魔法学院一年目 : 体育での一間
この世界に生まれ変わってからというもの、サーシャは常識、というものを理解するように動いていた。
違和感が無い行動を取るためだ。 それは自らの安全を考慮した結果である。
そのお陰で、世間知らずにはならなかったと自負している。
帝都でも侍女として働く一方、町に出ては情報収集に励んできた。
結果、この世界は魔法、亜人の存在を除くと、意識の差というものはそこまでないことを学んだ。
前世であるところの日本人としての意識で接しても、さほど問題は無かったのだ。
魔法やら亜人やら魔物の存在を知った時には、この世界は自身の常識では推し量れないと思っていたのだが。
そうして異世界に溶け込んでいったサーシャであったが、魔法学院へ入学して一週間経った今は困り果てていた。
「髪はどの様な手入れをされているのですか?」
「それはですね……」
「わたしは肌のお手入れについてお聞きしたいですわ」
「わかりました、まずは……」
少女たちがサーシャを質問責めにしているのは、フィオレンツァが質問に答えたある発言からだった。
「髪や肌に関しては、全てサーシャに任せてある」
風になびくプラチナブロンドを褒められ、手入れの方法を問いただされたフィオレンツァは、面倒臭くなってサーシャに投げたのだ。
イレーネの美容法は、貴族社会においても通用するどころかトップクラスだったようだ。
その手法を叩き込まれたサーシャは、問われるがままに、優しげで丁寧な口調で答えた。
いつもの口調では、すこしぶっきらぼうなのでは無いかと考慮したのであったが、それは思わぬ効果を生む。
「サーシャ様!」
崇敬するような視線で見つめてくる数名の少女たち。 要するに、ファンがついたのである。
礼節の授業を完璧にこなしたのも不味かった。 そこで、確実に周りがサーシャを見る目が変わったのだ。
社交界デビューしたての年頃である他の少女たちと、無駄に厳しく教えられ、度胸があるサーシャでは物が違った。
貴婦人の様な振る舞いを見せたサーシャに、憧れような気持ちを抱いた娘が居ても責められるものではないだろう。
困り果てたサーシャであったが、冷たくするわけにもいかず、させるがままにするしかなかった。
「ククク、えらい人気じゃないか? ええ?」
周りに人がいなくなったのを見計らって、ひどく愉快そうにフィオレンツァがサーシャをからかう。
からかわれているのがわかっているサーシャは、不満そうな目付きでフィオレンツァをジト目で睨む。
「フィオ様もじゃないですか」
美しい髪に尊大な態度、それに応じた魔力に発言。 フィオレンツァは、親しみやすいサーシャとは違ったファン層に人気だ。
サーシャの一言に、フィオレンツァはうなずく、少し嫌そうに。
「まぁな…… こう言ってはなんだが、あいつらの考える事がわからん。 なんでこう騒ぎ立てるのだ」
「意見が合いましたね…… あの娘たちには言えませんけど」
だが、どうせ次の授業でサーシャのファンはいなくなるだろうと踏んでいた。
何故なら。
「体育……」
みっともなくすっ転ぶこと間違いなしだったからだ。
-----
体育では動きやすい格好に着替えることが推奨されていた。
それは当たり前とも言えた、貴族のお嬢様方は可愛らしくも豪奢な服を着ていたからだ。
サーシャの周りの人物も例に及ばすそれだ。 なので簡素なシャツとズボンに着替えることになる…… 無論同室で。
「早く着替えなければ……」
いそいそと、教室の端っこで着替えるサーシャだったが、急いでいる時は手元が狂うのか、服を脱ぐのに手間取っていた。
出来るだけ周りを見ないように、後ろを向いて着替えている。
「サーシャさん、なんで端っこで…… うわ大きい!」
下着姿のリリアナが後ろからサーシャを覗きこんでいた。 彼女はサーシャの胸を見て驚きの声を上げる。
「っ! リ、リリアナさん? あんまり見ないで下さい」
「まったく、何食べればこんなになるのよ…… 腹立つわね」
ティスティアーナまで覗き込んでいた。 サーシャは胸をかばうように腕で隠す。
「あ、あの…… 恥ずかしいので……」
「いいじゃん、女同士減るわけでもなし」
リリアナが笑いながら言ってくるが、下着姿の少女たちが近くにいるだけで精神が削られていく。
表情には出さなかったが、今すぐにでも逃げ出したい気持ちだった。
リリアナとティスティアーナの追求をかわし、必死でシャツを着こむ。
「ふう…… これで安心、と…… あっ」
そこでサーシャは気付いてしまった。
「三年間、ずっとこんな事を繰り返さなくちゃいけないんですか……」
-----
体育というものに対するサーシャの知識は本からの物だ。
なんとなく運動をする時間なのだな、という印象はあるものの、具体的なイメージは湧いてこない。
学校と名が付くものに接点が無かったのだから仕方が無い。
だが、担当教師から聞かさせた中身は予想していないものだった。
「はぁ……」
校庭でいつもの杖を構えたサーシャは、やる気無さそうに溜息をついた。
目の前には、一メートルはあろうかという両手剣を構えたソニアが居る。
彼女の身長はサーシャと同じぐらいの一四◯センチぐらいだ、その彼女が持つ剣としては大きすぎだ。
サーシャが見る限りは、その剣は鋼鉄製だ。 重さも相当なものだろう。
ミスリルにしていないのはわざとだろうな、とサーシャは考えた。 アレは重量を威力の計算に入れた武器だ。 あまり軽くても意味がない。
重いはずの両手剣を軽々と構えるソニアは、好戦的な笑みを浮かべている。 あのオロオロした少女とは思えぬ表情だ。 頭の猫耳も嬉しそうにピコピコと揺れている。
「我がアレマニアは剣と騎士の国。 その名に相応しい戦いを見せましょう」
要するに模擬戦だ。 魔法使いと言えど、接近戦でも戦えるようにするということらしい。
魔法が使えない。 といった状況でもない限りは必要無いのではないか。
と、考えるサーシャだったが、探索者として活動する際は思っても見ないことが起きる。
などと教師が言うものだから、まぁまぁそういうものだろう、と思うことにした。
「動かないのなら…… こちらから行きますよ!」
杖を横手に構えたまま、じっとしていたサーシャに、痺れを切らせたソニアが、重そうな両手剣を上段に構えて突撃してくる。
力と重量が込められた一撃を、後ろにステップすることでサーシャはかわす。 すると、両手剣が先程までサーシャが居た地面を深く抉っていた。
かわさなかった場合を想像して、サーシャの顔が青くなる。
「頭にでも当たったらどうするんですか!」
「大丈夫ですよ。 わたし、治癒の魔法が使えますから」
ソニアは両手剣を再度上段に構えつつ、笑顔で言う。
頭に当たったら、それどころではないだろう。 サーシャの頭など、バターにナイフを通すように、さっくりと切れてしまうに違いない。 刃を落としてはあるそうだが、こんな重量武器には関係ない話であった。
「ふふふ、もう一ヶ月近く動くものを切っていません。 さぁ、切らせてください!」
「死にたくないので嫌です!」
袈裟斬りに振るってくる刃を、サーシャは伏せるようにかわし、その体制のまま、ソニアの持ち手に杖を振るう。
手を打つことで、武器を落とさせる魂胆だった。
狙いに気付いたソニアは柄で杖を迎え撃った。 通じなかったことがわかったサーシャは再度距離を取る。
「あはは! サーシャさんやるじゃないですか!」
まともな対人戦闘の経験は、イレーネとしか無いサーシャだったが。 目の前のソニアが、戦闘を楽しむ性質だということは、身に染みてわかった。
今までは様子見だったとばかりに、踊るように身体を動かして、両手剣を隙無く振るってくるソニア。
サーシャは刃が振るわれるたびに、かわし、捌き、受け流した。
「なんかサーシャさん、すごいねぇ。 あんなのあたしなら、すぐ降参しちゃいそうだよ」
「屋敷に居た時は、毎朝訓練していたようだからな。 うちのイレーネという家令に教わっていたようだが」
のんきに準備体操をしていたリリアナが、激闘を繰り広げるソニアとサーシャを眺めつつ、フィオレンツァに話しかけた。
「へぇ…… サーシャさん運動苦手だって言ってたけど。 ところで、その人強いの?」
「私の剣もそれに教わったが、よくわからん。 なんていうか、わざと隙を突かせて、自分の望む展開にするような戦い方を好む奴だった」
「ふぅん。 面白そうな人だね」
「まぁ、すぐ味わえるぞ? サーシャ達の後は私たちだからな」
「うっ…… お手柔らかにお願いします」
死の恐怖と戦うサーシャを尻目に、和やかな談笑を楽しむリリアナたちだった。
ソニアは感心していた。 攻撃するたびに、サーシャの目は少しでも生じたソニアの隙を見ていたからだ。
無論、隙を突かせるほどソニアは大人しくなかった。 縦に振り抜いた両手剣を切り上げ、そのまま袈裟斬りにする。
リズム良く攻撃を繋げることで、サーシャに何も出来ない状況を生み出していた。
だがサーシャも諦めてはいなかった。 剣撃をかわし、受け流すことで、サーシャはソニアの癖を見抜き始めていた。
サーシャはステップして、ソニアから距離を取る。
「良くかわしますね…… ですけど!」
ソニアは両手剣を高々と振り上げると、ダッシュして振り下ろす。
重さと速さが合わさった一撃は、当たれば致命傷だろう。
だが。
「くっ!」
サーシャは紙一重でよけた。 そして次の一手を読み取る。
地面を抉るほどの振り下ろしから、切り上げることは難しい。 だから、ソニアは体を捻ってからの袈裟斬りを行ってくるはずだ、と。
「ええい!」
予測した通り、ソニアは横薙ぎに両手剣を振るってくる。 予測していたのなら反応は簡単だ。
サーシャは潜るように、袈裟斬りをかわし、ソニアの軸足を狙って杖を引っ掛ける。
身体ごと動かしたせいで、勢いが乗っていたソニアは、軸足を取られたことによりバランスを崩した。
サーシャは軸足と逆の足も引っ掛けた。ソニアの身体は空中を舞う。
「わわっ!」
転倒したソニアが、素早く起き上がろうとすると、首元に杖が当てられていることに気付いた。 ソニアの負けだ。
「大丈夫ですか?」
サーシャはソニアに手を差し伸べ、彼女を立たせた。
「うん、大丈夫だよ。 ありがとうサーシャさん」
戦闘中の戦闘狂そのものの笑顔は何処かへ消えたように、ぽやぽやした笑顔で可愛らしく微笑むソニア。
あまりの変貌ぶりに、サーシャは苦笑いを浮かべた。
「サーシャさん、お願いだからもう一本やりませんか? 今度はサーシャさんが攻めてきてください」
正直、死ぬ思いをして戦いたくは無かったのだが。 ソニアの表情は真剣そのもので、断りにくいものだった。
「…… わかりました、もう一本だけですよ?」
「なんだ、もう一本やるのか?」
試合が終わったと見た、フィオレンツァとリリアナが近くに寄ってきていた。
「じゃああたしが開始の合図するね。 よーい、開始!」
リリアナが手を振り下げると、サーシャは大上段に杖を構え走り出した。
「やぁ〜 ふべっ!」
「あっ」
気合の抜けた掛け声と同時に走り出したサーシャは、案の定転んだ、しかも顔から。
先程の激戦を見ていた観客たちは、あんまりな出来事に何も言えないでいた。
「さ、サーシャさん。 大丈夫?」
構えていた両手剣を放り出し、ソニアは倒れたサーシャに駆け寄った。
「痛いです……」
つい、いつもの言葉遣いに戻るサーシャ。
端正な顔に傷を付けて、涙目だった。
「ああ、傷が出来てますね。 痛いの痛いの飛んでけー」
ソニアは幼子をあやすように、サーシャの顔に手を触れ、治癒の魔法を発動させた。
顔の傷はみるみるうちに消え、後も残らなかった。
「うう…… 申し訳ありません、ソニアさん。 私、運動が苦手で」
あれだけ戦っておいて、苦手も何もあったものではない、と思うソニアであったが。 サーシャの走ったら転ぶ癖は、全く治っていなかった。
「えっ? 走ると転ぶ癖?」
「ああ、筋金入りだぞ? 何もない屋敷の中でも転ぶんだ。 戦闘訓練はこなせるのにな」
微笑ましい光景をよそに、フィオレンツァはリリアナに、サーシャの癖を説明していた。
「ははあ、運動が苦手だっていうのはこれのせいかぁ」
点と点が繋がり、妙に納得したリリアナだった。




