魔石
魔法の訓練開始から二ヶ月が経った。
緊張した顔をしたサーシャを後ろからリーゼが見守っている。
「ではいきます!」
サーシャは火の魔石に触れて、出来るだけ少なく魔力を注いだ。
小さな火が付いて、一〇秒ほどで消えた。
「ど、どうでしょうかリーゼ」
サーシャは不安気な顔でリーゼの表情を伺う。
リーゼは小さく頷いた。
「そうですね、火力も効果時間も調整出来ているようですね。
魔力を注ぎ込む感覚には慣れましたか?」
「ええ……あまりの厳しさに夢に出るぐらいは」
サーシャは顔を背けてぽそりとつぶやくと、二ヶ月の訓練期間を頭に思い浮かべて身震いした。
失敗すると叱責が飛ぶ代わりに、無表情で問題点を指摘され、続けるよう促されるのだ。
「力を込めすぎです。次を」
「もっと自然に魔力を込めるようにして下さい。次を」
「体内の魔力を自在に操るイメージを強く持って下さい。次を」
「火力が強すぎます。次を」
「魔力の感覚を体で覚えて下さい。次を」
『次を』という単語にサーシャは恐怖を刻みつけられてしまった。
「人に物を教えるのなんて始めてでしたが、楽しかったです。サーシャ様はどうでしたか?」
「え、ええ……楽しかった、ですよ?」
無邪気な笑顔で問いかけてくるリーゼにサーシャは苦笑いで答えるしかなかった。
「ところでリーゼ、魔石に魔力を流す時に文字が見える時がありませんか?」
リーゼは首をかしげて唇に指を当てる仕草をした。
「文字…ですか?」
「はい、文字です。火の魔石では一つの文字が見えます」
「どんな文字でしょうか?書いてもらってもいいですか?」
サーシャは地面に文字を書いてみせた。
「すみません、見たことがないです」
「魔石に魔力を流してちょっと確かめてもらえませんか?
出来れば流しっぱなしにしてください」
リーゼはポケットから自分の火の魔石を取り出し、触れて普段より長く魔力を流した。
一瞬だけ魔石に文字のような文様が光って見えた。
「サーシャ様、文字が見えました。この文字と同じです」
リーゼは驚いた表情で地面に書かれた文字を指さした。
「私の妄想や幻覚じゃないってことですよね……」
(同じ効果の魔石で同じ文字ということは効果の種類を表しているだろうか。まぁ後で考えればいいか)
「書き写しておきましょうか。えーっと羽ペンとインクと羊皮紙……」
サーシャは小さな布製のバッグから筆記具を取り出して、書き写した。
---
お腹が空いたので食事を取り、草むらで寝っ転がって休憩しているとリーゼが提案してきた。
「弓の魔石の方も試してみてはいかがですか?」
リーゼはサーシャが背負っている小型の弓を少しだけ見た。
いざという時のために一応常備しているのだ。
「また岩場を吹き飛ばすような事にならないか、不安ですね……
空にむかって撃てば大丈夫でしょうか?念の為に少しずつ試しましょう」
サーシャは空に向かって弓を構え、魔石に触れて最小限の魔力を注ぎ込んだ。
一本だけ矢が魔石から出てきたが、そのまま消えてしまった。
「あれ?消えちゃいましたね。もう少し魔力を込めてみましょうか」
「サーシャ様、気をつけてくださいね」
随分後ろのほうから声が聞こえてきた。
リーゼはちゃっかり安全なところに避難しているようだ。
サーシャは魔石に触れて、先ほどの数倍魔力を込めた。
矢が生成され、弦に引き寄せられた。
「あ、消えない。よし、射ちます!」
弓から矢が放たれ、三〇〇メートルほど進んで消えた。
「結構遠くまで飛びますね、もうちょっと魔力を込めたらどうなるんでしょう?」
弓を構え、より強く魔力を込める。
すると、矢が二本生成され、収束して一本の矢になった。
「なるほど……魔力量が多いとこうなるのですね」
サーシャは納得したと頷いて矢を空中に放つ。
今度は五〇〇メートルほど進んで消えた。
「本数が増えて飛距離と威力が伸びる、って感じですかね。消えてしまうので曲射は出来ないみたいですけど」
「呆れるほどの飛距離です、お姉さまの火球は五〇メートルほどで消えてましたよ」
リーゼは矢の飛距離に唖然としていた。弓矢として見てもその飛距離は異常だった。
「連射してみましょう、ちょっと面白くなってきました」
サーシャは何度も適当に矢を放った。太陽の光に照らされた白い矢がキラキラと光って綺麗だった。
20本ほど放った後にサーシャが考えこむような仕草を見せた。
「結局これって弓なんですね……狙い方が良くわからないので思った方向に飛びません。リーゼは弓矢を使えますか?」
「私も弓矢の経験は無いので教えられませんね……」
「練習するとなると的が必要ですね、適当な岩にでも射ってみましょうか。一本分の魔力なら吹き飛んだりしないでしょう」
近くにあった岩に狙いを付けて矢を放つ。
あっさりと岩を貫通した矢はあさっての方向へ飛んでいった。
「こ、これぐらいなら練習しても良いですよね……」
「絶対に人が居ないところでやってくださいね」
危ないので、と言いながらジト目で見つめてくるリーゼの視線を受け、サーシャは。
「それにしても文字はまだ見えませんね、思いっきりいっちゃいましょうか。
リーゼ、離れてくだ……もう随分と離れてましたね」
サーシャは弓の魔石に意識を集中する。文字が見えるまで魔力を注ぎこむつもりだった。
五〇本ほどの矢が生成出来るぐらい注ぎ込んだところで、魔石の中で文字が光り出した。
(一文字…二文字…三文字…)
どうやら三文字で打ち止めのようだ、サーシャは矢を空中に向けて発射した。
爆発音と共に衝撃波が発生し、サーシャは反動で吹き飛ばされた。ゴロゴロと転がってから起き上がる。
「痛い……これ何とかなりませんかね……」
「サーシャ様、大丈夫ですか!」
飛び出してきたリーゼに向かって片手を上げて無事を伝えると、サーシャは筆記具を取り出し、魔石の文字を書き写した。
「文字は見えましたよ、三文字書かれていました」
リーゼは弓についた魔石を見て口を開いた。
「その魔石は握りこぶし大ほどの大きさですから、文字もたくさん入っているんでしょうか?」
「魔石の大きさが関係しているってことはありそうな話ですね。ちょっと疲れましたし、今日は帰りましょう」
とは言いつつ、サーシャはぐたーっと座り込んでいる。
「魔力の使いすぎですよ、あまり無茶をしないでくださいね」
そういえば、とサーシャは小首をかしげながら質問した。
「すべての魔力を使い切るとどうなるんですか?」
「死にます」
「まっじで!」
「嘘です、単に疲労困憊で動けなくなるだけです」
リーゼは素直で優しいが、無表情で冗談を言ってくる癖がある。
本当のことを言う時と冗談を言う時が同じ顔なので判別がつかない。
ポーカーをやったら相当強いだろうな、とサーシャは軽く思った。
---
夕食を終えて、サーシャは自室で魔石の文字と格闘していた。
五歳児の体はもう眠いと訴えてきているが、中身は二十五+五歳のいい年した男である。
文字の解析を急ぎたいという気持ちが湧き出てしまっていた。
火の魔石で明かりを付け、文字をじっと睨んで頭を働かせる。
(うーん、なんだろうね、文字……文字なんだろうけど)
魔石から出るゆらゆら揺れる火を睨みつける。
(火……多分この文字は火を表すはず……)
魔石の文字は崩れて見えていた、補完する必要がある。
羽ペンを手に取り、火、とキリル文字で書いてみた。
(違う。キリル文字じゃない。なら?)
この世界に転生して五年と少し、使っていなかった文字がある。
「もしかして……」
サーシャは『漢字』で火と書いた。
羊皮紙のインクが揺れ動き、崩れて見えていた文字が変形して火、という漢字になる。
「なるほど」
(これは日本語だ)
サーシャは魔石という鉱物を『理解』した。




