29.年明け③
私が村に戻ってきた事は、ソフィーも旦那様かアウグステおばさんから聞いているはずだった。
あちらから挨拶に来てくれるかも。
そんなことも内心思ってしまったけれど、結局叶わずに迎えた年明けの最初の授業の日。私は彼女の部屋のドアを明けた。彼女に会うのは、二週間ぶりのことだった。
「失礼します、ソフィー」
「お、お久しぶりです、レギーナ……」
スカートをちょんと摘まんで丁寧に挨拶をするソフィーを見て、私は胸がどきりとして、数秒の間言葉を失ってしまった。
冬休みの間、身体を壊して療養していた筈の可愛い女の子が。それも私の、(そんなことを言葉にして考えるだけで顔が火照るのだけれど、実際そうなのだ)私の好きな人が、休みが明けたらさらに可愛くなっているだなんて、どの家庭教師が想像できるだろう。
長く伸びていた髪を大胆に短く切って、後ろは簡単に一つにまとめている。
たったそれだけの事なのに、大人しい女の子から快活な子へと、印象が一気に変わった。
髪の量が少なくなったことで、大きな瞳、端正な鼻筋、そして小さな唇も、以前よりもはっきりと見て取れる。整った両耳、透き通った首筋までが露になっていて、どうしても目が行ってしまうのだ。
前で分けた髪のラインを撫でながら、彼女は言った。
「アウグステおばさんにお願いして、切ってもらいました。レギーナとお揃いです」
「……」
「あの、似合って、いるでしょうか……」
「……」
「……あの、レギーナ?」
何か、言わなければと頭を巡らすけれども……
とても似合っている、かわいい。
そう言ったら、彼女はどのような顔をするだろう。喜んでくれるだろうか。
いや、それ以前に私はどのような顔をしてそんなことを言えるだろう。
「すいません、少し驚いてしまいました。た、確かにお揃いですね」
私が慌ててそう言うと、ソフィーは片手で口元を隠してくすりと笑った。
「ふふっ。驚いてくださいましたか。覚えていますか。半年前の、最初の授業の日を。なんだか、あの時の事を思い出しませんか」
半年前の、最初の授業の日。あの日は、確か……
「あの日は確か、新調した私の服にソフィーが驚いたのでしたね」
「ええ、あの日は素敵な先生が来てくれるのに緊張していたのに、現れたレギーナは初めて挨拶をしてくださった時よりももっと素敵になられていて、わたくし、びっくりしてしまいました」
覚えいる。あの日ソフィーは私を見て、『とても素敵』だと、そう言った。
「今日は、私がソフィーに驚く番ですね」
「ええ。そのようですね。でも、レギーナ」
「はい?」
少し不満そうに、ソフィーは続けた。
「あの時レギーナは、髪の長い私を可愛らしいと、そう言いました。今日は、言って下さらないのですね」
その言葉は子どものおねだりを超えた、逆らい難い魔力を伴っていた。
まるで彼女に操られるように、返す言葉は自然と私の口から出たのだった。
「いいえ、何度だって言ってさしあげます。髪を切ったあなたも可愛らしいですよ。ソフィー。二週間ぶりですね。会いたかった」
『会いたかった』とは余計だったかもしれないと、言ってから気が付いた私はどのような顔をしているかは分からないけれど、ソフィーの方は幸せそうな笑みを浮かべた。
「ふふっ、ありがとうございます。うれしいです、レギーナ。わたくし、この髪であなたに会うために心の準備が必要だったのです」
『ソフィーに心の準備が必要』とアウグステさんが言っていたのは、この事だったのだろう。会えば分かると二コリとしたのも頷ける。あれはいい仕事をしたアウグステさんの、自信の籠った笑みだったのだ。
「それから……」
「はい?」
伏し目がちになって、ソフィーは続けた。
「あの、それから、わたくしも、あなたに会いたかったです」
◇◇◇◇
「このレープクーヒェン、とても美味しいです」
「故郷の近くのニュルンベルクの名物です。気に入っていただいて、よかった」
「レギーナはエアランゲンから来たのですよね。街のお話、聞いてもいいですか」
「……そうですね、バイエルンはカトリック派が主流の国なのですが、エアランゲンは例外的にルター派も多くて、それが建物や人々、街の大学の教育課程にも……」
「……」
「……」
「そうだったのですか。お父様が驚いていらっしゃいました。レギーナはカトリックの筈なのに十字は切らないし、ルター派のこともよく分かっているようだと」
「それは私が意識して学んだというより、育った環境によるでしょう。エアランゲンにはカトリックとルター派の人々が混じって暮らしていますから」
「……」
「……」
お土産のお菓子と一緒にお茶を飲みながらするソフィーとのおしゃべりは、それはそれで楽しいのだけれど、いつまでもしてはいられない。
私は両手をぱんと叩いて、始まりの合図をした。
「さて、ソフィー」
私の言葉にソフィーはうきうきと目を輝かせ、机の上に既に置いてあった本を両手で取って抱きしめた。
それは、私がソフィーに贈った小説だった。
「英語の小説を読めるのですね!?わたくし、楽しみで楽しみで、昨日はなかなか眠れなかったのです」
「小説だなんて、何を言っているのです、ソフィー」
対する私は鞄から一冊の分厚い教科書を取り出した。
私が何を言わんとするか、直ぐに察したソフィーは、肩を沈めてその目の輝きをかき消した。




