はじめてのおつかい
「では、行ってきます」
サーシャは家の扉を閉めて、装備を確認した。
膝丈までの青いワンピース、流れる銀の髪をヘアバンドで上げている。
背中のコンパウンドボウと筆記具を入れたカバンを確認すると、目の前の人物の元へ歩き出した。
「お待たせしました、お兄様」
サーシャの兄、ダーシャだ。
シャツの上に革鎧、肘と膝に革のプロテクターを付けて、腰にナイフと剣を下げている。
「サーシャ、村までは二時間ぐらいかかる。疲れたらおぶってあげるから言うんだよ」
「二時間ぐらいなら大丈夫です、安心して下さい」
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30分後。サーシャはダーシャにおぶってもらっていた。
「すみませんお兄様……重くないですか?」
サーシャは一〇分でギブアップした。
良く考えれば、最近家から出るようになった程度のもやしっ子に二時間歩くことなど
不可能であった。
(そういえば前世?でも体力は無い方だったな。ここまでは無いにしろ)
「母様に比べたらサーシャは軽い、羽のようだ」
「それ、お母様が聞いたら怒りますよ?」
「そうだろうね、だから言ってはいけないよ?」
クスっと笑うダーシャを見て、サーシャはドキドキしてしまった。
どう見ても可憐な少女にしか見えなかった。
「お兄様……変な質問をしますが、最近胸が膨らんできたりしていませんか?」
「やだなぁ、胸が膨らむのは女の人だけだよ。僕は男だよ」
(いや、まぁそうなんだけどさ……)
「え、えぇ……そうですよね……」
「サーシャはまだそんな年頃でもないだろう?母様の血を受け継いでいるということは、あまり期待はしないほうがいいと思うけどね」
サーシャ達の母、ナディアの胸は慎ましやかだった。
「お母様、気にしてるみたいなんですから言わないであげてくださいね?」
ナディアが着替えの最中に自分の胸を見て、ため息を付いているのを目撃したことがあったサーシャは言う。
「言わないよ、まだ死にたくはないからね」
ダーシャはにこやかに微笑んだ。
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遠目に村が見える距離までやってきた。
サーシャはダーシャの背中から一旦は降りたが、すぐさま音を上げたため、
未だにダーシャに背負われている。
「それにしてもお兄様は体力がありますね」
サーシャは二時間近く自分を背負っていて、疲れた様子を見せないダーシャに感心していた。
「僕は騎士を目指しているからね、体力はあるつもりだよ」
「いつも一緒に行っているので、お父様達のように遺跡探索を生業にするのかと思っていました」
それについては理由がある、とダーシャは言った。
「騎士は家柄が重視されるんだ、うちは貴族とかじゃないからね。
遺跡探索をすることで箔をつけようと思ったのさ。制覇出来れば実績としては十分だろうし」
「なるほど……」
「そんなことを言ってる間に着いたよ、魔物が出なくてよかった」
村はサーシャが思っていたよりも広かった。
きょろきょろと辺りを見回すサーシャにダーシャが説明した。
「左に見えるのが鍛冶屋と雑貨屋だよ、大きな船が見えるだろう?あそこが港だ。
後は集積場とかがあるけど用が無いと思う。
僕は食料の買い付けや報告があるんだけど、サーシャはどうする?ついてく……「私、鍛冶屋に行きたいです!」
サーシャは食い気味に答えた。
「そ、そう……じゃあサーシャにはお小遣いをあげよう、母様から渡すように言われたんだけどね」
サーシャの手のひらに五枚の鈍く輝く硬貨を置かれた。
「銀……ですか?」
「そう、銀貨だ。サーシャの物だから遠慮無く使っていいよ。
後、知らない大人の人に物あげるって言われてもついて行ってはいけないよ。
それと、道に迷ったら衛兵さんに聞くこと、鎧を着たひとがいるからね」
子供に言い聞かせる口調にサーシャはくすりと笑って答えた。
「大丈夫ですよお兄様、私は子供……ですね」
精神年齢的には立派な大人だが、今は五歳児であったことを思い出してサーシャは答えにつまってしまった。
(変なことを言いそうだった。危ないな、気が緩んでいるんだろうか)
「ま、鍛冶屋か雑貨屋に居るだろう?用事が終わったら向かうよ」
ダーシャは手を振って、去っていった。
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サーシャはハンマーの看板がある店の前に立っていた。あからさまに鍛冶屋である。
「たのもう!」
サーシャは扉を開けて鍛冶屋の中に入っていった。
「おう、いらっしゃい嬢ちゃん。お使いか?」
巨大な熊がそこに居た。
サケやマスをよく食べれて栄養状態が良かったのであろう、強靭そうな肉体。
その太い腕を振られたりしたら即死、良くて瀕死だろう。
サーシャは熊の対処法を必死で思い出していた。
(体を大きく見せて威嚇、無理。熊鈴や笛、持ってない。そうだ!)
サーシャは床に倒れこんで熊が去るのを待った。
「おい嬢ちゃん、何してんだ?」
「熊が去るまで死んだふりをしています」
「俺は熊じゃねえよ。いや、熊だが人間だ。亜人って知らねえか嬢ちゃん」
サーシャは恐る恐る起き上がって熊を見た。
よく見たら熊は服を着ており、その上からエプロンをつけていた。
全身は毛深くどう見ても熊だが、その瞳には知性を感じた。
「わかりました熊さん、我々は分かりあえます。分かり合う努力をすべきです。対話をしましょう」
「誰が熊さんだ。落ち着けよ嬢ちゃん、襲ったりはしねえからよ。」
その後、サーシャが落ち着くまではしばらくかかった。
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「大変失礼しました」
サーシャは深々とお辞儀をしていた、綺麗な45度の礼である。
「いいってことよ、子供に怯えられるのは慣れてるからな。
まぁ嬢ちゃんみたいに冷静なのに冷静じゃない反応されたのは初めてだけどよ。」
ガハハと笑う、熊氏。
サーシャは再度謝った。
「本当に申し訳ありません。名乗るのが遅れましたが、
私はアレクサンドラ・イヴァーノヴナ・ドラゴミーロフといいます。
サーシャとお呼びください」
「俺はダリオ・ロッソだ。その糞長い名前と銀髪、雷帝のところの娘か」
「雷帝?」
首をかしげるサーシャに熊氏、もといダリオは答えた。
「あー、ヴァーニャっつったか?あいつのあだ名だよ」
「お父様にそんなかっこいいあだ名があったんですか……」
由来は知らんがな、とダリオは笑った。
「ところで嬢ちゃんは亜人は初めて見たか?」
「そうですね、初めてです……」
セバストスの冒険には亜人の存在は書いてあったが描写は少なく、見た目が想像出来なかったのだ。
その一方で国々の名物料理は挿絵がきっちり載っていた、優先順位がおかしい。
「まぁ俺は人間の血が薄いからな、俺の知ってるのだと耳と尻尾以外は人間まんまって奴もいるぞ」
「そうなんですか……興味深いですね。今度詳しいお話を聞かせて下さい」
「ああ、いいぜ。しかし嬢ちゃんはそんな話をしにきたんじゃないだろ?」
それもそうだとサーシャは筆記具を取り出した。
「これを見て欲しいのですが、見たことがありますか?」
サーシャは軽く絵を描くとダリオに見せた。
「なんだこりゃ、見たことねえな。それにしても絵が上手いな嬢ちゃん」
サーシャは生前、製図やデッサンはそれなりにしていたので、それなりに自信があった。
「これはテーブルフォークです、食べ物を巻いたり刺したりして
そのまま口に運ぶんです」
「フォークって肉を切り分ける時に使うやつだろ?」
「それって二本歯の奴ですよね、私が欲しいのは三本歯と四本歯です」
サーシャが描いて見せたのは、デザートフォークとディナーフォークだった。
この世界では食事の際に木のスプーンかナイフしか使わず、少し不便だったのだ。
それに、四本歯のフォークがなかった時代はスパゲッティを手づかみで食べていた。
今のところスパゲッティが食卓に出されたことは無かったが、それは避けたかった。
「それでですね、これを作りたいんですが……」
「あぁ、いくつ必要なんだ?作ってやるよ、鉄で良いんだよな?」
「いえ、違います。炉と道具を貸してください」
サーシャの提案にダリオは訝しんだ表情を見せた。
「あ?まさか嬢ちゃんが作るって言う訳じゃねえよな?」
「そのまさかですよ、大丈夫です」
妙に自信満々なサーシャにダリオは興味が湧いてきた、怪我をする前に止めればいいだろう。
「面白い話だ。いいぜ、貸してやるよ」
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ダリオの鍛冶場に移動したサーシャは炉の前に立って調べ始めた。
「ああ、やっぱり熱源は魔石で生み出すんですね、そうですよね、ふいごもいらないし楽でいいです。
熊さん、じゃなかったダリオさん。ハンマーとタガネ、ヤスリに金床貸してください」
「お、おう……」
慣れた口調で道具を要求してくるサーシャに鼻白みながらダリオは道具を渡してきた。
「ところで鋼のインゴットばっかりなんですけど、鉄鉱石って無いんですか?」
鉄はここにある、とダリオに指さされた置き場を見てサーシャは聞いた。
『能力』で確認したが、鋼に精錬されているものだ。
「何言ってんだ、鉄っつったらこの状態で山ん中に埋まってる奴だろ」
「へ?」
「山ん中掘ったらこれが出てくんだよ」
これ、と鋼のインゴットを指さす。
(異世界って怖い……)
サーシャは自らの常識が壊されていく恐怖に震えていた。
「まぁいいです。わざわざ精錬しなくていいんですから手間が省けたと思いましょう!」
気を取り直してサーシャは炉に配置された魔石に手を当て魔力を流し魔石内に書かれた『日本語』を読み取った。
(『火』…… フォーク作るぐらいだから、鉄が柔らかくなるぐらいの温度で調節を)
サーシャは魔力を一気に送り込み、炉内に炎を生み出した。
インゴットを熱してから取り出して、金床の上に置いた。
「かーんかーんかーん」
適当な手つきで力を込めずにハンマーを振るサーシャ。
一見というか普通に雑に見えるハンマーさばきだったが、インゴットはみるみるうちに変形し。そのままハンマーとタガネでインゴットをフォークに加工していった。
「あ?」
今度はダリオが自身の常識が壊されていく番だった。
師に教わった鍛冶の技、修行の苦しさ、師の最後の言葉が脳裏に蘇っては
消えていった。
俺の今までの人生はなんだったのか、あんな適当でいいのか、雑すぎるだろう、
とダリオは涙した。
そんなダリオを尻目にサーシャはヤスリをかけて仕上げていく。
「よし、完成。材料余ったからテーブルナイフも作っちゃいました」
三本歯、四本歯、ナイフ、各六本ずつが完成した、家族の分とダリオの分である。
(うん、良い出来だ。『能力』による加工は出来るな)
金属を簡単に加工する『能力』、単にカンに頼ってハンマーを振るだけであっさり出来上がる。
「はい、ダリオさんの分ですよ。使ってくれたら嬉しいです」
ニッコリ微笑んでフォークとナイフを手渡してくるサーシャ。
ダリオは放心しながら受け取った。
「ああ……」
「ところでダリオさん、お金っていくら払えばいいですか?」
これだけしか持ってないんですけど、と言いながらサーシャは銀貨を5枚手渡した。
その行動にダリオは目を覚ました。
「おい、嬢ちゃん。銀貨の価値わかってるか?」
「あれ?足りませんか?ごめんなさい!」
お辞儀をして謝ろうとするサーシャをダリオは止めた。
「違う!多すぎるんだよ!一枚でいい!一枚でも多い!」
一枚だけ銀貨を取って、後はサーシャの手のひらに返した。
そもそもダリオは見てただけだった、なんの仕事もしていない、
インゴットの代金などたかが知れている。
「そうなんですか?」
「ああ、また鍛冶場が使いたい時は言いな。いつでも貸してやるよ」
「本当ですか!ありがとうございます!」
キラキラした笑顔でお礼を言うサーシャに、ダリオは傷ついた心が
癒やされていくのを感じた。
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サーシャが去っていった後ろ姿を見て、ダリオは頭を抱えていた。
「雷帝は一体どんな教育してんだよ……」
手に乗った剣一本分の稼ぎを見つめて、サーシャの今後を心配するダリオだった。




