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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 7 朝露に濡れるベゴニア
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File:0

 2042年9月18日木曜日。AM9:20。


 突然だが、三輪蕗二みわふきじは身長が高い。

 よくうらやましいと言われるが、180を越えるとなにかと窮屈きゅうくつだ。頭をぶつけないように身を屈めるのはもちろん、身長に比例して長い手足をぶつけないようになるべくコンパクトに足を折りたたんだりと気を遣う。だが、この空間ではその必要はない。ゆったりと足を伸ばしても、前の座席を蹴り上げることもなく、低反発素材を使っているシートは柔らかく、何時間と座っていても疲れることはないだろう。

 2011年から計画され、やっと2038年に開通したリニアモーターカーの中、蕗二は窓からの景色を眺めていた。分厚いガラスの向こう側では、映像を何倍ものスピードで早送りにしたように風景が一瞬にして通り過ぎていく。乗り込むまでは肌寒い秋の風が吹いていたが、湿度と温度を管理された贅沢ぜいたくな空間だ。もちろん風の音もほとんど聞こえない。窓から見上げた高い空を、いわし雲の大群が悠々(ゆうゆう)と泳いでいる。

 魚の尾を眺めながら、蕗二は2日前に交わした会話をぼんやりと思い出した。




 2日前。9月16日13:00。東京。


 無差別殺人と言う、日本中が注目する大事件に関わったこともあり、蕗二は個室に入院していた。

 取材の申し込みも来ていたようだが、問われることは拳銃の使用方法が適切だったかどうか、または犯人と対峙してどう思ったかぐらいだろう。個人的におおやけに出て話すようなことは何もない。

 だが、マスコミに追われる可能性もあるので、不用意にふらふら外出するわけにも行かず、蕗二は大人しく療養りょうように徹することにしていた。……していたのだが、元よりじっとしていることが苦手な事もあり、檻の中の肉食獣さながら、病室をうろうろする姿を見かねて、部下であり同僚の坂下竹輔が差し入れに漫画を貸してくれた。最近では電子化が進み、持っているとややマニアックだと思われる紙媒体の漫画は、宇宙を舞台にしたギャグ漫画なのだが、日常あるある満載まんさいの内容が、くだらないことでも馬鹿笑いしていた学生気分を思い起こさせ、ページをめくる手が止まらない。

 個室であることに加え、カーテンでベッドを目隠ししたことを良いことに、蕗二は大の字にベッドに寝そべって、おおいにくつろいでいた。

 3巻目を読み終え、ベッドテーブルに積み上げた次の巻へと手を伸ばす。その手をノック音が遮った。ドアがスライドし、誰かが入ってくる。看護師ではないようだ。息を潜め、気配をうかがっていると、カーテンの向こう側で足音は止まった。蕗二くんいいかな、と聞き慣れたかたい声。蕗二は慌てて姿勢を直し、どうぞと声をかければカーテンの向こうから見慣れた顔が現れた。


「調子はどうだ、蕗二くん」


 カーテンを後ろ手に閉めた菊田に、蕗二は座ったまま会釈えしゃくする。


「お疲れ様です。明後日には退院できると医者からお墨付きをもらいました」


 喜ぶかと思えば、菊田は眉を小さくひそめた。


「目覚めてまだ二日ほどだろ?」

「と言っても、二週間も寝てましたから。傷はほとんど塞がってるそうです。でも体を捻ったり、全力で走ったりするのはまだダメだと」


 元々体力に自信があった。そのおかげか回復も通常の患者よりは早いらしく、多少筋肉が落ちた程度で、リハビリの必要もない。昏睡していたことが嘘のようだ。だが、深く刺さったナイフは腸と肝臓を大きく傷つけた。その影響もあり、しばらくは運動や食事は慎重しんちょうになったほうが良いらしい。

 無意識に左腹の傷口に手を当てていた。その手を見つめる菊田は、無表情で感情を読み取ることはできなかった。いや、感情を隠しているんだろう。やや重い沈黙に戸惑っていると、菊田は瞬きをひとつする。


「一度、大阪に戻ったらどうだ?」


 その言葉に、今度は蕗二が眉をしかめた。久しぶりに聞いた故郷の名の意味を問うように菊田を見上げる。表情を崩さない菊田は、あくまで事務的に伝えているようだ。部下に指揮するように淡々と言葉をつむぐ。


「君の有給消化率は、非常に悪い。とっくの昔に有給付与限度、最大日数まで溜まっている。今回の入院分を消化し、なおかつ里帰りを一週間したとしても、十分に余るだろう。まあ、今回の入院については、労災に当たる事案だ。有給申請にするか、休業給付申請にするかは君次第だが、どうする?」

「え、じゃあ、有給消化で……じゃなくて、いくらなんでも休みすぎじゃないですか? 確かに怪我をしてますが、もう動けますし、【うちの部署】だったらそんなしょっちゅう……」


 蕗二がまくし立てると、菊田は盛大な溜息をついた。溜息ためいきで体から空気を抜いたのかと言うほど背を丸め、ベッド脇に立てかけてあった折りたたみ椅子を展開すると、「よっこらしょ」など中年丸出しの一声とともに腰を下す。蕗二とほぼ同じ目線になった菊田の表情は厳粛げんしゅくな上司のものではなく、近所の世話焼きなおじさんのようだ。


「休みすぎも何も、まだ完治じゃないだろう。事件は待ってくれないんだ。万全の状態で戻ってきてもらわなければ、いざ君たちに動いてもらう時にこっちも気を遣う。一番に走って犯人のケツに噛み付いてくれないと」

「いや、ケツって菊田さん、警察犬でもケツは噛まないでしょ?」

「そうだったか? しかし、君が犬だったら大迫力だな」

「迫力ありすぎて、逆に犯人死ぬ気で逃げるんじゃないですか?」

「分かってないな、一般人はほとんど死ぬ気なんて体験したことないんだ。だいたい失禁チビって動けなくなるに決まってるだろう。いや待て、そうなったらパトカー乗せるのが嫌だな。昔、交番ハコバンしてた時にな、一度ウンコ漏らした奴を連行したことがあるが、これがまた、よりによって下痢ウンコでな? 車の中のウンコしゅうがすごいのなんの。署について野郎がケツ洗ってる間、ウンコ臭消すために制服とパトカーに消臭剤ぶちいて一本空にしたんだが、野郎のあだ名、しばらく『ファ〇リーズ』だったからな」

「ぶふぉッ!」


 蕗二は堪えきれず盛大に噴き出した。冷ややかな目で人をぶん投げたり、赤鬼と呼ばれ同僚や部下から恐れられるあの菊田が、まさかのウンコウンコと連呼するとは。先ほどまでギャグ漫画を読んでいたこともあり、笑いのハードルが下がりに下がっていた蕗二は、腹の傷を押さえながらひーひー笑い転げる。

 傷を押さえたせいか、菊田が慌てて謝るから余計おかしい。目の端に浮いた涙を手の甲で拭い、腰を浮かした菊田に頭を下げた。


「ありがとうございます、菊田さん。お言葉に甘えて、一週間ほど実家に戻らせていただきます。届出には療養りょうようと書いたら良いですか?」


 顔を上げれば、菊田は目をしばたかせ、困ったように肩をすくませた。


「君は少々律儀だな? 理由なんて書かなくてもいい。私用で通る。……さて、用件は以上だ。あまり長居するとサボってるように見られてしまう」


 菊田は椅子から難なく立ち上がり、手早く椅子を畳んだ。カーテンに手をかけたところで、ふと思い出したように足を止める。


「くつろぐのは構わないが、ナースに笑われない程度にしておけよ?」


 意地の悪い笑顔がカーテンの向こうに消えた。病室のドアがスライドし、足音が途切れる。蕗二はベッドテーブルの上に乱雑に積み上げていた漫画の山を丁寧に整えた。



 菊田の計らいもあったのか、一週間の休暇申請はあっさり承認された。竹輔にしばらく留守にするびの電話を入れれば、まかせろとこころよく送り出してくれた。

 正直、ありがたかった。傷に療養もあるが、この時期はいつも有給を取っている。


 9月19日、もうすぐ父の命日がやってくる。


 記憶の再生が終わったと知らせるように、前の座席が騒がしくなる。

 どうやらまだ小学校に通っていないような幼い子供が居るようで、富士山がいつ見えるのか強請ねだるように母親に聞いている。

 蕗二は小さく微笑んだ。残念ながら、リニアモーターカーの進路上、富士山を見ることはできない。

 脳裏に富士山の姿を思い浮かべる。といっても、蕗二はあまり富士山を知らない。正確には、『元』の富士山の姿を知らない。と言うのも、富士山は2019年に大噴火を起こし、大きく姿を変えてしまった。山頂が崩れ、盛り上がり新たな山頂ができたため、今は山が二つ並んでいるように見えることから、新たに富士連山ふじれんざんという名前が付いているのだが、昔の名残で今も富士山と呼ばれている。

 噴火当時、幼かった蕗二は大阪に住んでいた事もあり、まったく覚えていない。しかし、災害予想を大きく上回る火山灰と火山性地震によって東京はライフラインが停止する、甚大じんだいな被害をこうむったと現代社会の教科書にも載っている。


 そして嘘か真か、噴火の影響で、日本は急速に成長を始めたらしい。


 神の山と崇められた富士山の噴火がもたらしたもの、それが良かったのか、悪かったのか。日本が発達しなければ、『犯罪防止策』は生まれなかったかもしれない。そして、もし父が死ななければ、もし警察にならなければ、もし【特殊殺人対策捜査班】ができず、≪彼ら≫に出会わなければ……俺たちは、今とは全く違う道を歩んでいたかもしれない。だが、もしもの世界を、蕗二のちっぽけな脳みそでは想像することはできなかった。考えても分からない。過去は変えられない。

 諦めのような虚しさのようなやるせなさが押し寄せる。

 深く沈もうとする思考を遮るように、蕗二は座席に深く腰掛け、腕を組んで目を閉じた。








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