File:01 Castling
頭が痛い。
叩かれているような、絞められているような、その両方か。
何がどう痛いかも、わからないくらいだ。
ふらつく足が階段に躓く。そのまま、段差に座り込んだ。
立てた膝の上に頭を乗せ、深く呼吸を繰り返す。波が引くように頭の痛みが引いていく。
すると突然、甲高い音が鳴った。
振り返ると、階段の上にモニュメントが立っていた。金と銀のパイプが絡まりあった時計塔。夕日を受けて眩しいほど輝くそれの、古めかしいカラクリが音を立てて、起動していた。
金の時計板がひっくり返り、ぜんまいで動く金色の子供が楽器を弾いている。
オルゴールとハープの混ざり合った神秘的な音色。
通りがかった人々も周りで待ち合わせをしている人々も、心地よさげに耳を傾けている。
その中で一人、芳乃は俯き歯を食いしばった。
耳を塞ぐため持ち上げた両手は、胸の奥から込み上げてきた咳に下される。
胸が痙攣するように、咳は止まらない。肋骨が強風に煽られた枝のように軋みを上げる。喉に細かな針が刺さっている気がする。頭が脈を打つように痛んでいる。口の中が乾いて、わずかに血の味がした。
酸素が足りない。マスクを外して喘ぐ。
まるで、打ち上げられた魚のようだ。
平然と目の前を歩いていく人を見ながら、一人溺れている。
「だから嫌なんだ」
芳乃は顔を歪め、両手に顔を埋めた。
手のひらに押し付けた眼が、溶け落ちるんじゃないかと思うほど熱かった。
「Can I help you?」
すぐ隣で声がした。指の間から視線を向けると、スーツの男が座っていた。
色の濃い眼鏡がこちらを覗きこんでいる。
芳乃は顔を上げ、断りの言葉を舌に乗せる。口を開いて吐き出す前に、遮るように大きな手が額に押し当てられた。その手は、振りほどくには惜しいほど、心地いい冷たさだった。
「Hey, you! Have you any fever? Let`s take you to the hospital!(ちょっと君! 熱があるじゃないか?病院に行こう!)」
男は耳に嵌めこんでいる小型機械を叩いた。芳乃はすぐさま首を振り、左人差し指に嵌められた、指輪型端末を覆うように男の手を掴んだ。
「thank you. but I`m OK. Please I want you to leave me alone.(ありがとう、でも大丈夫です。そっとしといてください)」
そこまで言葉を紡いだ芳乃は、黒い眼を細める。光を遮る濃いガラスに、眉を潜める少年が映っていた。
「失礼ですが、日本語しゃべれませんか?」
すると、男は目の前で手を叩かれたように驚いた。
たっぷり三秒固まった男は、突然仰け反って軽快に笑う。
「いやいや、悪かった。日本人はね、英語を話すと挙動不審になるって聞くから、試しただけなんだ。ある意味当たりだな」
犬を撫でるように手を伸ばされる。芳乃は男を『視』て、今度は避けた。空ぶった手を不思議そうに見る男を、芳乃は不快だといわんばかりに睨んだ。
「病人をからかうなんて、失礼ですね」
「それは謝るよ。悪かった。話しかけた最初の理由は、本当に君の体調を心配してなんだよ。私は医療に携わっていたこともあってね。放っておけない性分なんだ」
男が色の濃い眼鏡を取った。
引き寄せられるように男の眼を見る。
初めて見る色だった。
磨き上げられた鋼鉄のような、灰色の虹彩。瞬くたびに、表面に青や緑の粒が混じりこむ。
「原因は、風邪だけではないね?」
芳乃は体を凍りつかせる。首を絞められた気がする。無理やり息を吸い込んで、驚いた肺が強く咳を吐き出す。体を折って、込み上げて止まらない咳を両手で受け止める。
「恐がらなくていい。視てごらん。そしたら、君と私の接点がわかる」
大きな手が背を擦る。促されるように、恐る恐る視線を上げた芳乃は、黒い眼で男を視る。
白い百合のロゴ、ガラス張りの部屋、重厚な机の上に置かれた黒い札、金色の文字でCEOと書かれている。
「ジブリールの、社長?」
「Exactly!(そのとおり)」
嬉しそうに指を鳴らす。眼の下に薄っすらと入る皺から、歳を重ねているようだが、行動は芳乃と同年齢のようだ。演技なのか素なのか、判断できない。
芳乃は咳を押し留めるように、喉奥で空気を堰き止める。黒い眼の縁に氷が張り始める。だが、突き刺すような頭痛に襲われて、咳とともに息を吐き出した。芳乃は頭を抱えて、目を瞑る。男は心配そうに、芳乃の背に手を回す。
「本当にとても具合が悪そうだ、家まで送っていくよ?」
「遠慮させて頂きます」
男から距離を取るように芳乃が立ち上がると、追うように男も立ち上がった。
モデルのように足が長く、背が高い。あの刑事と同じくらいだろうか。芳乃は頭の片隅に三輪蕗二の姿を思い浮かべていると、気が付けば目の前に名刺が差し出されていた。
「じゃあ、これだけでも受け取って?」
痛む頭は深く考えずに名刺を受け取る。さらりと手触りがいい。百合のロゴの下、英語でつづられた名前を視線でなぞる。思い浮かべた芳乃の疑問は、すぐさま答えられた。
「気が向いたらで構わない、電話をくれないか? 今度一緒に食事がしたい」
男の指が、名刺のPhoneの横に並ぶ数字をなぞる。
「ゆっくり、話をしよう。これについても、きっと君と私は同じ悩みを持っている」
男は灰色の眼の下を指先で叩く。
「考えておきます」
芳乃は声が震えないよう、そう答えることで精一杯だった。
男の視線を振り払うように、足早に人混みの中へと紛れ込む。
その小さな背を、男は見つめていた。
男の口元が弧を描く。灰色の眼が夕日を取り込んで、血のように赤く染まった。
「It`s time to play the game.」
男の低く冷たい声は、喧騒に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。
昼を飲み込み、闇夜が訪れる。
暗闇を恐れるように、街は煌煌と光り始める。
太陽に代わり君臨する青白い月が、目を細め、街を見下ろしていた。
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|Thank you for reading to my story.Was it interesting?
Please also read the next story. It's more interesting.
Let's meet again soon. Next madness is waiting for you.
(私の話を読んでくれてありがとう。面白かったかな?
次の話も、ぜひ読んでほしい。もっと面白いから。
それじゃあ、また会おう。次の狂気が、あなたを待っている)
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