File:1.5 再会のナイトゲーム
PM19:25.浪速区。
地図と液晶端末片手に溜息をつく。
炭火焼き鳥『まるやきどり』と達筆な文字で書かれた看板を見上げ、もう一度溜息をつく。
集合場所である店で間違いない。
液晶端末の画面に視線を落とせば、母・ツヅミから転送されたメールが目に入る。
【壱丘高校野球部・同窓会】
煌煌と目に沁みるほど白く光る画面に、溜息を落とす。
正直に言うと、今すぐ帰りたい。
『あの日』、事件に巻き込まれて父が死んでから、当たり前だった日常が大きく崩れた。
父の葬儀、マスメディアに追い回される日々、犯人の獄中自殺、そして復讐への道。
今まで親しくしていた友人や野球部の仲間さえ拒絶し、卒業して以来は誰とも関わらず、ただひたすら≪ブルーマーク≫を恨み続け、今日まで生きてきた。
そう、復讐の為に、捨ててきた。なのに、今ここにいるのはどうしてだ。ツヅミに追い出されて来たというのは些細な理由で、冷静になって考えれば、行く振りをしてどこかで時間潰せばよかったんじゃないか? 楽しかったとそ知らぬ顔で言えば良い。なのに、それをしなかったのは、なぜだ。
腹に鋭い痛みが走り、息を詰まらせる。押さえた場所は塞がったはずの傷口だ。
足元に落としていた視線の先で、影がこちらを見上げて、憐れんだように囁く。
お前は、期待しているんじゃないのか? 10年も前の同級生や仲間と会って、何を得たい? 同情か? それとも謝罪か? 今更、受け入れられるとでも思っているのか?
捨てたくせに、もう一度拾うなんて都合が良過ぎるだろ?
影を振り解くように足を引き、踵を返す。
途端、何かにぶつかる。足元ばかり見ていたせいか、全く気がつかなかった。しかも、ぶつかったものは、同世代ぐらいの男だ。蕗二より細身なのだが、体幹がしっかりしているのだろう、よろけて倒れるようなこともなかったが、人の気配に気がつかなかったとは、動揺しすぎだ。
蕗二が溜息を堪えていると、男はほんの少し不機嫌さを顔に滲ませた。
「おい、でかい兄ちゃん、気ぃつけや」
「すいません」
軽く頭を下げて立ち去ろうとするよりも先に、肩を掴まれる。
「ちょっと待て」
下から睨むように覗き込まれ、面倒だなと頭の片隅で思う。平均より身長がある分、威圧的に見られるらしく絡まれる事自体ほとんどないのだが、それでも絡んでくるのは、かなり厄介な人間と言うことだ。
なんとか穏便に事が収まるように身構えていると、男は険しく寄せていた眉を離し、恐る恐る口を開いた。
「お前、もしかして、三輪蕗二か?」
男の言葉に、蕗二は驚きの声をあげる。当たり前だ、男の顔に見覚えはなかったのだ。だが、男は蕗二の反応で確信を得たらしい、懐っこい犬のようにふにゃりと表情を緩める。
「やっぱそうやんな!? なんやもぉ、そんなら早よ言うてーな!」
友達のように肩を叩かれ、蕗二はますます混乱する。
「いや、あの、覚えがありませんが……」
男には申し訳なく、気まずげに言えば、男は呆気に取られたように目を見開いた。瞬きを繰り返し、やっと蕗二の言葉を飲み込めたのか、寂しそうに肩をすくめた。
「なんや連れへんなぁ、おれの顔忘れたんか? 五百森や」
「いおもり?」
「そうそう、背番号が3番。打順は2番が多かったなぁ」
打順と言われ、記憶を掘り起こす。日差しで白むマウンド、歓声に満たされる中、一塁に出た選手と目の前でボールを構えた投手を見て、鋭くそして冷静な目でバットを握る少年の横顔が、湧き上がった。
蕗二の表情の変化を敏感に感じ取った男・五百森は再び懐っこい笑みを浮かべた。
「そうやそうや! 思い出したな? んじゃあ、とりあえず入れ入れ!」
口を挟む暇もなく、五百森は店の手動扉をスライドした。突き飛ばすように押されたせいで、案の定入り口で額を打ちつける。脳を揺さぶられる痛みに頭を抱えたところを、首を脇に抱え込まれた。
「みんな聞けぇ、朗報や朗報や! 三輪や! 三輪蕗二が来たで!」
店内に響く声にハッと顔を上げる。視線の的にされると思っていたが、店内は貸し切りのようだった。左手に厨房を目の前に座れるカウンターと、右側にテーブルを四つ集めて、大人数席が用意されていた。
そこに座っていた5人の男たちがこちらを見ている。全員知らない顔だが、どことなく記憶と重なる部分があった。そして、向こうの男たちも同じように、蕗二の顔を見つめ、必死に記憶の中の顔と重ねているようだ。
そして、突如歓声と困惑の悲鳴が上がり、男たちが椅子を倒すように立ち上がった。
「三輪か! 久ぶりやんか!!」
「マジかよ、元気しとったんか!?」
「うっわ、何かでっかくなったんちゃう?」
「待って、おれめっちゃ泣きそう」
「本物だよな、これ夢じゃないやんな?」
口々に感想を言って、蕗二の存在を確かめるように触ってくる。
「ちょっと待ってくれ、みんな」
五百森の腕を振り解き、一歩体を引く。六人の視線を受け止めながら、震える声を絞り出す。
「その、今日はみんなに謝りに来た。正直、あの時は自分の事で手一杯で……」
こちらの声を聞く男たちの表情から、感情を読み取ることができなかった。何も言わず、勝手に逃げた自分を責めているようにも見える。恐い、逃げたいと震える体を、拳を握って必死に抑えこむ。
「許せとは言わない、もう顔も出す気はないから、これだけは言わせて欲しい。申し訳、ありませんでした」
深く深く、頭を下げる。訪れる沈黙。全身の血が頭に流れ、耳の奥で激流の流れる音がした。心臓が締め付けられたように痛む。目を閉じ、瞼裏の闇を見つめた。
「何のことや?」
低い男の声に、びくりと体を跳ねさせる。
「謝るんやったら、こっちのセリフやで」
恐る恐る顔を上げれば、ガタイの一番大きな男が照れたようにはにかんだ。
「親父さんが死んで、三輪が辛い状況なんは知ってたはずやのに、何もできんかった。どう接して良いのか、全然わからんまま卒業して、気がついたら10年も経ってた。ホンマにすまんかった」
男が頭を垂れれば、皆申し訳なさそうに頭を下げた。蕗二は慌てて体を起こせば、目の前に男の右手が差し出される。
「もう、仲直りしようや。おれたちも、あの頃は子供やった。そうやろ?」
歯を剥いて、にっと笑う男の顔と、差し出されたままの手を何度も見る。持ち上がりかけた右手を握って止める。
本当に良いのだろうか。おれが勝手に捨てたのに、本当に……
視線をさ迷わせると、男は焦れたのか、中途半端に持ち上がった手を強引に掴んだ。蕗二よりも小さいが、がっしりと肉厚で力強く握られた手は、暖かかった。目の奥がじわりと熱くなる。
目頭を押さえて俯けば、たくさんの手が肩や背を優しく叩いていく。
まあ座れと手前に居た眼鏡の男に促され、椅子を座る。全員が席に着いたところで、男はビールが入ったジョッキグラスを持ち上げた。
「そんじゃ、今日は同窓会改め、三輪との仲直り会やな! ほらほら、みんな飲み物持ってや」
男の言葉に、おのおの目の前にあったビールジョッキや烏龍茶を手にする。蕗二もいつの間にか目の前に置かれたビールを手にすれば、男が満足げに笑った。
「三輪との再会に、かんぱーい!」
「「かんぱーい!」」
グラス同士がぶつかる音が、店内に鳴り響き、それぞれ掲げたグラスに口を付ける。音頭を取った男の右隣、小柄な男が男の肩を突いた。
「そうや、久々やし、自己紹介でもしよーや?」
「おお、ええなそれ。ほなワイから」
わざとらしい咳払いをして喉を整えると、立てた親指で男自身を指差した。
「ワイは奈須や、覚えとるか?」
ガタイが良く歯を剥いて笑う姿が、どことなく熊のようだ。その顔に記憶が一致する。
「……キャプテン、か」
「そうや! なんや、ちゃんと覚えとるやん」
奈須が上機嫌でビールを呷る。すると、自己紹介を持ちかけた小柄な男が勢い良く手を上げた。奈須とは真反対に、小動物のように動きが忙しない。
「はいはいっ、次おれ! 背番号4番の小松やで! んで、こっちが山梨」
「ちょ、お前なんでセリフ取るねん! しかも紹介雑ッ!」
小松の隣に座って烏龍茶を飲んでいたそばかすの男が、顔を真っ赤にして吠える。蕗二は思わず笑う。
「お前ら、全然変わらないな。ボケツッコミ担当なあたり」
「はあああ!? 絶対違うし!」
ぎゃんと山梨が吠えるとさらに小松が煽るせいで、子犬同士がじゃれあっているように賑やかになる。笑いを堪えつつ、今度は奈須の左側に視線を向ければ、五百森が懐っこい笑顔で手を振った。
「おれはさっき自己紹介終わったで?」
「あ、ずるいでそれ」
奈須と五百森の間、奈須とガタイがいい勝負の男が腰をあげた。机の上に乗り出し、期待を込めて輝かせた目で蕗二を見る。
「なあ、オレは二葉や、覚えとる?」
「覚えとるよ、背番号5番で、打順も後ろ多かったし?」
合ってるやんなと首を傾げれば、二葉は歓喜極まってしまったのか、涙目になった。誤魔化すように串焼きを一気に頬張るとビールを呷った。五百森に無理するなーと諌められている。
「最後は僕か。改めて、椋村だ」
蕗二の隣に座っていた、眼鏡の男が右手を差し出してきた。蕗二は口の端を持ち上げて、手を握り返す。
「よお、捕手。相変わらずイケすかねぇな」
「はは、懐かしい。お前にはよう言われた」
全員の自己紹介を終えると、まるで十年会っていなかった事が嘘のようだった。それほど、高校で過ごした日々は濃厚だったのだ。また目頭が熱くなって、鼻を啜ってしまう。
「でっ? 三輪、今何やってんの?」
奈須が興味津々に聞いてくる。警察、と言いそうな口を噤む。刑事になると決めた時、誰にもその事は言わなかった。むしろ秘密にしていたぐらいだ。奈須が知らない当たり、唯一進路相談をした担任は、秘密を守ってくれたようだ。そして、警察になってから思い知ったのだが、警察と言うのは好き嫌いが激しく分かれる職業で、名乗るのは諸刃の剣なのだ。ここは無難に答えるべきだろう。
「公務員だ」
そう言えば、皆揃って意外そうな顔をした。
「なんか、三輪がデスクワークとか、一番向いてへんのちゃう?」
「意外と堅いわぁ、なんか土木系とか、運送系とかのイメージ」
口々に好き勝手いう中、蕗二は目の前に積まれていた焼き鳥を一本持ち、口の中に入れる。炭火で焼かれた鶏肉は油が溶けるような柔らかさに、垂れにくいみたらし団子のような甘いたれが、ビールの苦味と相性も良い。何本でもいけそうだ。しっかりと串焼きを味わった蕗二は、いまだ雑談をするメンバーにわざと低い声をかける。
「お前ら失礼やわぁ、俺より小松の方がぜーったい向かへんやろ?」
「おれー? ぜーったい無理!」
小松が口を上げて盛大に笑うと、「確かに」「言えてる」と笑いが起きる。
「ほんじゃ、お前ら今何してんの? もう野球はやってへんの?」
蕗二が問えば、一瞬みんなの顔が曇った。その瞬間、蕗二は察しがついたのだが、小松が勢い良く手を上げた事で、謝罪の言葉は喉奥に落ちた。
「やってんで! 草野球! でも本業では無理! できん! でも野球はずっと好きやで!」
もくもくと串焼きを食べていた椋村は烏龍茶を飲み干すと、グラスにビールを注いで半分ほど呷った。ぷはっと男らしい声を上げると、頬杖をついた。
「変だよな、僕らあんなに野球馬鹿やったのに、今じゃ普通の、どこにでもおる大人になっちまって。でも、あの頃の夢は忘れられへん。だから、こうやって時々夢を取り戻しにくるんだよ」
椋村が眼鏡の奥で笑う。すると、音を立てて山梨が立ち上がった。今度は酒が回って真っ赤になっている。
「そう! 小松、椋村よくぞ言うた! おれたちは、きらきら夢を追ってた、あの青春の為に集まるんや! これぞ男のロマン! 永遠の少年や、お前ら飲むぞぉー!」
串焼きに齧りつき、ビールジョッキを思いっきり呷る山梨を、小松と奈須が大喜びで囃し立てる。
「やばいやばい、山梨が出来上がってきとる」
それを見た五百森がしまったと顔を手で覆うのを、二葉が慣れた様子で返す。
「倒れる前にノンアルのビールに差し替えとけよ。どうせ味分からへんって」
そう言ってどこからか、ノンアルコールのビール瓶を取り出し、山梨の近くに散らばるビール瓶をすり返る。「ひっでぇ!」と笑う椋村だが、何気に協力しているのだから、余計面白い。
上手い串焼きと談笑もあって、ハイペースで目の前の瓶ビールが消費されていく。
一通り全員の酔いが回ってきた頃、ふと五百森が液晶端末を見た。どうやら時間を確認したらしい。ふと声を落として、隣の二葉に問いかける。
「そうや、あいつ来るんか?」
「ん? ああ、来るって聞いとんで? まあ、堂々と歩いとったら大変やろうから、上手いことタクシー乗って来るやろ」
平然と答えた二葉に、突然小松の落ち着きがなくなる。ざわつき始めたメンバーの話が理解できない蕗二が瞬きを繰り返していると、微かなバイブレーションの音が聞こえた。反応したのは奈須だ。ポケットから液晶端末を取り出した奈須は、画面を確認して不敵に笑う。
「スターの登場や」
画面をスライドして、耳に押し当てる。
「おう、鍵は開いとるさかい、入って来ぃや!」
奈須の声に、ドアがスライドした。現れたのは、金髪の両耳に黒いストーンピアスをした男だった。蕗二と背丈が同じぐらいだろう、何かスポーツをしているのか無駄の無いスタイルだ。
男は机に座るメンバーを見回し、ふと蕗二に視線を止めた。
「三輪! ひっさしぶりやんかぁ!」
驚いたように声を上げる男に、見覚えがあった。
「栩木、なんか?」
そう、彼は野球の要、投手をしていた男。試合で何度も助けられ、また攻撃もこなす両刀の才能を持った男だ。蕗二が立ち上がれば、栩木は嬉しそうに歩み寄ってきて、抱きついてきた。存在を確かめるように背中を叩かれる。
「おいおい、えらい熱烈やんか」
「熱烈になるに決まっとるやろ! 何年振りやねん、元気しとったか!?」
「ぼちぼちな。つーか、いつまで抱きついとんねん、暑いから離れてーな」
栩木の背を強めに叩けば、栩木は息を詰まらせた。「すまんすまん」と体を離すが、頬を緩みっぱなしだった。
「つーかなんやお前、えらいVIPな歓迎されてんで? 社長かなんかなん?」
蕗二の問いに、栩木はぽかんと口を開け、他のメンバーが大絶叫した。
「それ、マジで言うてんのか!?」
小松が「うわ、どん引きやで」と顎が外れそうな勢いで口を開けた。その隣で、奈須が液晶端末を勢い良くタップし始める。そして、蕗二へ画面を突きつけた。
「三輪、お前知らんかったんか!? 栩木はプロ野球選手やで!」
液晶端末に映るのは、ボールを構える金髪の男の姿。そして、画面の上の見出しには、【新星エース 活躍に期待】と書かれていた。突然の沈黙。軋んだように首を回して栩木を見れば、画面の中と同じ男が居た。蕗二の視線に照れたように栩木が笑う。蕗二は声がひっくり返るほど叫んだ。
「はあああ!? マジで? 全ッ然知らんかったんやけど!」
「お前、普段テレビ見てへんのか?」
椋村の問いに勢い良く首を縦に振る。事件にばかり夢中で、ほとんどエンタメやスポーツの情報を仕入れていなかった。まさか、同級生が有名人になっているなんて想像すらしていなかった。
「え、ちょ、とりあえず握手」
ズボンで手汗を拭い、差し出された栩木の手を両手で握り上下に振ると、栩木は空いた手で蕗二の肩を抱くように叩いた。
「そんな緊張せんといて? 昔みたいに仲良したってぇな?」
「おお、これからもよろしく」
照れ隠しにもう一度手を強く握り、そっと離す。再会の喜びに浸る蕗二たちの後ろで、にやにやとするメンバーに余計恥ずかしくなった。栩木は慣れているのか飄々としている。そして、メンバーの中に二葉を見つけると、片手を上げた。
「あっ、二葉、頼まれてたサイン入りバットとボール持ってきたで」
栩木は片手に下げていた紙袋を二葉に差し出した。中には硬式野球ボールとスポーツメーカーのロゴが入った金色の金属バットが入っていた。それを確認した二葉は、目の端に涙を浮かべると大事そうに胸に抱えた。
「ホンマありがとう! 一生家宝にするわ!」
「ええなぁ、俺も欲しいわぁ」
蕗二が言えば、栩木は意地悪そうに口の端を吊り上げる。
「しばらくこっちに居るつもりやから、色紙買って来てくれたらいつでも書くで?」
「ホンマか! ありがてぇ!!」
拝むように両手を合わせれば、大げさだなと大笑いされる。カウンターの上に土産を置いた二葉が、どうぞどうぞと椅子を引き、栩木に席を勧めた。空いていた席は偶然にも蕗二の隣だった。
追加されたジョッキに金色のビールが注がれる。歓迎を込めて乾杯をするために皆がグラスを持つ中、栩木は遮るように咳払いをした。
「みんなごめん、到着して早々やねんけど、ちょっと報告したいことがあるねん」
「なんや突然、はよ言うてみぃや!」
「何もったいぶっとんねん! しょーもない事やったら怒るで!」
五百森と奈須が急かすと、栩木は嬉しそうに「じゃーん!」と言う掛け声と共に、左手を机の上に差し出した。その薬指には、シルバーとホワイトゴールドが絡み合い、交差する一点に控えめなダイヤが光る、シンプルだが美しいリングが嵌まっていた。
マリッジリング。つまり、結婚指輪だ。
きっかり三秒の沈黙。そして店中に絶叫が響き渡った。
「ええええええ!? おま、結婚しとったんか!?」
「いつや! いつ結婚した!」
小松と山梨のあまりの食いつきっぷりに、栩木は少々驚きながら、それでも照れたように答える。
「恥ずかしながら、昨日したねん」
「昨日!?」
小松が飛び上がった。すると、椋村が片眉を上げる。
「栩木、それ結婚じゃなくて婚約ちゃう? あれや、市役所に婚姻届け出しに行ったんやろ?」
さすが元バッテリー、椋村の鋭い突っ込みに栩木は「そうとも言う」と照れたように耳を赤くした。
「てか、ニュースでやっとった?」
いまだ信じられないと五百森は液晶端末でニュースを探しているのか、忙しなく指をスライドしている。すると栩木は「探しても無いで」と顔の前で手を振った。
「公式発表前やねん、とりあえず仲間には報告しとかななって……内緒で頼むわ」
顔の前で両手を合わせて拝む栩木に、それぞれ頷く。
と、突然野太い雄叫びが上がった。声の方へと顔を向ければ、机に頭を打ちつける奈須がいた。
「あかん、あかんでホンマ。これで結婚してへんの、ワイだけちゃうんか!?」
奈須の言葉に、蕗二は瞬時に全員の左手を見回す。全く気がつかなかったが、全員左指にシルバー、もしくはゴールドの指輪を嵌めていた。蕗二は思わず、何もない左手を隠す。と、皿が跳ね上がるほど机を頭突いていた奈須が跳ね起き、蕗二に力強い視線を向けた。
「そや! 三輪、お前結婚したか!?」
反射的に視線を逸らせば、奈須は一転して満面の笑みを浮かべた。
「なんや三輪も童貞か! 仲間やな」
親指を立てた奈須に、蕗二は抗議の怒声を上げた。
「はあああ!? な、ちゃうわアホ! 一緒にすんな!」
「なんや、使ってへんか見たら分かるで、チンコ見してみ?」
「なんでお前にチェックされなあかんねん!」
「いいやん、減るもんちゃうし。合宿の時に見せ合った仲やろ?」
「何年前の話やねん! おい、誰かバットもってこい、こいつのケツにフルスイングしてやる!」
腕まくりすると、栩木がにこやかにバットを差し出してきた。
「はいどうぞー、サイン入りやけど」
「おう、ありがと」
バットを握れば、二葉が青い顔で立ち上がった。蕗二が握ったのは、先ほど二葉が貰い受けたサイン入りのバットだったのだ。
「やめろおおおお! おれの家宝が汚れるううううう!」
体格とは見合わない素早さで、蕗二からバットを取り上げる。取られては叶わないと、大事そうに抱えて店の奥へと引っ込んだ。恐らく店の奥は彼の自宅でもあるのだろう。その背を見送った椋村が、机に肘を突いて栩木を覗き込む。
「で、マジで誰なん? 僕らも知ってる人?」
「誰やと思う?」
幸せを振りまくように、絞まりのない顔で微笑む栩木に「にやにやしやがって」「ホンマ、じらすわぁ!」と小松と山梨が文句を言う。ヤケクソとビールを呷っていた奈須が、赤い顔で栩木を指差した。
「結婚式は絶対呼んでや? んで、嫁さん紹介せい!」
「わかったわかった、ちゃんと呼んだるけど、嫁口説いたらあかんで?」
「大丈夫大丈夫、秒で断られる」
自分で言うなーと酔いの回ったメンバーはゲラゲラと勝手に笑い転げた。
「ほらほら、追加のビールや。今日は祝いや!」
二葉がビール片手に戻って来た所で、奈須がビールジョッキを持ち上げた。
「そんじゃ、栩木の結婚祝いにもう一回、かんぱ――――い!」
高らかにグラス同士のぶつかり合う音が、賑やかな町の片隅で鳴り響いた。




