魔法学院一年目 : 登校初日
古い教会の様な豪奢な建物の一室で、野太い、粗野な男の声が響いていた。
入学式、というような式典はマドンニーナ魔法学院には無かった。
だが、理事長兼、メディチ家の家長であるエドガルドが、集められた少女たち相手に語っていた。
堅苦しいスーツ姿は、筋骨隆々としたエドガルドには全く似合っておらず、威圧感を残すのみであった。
「で、あるからにして……」
長々と中身の無い事を言うエドガルドは、手元にあるメモを読んでいるようだった。 一応、歓迎と今後の心構えについて語っているようだ。
「父様、毎年この時期になると張り切って何か書いてたのよね。 こんな無駄な事だとは思ってなかったわ」
サーシャの隣に居た、実の娘たるティスティアーナが辛口の批評をする。
ただ、言わんとしてることはこの場にいる、大半の人物が思っていることでもあった。
春になったので寒くはないが、突っ立っているだけなのも辛いものだ。
サーシャ一人だけが、これが学校における、校長先生の無駄話かと興味深そうにしているのみである。
エドガルドの無駄な話は、計一時間にも及んだ。
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マドンニーナ魔法学院の生徒数はかなり少ないと言っていいだろう。 総員で百名と少し、といったところだ。
魔法使いになれるような人物自体が少ないのだ。 なので、世の中は常に魔法使い不足と言えた。
これでも帝国だけでは無く、諸外国からも留学して来ている。 隣国のゴールにも魔法を教える学校が無いわけではないが、研究は帝国が一番進んでいるからだ。
それに、ここはお嬢様学校としての面もある。 貴族にふさわしい礼節や作法と、魔法を同時に教える学校は他に無い。 だから、諸外国からも人が来ることになっていた。
「なにか、思っていた学校とは違う気がしてきましたね……」
今後の授業についてのオリエンテーションの様なものが終わり、教室の椅子に座りながら呟く。
この学院の授業は、選択式だった。 礼節や作法は案の定必修科目だったが。
サーシャが頭に描く学校というものは、前世における共学の高校の様な物だったから、どちらかというと大学に近いこの学院とはイメージが違うのも当たり前なのだ。
だが、そもそも学校に通った事がないサーシャには、言葉上での違いがよく分かっていなかった。
「魔石についての授業…… そういえば魔石の研究をしている人が居るんでしたね」
サーシャは羊皮紙に書かれた授業表を見ながら呟く。
ティスティアーナが呟きに反応した。
「あんたその授業受けるの? なんか聞いた話だと魔石の文字がどうたらとか、わけのわからないことを教えられるらしいわよ」
「魔石の文字については、わかるんじゃないんですか? 皆さんの身体の文様は、魔石を解読したものと聞きましたけど」
「文様は文様よ。 だって読めないんだから。 それを文字かって言われるとね」
サーシャの知る限り、この世界で使われている言語はロシア語ただ一つである。
他の言語が無い以上、キリル文字では無い、魔石に書かれた日本語は、文字として認識されていないのだ。
それを文字として認識したということは、この授業を担当している者は、なんらかの閃きがあったのだろう。
「そうですか…… まぁ受けてみます」
「あっそう、忠告はしたわよ」
ティスティアーナの言い方はぶっきらぼうだったが、サーシャの事を心配して出た言葉だった。
そのことにサーシャは気付いて、くすりと笑った。
「急に笑ったりして、なによ」
「いいえ、何でもないですよ」
ニコニコとサーシャは追求をかわす。 その表情を見て、ティスティアーナはムッとした。
「あんたたち主従、なんか似てる…… 相手してると疲れるわ」
「ふふっ、お気に障ったのなら、すみません」
「ふんっ。 そのはいはいわかってます、って顔やめなさいよ!」
ムッとしたような態度も、怒ったような口調も、照れから生じているものだとわかるから、サーシャはニコニコ顔を崩さなかった。
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その日の夕食に出てきた料理は悲惨なものだった。
茹で時間を間違えたのだろう、クタクタになったスパゲティに、トマトの水煮をそのまま混ぜただけのもの。 スパゲティはぐちゃぐちゃに崩れ、なんだかよくわからないものになっていた。
そして、黒焦げになり、黒いスリッパのようになった牛肉のステーキ。
アランチーニというライスコロッケを作ろうとしたのであろうが、結果は変な形をした米の油漬け、しかも揚げ過ぎで焦げている。
まともに食べられそうなのは、水洗いしただけで乱雑に切られたキャベツと、買い置きのパンぐらいなものだった。
「え、えへへ」
可愛らしく笑って誤魔化そうとする、本日の食事当番ことエレナだったが、誤魔化せていない。
どう見てもダメそうな料理を見て、一同の表情は沈んでいた。
「今日はエレナの番だったのね…… 私とした事が要らないと伝えるのを忘れてたわ」
ジーナが頭を手のひらで押さえ、反省するように言った。
彼女はエレナと一年間共に暮らしているのだから。 この惨状になる事がわかっていたのだろう。
「朝食は大丈夫だったじゃないの! なんでこんなのになるのよ」
「それは私とリリアナさんが作りましたので……」
屋敷での習慣で早起きしたサーシャは、起こしてしまったリリアナと共に、朝食を作る事で時間を潰したのだった。
少し遅れて降りてきたエレナはほっとした顔をしていたのだが、こういう理由だったのだろう。
「まぁ、いずれにしろこの珍妙な物体は食べれないな。 この中で料理が…… ちなみにここが重要な所だが、まともに、まともに! 作れる者は手を上げろ」
フィオレンツァの号令に手を上げたのは、サーシャとリリアナだけだった。
「人の事を言えた義理ではないが、酷いものだな。 サーシャ、リリアナ。 食事は君たちに一任しても良いか?」
「はぁ…… 私は構いませんけど……」
全て自分たちで行う、独立独歩の精神は何処へ行ったのだろうか。
サーシャはチラチラと周りを見るが、料理が出来ない面子は目を逸らすばかりだった。
目を逸らさずに堂々としているフィオレンツァは、何というか流石だった。
「教えてもらうのも良いかもしれないわ。 エレナは料理したいのでしょう? 出来るようになるかはわからないけど」
ジーナはそもそも料理に興味がないようだ。 話を振られたエレナは、サーシャとリリアナを食い入るように見つめてきた。
「サーシャちゃん、リリアナちゃん。 お願いしてもいい?」
すがってくる瞳を無視することが出来ず、サーシャとリリアナは首を縦に振った。
流石に夕食にパンとキャベツだけでは物足りない。 ただでさえ彼女等は育ち盛りなのだ。
簡単な料理をこしらえることにしたサーシャは、エレナを連れて厨房まで来ていた。
「あれ? レシピあるじゃないですか」
厨房の端には本棚が有り、レシピ本が置かれていた。 サーシャがパラパラとめくると、わかりやすい初心者向けの料理が山のように載っていた。
スパゲティの湯で加減なども細かく載っており、これに従えば失敗なぞしないはずだった。
「エレナさん、これ読みました?」
「うん、その通りにしたはずよぉ」
その通りにしたのなら、あんな事にはなっていないはずだった。
(キッチンタイマーとか無いし、まぁ仕方がないのかな)
サーシャは強引に自分を納得させて、エレナと自分で、二品作ることにした。
のだが。
「あら? あらあら」
エレナが、水の入った鍋に火をかけたのをサーシャは横目で見ていた。
魔石で着火したのだが、火の勢いが強すぎた。 彼女は全く火を制御出来ておらず、鍋を包み込むかの如く火が出ていた。
(強火どころじゃないな…… 失敗するはずだ)
取り敢えず火を止めさせて、エレナに話を聞くことにした。 料理を作る手は止めずに。
「もしかしても何もないですが。 エレナさん魔力の細かい調整苦手ですか?」
オリーブオイル、ニンニク、鷹の爪をフライパンでじっくりと熱する。
「うん…… 広範囲を焼いたりするのは得意なのだけど」
サーシャは昔、リーゼに制御の特訓をさせられた事を思い出し、少し身震いした。 あの時のことはトラウマになっている。
魔法学院では制御について、教えないのだろうか?
「制御に関しての試験とかは無かったわねぇ、校庭を燃やしたら合格にしてもらったことはあったけど」
細めのパスタを塩を加えて茹で、茹で汁をフライパンのオリーブオイルと混ぜる。 味見をして塩味を調整して、パスタと絡める。
エレナは見た目とは違い、どうも豪快というか大雑把というか、力技でなんとかするタイプのようだ。
火加減が調整出来ないようでは、料理も何もあったものではない。
「と、言うわけでエレナさんは、火加減が調整出来るようになるまで料理禁止です」
「ええっ!?」
驚いているのはエレナだけで、他の面々はさもありなん、といった顔をしていた。
悲しい表情を見せるエレナは放っておいて、サーシャはもう何品か作るために厨房に戻っていった。




