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19.ベルリンでの休暇⑩

「ソフィー。これから散歩をする元気はありますか」


 望み叶わず、お目当ての本を買うことなく書店を後にしたため、ソフィーはむっとした表情を崩さない。


 ご機嫌を取ろうという私の意図を見透かしてか、「これから暗くなってきますよ」と、それだけ言って、ぷいと首を逸らしてしまうのだった。


 しかし私も、ただ散歩に行こうと誘ったわけではない。ちゃんと「作戦」があるのだ。


街灯(オイルランタン)の下を歩きませんか。きっと、いい旅の思い出になりますよ」


 拗ねてしまったソフィーも、私の提案には興味を示すに違いなかった。


 ベルリンに到着した日の夜、彼女は「すごいすごい」と言って、通りを照らす街の灯りを宿の部屋から飽きることなく眺めていたのだ。


「それなら、宿から見たではないですか」


 一度拗ねてしまった子というのは、とにかく相手を否定したがるものだけれど、そのくらいの返答は私だって予想はしていた。


「目的地もあります。クリスマスマーケットに行きましょう。街灯に照らされたクリスマスマーケットは、それは綺麗だということですよ」


「ク、クリスマスマーケット……」


 そもそも、クリスマスマーケットをソフィーは知らない可能性もあった。アニオール村ではそのようなものは開かれてはいない。


 そして熱心なルター派の信徒にとって、クリスマスは家族の中で祝うもの。外ですることと言えば教会での礼拝くらいのはずだ。


 ベルリンの全てが目新しいソフィーにとって、夜のクリスマスマーケットはそれだけで魅力的な響きを持つに違いなかった。


 あと一押し。


「お菓子を扱う屋台もいくつか出ているということですよ。シュトーレンやはちみつケーキを一緒に食べようではないですか」


 甘いお菓子の存在に、機嫌を悪くしていたソフィーもさすがに目を見開いた。


「シュ、シュトーレン……あの濃厚なケーキのことですね。お父様がドレスデンからお持ち帰りになったことがあります……それに、はちみつケーキまで……」


「私が行きたいのです。ほらソフィー。一緒に行きましょう」


「ちょ、ちょっと、レギーナ」


 そうして、半ば無理やり彼女の手を取って、私達はクリスマスマーケットへと向かった。



◇◇◇◇



 ケルン地区ペトリ広場。


 ここで一五〇〇年代から毎年開催されているという伝統のクリスマスマーケットでは、これも毎年お馴染みであろう多くの屋台が出店していた。


 広場中央には、リンゴやナッツ、ジンジャークッキーで装飾されたモミの木のクリスマスツリー。そして何よりも街灯が広場を照らし、辺りは暗くなっているというのになかなかの賑わいだ。


「そんなに食べると、夕食が入らなくなってしまいますよ」


「いいのです。小説を買えない腹いせです。それに、誘ったのはレギーナなのですから」


 しかしソフィーといえば、大きなクリスマスツリーや街灯には目もくれず、私の奢りで入手した甘いはちみつケーキやクッキー、バターがたっぷり使われたシュトーレンをせっせと口に運んでいる。


「ほら、お行儀が悪いですよ。ケーキのかけらが、口元についていますよ」


「そ、それくらい自分でできます!子どもではないのですから!」


 ケーキのかけらを取ってあげようと手を近づけると、ソフィーは慌てた様子で口を拭いて、再びお菓子に集中するのだった。


 苛立ちを甘いお菓子で飲み込んで、お腹も膨れて気分がよくなったソフィーは、ふうと一息ついてから、ようやく周囲を見渡した。


「小説を買えないのは、一先ずはわかりました。……それにしても、レギーナ」


 彼女の視線の先には、クリスマスマーケットを照らす街の灯り。


 そのあたたかな光は、ぱらぱらと降る粉雪に反射して、クリスマスマーケット全体の輪郭をぼやけさせている。それは童話のような光景だった。


「ええ、街灯とは、なんと綺麗なのでしょうね。まるで『小説』のようです」


「……レギーナはいじわるですね」


 それから、灯りを楽しむために少し遠回りをして宿に帰った私達は旦那様にお叱りの言葉を受けなければならなかったけれど、それもまた、旅の思い出の一つとなった。



◇◇◇◇



 そうして数日。


 来年からは英語を勉強することを半ば強引に旦那様に認めさせたことを除けばほぼ予定通り、授業や市内の散歩(クリスマスマーケットには毎日通い、ソフィーははちみつケーキを頬張った)をしつつ、ベルリンでの休暇は終わりを迎えようとしている。


 最後の夜にアルトハウス夫妻と四人で訪れたコンサートの演目は、ベートーヴェンの新作、交響曲第六番。「田園」と名づけられたその作品には、五番のような重厚さや人気のピアノ協奏曲第一番のような楽しさはないものの、タイトル通りの牧歌的な曲だった。


 その後の夕食の席で、コンサートは少々退屈だったという旦那様に対して、ソフィーはこの曲が気に入ったことを熱心に語ったのだった。


「でこぼこした狭い道や、背の低い家。花壇のお花の匂い。鳥のさえずり。見慣れた服を着た村の方々、ゆっくりと歩く牛や馬。そしてプラタナスの木。演奏を聴いていて、アニオール村を、そして何より、その光景を目にしたときの心の落ち着きを思いました」


 その曲への感想が、そのままソフィーの旅行を総括しているように思う。


 新しいものを見るたびに、彼女はアニオール村とベルリンとを比べて、どこか懐かしむように目を細めていたのだ。大きな街は刺激に満ちているけれど、慣れ親しんだアニオール村が自分に合っていると、ソフィーの目はそう言っていた。


 そうしてベルリンでの休暇は終わった。


 そしてこの休暇を境にして、私とソフィーの関係は、少しだけ変化を見せることとなる。

ベルリン編終わり。


ベルリンにケルン地区はもう存在しませんが(範囲が少しずれて、ノイケルン地区になってる)、ペトリ広場はまだあります。この広場でのクリスマスマーケットはもう開かれていないようですが。

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