魔法学院二年目 : 騒がしさを遠くに
思ったより出した料理が売れた。
彼女たちは普段は鳥がついばむ様な量しか食べないので、それに準じた量をサーシャは出したのだが、酒の勢いという物は侮れないらしい。
つまみにするなら、味の濃い料理か甘い物が望まれる。 そのことがわかっているサーシャはフライパンに調味料と材料を重ねていく。
鳥肉とトマトソースを炒めていると、後ろで物音がした様な気がした。
「ふぅ……」
「どうしました? フィオ様」
声でフィオレンツァとわかったサーシャは、フライパンから目を離さずに問いかける。
主に対して無礼にも見える態度だが、彼女がそんな事で怒りをぶつけてくる事が無いのがわかっているからこその行為だ。
その考えに間違いは無かったようで、フィオレンツァは気にした素振りも見せずに、手にした杯を軽く振りながら口を開く。
「酒癖が悪い奴の相手をするのが面倒でな」
フィオレンツァは肩をすくめて、そうぼやく。
「そんなに酒癖が悪い方が?」
寮に入ってから一年近く経つが、酒宴は初めてだった。 普段から酒を嗜む者も居ない。
「ああ、ティスだ。 あいつ元々軽く口を付けるぐらいだったから、そんななのを知らなかったよ。 飲む様に煽ったのは私なんだけどな」
カラカラとフィオレンツァは悪びれも無く笑う。
そうなれば自業自得とも言える、サーシャの頭にもその考えが浮かぶが黙っていることにした。
「そうなのですか…… 私が言う様な事では無いのですが、もう少しティス様に優しくしてくださいね。 もちろん、お二人は仲が良い事はわかりますけれど」
「それは無理だ。 どうにもからかいたくなるんだよ、反応が面白いからな」
まるでいじめっ子の理屈だが、彼女らは同室で互いに文句が出ない程度には仲が良いはずだ。 素直でないだけなのだろう、とサーシャは考える。
大人びてはいるがフィオレンツァはまだ子供だ。 好きな子をからかうなんて子供らしくて良いじゃないか、などと年寄りのような考えをサーシャは頭によぎらせる。
「それで良いのかもしれませんね、ティス様も言葉では嫌がっていますが、フィオ様と遊んでいると楽しそうですし」
「なんだかサーシャの視点はあくまで一歩引いて見ているな。 まるで母親の様だ。 私の母も同じ様にわかっているという態度を取っていたものだ」
その言葉にサーシャは分かりやすく嫌そうな顔をした。 女扱いされるのは慣れたが、母親とは。まるで母性が有るようではないか。
「…… そんな年ではありませんよ」
しかし、強く反論するのもおかしい気がして、軽く言うだけに留めた。
(紫雲君が魂は肉体に引っ張られるって説があるって言っていたっけ、けれど母親の様な性格になっているとは思いたくないな。 いや……だけど……)
皆のために家事をして、交友関係の心配をする姿は母親の様に見えてしまうのも事実だった。
その事に気付き、サーシャは肩を落とし、落ち込む。
「はぁ……」
「お、おいサーシャ。 どうした。 そんなに落ち込む様な事なのか?」
急にがっくりと肩を落とすサーシャに、フィオレンツァは不味いことを言ったかと慌てる。 彼女としては褒めたつもりだったのだが。
「い、いえ…… 大丈夫です…… 私はおつまみを持っていくので……」
話しながらもサーシャは手を動かしていた、落ち込みながらも。 そのお陰ですっかり料理は出来上がっている。
「あ、ああ…… ならば私も戻るか。 サーシャ、酌でもしてくれ」
「あ、はい。 わかりました」
二人は料理を抱え、騒がしい部屋に向かった。
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「だからねえ、あたひぃはぁフィオに言ってやったのよ…… ひくっ」
「あーはいはい。 それ三回目だよー」
二人が料理を運びに戻ると、ティスはさらに泥酔しており、リリアナに面倒臭い絡み方をしていた。 しきりにリリアナの体に触りつつ、同じ事を何度も話している。
それを見たサーシャとフィオレンツァは、意識がはっきりしているエレナとジーナに皿を渡し、ティスティアーナに気付かれぬ内にさっさと退散して台所に戻った。
「あれは…… 失礼ですが相手をするのは大変そうですね。 リリアナさんが可哀想……」
だろう? とフィオレンツァが目で同意してくる。 疲れた様な顔なのは気のせいではないだろう。
飲まなければやっていられない、とばかりに手酌でワインを注ぐ。 リッターの瓶を数本開けているはずだが、彼女は顔が少し赤くなっている以外に酔った様子は無い。
「フィオ様は本当にお酒にお強いですね。 前後不覚に陥った事とか無いのですか?」
「意識を失う程酔った覚えは無いな。 せいぜい身体が熱くなって心地良くなるぐらいだな」
「私はそもそもお酒を飲んだことが無いので、そういった感覚はわかりませんね……」
サーシャは前世も含めて酒を嗜んだことがなかった。 なので、ほろ酔いの感覚などわからなかった。
その言葉にフィオレンツァはニヤリとして酒瓶を掴んだが、ハッとした表情を見せてその手を離した。
「ならばわからせてやろう、と言いたい所だが…… 君は酒を飲まない様にな。 厳命だぞ」
「はい、わかっています…… あの、フィオ様。 もしかして私、何かしました?」
覚えは無いが、何かやらかしたから止められているのではないか。 そう不安に思ったサーシャはフィオレンツァに問いかける。
自身の行動が把握出来ていないのは困る。 その想いと、迷惑をかけていたのなら謝りたいという想いが混ざり合う。
「していない」
「え? でも……」
「していない」
「そ、そうですか…… よくわかりませんがわかりました」
無表情で首を振るフィオレンツァに、これ以上聞いても答えてくれないだろうと考えるサーシャ。
しかし、隠そう隠そうとしている姿から、何かやったのでは無いかという懸念はさらに膨れ上がった。
「そういえば」
我慢しきれずに追求しようとしたサーシャの出鼻はくじかれた。
「寮に新入生が一人入って来るそうだぞ。 エレナがさっき言っていた」
「へぇ、そうなのですか。 どんな人なんでしょうね」
「さぁな。 ……出来ればまともな奴が来てくれると嬉しいんだが。 大人しくて人畜無害な奴が良い。 で、料理が出来て家事も出来る方が良いな。 髪は長くて銀なら……」
チラチラとサーシャの方を見ながらフィオレンツァは言う。 それにサーシャは気付かず、新しく来る新入生に思いを馳せた。
「年下…… 後輩なんて初めてですね。 なんだか感慨深い物があります。 私、いつでも年下でしたから」
「組織」に囚われていた時も、周りは年長の者ばかりだった事を思い出して、サーシャは顎に手をやって考え込む。
よく考えれば生まれ変わってからも同年代か年長者しか知り合いがいなかった。
町で年少の子供を目撃することはあったが、知り合いとは言えない。
「君も話を聞く限りだと、今まで普通の生活を送ってはいない様だからな。 それとも探索者の子とはそういう物なのだろうか」
そういうわけではない。 探索者といえど、配偶者が出来て子が産まれるとなれば、ある程度落ち着いた所に定住するものだ。
前線基地代わりの小屋で育てるなどということはない。 サーシャの両親が規格外だっただけである。
「さぁ…… どうなのでしょうね。 私と同じ身の上の方と会ったことはありませんし…… ん? 今何か鳴りませんでしたか?」
サーシャの耳には、確かに鈴の音が聞こえた。 それは玄関に設置された呼び鈴の音にも聞こえた。
そうこうしているとまた聞こえた。
「玄関の呼び鈴に聞こえますけれど……」
「こんな時間にか? 珍しいな」
そもそも、寮では来客があまりないが、夜は特に人が来ることは無かった。
「ちょっと見てきます」
「ああ、私も行こう。 危険は無いと思うがな」
そうして二人は玄関に向かった。




