帝都二年目の冬 : 事の始末
「ふむ……」
ここは帝国の主城たる王城。
ある部屋でぼーっとしているように見える青年…… というには歳をとっているか。
彼の名前はレムス・スフォルツァ・グラエキア、グラエキア帝国の皇帝である。
レムスは重たい、派手なマントやら冠といった、対外的な衣装を身に付けている。
普段ならばもっと軽い服装で良い相手のはずなのだが、今回は王として会わなければいけないのだ。
子を持たない貴族が事故死する事件が起こったのは先週の事だ。
様々な関係者を王城に呼び付け、証言させた。 そのおかげで事件がどのようなものだったか、その貴族が犯した過ちについては、ある程度知る事が出来た。
しかし、当人に聞かなくては意味が無い。 貴族の死に立会い、貴族の過ちを暴き、それを騎士団に知らせた彼女に。
考え込んでいたレムスの耳に、コンコンというドアを叩く音が聞こえた。
「陛下、証人がいらっしゃいました」
「あぁ、わかった。 今行く」
恩人、かつ友人の娘を詰問する羽目になるとは、彼女を帝都に住まわせる事になった時には思いもしなかった、とレムスは独りごちた。
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サーシャは事を甘く見ていた節があった。 カティに事件について、少し話して終わりだろうと。 まさか、皇帝陛下が出てくるとは思ってもみなかった。
実の所、帝国でこのような凶悪犯が出るのは初めてなのである。 子供を地下室に監禁、虐待、殺害などという事件は前例が無かった。
きっちりとした調査をしなければならない、国を上げて。 とカティが決断したのも仕方が無いことだろう。
「それにしても……」
謁見室には人が多かった。 書記官が脇に控えるのは良いとして、文官と兵士の数が多い。 警戒されているのか、それともこちらを守る意図があるのか、それともただ注目度が高いだけなのか。 それは今のサーシャにはわからなかった。
「皇帝陛下のおなーりーとかそういうの無いんですよね。 この国」
何の予備動作もなく、だるそうな顔をしてレムスが現れた、いつもすれ違う時とは違って正装だ。 横にはカティが控えている。
「久しぶり…… でもないな。 たまにそこらへんで会ってる。 こんにちはサーシャちゃん、そのスカート似合ってるよ」
証人に会う、というよりは友人と話すような気軽さでレムスは話してくる。サーシャは少し戸惑いながら、愛想笑いをした。
「さて、君からは話を聞かなければならない。 事の始まりから、事の終わりまで」
レムスの放つ空気が、ぽややんとした物から張り詰めた物へと変わる。 サーシャも緊張した面持ちに変わった。
「そうですね…… どこから話したものでしょうか」
「そうだね…… 最初からがいいね。 なんで君はボルジャ卿の所へ行くことになったのか。 そこらへんからかな」
サーシャはぽつりぽつりと話し始めた。
イレーネから、ヴィスコンティ家の事故について聞いたこと。
メディチ家のパーティ会場でルチアナに事故について話を聞いたこと。
知り合いにロドリゴの家に勤めているものがおり、その者に地下室の噂を聞いたこと。
全て真実を話した。 無論、大分端折っており、意図的に隠した部分も無くはなかった。
例えばロドリゴの家の知り合い、というのはサーシャが送り出した人物ということは。これは誰にも話してはいなかった。
サーシャの話は、線と線が繋がっており、筋が通っているように聞こえた…… 筋が通り過ぎているように。
「つまり、君はロドリゴが諸悪の根源と考えて、屋敷に向かったのか?」
「そこまで考えていたわけではありません…… 所詮は小娘の浅知恵です。 それとなく聞いてみて、なんらかの情報が得られれば、 と思っていただけです」
「そうか。 そうかな?」
レムスは茶目っ気たっぷりに首を傾げてみせた…… まるでサーシャのついた嘘がわかっているように。
サーシャはレムスの疑いに気付いてはいたが、動じずに話を続ける。
「ええ、そうです。 私はそれでボルジャ卿の屋敷へ向かい。 彼に事を尋ねました。 すると彼は自慢げにそうだと話し、私を手篭めにしようとしました。 件の地下室へ連れ込もうとしたのです」
聞いている者の中には、嫌悪感を露わにする者も居た。
帝国の市民たる彼らは模範的な道徳しか備えていない。 彼らにとっては想像もつかないような凶悪な事件なのだった。
「私は力づくで地下室に引っ張られました。 しかし、地下室へ向かう階段の途中でボルジャ卿は足を踏み外してしまいました」
「………………」
周りの者と比べ、レムスは冷静だった。 サーシャの話は同情を引くものであったし、ロドリゴに嫌悪をもたらすものでもあった。
だが、レムスはその奥にある物を探っているようだった。 横に控えるカティもそのようだったが、レムスに比べると、サーシャに同情的な感情を持っていた。
「私がボルジャ卿を追いかけると、彼は頭をぶつけてしまったようで、既に息はありませんでした。 その地下室で、私は彼女達を見つけたのです。 八名の少女は既に亡くなって居ましたが、二人は生存していたので、私は彼女達を連れて上まで戻りました」
「騎士団にも確認させたが、確かにボルジャ卿は頭を打って死んだんだろうね。 首を骨が綺麗に折れていたから。 サーシャちゃん、危ないところだったね。 運良く彼が死ななかったら君は大変なことになっていた」
レムスはこれをサーシャがやったのではないかと疑っていた。 自身が今言った様に、ロドリゴが死ななければ、サーシャはそのまま囚われていたかもしれないのだ。
だが、レムスはサーシャに魔法の力があることを知っている。
それに、カティから聞く限りは注意深い人物だと思われた。
なのに、今回の件は聞く話を真に受けると不注意すぎる。 何か、何か予防策を持っていたと思うのが自然だった。
カティにあらかじめ相談してはいたようだったが、そういうものではなく、もっと直接的な予防策を。
「ええ、運が良かったのでしょう。 私も頭に血が上っていたのでしょう…… 何の策も無くボルジャ卿の元へ向かったのは反省しています……」
レムスはサーシャの表情をうかがったが、そこから何か読み取る事は出来なかった。
「そうか…… まぁいいか。 当事者である君が言うならそうなんだろう。 そうでなくても、我々には大差ない」
レムスはサーシャから真実を聞くのを諦めた。 どちらかというなら、サーシャは協力的だったし、彼女が居る事で利益を得たことも多い。
ならば、無意味に疑って敵に回す必要もない、レムスはそう判断したのだった。
「閣下? よろしいのですか?」
カティがレムスに確認する。カティもサーシャが何か隠していると踏んでいたのだろう。
「良いんだ、疑う所は無かっただろう? 全て筋は通っていた。 これ以上は推測になる。 まぁ、これからは国をもっと頼って欲しいところだね? 恩人の娘をわざわざ死なせたり、傷物にしたとなったら、僕も寝覚めが悪いんだよ」
最後は口調を崩しながら、レムスは笑いかける。
サーシャもぎこちなく笑顔を返し、サーシャの証言は終了した。
「ああ、それとボルジャ卿の領地なんだけどね。 ヴィスコンティ家で管理してね。 フィオレンツァお嬢様にはそう伝えておいて」
「えっ、丸投げ……」
「他の貴族じゃ無理だね、手が空いてないんだ。 任せたよ」
「頑張ってねーサーシャちゃん」
レムスとカティの無責任にあっけらかんとした態度に、サーシャは苦笑いを漏らした。
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王城を出たサーシャはため息をつきながら、今回の件を思い起こす。
この世界から見ると、サーシャや若宮兄妹、ロドリゴは異世界人となるのだろう。
サーシャは彼らが怖かった。 この世界の人間とは違い、彼らは人間同士で争う方法を、争う感情を知っている。
必要とあれば人を蹴落とし、不幸にする方法も、兵器による破壊や殺戮の方法も。
自分はそれを律する事が出来ている…… とサーシャは判断する。 しかし、他人の事はわからない。
若宮兄妹は最初に接触したことで、道をある程度塞ぎ、操る事が出来た……
今後も目を離さない事でどうにかなるだろう。 良好な関係を築けるだろう。
しかし、ロドリゴは自らの欲のままに走り、暴走していた。 サーシャはどうしようもなく怖かった、ロドリゴによってこの平和な国が壊れることが。
だからこそ、あの様な強硬手段に出たのだった。 いつものサーシャなら、人の手を迷わず借りただろう。 騎士団は知り合いばかりな上、国の重鎮たる人物も知り合いばかりなのだから。
少し、冷静さを欠いていたのだろう。
しかし、今後ともこの様な事が起こらないとは限らない。 備えはするべきだ。
「遺された物は使わせてもらいましょうか……」
より、注意深い人物が軍事的な行動を取ろうとした時、即座に対処出来るように。
「備えあれば憂いなし、と言いますしね。 使わないのならそれで良いんですけど」
若宮兄妹の顔を思い浮かべ、サーシャは方策を練る。
「あっ、そんな事よりも領地の事をフィオ様にどう伝えよう……」
今のヴィスコンティ家なら、ロドリゴの領地を運営するのはそこまで無理はないだろうが、手間はかかる。
就学に備えて準備をしているフィオレンツァの苦い顔を想像して、サーシャはため息をつくのだった。




