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最後の言葉 その二

2


「ひまっっ!?」


 朦朧とする意識の中、聞こえてきたのは夏海の焦り切った声だった。

 あたしの右の脇腹には、真壁晃一郎の殺意の体現、刃渡り十センチぐらいのナイフが突き刺さっていた。

 身体から力が抜け、ぐらりと倒れる。そんなあたしを倒れる寸前のところで夏海が抱きとめ、地面に横たえた。


「ひま! しっかりして!」


 夏海は必死にあたしに呼びかけるも、あたしはあまりの苦痛に顔を歪め、声にならない声で呻き声を上げることしかできない。額には玉のような汗が浮かび、零れ落ちる。


「日真理ぃ! 日真理ぃ!」


 あたしに突き飛ばされて倒れていたシャロがこちらに駆け寄り、必死に名前を呼んでいる。

 その間にも、あたしの意識はどんどん薄れていく。

 

「と、とにかくそれを抜かないと!」


 夏海はパニック状態で、あたしの脇腹に刺さっているナイフを抜こうとする。


「やめろ! それに触るんじゃない!」


 それを止めたのは江村先生だった。


「ど、どうして!? 早く抜かないとひまが!」

「落ち着きなさい! 今それを抜いたら大量出血を起こして武内さんは死んでしまうぞ! だからそれはそのままにしておくんだ」


 江村先生は大人らしく落ち着いた様子であたしに応急処置を施していく。


「武内さん聞こえるかい? もう少しで救急隊員が来るから安心して」


 江村先生は優しい声色であたしを元気づけようとする。夏海もあたしの手を取り言う。


「ひま、痛いと思うけど絶対助かるからね。助けが来るまで頑張ろ」


 シャロもそれを見て、夏海と共に手を取る。


「日真理、ぼくも夏海もついてるからね! 絶対死んだりしたらダメだからね!」


 シャロは涙ながらにそう言った。


 また、シャロを泣かせてしまった。夏海にも、またキツい思いをさせてしまった。

 ああ、やっぱりあたしって駄目だ。いつも迷惑かけてばかり。


 あたしは、シャロにも夏海にも笑っていてほしいんだ。真壁晃一郎がいなくなれば、あたしたちにも平和な時間がまた訪れる。そうしたら、あたしは絶対に二人を笑顔にしてあげようと思う。

 今みたいに、泣き顔なんて絶対にさせない。

 そう、思っているのに……


 あたしの意思に反して、この身体の力はどんどん抜けていく一方だった。

 このまま、迷惑をかけたまま、終わるのは嫌なのに、二人を笑わせなければならないのに、それが叶わない。

 だったらせめて、あたしは伝えなければ。この数日間、二人からもらったありったけの想いに対して、応えなければ……。


「シャロ、夏海……」


 あたしは痛みを堪えて口を開く。


「なに?」


 泣き顔で夏海が尋ねる。


「ごめん、ね……」

「え……?」


 違う。この言葉を伝えたかった訳じゃない。でも、二人の泣き顔を見たら、そう言わずにはいられなかった。


「どうして、謝ったりするの?」


 シャロは謝るあたしを非難するかのように言う。だからあたしは思わず言った。


「心配ばっかり、掛けちゃったから……」

「それぐらいなんてことないよ! いつも日真理は人の心配ばっかりしてるんだから、たまにはぼくたちにも、心配ぐらいさせてよ」


 シャロの目から涙が零れ落ちて、あたしの頬へと落ちる。


「シャロちゃんの言う通りだよ! ひまは気にし過ぎなんだよ。ちっちゃいこと気にしてたら身体に毒だよ!」


 夏海も、湧き上がる涙を堪えられない。


「ひまを励ましてあげたいのに、泣いてちゃいけないのに、どうして、涙ばかり溢れてきちゃうのかな……?」


 夏海は次々溢れてくる涙を必死に拭いながらも、あたしを不安がらせないために笑顔を作ろうとしている。


「もう少しだ! もう少しで助けが来る! それまで頑張るんだ!」

「武内さんしっかりして! 元気になってまたフェイラちゃんを見せてください! だからこんなところで負けちゃダメです!」


 江村先生や、いつの間にか駆け付けてくれていたミズキさんたちがあたしを励ましてくれていた。

 ちょっと前まで、あたしの周りには誰もいなかったのに、今はこれだけ沢山の人が付いていてくれることが嬉しかった。


 でも、その人たちは今は泣いている。泣かしたのはあたしだ。

 みんなの涙は見たくない。あたしはせっかく仲良くなったこの人達と笑っていたいんだ。


「ひま?」


 気付くと、あたしは夏海の涙を拭っていた。


「泣か、ないで、二人、とも」


 こんな状態だけど、あたしはみんなと笑い合いたい。だからもう泣かないで欲しかったんだ。


「泣いていないよ! 日真理がいてくれるんだから、ぼくは泣かない!」


 あたしの想いに応えるように、シャロが力強く言った。


「わ、わたしだって、もう泣かない! ひまがついててくれるならもう泣かないもん!」


 カラ元気だったかもしれない。あたしのために無理をしてくれたのかもしれない。でも、それでもいい。笑顔さえそこにあれば、きっと幸運は舞い込んでくる。悲しい気持ちを吹き飛ばすことだってできるはず。


 みんながいるから、あたしは笑っていられる。それをどうか、わかってほしかった。


「そっか、それなら、よかった……」


 あたしも笑う。もう意識は消えかかっているけど、あたしはみんなの笑顔をその目に焼き付けていた。


「あ、足音が、聞こえるよ!」


 大勢の人の足音がすぐそこまで迫っていた。江村先生が呼んだ救急隊員が来たのだろう。


「ひま! もうすぐ助かるから!」


 夏海は最大限に声を明るくして言う。でも、もう、あたしにはほとんど言葉は届いていなかった。


「ひま……! 救急隊員が来たんだよ! だから……」

「………が、と…」


 最後にこれだけは伝えたい。

 辛いこともあったけど、今いるここは本当に最高なんだ。

 だから、ここまで導いてくれたみんなにはどうしても伝えたい。


「どうしたの、日真理?」


 シャロが耳を近づける。


「……り……と、う」


 もう今にも途切れそうな意識を無理やり繋ぎとめて、言葉を紡ぐ。


「なに? ひま?」


 夏海も耳を近づける。

 そして、最後の力を振り絞り、あたしはこう言った。


「ありがとう……。大好き」

「え?」

「ひま?」


 最後にあたしは笑えただろうか? 大好きな人々に感謝を伝えきれただろうか?

 せめて二人にはこれからも幸せであってほしい。それだけは、心から願っている。

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