魔法学院一年目 : 学院に戻ろう
「もう、エトルリアに戻っちゃうんだね……」
サーシャの目の前に居るアレシアが寂しそうに呟く。
学院における年末年始の休みは二週間あった。 年末前に一週間、年始の一週間だ。
今日は休みが終わる二日前だが、お嬢様扱いされ、家事が出来ないストレスに耐えきれなくなったサーシャがそろそろ…… と言い出した事から早めに学院に戻ることにした。
館での緩やかな生活も良い物だと感じているサーシャだったが、そろそろペースを戻さないと今後の生活が大変だと思ったのもある。
とはいえ、アレシアの寂しそうな顔を見ると、悪い事をしたかと考えてしまうのも確かだった。
「二月…… いえ三月に一度は帰ってきますから。 多分……」
サーシャの不確かな返答に不満気な顔をするアレシア。
「家事を手伝わせてくれるなら、頻繁に帰ってきますよ」
アレシアやクレリアは、サーシャを持て成しているつもりだったのだろうが、サーシャにとってはストレスが溜まることだった。
それを聞かされた二人は驚いていたが、反省してもいた。
「喜んでくれると思ったの……」
しゅんとするアレシアにサーシャは慌てる。
「あ、いえ。 責めているわけでは無いのです。 普通の人なら喜ぶ所だと思いますし」
途端に笑顔になったアレシアにサーシャは安心する。
「心配していたイレーネさんの奇行も有りませんでしたからね。 フィオ様がからかわれていましたが。 採寸を取られることも有りませんでしたし……」
「え? この前、測ってたよ?」
「ちょっとその話詳しくお願いします」
食い気味に顔を向けてきたサーシャに、少し戸惑いつつもアレシアは口を開く。
「サーシャとお嬢様が、一緒に寝てた時に測ってたけど……」
アレシアが言うには、サーシャとフィオレンツァが一緒に寝ていた時、興奮した様なイレーネが現れて、軽く採寸していったと言うのだ。
今日の今日までそんな話を聞いたことも無く、イレーネの所作や言動からはそんな雰囲気は無かった。
「うう……」
その方面に関してだけは、イレーネに対するフィオレンツァとサーシャの信頼度は最低に近い。 予備動作があればそれは何かやってくるに違いないとしか思えなかった。
「だけどサーシャ。 お昼食べたらもうエトルリアに行くんでしょう? そんな短い時間に何か出来るとは思えないよ?」
広間にある時計を見ると、そろそろ昼食の時間だ。 それもそうだ、と思い直したサーシャは心の安静を優先させた。
「ふぅ、そうですね。 この休みにおける館での最後の食事をありがたくいただきましょうか」
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食事が終わり、アレシアとクレリアはばたばたと慌ただしく働いていた。
馬車に荷物を詰め込んでいるのだ。
それを手伝いたい思いをぐっと飲み込み、サーシャはそわそわしながらフィオレンツァと一緒に紅茶を飲んでいた。
「君は人を使う側になれそうにないな。 少なくとも家事においては」
フィオレンツァがカップをそっと置きながら言う。
「他の家であれば、任せていても落ち着いていられると思うのですけれどね」
同じ様にカップを置きながら、サーシャは主人の言葉に返した。
「ふむ、同僚が働いているのに自分が働いていないのに違和感があるのか?」
「そうですね。 それもそれなりに長い付き合いの人たちですから。 どうしても体が反応してしまいます」
サーシャの言葉をフィオレンツァは興味深そうに聞いている。 生まれた時から人を扱う立場の人間からしたら、新鮮な意見だったのだろう。
「そういうものか……」
「少なくとも、メディチ家のパーティで手伝おうとはしていなかったですよ。 安心してください」
「そうだな。 まぁそれなら良いんだ」
フィオレンツァはカップを手に取り、その姿勢のまま止まった。
「で、そこで機会を狙っている従者は何の用だ」
サーシャの後ろを睨むフィオレンツァに釣られて振り返ると、ティーポットを持って、壁からこちらを覗き込むイレーネの姿があった。
ちょうど影になっているところから覗き込んでいるものだから、サーシャは一瞬気付かなかった。
「お嬢様方のカップが空くのを待っていたのです」
「ならば影で気配を消そうとする意味がわからん。 普通に近くで立っていろ」
「おや、二人きりの邪魔をしても良いので?」
「……うるさい。 さっさと注げ」
フィオレンツァは空っぽのカップを投げ出す様に置いた。
「はいはい。 おおっと」
はたから見ていたサーシャからしても、わざとらしすぎた動きだった。 イレーネは何も無いところで蹴躓き、ティーポットを傾けた。
ティーポットの注ぎ口から紅茶が零れ、フィオレンツァの服にかかる。 よく見ると、蹴躓いた風なのに、片足でバランスを取っており、けっして転びそうになかった。 ティーポットの蓋を片手でしっかり抑えており、わざとらしさがさらに増している。
フィオレンツァにもわかっているようで、呆れた様にイレーネを見ていた。
「おやおやおやおや、申し訳ありませんお嬢様。 早く着替えないと風邪をひいてしまいます。 さささっ、こちらへどうぞ」
サーシャはフィオレンツァが火傷をしていないか心配したが、フィオレンツァは大丈夫そうだった。
「いやお前、わざとだろ。 誰がどうみてもわざとだろ。 紅茶はぬるいし、これかけるためにわざわざ冷やしたんだろ」
火傷をしなかった理由はそれらしい。
サーシャは感心した様な、呆れた様な表情を浮かべてイレーネを眺めていた。
「ほら、ぼーっとしてないでサーシャも行くよ?」
「えっ? 私は濡れてませんよ?」
「ああ、そうだったね。 ほいっと」
イレーネがティーポットを傾け、サーシャに紅茶をかけてきた。
転ぶ演技すら見せず、堂々とかけてきた事にサーシャは驚くことさえ出来なかった。
「ああ! 二人とも濡れてしまったからには着替えないといけないな! こんな事もあろうかと、用意しておいた服があるからそれに着替えよう!」
「なぁサーシャ。 殴っても問題無いよな?」
「お、落ち着いてくださいフィオ様。 暴力はいけません。 それにそれぐらいでイレーネさんが止まるとも思えません」
「アレシア! 馬鹿が私の服を濡らしてしまったから替えの服を!」
そう言って、フィオレンツァは動き回っていたアレシアに声をかける。
アレシアはその声に反応してこちらへ向き直った。
「え? 今、全ての荷物を、馬車に詰め込んだ所ですけど……」
その言葉にニヤリとした顔を浮かべるイレーネ。 それを見て、フィオレンツァは苦々しい表情を浮かべる。
「イレーネ、これを待っていたな?」
「さぁ、何のことやら…… 仕方がありません! さぁ、わたしが用意した服に着替えましょう!」
「もう諦めましょうフィオ様。 こうなったイレーネさんを説得出来るとは思えません」
「ぐぬぬ……」
悔しそうな顔を浮かべるフィオレンツァと、楽しそうなイレーネが正反対だった。
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「おいイレーネ。 この服で私たちに屋敷から出ろと言うのか」
「何か問題でも?」
小首を傾げて不思議そうに返してくるイレーネに、フィオレンツァは怒りをぶつける。
「どこの馬鹿がこんなふわっふわしたドレスで出掛けるものか!」
ピンク色のレースがふんだんに散りばめられた、ボリュームのあるドレスを着せられたフィオレンツァが叫ぶ。 袖口までレースがあしらわれたドレスは、フィオレンツァを幼く見せていた。
同じく着せられたサーシャは諦めているのか、ため息をしつつヘッドドレスをいじる。
その姿はまるで人形の様に愛らしいものだったが、疲れ切った表情と豊満な胸が衣装に合わない。
「もう諦めましょうよフィオ様。 似合ってるんですから、いいじゃないですか」
「そうか……? 君ぐらい背が低い方が似合うドレスだと思うがな。 子供用とでも言うか。 というかな、こんな姿で外に出ろと言うのは酷だぞイレーネ。 流石に恥ずかしい」
サーシャも遠慮したい所だった、しかしこれ以外は濡れた服しかない。 アレシアに頼んで、馬車から服を出してもらうことも可能だろうから、そうして欲しかった。
「ふむ……」
ひとしきり着せて満足したのか、イレーネの瞳には理性が戻ってきていた。
イレーネはアレシアを呼びつけた。
「アレシア。 替えの服を馬車から出してきてくれないか?」
「ええと……」
何やら言い辛そうにしているアレシアに、サーシャは嫌な予感がした。
見かねたクレリアが代わりに話す。
「荷物で馬車がいっぱいになっちゃったので、先に一台はエトルリアに行ってもらいましたよー」
「なにぃ!」
「申し訳ありません……」
アレシアが頭を下げるが、責めるわけにもいかず、フィオレンツァはただ困り果てていた。
「ふむ…… 次からはわたしに相談してからにしてくれるかい」
「いや、お前が余計な事をしなければ済んだ事だからな?」
アレシアを諭すイレーネに対して、フィオレンツァは呆れ顔で突っ込んだ。
「ど、どうしましょうか……」
サーシャの一言に全員の視線が合わさった。 替えの服は荷物と共にエトルリアに向かっている。 今まで来ていた服は紅茶で濡れたので洗い場に浸けている。 八方塞がりだった。
「今から先程濡れた服を乾かしていたら時間がかかるね。 もう一台の馬車は待っているんだろう?」
「つまり…… この服で行けと言うのか、イレーネ。 この恥ずかしい格好で」
「お嬢様、これは試練です。 しかしこれを乗り越えればお嬢様はさらに成長するでしょう」
「いや、だからお前のせいだからな?」
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結局そのままの格好でエトルリアに戻る事になった。 他に解決策もあったろうが、なんだかフィオレンツァもサーシャも疲れていたのだ。
いつもの御者に笑われるわ、寮に居たリリアナに目を白黒されるわ散々だった。
クッソ忙しくて更新が不安定になります。
すまんな。




