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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 8 合わせ鏡のマグノリア
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 2042年10月1日水曜日AM 8:22。


 蕗二ふきじは最後に溜息を吐き、口を閉じた。

 組んでいた足を下ろすと思っていたよりも大きな衣擦きぬずれの音が部屋に響き、体を強張こわばらせる。 すかさず「そうでしたか」と、ゆったりとした声が聞こえた。


「辛いことをお話ししてくれて、ありがとうございます。自分の失敗や汚い部分、恥ずかしい過去を人に話すと言うのは、思っているよりも簡単じゃない。だって、人に話すときはまず過去の出来事を思い出して、整理し、人に話すと同時に自分の耳でも聞くんです。なかなかできないんですよ? 大怪我もされていたのに、よく頑張りましたね」


 背中をでるような深い声に、三輪蕗二みわふきじななめ向かいに座る男をちらりと見る。

 多田羅たたら先生は薄く微笑ほほえみ、ゆっくりとうなづいた。

 彼は心理カウンセラーだ。畦見の事件の際、初めて会った時はもっと無機質な顔をしていた。

 犯罪心理にたずさわっているからか、犯人たちに舐められないよう表情を引き締めているのかもしれない。

 その男が、自分の話を聞き、頷いている。だからつい、蕗二は懺悔ざんげのように呟く。


「いや、俺一人の力じゃない。俺だけじゃ、また逃げてたと思う」


 栩木とちぎの狂気には、まったく気がつかなかった。

 いつからよどみが溜まっていたのか。野球部でともに練習していたときは、その素振りすら感じなかった。むしろ、野球に関しては栩木の方が小学生のジュニアからやっていたのだ。高校で初めて野球を始めた俺が勝てるわけがない。

 だが、栩木は言っていた。


「オレがここまで築き上げたもんを、お前はことごとく持って行きよる。お前がいなければ、なにもかも完璧やったのに」


 俺はなにか気づかないうちに、栩木のプライドを傷つけるようなことをしたんだろう。

 もしかしたら、みんなに聞けば分かるかもしれない。

 しかし、チームメイトの半分は死んでしまった。

 俺が殺したようなもんだ。

 いや、それは結果論だ。後悔したって死者は戻ってこない。

 あの時、芳乃ほうのが逃げ道を塞がなければ、俺は父の時と同じように、自分の感情を血溜まりに沈め、内側へ置き去りにしたのだろう。

 額に手を置いたところで、じっとこちらの話を聞き続けていた多田羅の存在を思い出す。

 診察前の貴重な時間に、自分事ばかり一方的に話をしてもいいんだろうか。

 なんだか急に居たたまれなくなり、蕗二は丸めていた背を伸ばし、多田羅に向かって頭を下げる。


「本当にすみませんでした。心配してくださったのに、結局事後報告のような形になってしまって」

「いえいえ、ご報告だけでも十分です。最後にお会いした後、どうなったのか心配していました。これで私も安心できます」


 本心からの言葉なのだろう、ほっとしたように多田羅は椅子の背もたれにもたれかかった。

 蕗二もつられるように丸めていた背中を伸ばし、背もたれに体重をかける。

 ぎゅっと皮張りのソファが鳴く。硬そうな音とは裏腹に、後頭部まで包みこまれる感覚は、なかなか癖になりそうだ。少し冷たいのも心地いい。部屋の明かりも、目が痛くなるような明るさでも、眠気を誘うような暗さでもない、まるで清々しい朝を迎えたような光が差している。


 天井からぐるりと部屋を見回す。

 白い家具、棚に並べられた本、観葉植物がシンプルな部屋は、多田羅の趣味だろう。

 それとも家具の配置にも、カウンセリングの基本のようなものがあるんだろうか。

 どっちにしろ、自分のとっ散らかった部屋とは大違いだ。


「多田羅先生みたいに、犯罪心理とか勉強した方がいいかな」


 ぽつりと呟くと多田羅はわざとらしく腕を組んでうなる。


「うーん、あまりおすすめはしませんね」


 困ったと言わんばかりの表情で多田羅は肩をすくめた。


「むしろ、現場での証拠集めや聞き込み、逮捕するのは三輪さんたち警察の実力です。こうして我々が、警察の皆さんが集めた膨大なデータがあり、初めて恩恵おんけいを受けられる」

「そうですかね、よく税金泥棒だとか言われますけど」

「だからと言って、警察や消防などの公務員の方たちの給料を支払わず、やりがいだけを頼りにした結果、治安が悪化した事例ケースがありますので、これもおすすめしませんね」

「えらく褒めてくれますね、俺を褒めてもなにも出ませんよ。むしろ多田羅先生の方が『犯罪防止策』に貢献してるんじゃないですか?」


 冗談交じりに蕗二が笑うと、多田羅が柔らかな表情を引っ込めた。


「いいえ、プロファイリングはけっして万能ではありません」


 白衣を着ているせいもあるだろう、カウンセラーから一変して研究者のような表情に変わった。


「たとえ専門家だからと言って、完璧だと思うのは良いとは言えません。何万と言う犯罪分析プロファイリングを行い、どれだけ恐ろしく凶悪な犯罪者を知っていたとしても、場合によってはカウンセラーもストックホルム症候群を患う事があります」

「すとっく?」


 首をひねる蕗二に、多田羅は手元に視線を落とすと、分厚い本を開くように両手を広げる。


「ストックホルム症候群は、誘拐や監禁をされた被害者が犯人を愛してしまったり、助けに来たひとを敵としてしまうということです。よくあるのは、犯人を逮捕する際に被害者が犯人を庇う、警察に協力しない。最悪、警察に襲いかかったりします」

「ありえないだろ、そんなホラーみたいな話」


 喧嘩などの仲裁で、殴られたり蹴られたり引っ掻かれるくらいの、事故のようなものはある。

 だが、危険な目にわせられているのに、なぜ犯人を愛する?

 蕗二が答えを求めて多田羅を睨みつけると、困ったようにうなづいて見せた。


「ホラーですよね。「助けに来たのになんで?」って感じですよ、本当に。しかし残念ながら、この現象は実際のスウェーデンで起きた銀行強盗立てこもり事件から名付けられています。簡単に言えば、生きるか死ぬかの極限状態から生き残るための本能的な選択ですから、まあ仕方がないとも言えますが」


 そこで多田羅は口を閉ざした。眉間に皺を寄せて、思い詰めた表情をする。


「でもね、三輪さん。そんな極限状態に追い込まれなくても、人はときに犯人を信じてしまう事があるんです」


 ぱん、と強く両手を合わせた多田羅は、指を強く握りしめた。


「犯罪者の中には、人をコントロールすることを得意とする人がいる。我々はそういった人物たちの事を社会的プレデター、または『捕食者ほしょくしゃ』と呼んでいます。捕食者は自分が何者であるか、自分の異常性をよく把握はあくしています。他人からどう見られるかをよく観察し、容姿も整えられていて非常に魅力的です。中には後援者ファンがついた殺人鬼さえもいます」

「殺人鬼に、ファン?」

「そう、ファンレターやラブレターが届くんですよ。捕食者は自由に雰囲気を変えることもできる。たとえば、危なさそうな香りをまとうこともあり、また世間一般が考える犯罪者とは真逆の、善人の塊のような印象をあたえることもあります。自分の中に論理や哲学、美学を持っていて、口も達者で嘘と誠を混ぜるのも上手い。これに出会った場合、たとえ私よりも経験があり、どれだけ犯罪心理学のプロだとしても、二人きりで会うのは危険だと言われるほどです。プロのカウンセラーでも「犯人が正しい」なんて言い出してしまうくらい洗脳されることもあります」

「そんな、まさか……大丈夫なのか」


 眉をひそめる蕗二に、多田羅は落ち着けと言わんばかりに笑って見せる。


「安心してください、捕食者は滅多にいません。だいたいの犯罪者たちは捕食者に似て非なるもの、後天的に発症するものです。ただ、性質が似ているので、行き当たりばったりの嘘をついて、言い分がころころ変わったりする人がいます」

「あー、いるいる。バレる嘘をつきやがるよな」

「ええ、捕食者に比べれば知恵は回りませんし、そもそも計画も組んでいませんので、ちぐはぐになってしまうんです。それでもなんとか同情を引こうとする者もいます。三輪さんも取り調べで多くの犯人たちや容疑者と会話するともいますが、つい犯人に同情してしまう……そんな同僚の方がいらっしゃったりしませんか?」

「あー……うーん、同情って言うか、親身に話を聞いちまってる奴はいるな」


 取り調べ中に容疑者から話を聞きだす時、蕗二のように脅す方が白状するタイプと竹輔のように親身に話を聞けば話すタイプと分かれてくる。刑事がバディを組むときは真反対の性格で組まされることも多いのは、どっちのタイプの容疑者でも対応できるようにだろう。


「人の話を親身に聞くと言うのは、素晴らしい才能です。ですが、ときに危険な行為にもなります」


 多田羅は組んでいた足をほどくと、強い視線で蕗二を覗き込む。


「我々の業界で有名なアメリカのプロファイラーが戒めとして使った、哲学者ニーチェの名言があります。『怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵しんえんを覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。』」


 多田羅が目を細める。光がなくなった黒い眼は、芳乃ほうのが時々見せるうろのような眼に似ていた。


「人は共感という自分に似た人に引き寄せられる。友達を作る時も同じ趣味の人と集まるのとまったく同じですよね? ともに感じ、ともに共有し、お互いに信頼し、お互いに安心する。犯人を知ると言う事は、生い立ちを知り、過去の出来事を共有することになります。だから相手を知ると言うことは、相手を救う行為でもあり、逆に自らをとす行為にもなりかねない」


 多田羅が椅子に背中を預け、ヘッドレストに後頭部を押しつける。りさらされた首元には、真新しい包帯が巻かれていた。


「もしかして、首の包帯って……」


 蕗二が視線で指差すと、多田羅は懐かしいと呟いた。


「昔、プロファイリングを過信したばかりに、首をめられてしまいまして。これはいましめでもあります」


 存在を確かめるようにゆっくりと包帯を撫でた多田羅は、強い視線で蕗二を見つめる。


「あなたは自身の殺意と向き合い、そして認知した。これから、殺人を犯した人たちへの認識が変わるはずです。どうか、殺意に魅入みいられ、一線を越えないようにお願いします」


 ふとまぶたを下げた多田羅がそのまま膝に指をそろえ、深く頭を下げる。

 蕗二はソファの背もたれに背中を預け、たまらず長く息を吐いた。


「先生が言うと、恐いですね」

おどしているようになってしまったかもしれませんね、でも三輪さんなら大丈夫です」

「そうですか?」

「私のお墨付きですから」


 多田羅が拳を握り、親指を立てた。その仕草があまりにも似合わなくて、蕗二は笑い声を漏らした。


「今日はありがとう、多田羅先生」

「いえ。また困ったことがあればいつでもご相談ください」


 部屋がうす暗くなる。

 多田羅が瞬く間にいなくなった。

 部屋も真っ白で何も置いてない。蕗二と椅子以外はすべて映像として映し出されたものだ。

 室温もすべて蕗二が部屋に入ってからセンサーによって自動調節されている。手動調節するよりも確実に快適な温度になっているはずだが、一人になった途端に心地のよかったはずの皮張りのソファが熱を奪おうとしてくる。余韻よいんを味わうには少し苦痛だ。先ほどまで多田羅が映し出されていた壁を見つめていたが、あきめて立ち上がる。


 ソファから5歩後ろ、壁と同化する白いドアの前に立つ。壁に埋めこまれた液晶画面が反応し、忘れ物はありませんか?との文字とともに『退出する』『延長する』の枠が表示される。

 蕗二は退出の文字に触れ、ポケットから銀色のマネーカードを取り出して、液晶画面にかざす。

 鍵が開く音。

 一拍置いて、ドアが横へとスライドする。


 部屋を出ると、同じような扉が左右に5つずつ並んでいる廊下が現れる。

 蕗二が入っていた部屋は、レンタルスペースといって事前登録と部屋を使用した分の金額さえ払えば自由に使える共用施設だ。さきほどのように個人で買うと十数万かかる映像投影機器が整った部屋だって借りることができる。

 2030年から6Gを導入し、映像の粗やタイムラグは存在しない。医者も患者もわざわざ移動する時間も手間もかからない、多田羅も頻繁にカウンセリングに使っているのだろう。

 とくに面白くもない廊下を進み、一番奥の壁にたどり着く。そこはガラス張りになっていて、新規登録者向けのタッチパネル式自動手続き機械が仕切りを挟んで3台並んでいる。

 蕗二にはやや窮屈きゅうくつな仕切りの間に体を収め、退室手続きをする。といってももう一度マネーカードをかざして退出ボタンを押すだけではあるが。

 これと言って戸惑うことなく手続きが済み、ガラス張りのスペースから一歩出てしまえば、雑踏でごった返す新宿駅だ。


 ようやく慣れてきた人ごみをすり抜けて、外へ出ると見上げるほどのビルが立ち並ぶエリアに出てくる。

 空はせまいが、それでも駅構内よりはマシだ。

 軽く背伸びをして深呼吸すると、やっと多田羅の言葉を反芻することができた。


「捕食者、か」


 口に出してみると、やはりおおげさな言葉に聞こえる。

 まるで獰猛どうもうな、知性の欠片もない獣のことを言っているようだ。


 しかし、多田羅が言った本当の意味は逆だ。


 上っ面だけが見るからに怪しいやつじゃない。

 にこやかに挨拶を返し、成績もよく、明るくはきはきとしゃべり、話の話題も知識もあって話が弾む。

 会社でも成功していて、友人にも恋人にも困ったこともない、何をやらせても優秀。

 異常なのに正常のふりができる。

 そんな人間がいるのだろうか。

 もし居るとするなら。

 もしも、捕食者をひとり捕まえることができたとしても、犠牲者は途方もない数にならないだろうか?

 積み上がる死体の山を想像して、喉奥が気持ち悪くなる。吐き気を収めるように胸元を擦って、鼻から大きく息を吸い、細く長く口から息を吐く。


 そう言った犯罪者になるだろう人物を予測するために、『犯罪防止策』は施行されたのだ。

 実際、かなりの効果が出ている。

 ネットでの情報共有の素早さや防犯アプリ『KOMOKUTEN(こうもくてん)』・通称K-10の導入により、犯罪認知件数は的確で、不審者情報があればすぐさま警察が周辺の≪ブルーマーク≫への立ち入り制限や、場合によっては不審な動きのある≪ブルーマーク≫を割り出し、逮捕することもある。

 『犯罪防止策』によって個人情報保護法が最低限まで破棄された。これによって犯罪歴のある人間≪レッドマーク≫の情報共有が各都道府県の警察に共有され、常習性の高い窃盗や強制性交などの犯罪の再犯率は現在0%だ。

 犯罪件数はこの10年はずっと右肩下がりで、毎年最小犯罪件数だと報告もされている。


 それでも、なぜか殺人事件はなくならない。


 ふと、顔を上げる。

 駅へと向かう人、駅から街へと歩く人、立ち止まる人、液晶端末を見ながら歩く人、足元を見ている人、空を見上げている人、複数人で並んで歩く人、ひとりでいる人、思い詰めたような険しい表情の人、楽しげに晴れ晴れとした表情の人。

 様々な人間が交差する。


 その狭間はざま、波に浮かんでは沈む青が、こちらを睨みつけていた。







*************************************

引用:岩波文庫「善悪の彼岸」ニーチェ著 木場深定訳 4章 箴言と間奏 一四六

この作品はフィクションです。作品内に登場する実在の人物・名称・建物・事件などは一切関係しません。




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