37.復活祭と⑦
今回の讃美歌がきっかけになって、彼女達は一生の友だちにだってなれるかもしれない。互いに手をとって駆けて行くソフィーとベルナデットを見送りながらそう思った。
それは、ソフィーにとって大きな一歩だった。その成長は、授業で得られる成長とは質の異なるものだった。
全ての人間がその種を持ちながら、他人の温もりがなければ芽吹かないもの。芽吹いた後は大切に育てて、やがて実になってまた違う人へと返って行く類のものだった。
道徳と共感、友情と愛情の発露。そういったものだ。
その一歩に立ちあえたことに幸福を感じていると、どうやら復活祭の説教も終わったらしい。ぞろぞろと、村の人たちが教会から出て来た。その中には旦那様と夫人、それから連れの人たちも。
「やあ、レーフェルド君。さっきはご苦労様だったね」
「楽しませていただきました。この機会を下さって、ありがとうございます」
お世辞混じりにうやうやしく挨拶をすると、旦那様は満足そうに笑った。そうして連れの二人を紹介した。
「こちらは、ハレ市からいらっしゃったビュルガー様方だ。君の頑張りのおかげで、アンネソフィーもこの方々にいい所を見せる事ができたというものだ」
以前讃美歌の練習会にも顔を見せていた二人だ。
どうやら親子らしい。あの時と同じように、白く清潔なシャツに、素材のしっかりとしたジャケットを羽織っている。
父親の方は老体というには早いけれど、人生で最も活発な時期は過ぎ去っていた。中肉中背。顔には皺とシミ、帽子からは白くなった量の少ない髪がはみ出している。彼は人間味あふれる笑顔でもって私に挨拶をし、私もそれに返した。
彼の息子は顔のほりが深く目鼻立ちがはっきりとしていて、短く切った暗い色の髪と精鍛な体つきがそれに釣り合っている。美男子と言えるだろう。
その若者が私の方へと足を進めた。
親しさを超えた、馴れ馴れしい笑みを浮かべていた。
「こんにちは、レーフェルドさん。ここであなたを見た時は驚きました。てっきり、どこぞの貴族の元へ嫁いだものと思っていましたから。まさかこんな村でこのような仕事をなさっているとは」
「え、ちょっと……」
その若者は私の前に跪き、私の手を取って口に近づけた。未婚の女性にそのような行為をするのはご法度という習慣は無視するらしい。
彼が私を見上げると同時に、私は不快で手を引っ込めた。
彼は私の手を見送って、ゆっくりと立ち上がってから余裕ある表情で言った。
「ほんの挨拶ですよ。気を悪くしないでください。それにしても、自分のことは覚えていませんか」
「……確か、讃美歌の練習にいらしたことが」
その若者はしかし、『やっぱり』と言って乾いた笑みを作り、続けた。
「それもそうですが、もっと前のことです。自分は大学であなたに話しかけたことがあるのです」
「……大学で……?」
突然出た大学という言葉に、私は少し混乱した。
「ええ、自分は大学のあなたの後輩にあたります。学部は違いますがね。あなたは哲学部でしたね」
「……はい。あなたは?」
「自分は法学部に在籍しています。将来のことを考えて、父の勧めでね」
学生時代の人間関係に、いい思い出はあまりない。彼の言動と気障な振舞いは、その事を思い出させた。
大学に通うことのできる女性は少ない。とても少ない。そもそも正規のルートでは入学許可が下りない。
教授との個人的な繋がりでもない限り━━私の場合は父親の紹介状あってこそだった━━大学で学ぶことは許されないのだった。
私は数少ない女学生だった。それによっていい思いをしたことはない。見ず知らずの学生から講義中に手紙を渡されたり、学内で突然からかわれるように話しかけられることも多かった。一人一人の顔など覚えていられない程には。
目の前の彼もまた、あのからかい屋のうちの一人だったのだろうか。
私の思いなど知らず、ビュルガーとかいう若者は続けた。
「大学では、明敏で美しいあなたを知らぬ者は居ませんでした。その栗色の髪を一度でも触ってみたいと夢見た学生の数を知らないでしょう。それを成し遂げた豪の者は、自分の知る限りいない筈ですが。学友などは、あなたのことを恋心を打ち砕く無慈悲なハンマーだと言っていましたよ」
それは彼にとっては冗談のつもりなのだろう。冷ややかな笑みを浮かべた。
しかし私にとっては笑い飛ばせる話題ではなかった。
遠まわしすぎて要を得ない愛の告白、十ページにも及ぶメランコリックな恋文、そして階段を五段くらい飛ばしたようないきなりの婚約申し込みに、私は大学生活を通じてずっと耐えてきたのに。
相手の心を害さないように断りの返事をするのに、どれだけ苦心したことか。周囲の視線や一方的な感情から殴られてきたのは、むしろ私の方だというのに。
「まさか、あのレーフェルドさんが家庭教師などをしているとは。いや、むしろあなたらしいというか」
「……それは、どうも」
「あなたのご活躍はアルトハウス様から聞いていますよ。お蔭様で、アルトハウス様とはいい関係を続けられそうです」
「……あの、何を……?」
私の問いには旦那様が代わって答えた。その顔は心底嬉しそうに見えた。
「こちらのビュルガー様が、アンネソフィーといずれ婚約してくださるとおっしゃるのだ。これも君のお蔭だよ。レーフェルド君」




