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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 2  憂愁のソーンクラウン
11/97

File:3 アーティスティック




 5コールで画面が切り替わる。

 が、菊田と違い画面は真っ暗のまま、『もしもし?』と小さな声だけが聞こえた。


「おい芳乃ほうの、なんでカメラ切ってんだ?」

『あの、誰ですか?』


 不安なのか、声が小さい。蕗二はそこでやっと名乗り忘れていたことに気がついた。


「悪かった、警視庁の三輪だ」


 すると、声が別人のように刺々(とげとげ)しいものに変わった。


『なんでぼくの番号知ってるんですか。迷惑なんですけど』

「そんな事はどうでもいい」

『……まさか捜査ですか?』

「ああ」

『嫌です』


 即答そくとうだった。蕗二は言い聞かせるようにはっきりと言葉を投げる。


「とりあえず話だけでも聞けよ、厄介けっかいな事件なんだ」

『だったらなおさら嫌です』

「だから聞けって、こっちは人の命かかってんだ」

『人の命がどうとかよりも、まずぼくの本業は学生です。そして本来、事件を解決するのは刑事さんたちの仕事じゃないんですか? 少しは考えて発言してください』


 溜息交じりに淡々と返され、思わず蕗二ふきじは頭をきむしった。

 初めて会ったときから、彼・芳乃蓮ほうのれんは協力的とは言えなかった。

 他の≪二人≫と比べても、言葉にとげを含み、嫌々ながらという態度たいどをまったく崩さない。今回正直、電話に出ただけでも奇跡きせきだろう。だが、目の前に出てきてくれなければ困る。


「不本意だけどな、お前が一番の戦力なんだよ」


 芳乃は口を閉ざした。肯定こうていとも取れる沈黙に胸をなで下ろした途端、低い声が返ってきた。


『刑事さん、ぼくは“何”ですか?』


 感情のない芳乃の声に、氷のように冷えた目を思い出した。

 蕗二は無意識に音を立ててつばを飲み込む。


『まず犯人の目星めぼしはついていますか』

「いや、これからだ」

『丸投げですか』

「違う」

『違うんですか。じゃあ、なんでぼくに電話してきたんですか』


 何か言わなければ。そう思うのに、芳乃の言葉がじわりと蕗二の喉を締めつけ、言葉を奪う。


『ぼくは便利道具じゃありません』


 音を立てて電話が切れた。等間隔で鳴り続ける電子音を聞きながら、心臓の上を軽く押さえる。

 そこには菊田から渡されたしわだらけの白い紙が入っていた。


 “ぼくは便利道具じゃありません”


「わかってるよ、んなこと……」


 口からこぼれ落ちた自分の言葉に、吐き気がした。

 うつむいた先、真っ黒になった液晶画面に人相にんそうの悪い自分の顔が映っている。

 小さく舌打ち、液晶端末をポケットにじ込んだ。

 顔を上げると丁度ちょうど、電話を終えた竹輔たけすけ桑原くわばらが小走りでやってきた。


「どうだ、≪二人≫は」

「はい、野村のむらさんはすぐに本庁ほんちょうに来てくれるそうで、片岡かたおかさんは仕事が終わり次第とのことです」

「よし。桑原さんはどうだ?」

「はいッ! 了承りょうしょうを頂きましたッ」

「ありがとう。んじゃ、行くぞ」

「あれ? 蕗二さん、芳乃くんは?」


 竹輔の声を振り切るように、出口に向かって歩き出すと、それ以上彼は何も言わなかった。









 PM13:56。


 蕗二ふきじは竹輔と桑原を覆面パトカーに乗せ、本庁に戻った。

 地下の車庫に入れ、すぐ安置所あんちじょに向かおうとしたが、竹輔の提案で野村をエントランスで待つことになった。

 エレベーターの分厚いドアが音もなく開くとともに、蕗二を先頭にエントランスへと足を進める。

 目に入った広いエントランスは、蕗二が最初に本庁を訪れた時と、大して変わった様子はなかった。

 だが、蕗二の眼がある一点でとどまる。

 エントランスの窓際に並んだベンチに、夫婦らしき二人が座っていた。

 ハンカチで顔を覆っている女性の顔は見えないが、抜け殻のように宙を見つめる男性は、実際の年齢よりも老けて見えるほど憔悴しょうすいしきった表情だった。

 蕗二と竹輔はアイコンタクトを取ると、エントランスを横切って夫婦に近づいていく。

 目の前に立つと、男性が無気力むきりょくな目を蕗二に向けた。二人の前に蕗二は膝をつく。


「失礼いたします、飯田美穂いいだみほさんのご両親でしょうか」


 父親である男性が小さくうなづくのを確認した蕗二は、胸元から警察手帳を引き出し、かかげてみせた。


「私、刑事の三輪と申します。美穂さんの件を担当しています」


 美穂という言葉に、ハンカチで顔を覆っていた母親がはじかれたように顔を上げた。

 それとほぼ同時に、白い手が女性とは思えない力で蕗二にしがみ付いてきた。蕗二でなかったら、恐らく母親ごとひっくり返っていたかもしれない。驚いた父親が母親の名を呼んだが、止まるどころかさらに蕗二の腕に爪を立て、震える声を上げた。


「美穂は、殺されたんですよね?」


 泣き腫らした赤い眼が蕗二を見上げる。蕗二は開きかけた口を閉じ、慎重しんちょうに言葉を選ぶ。


「美穂さんについては、大変おやみ申し上げます」

「そんな言葉いりません!」


 母親が大声で叫んだ。が、よっぽど泣いたのだろう、かすれた声は床に落ちていく。それでも声を振り絞り続ける。


「刑事さん、必ず、必ず美穂を殺した犯人を捕まえてください! お願いします!」


 蕗二を強く揺すりながら、母親は崩れるように頭を下げ、何度も何度も、懇願こんがんしながら蕗二の腹に頭を擦りつけてむせび泣いた。

 その背中で父親は拳を握り締め、必死に嗚咽おえつをこらえていた。

 すがりつく母親の背に、10年前父の遺影を抱きかかえ、泣き崩れていた母の背が重なった。

 いつの間にか噛んでいた下唇を離し、深く息を吸う。震える肩に手をそえ、蕗二は腹に力を込めた。


「必ず」









 竹輔が手配してくれたタクシーに、目をらした夫妻を乗せ、テールランプが見えなくなるまで見送った蕗二は、涙で色の変わったジャケットを脱いだ。隣で竹輔が小さく鼻をすする。


「竹、なんとしても、犯人を捕まえるぞ」

「はい、もちろん」

「三輪殿ッ、坂下殿ッ!」

殿どのって何やねん」


 竹輔の言葉を遮るように声を上げた桑原に、ほぼ反射的に返事をした蕗二は、桑原を見て首を傾げた。

 片手に液晶端末を握り締めた桑原の顔から血の気が引いていたのだ。


「おいどうした」

「け、検視官けんしかんが、お呼びですッ!」


 蕗二は嫌な予感に背筋を震わせた。







 エレベーターを降りると、地下であるその階は不気味な静けさに包まれていた。

 早足に廊下を進み、突き当たりを右に曲がると同じような廊下が続いている。

 その奥、両開きの扉の前に女性が一人。

 どこかに電話をしているらしく、向けられた後頭部から秘書のような近寄りがたい雰囲気ふんいきを漂わせている。蕗二たちの気配を感じたのか、女性は流れるような視線でこちらを見ると、二言ふたことほど言葉をつむいで液晶端末の画面を指でなぞり、電話を切った。

 襟足えりあしでそろえられた髪を揺らし、女性はただでさえ吊り上がった目をさらに吊り上げ、長年(うら)んでいた相手でも見つけたかのような形相ぎょうそうでこちらに近づいてくる。

 踏み鳴らされるヒールの音が、さらに威圧感いあつかんを放っていた。

 なんだ、と蕗二が身構えた直後、女性が口を大きく開いた。


「おらテメェ! あれは誰だコラ!」


 女性の声は廊下に響き渡った。耳鳴りが起こるほどの大音声だいおんじょうと、女性にしては低い声が迫力はくりょくを倍増させていた。

 嫌でもひるんだその一瞬で間近にせまった女性は、蕗二と竹輔の後ろにいた桑原の胸元をつかみ締め上げた。

 こうなることは覚悟していたらしい桑原は、姿勢を伸ばし声を張り上げた。


「ご、ご報告したッ、捜査員だと思いますッ!」

「声がデケェ! ご遺族だと思って通しちまっただろうが! 私服で来るなら、そう言っとけ! それとそこの! お前らも誰だ!」


 突然矛先(ほこさき)を向けられ、竹輔が引きつった声を上げる。

 蕗二は視線を遮るように一歩前に踏み出し、姿勢よく敬礼してみせた。


「初めまして、【特殊殺人対策捜査班】の班長、三輪です。こっちは坂下巡査部長。あなたが検視官ですか?」


 そう言うと、女性は驚いた猫のように目を丸くした。


「あー、見かけない顔だとは思ってたけど、この前の変死体事件をめちゃくちゃ早く解決したって言う部署ね。そう、アンタ達が、ふーん」


 品定めするように蕗二と竹輔を見ると、やっと桑原から手を離す。

 突然開放され、せききこむ桑原に見向きもせず、女性は蕗二に右手を差し出す。

 蕗二が握手に応じると、力強く握り返された。


「検視官のあずまだ。取り乱して悪かったわね」

「いえ、こちらこそ。桑原さんから連絡して頂くようにお願いいたしましたが、こちらの連絡ミスです。彼に非はありません」

「ふーん。まあいいわ。今回は許すけど、次から気をつけな」


 無駄のない動きできびすを返したあずまは、元いた場所、両開きの扉の前に立った。


司法解剖しほうかいぼうに回すから、お仲間さん早めに切り上げさせてよね」


あずまは横目で蕗二を一瞥いちべつすると、扉を開け放った。



「きゃあああああああ!」



 蕗二たちの耳に、悲鳴が飛び込んできた。

 いや違う、歓喜かんきだ。アイドルや有名人でも見つけたような色のついた声。

 化粧を完璧かんぺきほどこし、流行の服を身に着け、気の合う友達と毎日のように遊び歩き、長いようで短い大学生活を謳歌おうかしているに違いない。

 そんな彼女は今まさに、しっかりした半透明のビニールエプロンと帽子、マスクにゴーグルと全身をおおい、目を離せば頬擦ほおずりでもしそうな勢いで、けして広くは無い部屋の真ん中に横たわった少女の遺体の周りでさわいでいた。


「すっごーい!! やばーい! テンションあがるー! もぉ、この死体、最高ぉ……!」


 嫌な予感が当たったと、蕗二はひたいを押さえた。

 東が怒るのも無理はない。

 こんなテンションでぬいぐるみ相手に言うならまだしも、遺体と向き合う女子なんてあり得ない。目の前で吐いてくれた方がまだマシだ。


「おい、野村」

「あ、三輪さんに坂下さん最近ぶり!」


 無邪気に青いゴム手袋に包まれた腕を振る。その耳元で花が揺れていた。そこにもれるように、青いフープリングが光っている。

 ≪犯罪者予備軍≫(ブルーマーク)

 けして一般とはいえない思考の持ち主たち。

 小さく青い光はいつも、残酷ざんこくに現実を突きつけてくる。

 蕗二はわざとらしく大きな溜息をつき、野村のかたわらに立った。目の前に横たわる飯田美穂いいだみほは、身体に白い布をかけられていて、つぶされた無残な顔は、包帯でおおわれている。


「何かわかりそうか?」


 蕗二が呟くと、野村は長いまつげで覆われた目を蕗二に向けた。


「これ、殺人よねぇ?」

「え?」


 思わず聞き返した蕗二から、野村はあずまに視線を移した。


「ねぇ、お姉さん。こっちが先で、こっちが後よねぇ?」


 野村が指差したのは、首にはっきりと残る絞殺痕こうさつこん

 よく見なければ分からなかったが、線はぶれて二つあった。

 あずまが深くうなづくと、野村はあごに人差し指を当て、小さくうなった。


「首吊りに見えるように絞めるのはー、意外と簡単なんだけどぉ。普通殺されそうになったらさぁ、抵抗するでしょ? 首引っいちゃったり……でも、それがないのよぉ。もしかして、手首か指とかしばられたのかなぁって思ったけど、それもないしー? 頭殴られて気絶してたーって訳でもなさそうだし……むしろぉ、殺されたかったのかなぁって印象?」


 野村の言葉に、蕗二は混乱する。

 死にたかった? まさか。

 そう思った蕗二は頭を振る。

 考えられなくも無い。自殺サークルなんてものもある。だが、それなら集団自殺になるはずだ。

 いや、二人だったなら話は変わる。死ぬのを手伝う振りをして、殺したのか。

 じゃあ、なんで顔を潰したんだ。

 人相を割れなくするため。

 つまり捜査を遅らせるため。

 その間に凶器とか証拠を全て隠蔽いんぺいするつもり、とか。

 ぐるりと思考が回る。今日見た事をすべてひっくり返して洗い直す。

 そうだ、荷物に手は付けられていなかった。もし捜査を本気で遅らせたいなら、身元のわかるものは全て持ち去るはずだ。

 じゃあ、一体何なんだ?


「おーい三輪さん、大丈夫―?」


 その声と目の前で振られる野村の手に、はっと思考の海から引き上げられる。


「あ、悪い……」

「いいよー。でねぇ、お願いなんだけどぉ、顔の包帯とってもいーい?」


 包帯で覆われた少女・飯田美穂の顔を指差した。

 蕗二ふきじあずまに視線を向けると、小さく頷いた東がひじで桑原を小突こづく。戸惑う桑原は東に顎でうなされ、しぶしぶといった様子で青いゴム手袋を装着すると、少女の前でしばらく手を合わせ、そっと少女の頭を持ち上げた。同じく手袋を着けた東が手を合わせると、丁寧ていねいに包帯を取り除く。

  徐々(じょじょ)にあらわになる少女の顔に、竹輔は息をんでうつむき、蕗二も視線を泳がせた。

 写真で見たものよりも、凄惨せいさんだった。

 見ていると吐き気が嫌でも込み上げてくる。だが、野村はめるように見つめていた。


「この死体、綺麗きれい……」

「綺麗?」

「うん。顔もー、無茶苦茶に潰した感じじゃなくてねぇ、ねらって潰したって感じ?」

「なんだよそれ」

「うーん、……あっ、アーティスティック! アーティスティックな感じ!」


 野村の声に反応したように、突然ポップな音楽が鳴る。

 そろって全員が目を丸くする中、野村があっと声を上げ、身につけていた手袋や帽子を次々と脱ぎ捨てる。部屋の隅に置かれた鞄から派手なカバーに包まれた液晶端末を取り出す。指先でなにやらいじくると、音楽は収まった。満足げに息を吐いた野村は振り返ると、両手を合わせた。


「ごめーん三輪さん坂下さん。私これから大学の授業あるから、いったん帰るねぇ」


 あっけに取られ、固まった蕗二たちを気にもせず、手鏡のように液晶画面に映った自分を見ながら、乱れた髪を慣れた手つきで直すと、颯爽さっそうと歩き出した。


「あ、ちょ、野村!」


 蕗二の声に振り返った野村は、先ほどまで死体を見ていた同一人物とは思えないほど、年相応としそうおうで無邪気な笑顔を浮かべた。


「じゃあねぇ、終わったらまた電話するからぁ!」


 音を立てて閉まったドアを呆然ぼうぜんと見つめる蕗二ふきじに、あずまは鼻息を荒くした。


「あの子、すじが良いわね。気に入った。鑑識に紹介してくれない? ウチのと組ませたいわ」


 背中を叩かれた桑原が、血の気の引いた顔で蕗二を見た。


「大変申し訳ないですが、野村は民間人なんで」

「あ、そうなの? ふーん……まあ民間人がなんで捜査に加わってるのかは、突っ込まないでおくけど」

「感謝します」


 蕗二が頭を下げると、部屋に付いていた古そうな電話が鳴った。

 一番近かった竹輔が受話器を持ち上げる。


「はい、【特殊殺人対策捜査班】坂下」


 二言三言で会話を終了させた竹輔に、蕗二は声をかける。


「どうした?」

片岡かたおかさんが監視かんしルームに来てるそうです」


 蕗二はうなづくと、あずまに頭を深く下げる。


「ご協力ありがとうございました」

「アンタらも忙しいね。まっ、何かあったら鑑識まで来な。野村あのこめんじて、特別大目とくべつおおめに見てやっても良いよ」


 歯をいて笑う東は、狩りを終えて腹を満たした後の、満足げなメスライオンにも似ていた。

 それに驚くと同時に安堵あんどする。

 【特殊殺人対策捜査班】は警察内でも詳しく語れない部分が多すぎる。東のような深く踏み込まず、協力してくれる存在は何よりも心強い。

 蕗二は感謝をこめて、もう一度頭を深く下げ、竹輔と共に足早に部屋を出た。









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