帝都二年目の秋 : ドナドナ
馬車なんて初めて乗った。
浅草の人力車のように舗装された道路を走るわけでもないから、ガタガタ揺れてお尻が痛い。
御者のおじさんはなんか目付きが悪いし、口調は荒いしでわたしは不安になる。
隣に座る兄さんはぐっすり寝ているけれど、よくこんな揺れで眠れるものだ。
前に座っている、十歳ぐらいの小さな女の子達は不安そうだった。 この年で親元を離れたのだから仕方ないよね。
その隣にいる年配の男性は、なんだか複雑そうな顔をしていた。
今から行く所の貴族の評判が悪い事が、関係してるのかもしれない。
そんな所に行く事になった、わたしもさぞかし複雑そうな顔をしていることだろう。
「喋れるようになったのはいいけれど…… 直ぐに働きに出されるとは思ってもみなかったな」
わたしはため息をついた。
そして、何でこんなことになったかを、ゆっくりと思い出す。
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「仕事を寄越してもらうのは良いんだけどよ、人身売買って訳じゃねぇんだよな?」
「そんな事あるわけないじゃないですか。 私がそんな事すると思ってます?」
「まぁそうだがよ……」
心配する御者を横目に、サーシャは涼しい顔で答える。
だが人を二人受け渡して、銀貨を受け取っている姿は、どう見ても人身売買の現場だった。
十二の少女が老人と値段交渉している姿を見て、御者も流石に口を挟んだのだ。
「仕事の斡旋ですよ? 使用人の。 あれは仲介料です」
「…… そうか、ならまぁいいんだが。 何もボルジャの所にやらなくてもいいんじゃねぇか?」
「…… 理由があります。 言えませんけどね」
そう言われたら、仕事を受けた身としてはやらないわけにはいかない。
複雑な心境だったが、目の前の少女は悪党では無いと、御者は知っていた。
サーシャが雇用主を心配していたのを見ていたからだ。
御者はサーシャの元から離れ、馬車の調整を始めた。
サーシャは不安そうな顔で立っている、二人に声をかける。
『…… すまないが話した通りに頼むよ。 無いとは思いたいけど、危険があるのなら逃げてくれ。 君達の命の方が大事だ』
『うん、ありがとう。 護身用の武器ももらったし、何とかしてみる』
『心配しなくてもいいぜ。 俺が変態デブ親父が、あの超可愛いお嬢様の仇かどうかを確かめてやるよ』
本心ではあった。 駒として利用させてもらう事になっているが。
仕事を斡旋し、この世界で生きていための糧を渡したという事でもある。
護身用に武器も作って渡した。 金属の粉末と薬物を混ぜた、スタングレネードもどきと、ナイフぐらいだが。
互恵関係にある…… とサーシャは思っている。 そういう風にしたのもサーシャではあったが。
(彼等に危害が加わるようなことがあったらとは思うけれど。 僕が動けるのはまだ先だ。 彼等が何かを見つけてくれれば)
カティからロドリゴが評判が悪く、人が離れていると聞いた。 そして使用人を求めていることも。
死に繋がるような、実害があったわけでは無いらしい。 単に横暴で領地の運営が極端に下手なだけで。
しかし横暴で馬鹿な領主より、良い領主の所に行きたいのだろう。
この国にはそういう自由もあった。
カティは出来ればロドリゴを廃して、評判の良い…… 例えばフィオレンツァのような貴族に領地を与えたいようだった。
しかし、理由無く廃するわけにはいかない。
その理由を探るための潜入捜査官として、彼らを送り込むのだ。
『自分でどうにかしたいところだけれど…… お嬢様にバレたくは無いんだ。 彼女達をギリギリまでは巻き込みたくはない』
自らが動けない、動いても確実に証拠が得られるかがわからない状況に、サーシャは歯噛みした。
『サーシャちゃん…… あんまり背負い込まなくてもいいと思う。 一ヶ月後の連絡を待ってて』
『そういうことだ。 助けてもらった恩は果たすつもりだかんな。 生きてくためには仕事しなきゃなんないんだし』
『そうか…… 頼むよ二人とも』
少なくとも瑞穂はしっかりしている。 上手くやるだろう…… 紫雲が心配だが。
「うん? 別れは済んだか?」
二人の元を離れたサーシャを見て、御者が声をかけてくる。
「ええ、彼等をお願いしますね」
出発し、遠ざかって行く馬車を眺めながら、サーシャは彼等が無事であるように、この世界にはいない神に祈った。
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しばらくぼーっとしていたら、馬車が止まった。
「おう、着いたぜ。 そんなにでかくはねぇ屋敷だな」
確かに、サーシャちゃんが勤めていたヴィスコンティ…… だったかな? のお屋敷よりは小さくて地味だった。
隣にいる兄さんは眠そうに目をこすっている。
これから敵陣…… と言っていいのだろうか、に向かうというのに気楽だなぁ。
もしかしたら兄さんは事を理解していないのかもしれない。
ううん…… あまり気にしすぎてもダメかもしれない、お仕事に来たんだと思って頑張ろう。
そうしてわたしの、アルバイトもしたことが無いわたしの、使用人生活が始まった。




