魔法学院一年目 : 着せ替え人形としての一日
サーシャとフィオレンツァが急務と言われ、帝都に呼び出されたのが昨日の事だ。
呼び出し人はイレーネであり、学院を通してサーシャに知らせが入った。 何故、学院側が素直に応じたのかは見当が付かなかったが、急務というのなら仕方が無いと、唯々諾々と従った。
何やらフィオレンツァが嫌そうな顔をしていたのがサーシャとしては気になったが、彼女たちは簡単な準備をしてその日のうちに帝都に馬車を走らせた。
ガタガタと揺れる馬車の中でサーシャは呟くように、問いを漏らす。
「一体何でしょうね、イレーネさんの急務って。 悪い事で無いと良いのですが……」
「サーシャ、本当に分からないのか? 君は妙に鋭い所もあるが、鈍い時は鈍いのだな。 あのなぁ、呼び出し人を考えてみろ、イレーネだぞ?」
フィオレンツァは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
そう言われてもサーシャには覚えが無かった。 帝都を出て三ヶ月と二週間ほど、そろそろ夏という日付となり少し汗ばむほどの陽気だが、何があるというわけではない平和な日々だった。
イレーネに言われていた用件は果たしているし、フィオレンツァの世話だってしっかりとやっている…… はずだ。
「んん…… 分かりませんね。 何かありましたっけ」
「まぁいい、どうせすぐ着くんだ。 屋敷に帰れば分かるだろうさ」
帰れば、という言葉にサーシャは少し楽しい気分になった。 ホームシックというわけではないが、毎日の様に会っていたクレリアやアレシアと離れ離れになったのは寂しかった。 そう、帰れば彼女たちにも会えるのだ。
ニコニコしだしたサーシャを見て、フィオレンツァは怪訝な顔をした。
「嬉しそうだな……」
「ええ、クレリアさんやアレシアさんに会うのが楽しみです」
「ああ、そういうことか。 呼ばれた原因が分かったわけでは無いのか。 そうだな、それに関しては私も楽しみだよ。 それ以外が余計なだけで」
憂鬱さが見て取れるフィオレンツァのため息に、サーシャは困った様に首を傾けるのであった。
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「おう、嬢ちゃんたち着いたぜ」
いつもの御者が、ヴィスコンティの屋敷の前に馬車を止める。
サーシャは降りつつ、彼に話しかけた。
「お疲れ様でした。 エトルリアまで来てもらってすみません」
「嬢ちゃんたちは上客だからな、来いって言われたら行くさ」
御者は微かに笑いながら、毎度ありと言って立ち去った。
久し振りに見るヴィスコンティの屋敷は、何ら変哲もなく見えた。 明るい日差しに照らされた庭園は、美しく花を見せてくれている。 サーシャが初めて見た時は大きいと思った建物も、見慣れてしまったのかそこまで感じなかった。 唯々懐かしいだけである。
「まだ半年も経っていないのですけどね。 何というか二年間で馴染んだのですかね。 寮とはまた違う感覚です」
「寮にも随分馴染んでいるように見えるがな。 屋敷では、少なくとも台所を作り変えたりはしなかったろう?」
「まぁ…… 屋敷の台所はそこまで不便がありませんでしたし……」
言いながらも、サーシャは屋敷のドアを開けた。 玄関には掃除中のアレシアがおり、彼女はサーシャに気付くと狐耳を揺らしながら足早に駆け寄る。
「サーシャ、久し振りだね。 元気にしてた?」
アレシアはサーシャを抱き締めながら問いかける。 そのサーシャはアレシアの胸に包まれて、息が出来なくなっていたが。
「帰ったぞ、アレシア。 サーシャが苦しそうだから離してやれ」
フィオレンツァの助け舟のおかげで、サーシャは窒息する前に脱出することが出来た。
「ぷはっ! お久しぶりですアレシアさん。 イレーネさんに呼び出されたのですが…… イレーネさんは?」
「ええと、確かサーシャの部屋に居たよ?」
(…… なんで?)
何故か自分の部屋に居るというイレーネに、サーシャは不吉な予感を覚えた。
「…… 行くぞサーシャ。 いや、行きたいわけじゃないが、どうせ行かなければならないのだろうからな。 嫌なことはさっさと終わらせよう」
その物言いに、さらに不安になるサーシャだった。
サーシャはなんとなく、ノックをせずに扉を開けた。 自分の部屋だということもあるから。
そこには、ハンガーラックに多数の少女趣味な服をかけている、イレーネの後ろ姿があった。 鼻歌などを歌い、機嫌が良さそうである。
それを見たサーシャは無言で扉を閉じ、フィオレンツァに向かって振り返った。
「フィオ様、お茶をお入れしましょうか? この所ハーブティーが多かったので、たまにはコーヒーなどいかがてしょうか」
「サーシャ、現実逃避しても無駄だぞ。 諦めろ、服が関わったイレーネから逃げられた事は私にも無いんだ」
心底嫌そうな顔をしたサーシャを、フィオレンツァが諭す。 どうせ逃げられないのだから、さっさと済ませよう、と。
主の一言に覚悟を決めたのか、サーシャは自分の部屋の扉をノックして開けた。
「やぁ、久し振りだねサーシャ。 ……お嬢様、御足労いただきましてありがとうございます」
イレーネはサーシャに親愛が篭った挨拶を、フィオレンツァにはわざわざ来させたことに詫びた。
それに対して、フィオレンツァは面倒臭そうな顔で、ハンガーラックを見た。
「用件はそれか?」
「はい、どうにも決め切れませんので、実際に着ていただこうかと。 これ以上お待たせする訳にはいきませんからね」
理事長に相談され、防具としての制服を作ることになって二週間が経つ。 確かにそろそろ決まってもいい頃だった。
「えっと、私も着るんでしょうか……」
サーシャは確かめる。 ダメとわかっているのに。
「おいおいサーシャ、私だけに恥をかかせるつもりか? 無論、君にも恥をかいてもらうぞ」
「安心したまえサーシャ、貴女とお嬢様の分だけを試作品として作ったのだよ。 貴女たちは生徒たちの礎となるんだ」
「はい……」
サーシャは諦めることにした。
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一着目は、胸元にリボンが付いた、飾り気の少ない白いシャツに、黒いジャケット、グレーのブリーツスカートだった。
イレーネが考案したにしては、フリフリが少なく、地味目に見えた。
サーシャは鏡を見ながら、自分とフィオレンツァの着こなしをチェックする。
「これ、夏は辛い気がしますね。 ジャケットを脱げばいいのかもしれませんが、冬には良さそうですけどね。 それにしても軽いですね」
「着心地は良いな。 私は気に入ったぞ。 何せ地味だからな。 馬鹿みたいに派手な服は、たまにだから良いんだ。 いつも着るのは面白くない」
黒は太陽光線を吸収しやすいため、夏場はきついかもしれない。 イレーネとしては、防具として厚みを増そうとジャケットを付けたのだが。
「足は長い靴下で防御する、と言った感じでしょうか」
サーシャが身に付けてあるのは、サイハイソックスと呼ばれる類の長さがある靴下だ。 それも蜘蛛糸で出来ているのだろう。 薄い手袋も用意されていた、籠手の代わりだろうか。
「ふむ…… やはり地味かな。 無難が過ぎたね。 」
サーシャとフィオレンツァには好評なようだったが、イレーネは満足していないようだった。
二着目は、襟元から袖口までフリルだらけの黒いブラウス、それに所々白が混ざった黒いロングスカートだった。 ご丁寧にヘッドドレスまで用意してある。
黒一色に近い格好は、ゴスロリに近い印象を受ける。 ロングスカートの先にフリルがあしらわれているせいか、ドレスのようにも見える。
「…… イレーネさん、趣味に走り過ぎではないでしょうか。 こんな格好で歩いてる人なんで見たことないですよ」
「黒一色の様なのに、何処までも派手に見えるな。 流石に恥ずかしいぞこれは」
散々な評価だったが、着せられた事に満足したのか、イレーネは嬉しそうだった。
「むぅ…… 無し、ということか。 では二人の私服として……」
「「要らない」です」
二人の声がハモった。 イレーネはもったいない…… とボヤきながら、三着目を出してきた。
三着目は、胸元にリボンタイが付いた、ふわふわしたベージュのブラウスに、編み上げの光沢のない赤いフレアスカートだ。 胸の下まで編み上げが締め付ける様にしているので、胸がコルセットかビスチェの様に強調されていた。
「あ、これフレアスカートに見えますけど、キュロットスカートなんですね。 心情的な意味で動きやすいですね」
キュロットスカートとは、半ズボンの構造をしたスカートの事だ。 イレーネが作った物は、内部は半ズボンだが、外から見るとフレアスカートになっていた。
激しく動いても、下着が見えることはないだろう。
「む、胸が強調されるような服はどうかと思うんですけど……」
サーシャは顔を真っ赤にしている。 その胸は腰の部分をスカートに絞られ、同年代より大きいサイズを強調されていた。
「…… ここに来た時は、私と大差なかった気がするのだがな」
「いいえ、お嬢様。 洗濯板だったお嬢様とは違い、サーシャはちゃんと膨らんでいましたよ」
「イ、イレーネさん!」
以前、一緒に風呂に入った時の事を言っているのだろう。 サーシャは思い出しそうになったのを必死にかき消した。
「それで、この服はどうですか?」
「胸が強調されてるのがすごく嫌ですけど、動きやすいと思います」
「中々可愛らしいから、他のお嬢様方にも勧めやすいんじゃないか? スカートの色はパターンが有るといいかもしれんな」
イレーネはその後もサーシャとフィオレンツァに何着も服を着せ、何やらメモを取りながら、楽しそうに笑うのだった。
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「疲れましたね…… 主に精神的に」
「まさか夕方までかかるとは思わなかったな。 わずか二週間であれだけの服を用意してくるとは……」
服の制作過程は長期に渡る、デザインを書いた後は、型紙を引かなければならない、型紙に沿って作るのも重労働だ。 それ以前にも蜘蛛糸を布にしなければならないし、と大変なのだ。
それを何着もデザインし、作り切ったイレーネの根性は褒められたものだろう。
「流石に服飾職人の方たちに協力してもらった。 魔法学院の制服を作る、と言ったら喜んで協力してくれたよ」
流石のイレーネでも、単身で二週間では何着も服を作るのは不可能だったようだ。 サーシャとフィオレンツァはサイズが分かっていたので、作りやすかったのもあるだろう、二週間という短い期間で候補の作品を作れたのだ。
「素肌が出にくくなっていたのは、防具として考えたからだな。 イレーネもやるものだな」
全体的に防具としての性能も考えられているらしい、ということはわかった。
素肌が露出されにくく、スカートでも靴下などで誤魔化していた。
蜘蛛糸は薄くとも刃物を通しにくい。 しかも使われているのはジャイアントスパイダーの糸だ。
かの糸は魔力を通し、並の蜘蛛糸より丈夫だった。 通常の鋼で出来た剣などでは、切ることが出来ないだろう。 無論、衝撃は軽減しきれないだろうが。
それでいて、全て服として作られていた。 無理矢理防具として分厚くするということもなく、全ての用意された服は自然に着れるだろう。
「そうですね、胸元を強調するものが多かったのが不満ですけれど」
「実はね、サーシャのサイズを手紙で見た時にこれなら、と思って作ったんだよ。 好評なようで良かった」
「今! 私は! 不評を言いましたよ!」
「あはははは! そうだったかな?」
怒るサーシャを見て、イレーネは愉快そうに笑った。 笑われたのは心外だったが、イレーネが楽しそうに笑っているのを見て、サーシャは少し嬉しくなったのだった。




