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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 7 朝露に濡れるベゴニア
58/97

File:1 開幕のファンファーレ



 新大阪駅。AM11:30。


 人の波に乗って歩いていると、自動改札の向こうになつかしい姿が目に入る。下半身太りの小柄な女性は、改札を通り抜ける人々の顔を一人一人確認するように、せわしなく視線をさ迷わせている。改札を抜ける手前から軽く手を上げれば、背が高いこともあって女性はすぐにこちらに気が付いたようだ。改札を通り抜けた蕗二が口を開くよりも先に、女性はこちらに駆け寄ってきた。


「蕗二ー! 会いたかったでぇー!」


 人一倍大きな声に気圧けおされ、け反った体を大きく広げた腕が抱き締める。しかし、再会を喜ぶ熱い抱擁ほうようではない、はっきり言って内臓を締め上げられている。ゴリラでも、もう少し優しく迎え入れてくれるんじゃないか。溜まらず、ぐええと非難の声を混ぜる。感動の再会なのか何なのか、行き交う人々がすれ違いざま、視線で問いかけて来ることに耐え切れず、女性を無理やり引きがす。


「お袋やめろよ、つか声がでかい!」


 そうとがめれば、母・三輪ツヅミは目尻を吊り上げた。


「ちょっと! あんた標準語になっとるやんかっ! あーとうとう息子まで東京に染まってもうた。あり得へん、ホンマあり得へんわー! 東京の何がええねん、なぁ? 言うてみ!?」


 絶望するようなオーバーなリアクションを取ったかと思えば、頭突かれる勢いで詰め寄られ、早口でくし立てられた蕗二は思わず気圧けおされかける。が、あおられたおかげか『こちら側』の感覚を取り戻してきたらしい、負けじと腹に力を入れ、胸を張った。


「しゃーないやん! こっちも仕事やねんから! あと標準語なんは、こう、スイッチがあるやん? こっちの空気吸ったらなおるから勘弁してーや!」


 東京で話せば確実に威圧的と取られ、距離を置かれる口調だ。だが、ツヅミは子供のように目を輝かせた。


「そうそう、それやそれ! よーさん吸ってよ大阪弁に戻してや!」


 さっきまでの不機嫌が嘘のように笑顔になると、蕗二の背中をバシバシと叩く。痛い痛いと文句を言えば、蕗二が持っていた荷物に手をかけた。


「せやせや、あんたまだ怪我治ってへんのやろ? 荷物もったるわ」

「重いからええって」


 ひったくられかけた荷物を握力だけで食い止める。ささやかな反抗にツヅミは片眉を上げて、蕗二を見上げる。


「素直やないなぁ? 怪我しとんねんやろ? これくらい持ったるやん」

「いやいやいや、お袋さっきめっちゃ俺のこと絞めたやん!?」

「大丈夫大丈夫、死なへん死なへん」


 こちらの話を聞いているのか聞いていないのか、荷物を離す気がないツヅミに蕗二が折れた。

 荷物を持って鼻歌まで歌うほど上機嫌に歩き出す母に、小さく溜息をつく。これではどっちが親なのか分からない。いや、昔からこんな人だった気もする。呆れ半分、懐かしさ半分で後を追う。本人に言えば、確実に拳が飛んで来そうだが、中年太りで強調されている臀部を眺めながら思い出す。そうそう、高校の時は、弁当を忘れたかなんかで大声を上げながら自転車チャリで爆走して追っかけてきたり、大阪で勤務していた時は社内寮、一昔前で言う独身寮に居たが、実家が近いこともあって勝手に押しかけ(ちょっかい)をかけてきては、同僚や上司に笑われたもんだ。が、東京に異動が決まってからは、何かと忙しく連絡は途絶えていた。が、よりによって、久しぶりの再会が、まさかの昏睡状態。なぜ大阪の母が東京に駆け付けたかと言うと、上司の菊田が母に連絡を入れたのだ。まあ、父の時からの関わりもあり、危篤きとくなら尚更なおさら連絡するのは、当然といえばそうなのだが、わざわざ仕事を休んでまで大阪からすっ飛んできたのだ。そして昏睡から冷め、母に会った一発目には病院に響き渡る声で怒鳴られた。顔を真っ赤にして涙を溜めていた母には申し訳なさと、居た堪れなさで、ひたすら平謝りするしかなかった。

 菊田に里帰りを勧められたのは、心配させた分、びに行けと言う事かもしれない。

 大人しく母の後を追い、駅を出る。信号を渡って、一つ角を曲がったところにあったコインパーキングに、懐かしい赤いコンパクトカーが止めてあった。その後部座席に荷物を押し込んだツヅミは、運転席側に回ろうとする蕗二を追い払うように手を振った。


「あんたは助手席や。怪我人に運転させられへんわぁ」

「はいはい、お気遣いどーも」


 コンパクトカーの助手席に乗り込むと、普段セダンに乗っていることもあってか、脚がかなり窮屈きゅうくつだった。座席を最大まで後退させ、何とか体を収める。その間に自動車を起動させたツヅミは、ナビゲーションを操作する。

 2042年現在、海外観光客が増えたことによる国際通貨の手続き省略や偽札急増・金銭トラブル増加に伴って、日本は完全電子マネー国家となっていた。蕗二も持っている銀色のマネーカードは日本国民全員に配布されており、個人情報が詰まった非常に重要なIDカードでもある。この一枚で免許証、身分証明などすべての手続き、また買い物のすべての支払いができる。自動車の場合は、あらかじめ搭載されている電子読み取り機にカードをセットするか、あらかじめ携帯端末に専用アプリをダウンロードしてIDカードを登録しておけば、ドライブスルーなどナビの画面に表示される支払いボタンを押すだけで精算が済むのだ。コインパーキングも例には漏れず、ツヅミが支払いボタンを押せば、自動車の前を塞ぐように地面から映える鉄製の黄色いポールが地面へと引っ込み、車が発進できるようになる。ツヅミはそれを確認してから、シートベルトを締め、ハンドルを握った。


「ほな、出発しますよお客さん。まあ、自動運転システム(ADS)付いてるから、ほとんど運転せーへんねんけど」


 ぱっとハンドルから手を離せば、自動車は滑らかに動き出し、コインパーキングから難なく道路へと滑り出した。沈黙も束の間、突然ツヅミは手のひらを打ち合わせた。


「そうや! あんた帰ってきたら見せよう思っててん」


 信号の止まったタイミングで後ろの席から液晶タブレットを引っ張り出す。指紋登録でロックを解除すると、目の前に差し出される。見せたかったものはメールらしい。シンプルな白い背景に、黒い文字が並んでいる。その一番上の一文に、見覚えのある名前があった。


壱丘いちおか高校野球部】


 蕗二がかつて所属し、同じ土を踏み、泣いて笑って、そして刑事の道に踏み出したときに捨てた、硬式野球部だ。

 なぜ、この名前がある。文字から目が離せずに居ると、母の言葉が横っ面を叩いた。


「同窓会。あんた、こういうの行ってへんやろ? 一回行ってきたらどない?」


 動揺をさとらせまいと、いつの間にか止めていた息とともに無理やり出した声は、今までにないほど甲高くひっくり返っていた。


「まあ、そうやな」


 メール文を読もうとするが、目が滑り、内容は全く頭に入らない。だが、開催日だと思われる日付を見て、安堵あんどの息を吐く。


「でも、もう参加連絡期限終わってるし、開催日かいさいび今日やん。あかんな、間に合わへんかったわぁ。いやー残念や……」


 自分でも呆れるほど棒読みの台詞だ。誤魔化すようにタブレットを閉じれば、ツヅミは親指を立ててみせた。


「そう言うと思って、ばっちり申し込んどいたで!」


 にっこりと満面の笑みを向けられ、蕗二は口の端を引きつらせた。









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