File:3 わからない
AM9:44。 中央区、喫茶店内。
まだ朝と言うこともあるのか、疎らな人の気配のせいもあるだろう。珍しい手書きのメニューにクラシック音楽の流れる店内は、まるで時代に取り残されたような寂れた雰囲気を漂わせている。
その店の奥、蕗二は思わず眉を寄せた。
通路を挟んで斜向かいに座る、竹輔と談笑する野村の後頭部を見て、ますます眉間に皺を寄せた。
正面に座る男、杜山若貴。
野村とはまるで真逆だ。学校のクラスで言う派手な女子生徒と、真面目な運動部の部長のような……それくらい違いすぎて不自然な組み合わせだ。
杜山に首を傾げられ、蕗二はわざとらしい咳払いで気を取り直した。
「ストーカーに遭ってるってのは……」
「その前に。刑事さんって言うのは、本当なんですか?」
蕗二は思わず瞬く。
間抜けな顔をしているのだろうが、杜山は唇を引き締め、じっとこちらを観察している。なんとなく思い当たることがあり、蕗二はひとつ頷くと、スーツの内ポケットから丁寧に手帳を引き出し、机の上に顔写真が見えるように開いてみせる。
そこでやっと杜山は表情を緩めた。
「そんなに刑事に見えないか?」
「ち、違います! 念のためと言うか……疑ってすいません」
丁寧に頭を下げる杜山に、蕗二の予想が当たっていたことを確信する。
警察は警察手帳規則第5条によって、職質中などの職務中に手帳の呈示を求められた場合は応じなければいけないと決められている。だが、警察官によっては見たら分かるだろうとやたら強気に拒否する場合があるらしい。
手帳を出せと催促することで、その態度や仕草から「三輪蕗二」という人間を見極めようとしたのだ。
賢いというべきか、用心深いというべきか。ますます疑問が膨らんだ。
手帳を内ポケットに収め、ガラスコップに入った水で舌を湿らせた。
「なあ、お前は野村の彼氏か?」
杜山はきょとんとした表情で蕗二を見つめ、そして突然吹き出した。
「まさか! ただの幼馴染みですよ。親の仲がよくて、中学まで一緒だったんです。高校で離れたんですけど、大学でたまたま再会したんです」
「そうだったのか」
「逆に、おれ達付き合ってるように見えました?」
「ああ。なんて言うか、友達ではなさそうだな、と」
趣味が合わなさそうな男女で仲が良いなら、自然とそういう結論に辿り着いてしまう。
蕗二の表情に察しが着いたのか、杜山は小さく笑った。
「まあ、そう思われても仕方ないかな。でも付き合ってないです。けど、おれの中でもよく分からない部分もあります。でも男女のそんなんじゃなくて、妹みたいな感じというか、ただ」
水の入ったガラスコップを握りこみ、杜山は強い視線を蕗二に向けた。
「野村を支えたいんです」
杜山の真っ直ぐな視線に嘘はない。
蕗二は机の上で手を組んだ。指の腹で、手の甲を撫でる。
野村は人に触れないと言っていた。
どこまで本当かはわからない。だが、それが本当なら手を繋いだり、抱きしめたり、当たり前の触れ合いはできないだろう。だが、やっぱり好きだとか思えば思うほど、触れたいと願ってしまう。その相違は付き合う人間も、そして野村自身も苦しめるかもしれない。
それを杜山は知っている。
知っているからこそ……。
「刑事さん、もしかして野村と付き合って?」
「あ?」
突然の声に、反射で不機嫌な声を上げてしまった。
杜山が慌てて平謝る。
「すいません、だってそんなこと聞かれるからてっきり」
「ああ悪い、ただの興味本位だったんだ。野村は何でもねぇよ、ただ捜査の縁で知り合っただけだ」
女性が嫌いと言うわけではない。中・高校の時には彼女も居たし、今でも好みの女性がいれば目が奪われることもある。だが、なぜだか捜査に関わる女性に興味が出ないのだ。だから、野村も例外じゃない。
杜山はふと考え込むように腕を組むと、何か思い出したらしい短い声を上げてこちらを指差した。
「じゃあ、『あの時』の?」
「あの時?」
何のことだかわからない。首を傾げると、杜山は大げさに首と手を横に振った。
「すいません、おれの勘違いでした」
口を開きかけた蕗二を遮るように、お待たせしましたと声がかかる。
女性店員が机の傍らに立っていた。蕗二の目の前に質素な白い陶器のカップにふっくらと泡の乗ったものが、杜山の前には大粒の氷が浮かぶアプリコットの透き通った飲み物が置かれた。
杜山がそこにガムシロップを入れ、ストローで豪快に混ぜるのを見届け、蕗二は陶器のカップを持ち上げる。熱さを確かめるようにそっと傾け、珈琲を口に含んだ瞬間、噴き出しそうになる。
カップの熱さよりも中身の方が相当熱かった。そっとカップをソーサーに戻し、ひりつく舌を誤魔化すように水をふくんで冷ましていると、不意に杜山が前かがみになる。
一瞬野村を目の端で窺い、口の端に手を添え、低い声で囁いた。
「刑事さん。ストーカーされてるの、おれじゃなくて野村なんです」
その声に含んでいた水を喉奥へ押しやり、杜山に習い、前のめりになり、同じく声を抑えた。
「詳しく」
「行く先々に見たことある奴が居て、いやに後をついてくるから様子を見てたんです。そしたら、おれ達をストーカーしてることに気がついて、まさかと思ったら案の定、目的は野村でした」
「野村は気付いてるのか?」
「あいつ昔から鈍いんですよ。今日話を遠まわしに振ったら、刑事さんに連絡してあげるって」
「それでか……」
蕗二はメモ帳を取りだし、ペンを握る。
「ストーカーの特徴は?」
「あんまり特徴ない顔なんだったんですけど……あ、携帯! あいつ絶対携帯持ってて、骸骨の全身骨格のストラップつけてました」
「≪マーク≫は?」
「え?」
蕗二はペンを止め、メモから視線だけを上げた。
「青か赤か、≪マーク≫は付いてたか?」
鋭い視線と猛獣の唸りに似た低い声に、杜山は手のひらに汗を滲ませる。止まりそうな息を無理やり飲み込み、首を振る。
「いえ、わかりません……」
「そうか……すまない」
視線をメモ帳に戻した蕗二は、もう一度陶器のカップに口を付け、顔を顰めた。そこには猛獣の面影はない。杜山は乾いてひりつく喉に紅茶を流し込んだ。
グラスの中を飲み干した杜山に、蕗二は改めて問う。
「そいつを、目撃するのは主にどこだ?」
「バイト先が一番多くて、江東区のピザ屋ピザーモンなんですけど」
「……バイトも一緒なのか?」
「はい、バイト先で再会して、話したら大学一緒だったんですよ! 世間狭いなあって思いましたね」
「さいですか……」
どこか呆れた表情を浮かべた蕗二は、手元のメモを破いて二つに折り、杜山に差し出した。
「もし、また後をつけられたらここに連絡してくれ。余裕があれば、建物に避難を。それと、なるべく人目のあるところを通れ」
杜山は強く頷き、メモを受け取る。斜向かいの竹輔に視線で合図し、立ち上がる。
竹輔が頷くと野村が振り返った。どうやらこちらを待っていたらしい。大股でこちらに来ると、急かすように机を叩いた。
「三輪っちありがと! 杜っち、ちょっと急がないと、講義間に合わないかもぉ」
「あ、マジ? もうそんな時間か。えーっと……」
「三輪だ。お茶代は良いから、気をつけて授業行けよ」
「三輪さん、ありがとうございました」
慌しく荷物を担ぐ杜山の隣、野村が蕗二を手招きする。軽く屈むと、両手を耳に手を添えられる。
「竹っちに、アレのこと言っといたからね」
蕗二が顔を上げると、野村は杜山の腕を引いて走り出した。その背を見送り、隣に立った竹輔に視線を落とす。
「悪いな、相手してもらって」
「いえいえ、超盛り上がりましたよ。それより、ストーカーの件、どうでした?」
「ああ、杜山じゃなくて、野村の方にストーカーが付いてるらしい」
驚きの声を上げかけた竹輔は、慌てて自分の口を手で塞いだ。誰もこちらを見ていないのを確認し、そっと手を外す。
「じゃあ、野村さんがSOSを?」
「いや、杜山が言うには、野村は気がついてないらしい」
蕗二は野村と竹輔の分もまとめて会計を済ませ、店を出る。
なんとなく道に視線を向けるが、野村と杜山の背はもう見えない。
授業に間に合うように祈りながら、店の裏へ繋がる細道へと入る。
「ストーカーの出る場所が江東区らしい」
「江東区って、事件の隣区じゃないですか!」
「ああ、野村のストーカーが事件と繋がってるかは分からねぇが、とっととケリつけないと厄介なのは間違いない」
裏手の小さな駐車場、停めていた覆面パトカーに乗り込む。
竹輔がドアを閉めるタイミングを見計らって口を開いた。
「野村、なんだって?」
「はい。犯人は几帳面な性格だそうです。どれを見てもまったく同じ殺し方で、また何回も犯行をしている割に、慣れから来る雑さが出てないところから、慎重でもあるとのことです。あと、胸に刃物を突き立てたのは、抵抗する力を奪うというよりも、抵抗する意思を削ぐためだそうです。胸を刺されて動揺した被害者を、より確実に首を絞めて殺害するために……」
「慎重で几帳面で、計画的な犯人……」
蕗二は腕を組んで唸った。
野村の観察力が正確なのはよく分かっている。
だが、いろいろ合点が行かないし、混乱している。
慎重なくせに、わざわざ人目につくようなリスクを犯したりする。考えと行動があまりにチグハグで意味が分からない。
それに慎重だとするのならまず、なぜ篝火の言うことを聞く? 相応の報酬を貰っていたのだとしても、人を殺すメリットがない。ばれないという自信の表れなのか。それとももっと別の……?
蕗二は鋭い舌打ちをし、後頭部を掻く。
「あー、やめた。考えてても埒が明かない。なんとしても、篝火を吐かすぞ」




