魔法学院一年目 : ガルヴォルンの調査
「えっ……」
その驚きの言葉は、サーシャから漏れ出たものだった。
振り下ろされたソニアの剣は、ガルヴォルンハンドの人差し指に当たる所から、手首までをやすやすと切り裂いた。 ソニアは淡々とした表情で振り下ろした剣を持ち上げると、横薙ぎに振るってガルヴォルンハンドにとどめを差した。
余りにも呆気なさすぎるガルヴォルンハンドの最後に、ソニア以外の面々は驚きの表情を隠せない。
「ガルヴォルンハンドは剣で切れると、伝承に残っていたのですよ」
「そ、そうなんですか……」
平気そうな顔で剣を鞘に収めるソニアに、サーシャは戸惑う。 高速で迫るガルヴォルンハンドに立ち向かった理由が、古い伝承に残っていたからだったとは思わなかったのだ。
「効かなかったらどうするつもりだったんですか……」
「……えへっ、考えてませんでした」
可愛らしく舌を出すソニアに、サーシャは唖然とする。
「はぁ…… あんまり無茶しないでくださいね。 ソニアさんが目の前に来た時は気が気じゃなかったんですから」
「えへへ、心配してくれてありがとう」
ソニアは心配されたことを無邪気に喜んでいた。 それを見たサーシャは、彼女に年齢に沿った子供らしさを感じて微笑む。
サーシャはソニアの後ろに残る、ガルヴォルンハンドの死体を見て疑問を覚える。
(ん? あれ?)
手持ちの情報と現実に齟齬がある。
サーシャはティスティアーナとフィオレンツァに顔を向けた。
「理事長は黒いゴーレムには剣が効かなかった、と言っていましたよね?」
「言ってたわね」
「黒いゴーレムには効かないが、ガルヴォルンハンドには効くということか? では、黒いゴーレムとやらはガルヴォルンでは無いのか? まだ黒いゴーレムには出会ってないからわからんな」
「ガルヴォルンゴーレムという魔物も伝承には残っていましたよ?」
サーシャはソニアから得られた情報を頭の中を整理しながら、動かなくなったガルヴォルンハンドを見た。
ガルヴォルンハンドではなく、ガルヴォルンのゴーレムが出たときに現在起こっている現象がどういうものなのかを判断する必要がある。
いざ遭遇した時に、やはり剣は効きませんでしたでは困るのだ。
「調べなければならない、でしょうね」
「なら、一旦帰ろうよ。 体は疲れてはないけど、気疲れしちゃった」
「リリアナの意見に賛成だ、ガルヴォルンハンドを調べるのなら帰った方が良いだろう」
初の実戦だった者も居る。 確かにここら辺が引き際だろう。
「そうですね、新しい金属も手に入りましたし。 先遣隊としてはここまででしょう。 早く帰ってガルヴォルンを調べたいですし」
見たことがない金属に気を取られて、早く帰りたいと思うサーシャだった。
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「ふぅむ……」
エトルリアの鍛冶屋にある作業場で、サーシャはガルヴォルンハンドの死体を前にして唸っていた。 当たり前の様に、隣にはリタが座っていた。
理事長や騎士団に対する説明は他の皆に任せて、サーシャはガルヴォルンを調べることにしたのだ。 ソニアの鋼の剣で何故切り裂けたのかを調べるために。
周りを見渡すと、活気が無かった鍛冶屋とは思えないほどに人が動いていた。
南の遺跡が出現してから、かつて全く客が来なかった鍛冶屋に、武器や防具を求める人でごった返した。
極端に忙しい、というわけでもなさそうだが、サーシャをやる気なく迎えた青年も面倒臭そうに働いていた。
「えいっ」
サーシャはミスリルのハンマーを振り下ろす。 ガルヴォルンに命中した途端に高い音が鳴り、何かに防がれたように弾かれ、ハンマーを握った腕は頭の上まで跳ね上げられた。
傍らにミスリルのハンマーを置いて、鋼で出来たハンマーを振り下ろす。
すると、ガルヴォルンはぐにゃりと変形した。 まるで水飴の様に変形するガルヴォルン。 しかし、触ると鉄の様に硬く、手で曲げられるような物では無かった。
「どう思います? リタ」
「わたしも…… やってみて…… 良い?」
どうぞ、と席を譲り、ハンマーを渡す。 しかし、結果は同じだった。
「わたしでも…… 一緒ってことは…… 技術とかじゃ…… 無いんだね……」
サーシャは頷いた。 そもそも金属加工の素人であるはずのソニアがまず実証したのだった。 感覚派である彼女たちが言うところの「コツ」でガルヴォルンが変形している訳では無い。
「ソニアさんの剣は鋼だった…… それが原因でしょうか?」
「別の…… 金属で…… 試してみる?」
その提案に乗ることにしたサーシャは、インゴット置き場に向かった。
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「むぅ…… なんだか余計にわかりにくくなった気がしますね」
他の金属でも、ガルヴォルンは簡単に変形した。 錫でもニッケルでも銅でも銀でもだ。 インゴットそのままで殴りつけたとしても。 その柔らかさは尋常ではなく、金属ではなく水飴か何かとサーシャが疑ったぐらいだ。
しかし、炉に焼べても全く反応がない。 取り出して恐る恐る触ってみても冷たい金属のままだった。
「水飴…… 舐めたくなった……」
余りにも似ていたためだろうか、リタがそんなことを言い出す。
「後で作りましょうか。 私も甘い物が食べたいです」
目の前のガルヴォルンをサーシャは見つめる。 前世で得た知識では解決しきれない、こんな特性を持った金属は無かったからだ。
「ううん…… 考え方を変える必要がありますかね」
前世の記憶に引っ張られていては問題は解決出来ないと判断する。 こんな常識外れの物は、異世界に転生して以降の知識で対処するしかないだろう。
(この世界で思ったより前世の知識が役に立つものだから、時々ここが異世界だとわからなくなるな)
世界を移動した、というよりも古い時代に時を越えた、という方がしっくり来た。
(プルトニウムを燃料にした車で移動したわけでは無いけどね)
「うん? 雷…… 雷ですか」
サーシャの脳に閃きが宿った。 雷を利用して時を移動する映画のエピソードを思い出したのだ。
思い立ったが吉とばかりに、目の前のガルヴォルンに向けて、ミスリルの魔石杖を構えて『雷』の魔法を撃ち込んだ。
「びっくりした……」
「ああ、ごめんなさいねリタ。 魔法を打ち込んだらどうだろうと思ったものだから」
目の前に突然現れた雷にリタは驚愕していた。 『雷』の魔石は少なくともサーシャの知る限りは自らの持つ一つだけだ。 何も知らないリタが見たら驚くだろう事は安易に予想できたことだった。
「変化無し…… ですね」
そんな『雷』でも、ガルヴォルンには変化が無かった。 溶けるどころが焼け焦げもしない。
サーシャとリタは再び考え込む。 変形させれたものと、変形させれなかったもの、その違いを。
リタが何かに気付いたように顔をハッと上げた。 サーシャを控えめに指で突いて、ある方向を指差す。
「あっ……」
サーシャの視線の先には適当に置いていた、ミスリルの魔石杖があった。 余りにも近くで魔法を発動させたためか、魔法の余波を受けて少しだけ溶けていた。
「魔力……」
「そうですね、魔力を通すか通さないかの差でしょう」
叩きつけたとして、ガルヴォルンが変形しない物はミスリルと人体だ。 ミスリルの魔石杖が示す通り、ミスリルは魔力を過剰なほどに通す。
ならば他の金属は? 鋼は魔法を撃ち込んだら焼け焦げて貫通するが、魔力を流しても通る訳では無い。 あくまで魔力が引き起こす魔法という破壊的な力に負けているだけだ。
ガルヴォルンはどうだろうか、この金属は魔力流さず、魔法に傷一つ付かない。 魔力が引き起こす現象に耐性があるのだろう、ミスリルを導体とすると、ガルヴォルンは絶縁体だ。
「なるほど…… 魔法に対しての耐性は凄まじい物がありますね」
『火』の魔石でガルヴォルンを焼きながらサーシャは納得したように頷く。 十分は火に焼べているのに、ガルヴォルンには何も変化がない。 温度変化すらなかった。 しかし それは魔石で作った炎だけだった。 摩擦で発火させた炎で炙ると、きっちり表面温度は変化した。
サーシャは確信した、これは魔力というものに対する絶縁体であると。
「物事がはっきりすると気分が良いものですね。 解決してよかった」
ウキウキして花のような笑顔をこぼすサーシャとは裏腹に、リタは無表情の様なのに戸惑ったような表情をしていた。
「ねぇ…… サーシャ……」
「うん? なんですかリタ」
サーシャは疑問が解決したことに浮かれていた。 知識欲が満たされることは彼女にとって何よりの幸福だ。
そんなサーシャに冷や水をかけるような一言が浴びせられる。
「これ…… なんの役に立つの?」
リタの放った言葉に、サーシャは固まってしまった。
「うん…… 確かにそうですね……」
この金属は魔力を通さないだけで剛性も硬度もあったものではないのだ。 鉄で触れれば溶ける、それどころか柔らかい他の金属でも呆気なく溶ける。 防具としては最低ランクに近い、魔法に対しては最高ランクの防具だろうが。
「多分、魔物はあっさりとガルヴォルンを切り裂くでしょうね……」
魔物の肉は魔力を通さない。 魔物に殴りかかられたら、ガルヴォルンを淡雪のように溶かすだろう。 無論、魔力を通さない物を当てると溶けるこの金属は、剣にしたところで魔物の肉に触れた途端に溶けるだろう。 敵と呼べる敵が魔物しか居ないこの世界では、なんら役に立たない物であることは間違いなかった。
「なんだか…… ガッカリするね……」
苦労して調べた結果が、この金属は役に立たないという事だということに、リタは脱力していた。 それはサーシャも同じである、知らない金属を目にしてウキウキとしていた感情を返して欲しかった。
「…… 魔法の的ぐらいには使えるんじゃないでしょうか……」
サーシャが力無く考え出した答えは、何とも情けないものだった。
翌日、魔法に対する丈夫な的として、四角く加工されたガルヴォルンが、マドンニーナ魔法学院に納入された。




