魔法学院一年目 : 授業と図書室
秋も深まり、冬の訪れが近付いてきた頃。 サーシャはたまにはと思い、普段取らない授業を受けてみた。 基本的に魔法学院は殆どの行動が自由だ。 どんな授業を受けてもいい、決まった試験で合格すればだが。 そこで、今回サーシャが受けた授業は数学であった。
(レベルとしては、小学生の高学年ぐらいかな……)
分数が出て来ているので、そのぐらいだと判断した。 しかし、何年も数字に触れていた現代の小学生に比べて、ともすれば一切計算などしたことも無いお嬢様たちには厳しい様だった。 隣に座るリリアナもその一人である。
その分、近くの席で涼しい顔をしているフィオレンツァは流石だった。 幼い頃から領地を自らの手で全てまとめていたため、数字の扱いはお手の物の様だ。
サーシャの視線に気付いたのか、ちらりとこちらを見て薄く笑っていた。
「サーシャちゃーん…… 先生が何言ってるのかわかんないよぅ……」
教壇では分数の足し算や引き算を語る教師の姿がある。 半年前まで買い物ぐらいでしか、数字に触れていないリリアナには厳しいのだろう。
「どこがわからないのですか?」
そんな事情がわかるから、サーシャは優しくリリアナに問う。
「全部!」
後ろの方の席に座っていたため、彼女の心からの叫びは教師には聞こえなかった様だ。 サーシャは顔を引きつらせて困った表情のリリアナと向き合った。
「では実際に解いてみましょうか。 分母と分子がですね……」
疑問符を頭に沢山浮かべたリリアナが、通分と約分を少しばかり理解したのは授業が終わる頃だった。
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「頭使ったらお腹が空いたよ。 けど上品に食べなきゃならないんだよねー 面倒だなぁ……」
食堂に入る際、リリアナはそんな事を言って渋面を作った。 養子とは言え、お嬢様としての態度としては失格だろう。
「慣れですよ、慣れ。 その内に意識しなくても大丈夫になります」
サーシャは実体験からそう助言した。 とはいえ、前世での経験があるサーシャと、フォークが普及する前は手掴みで食べていたリリアナでは経験の差が激しいだろうが。
「寮でも慣れるために同じ様にしましょうか?」
サーシャはからかいの意味も込めて、リリアナにそう提案する。
「やだよぉ、昼食だけでも辛いのにー」
「ふふっ、お喋りしていると睨まれますよ? 頑張ってくださいね?」
料理が運ばれて来るのを睨む様にしつつ、リリアナは気合を入れるため頬を張った。
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サーシャは数学の授業で感じた疑問を解消するため、数学の教師の元を訪れていた。
「……ん、いらっしゃらないようですね」
ノックをしたが無反応だった。質問してみるのが一番楽だったのだが。
「仕方ないですね。 自分で調べましょうか」
学院の図書室になら、資料が存在するだろう。 サーシャはそう思って歩き始めた。
図書室は広かった。 様々な蔵書が棚に並ぶ姿はサーシャに衝撃を与えた。
「王城の書庫より広いですね……」
一時期、王城の書庫に篭っていたサーシャはこの国の知識についてある程度学んでいた。 そのため、図書室には立ち寄っていなかった。 必要性が感じられなかったからだ。
その認識は図書室の広さの前に霞んで消えた。 ここならば王城の書庫よりも学べるかもしれないと。
「取り敢えずは今日の目的を果たしましょうか」
授業中に生じた疑問とは、この世界の数学という物はどこまでの物か、ということだった。
フィオレンツァの近くで領地経営を手伝っていた時には、精々使って割り算だった。 帳簿なども単純な物で、収支を書き記した物に過ぎなかった。
それにしても人が居なかった。 ここまでの蔵書があるのならば、もっと人が居ても良いものだったが、あまり学習意欲がある生徒が居ないのかもしれない。 図書室といえば、予習や調べ物をしている学生が山ほど居る、という前世で読んだ本の知識は間違っていたのだろうか、などとサーシャは思った。
キョロキョロと数学に関する書物を探していると、後ろから声がした。
「図書室に私以外の人がいるのは珍しいわね」
「ジーナさん?」
黒髪のショートカットで眼鏡をかけた少女、ジーナの姿があった。 彼女は書物を小脇に抱えている。
「何か探しているのかしら?」
「え、ええ。 数学の書物を……」
「着いてきて、案内してあげるわ」
ジーナは先導してくれるようだ。 サーシャはトコトコと彼女に着いて行った。
「ジーナさんはここに詳しいんですね」
「言わなかったかしら、私は読書が趣味なのよ。 大体はここに居るぐらいにね」
思えば、彼女は寮でもあまり見かけない。 部屋に篭っているのかとでもサーシャは思っていたが、図書室に居たのだろう。
「授業の予習かしら?」
「いえ、そうでは無いのですが……」
馬鹿正直にこの世界の数学が何処まで進んでいるのかが知りたい。 と言う訳にもいかず、サーシャは口を濁す。
「ふぅん、まぁいいわ。 この棚が数学関連ね」
ジーナが指差した棚には、数十冊の書物が並んでいた。 背表紙がある訳では無いので内容は分からないが、随分な量だ。
「ありがとうございますジーナさん」
「良いのよ、静かすぎるのも耳に痛いのよね。 たまには人が来てくれると嬉しいのよ」
そう言ってジーナは去って行った。 自習用のテーブルもここには有るので、そこで手にしていた書物を読むのだろう。
サーシャは目の前の棚から一冊一冊引き出して、中身を立ち読みすることにした。
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「変なの……」
調べ終えたサーシャは思わず呟いていた。 この国で、数学の研究者というのは聞いたことも見たことも無かった。 機械工学なども進んでおらず、科学に至っては古文書に載っている手法で作られる物質のみしか広まってない。 しかも化粧品の類だけ。
それに関わらず、数学の書物には自然対数や微積分の事が記してあった。 誰も使っていないはずの計算方法である。
「天文学も科学も機械工学も発展してないのに、誰が作ったんでしょうね」
この世界で使われている計算法は、精々分数までだ。 少なくともサーシャが知っている限りだが。
物作りを実際に見てきたサーシャは、少なくとも設計図を書いている人を見たことが無かった。 船も計算による必要強度などは調べずに、職人がカンで作っているようだった。
つまり、高度な計算式は必要とされていないはずなのだ。
必要とされていないのなら作られる事も無い。 前世で作られていた計算方法は必要であったから作られた物だ。 何らかの目的に沿っている。
それは星の位置を図るためであったり、ギャンブルの確率論であったり。
サーシャには、この書物に目的が見出せなかった。 少なくともこの世界で生きて行くためには必要が無く、敢えて作り出す理由も無い。 技術とは、知識とは、歴史が紡ぎ出す物である。 この知識には歴史の匂いが感じられなかった。 まるで突然現れたような。
(僕みたいな奴が居た? いや、それなら使われているはずだろうな。 それとも使う方法を失伝したか)
「他にもそんなのが有るかもしれませんね……」
サーシャは好奇心に囚われて、他の棚にある書物に手を伸ばした。
その結果、使われていないにも関わらず高度な知識が書かれた書物が多数見つかった。
(古文書の様に使い方が載っていないから作ってないんだろうな。 ワットの蒸気機関か、この絵は)
「燃料は魔石で補える…… 産業革命起こせちゃいますね」
(まぁ、起こすつもりは無いけどね。 この国はある意味完成している)
帝国における問題という問題は、魔物とそれを生み出す遺跡ぐらいだろう。 それを強引に解決するとして、サーシャの知識を活かすとすれば、銃や兵器を使う事になる。 だが、それをするつもりは無かった。
(火を消そうとしてるのに、より火を強くしかねない。 もし人に向ける事があれば)
人同士の戦争となった場合、銃という物は極めて効率的だ。 何しろ引き金を引くだけで人が死ぬ。 剣や槍の様に力を振り絞る必要も無い、肉を貫く感触も無い。 命のやり取りが簡単になり過ぎるのだ。
(ま、備えはいるだろうけどね)
サーシャは一年ほど前に、仕込んでいた物を確認しに行くことを考えていた。




