答える。


ねずみはいないと思うんですけどねぇ、いたら動物臭いんで」

「おい、それ以上は言うな」

「あははは、冗談ですよじょーだん」


 蕗二なら十歩もかからないだろう短い廊下を慎重しんちょうに歩き、やっとリビングへたどり着く。

 ここもゴミの山だろう。

 そう思っていた蕗二の眼に、異質なものが映った。

 あまりの異質さに、言葉を失ったのは初めてだ。


 確かに、部屋はゴミの山ではあった。

 だが、部屋の真ん中。ぽっかりとゴミが綺麗に掃除された場所がある。

 そして、何かが浮いている。


 何か、と言うしかない。

 透き通る青と赤。

 ふたつの色が交差している。

 窓の外から光が差しているせいか、そのもの自体が発光しているようにも見える。

 恐る恐る、足裏を擦ったまま近づく。

 手を精一杯伸ばせば届くだろう距離まで近づき、そして気がつく。


 人だ。

 人らしいなにかが、透明な箱の中に浮いているのだ。

 骨の部分は赤紫に、筋肉だろう部分は鮮やかな青になっている。

 作り物だろうか、それにしてはやけに精巧せいこうだ。


「これは一体、何なんだ?」


 蕗二のかすれた低い声は、竜胆りんどうの耳に届いたようだ。


「これはたぶん、透明標本ですね」

「標本?」


 蕗二と竹輔が顔を見合わせる。二人の反応に、竜胆は意外だと驚いて眉を上げた。


「あれ? 流行はやったと思ってたんですけど、ご存知ぞんじありませんでしたか? えーっと、たしか特殊な薬品で皮膚や筋肉の部分が透明になって、骨や軟骨だけに色がつくんですって。美しい標本として芸術的に注目されたんですよ」


 竹輔が説明を聞きながら液晶端末で検索する。

 すぐにヒットしたらしい、端末の画面を覗き込めば、小魚のような魚やタツノオトシゴ、エビ、カエルや鳥の雛など目の前にあるものとほとんど変わらないものが並んでいる。


「美しい標本、ですか……」

「俺には理解できねぇな」

「野村さんなら詳しそうですけど。とりあえず、鑑識に連絡しますね」

「頼む」


 竹輔が端末を操作している傍ら、蕗二は箱を見上げる。

 箱は蕗二の身長よりも高い。

 天井との距離を考えて、2メートルくらいだろうか。

 横を覗き込むと、正面よりは薄い。正方形ではないようだ。

 表面を観察するが、曇りひとつない。

 ただ光の加減から見て、中には何か液体のようなものが入っているのは分かる。

 通常ならご遺体は収納袋という袋に包んで担架で運び出す。だが、このご遺体は箱の中だ。箱の中がどうなっているか分からない以上、この場で解体する訳にはいかない。だとしたらそのまま運び出すしかないが、まず人が運べるのか。もしかして重機がいるのか?

 蕗二が腕を前に突き出して、ドアと箱の長さを測っていると、ひとり言にしては大きい声が聞こえた。


「ドアから出すには箱の幅が大きすぎるので、窓を外してクレーンで出した方がいいと思いますよ?」


 振り返ると竜胆りんどうはいつの間に出したのか、軽快な指さばきでタブレットを操作している。


「うちの会社、部屋の清掃は『家具ごと』もしょっちゅうですから、クレーンとかトラックとかもあるんですけど、諸々(しょしょ)費用込みでこんな感じです」


 差し出されたタブレットに表示された金額は、意外と良心的な値段だ。


「お支払いは一括いっかつ、分割、け払いもできますし、マネーカード、クレジットどちらでもOK。領収書は電子でも紙でも対応しますよ。しかも今日はクレーンもトラックも空いてるので、すぐに作業できますけど、どうでしょう?」


 さわやかな笑みに、蕗二はそっと銀色のマネーカードを取り出した。








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