帝都二年目の春 : メディチ家のパーティ
ガタガタと馬車は車輪を弾ませながら走り続ける。 到着は夕刻になるだろう…… と御者の男が自らの経験で推測する。
ちらりと後ろの客車を見る。 今日の客は貴族とそのお供だ、とはいえ子供と女だけだったが。 噂話は聞いている、家族を失った不幸な子供が、領主として成功を挙げつつあると。
お付きの子供の方は知り合いだったが、貴族のお付きだったとは知らなかった…… 酒場で酒を飲みながら話した事がある程度だが。 彼は金持ちの貴族だけならば、雑に仕事をするような男だったが、知り合いならば精々優雅に運んでやろう、と考えていた。
そんな事を御者が思っているとは知らず、サーシャは自らの考え事に没頭していた。
(さて、犯人なんかが居るとしたら、この状況でどう動くのかな…… 怪しすぎるから同じ手は使わないと思うんだけどな)
そもそも動機がわかっていない、なんらかのヒントが掴めると良いのだが、 そもそもが大分前の事件だから捜査は進んでいなかった。
(囮捜査じゃないけど、何かアクションがあれば……)
餌に食いついてくれるような輩ならば楽なのだが。 とサーシャは深くため息を付きながら周りを見回す。
隣ではイレーネが同じ様に考え事にふけっていた。 対面のフィオレンツァと目が合う。
「なんだかお前達、今日は静かだな。 何かあったのか? いつもなら漫談の一つや二つしているころだろうに」
「そんないつもいつも面白い話とか出来ません。 そんな気分の時だってあるでしょう?」
「何かいつもと口調が違くて気持ち悪いな…… 声音も優しげだし……」
精一杯の演技を気持ち悪いと言われ、不満そうな顔をするサーシャだったが。 我慢我慢と笑顔を振りまいた。
「ふむ、何か悪い物でも食べさせただろうか…… 私と同じ物しか食べてないはずだがな……」
懸命の努力もフィオレンツァにはとどかないようだった。
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時刻は夕刻になりかけていたところで、御者の目にはエトルリアの町が見えてきた。
エトルリアは帝都のように城塞都市ではなく、未だに広がりつつある都市だ。 付近には遺跡は無いため魔物も出没しない、平和な都市だとされており貴族の館が多数ある。
それとマドンニーナ魔法学院があり、学生と貴族の街という印象だった。 魔法学院の生徒は大体が金持ちだったから、単純に金持ちの街とも言えるが。
金持ち相手の商売人が集まった結果、人が人を呼び帝都ほどではないが、大きな街となった。
(要するに俺なんかにゃ、縁のないところだ。 仕事じゃなきゃ来る気もせん)
御者はそう思う。 金持ち相手に稼げるようにと、良い馬と客車を買った時の借金もまだ残っている。 精々気張って稼がなければならない。
(ガキを仕込んで、客車にいる『銀髪』みてぇに貴族の家に送り込むのもアリかも知れんな…… はっ、うちのガキじゃ教養が無くて無理か)
御者が今後の生活を考えながら馬を走らせていると、エトルリアの北門が見えてきた。
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メディチ家の屋敷はそれはそれは大きなもので、ヴィスコンティの屋敷が小さく見えるような物だった。
豪奢な細工が施された屋敷は、シンプルだったヴィスコンティの屋敷とは違った印象を受ける。
門の番をしていた老人は、馬車から降りるフィオレンツァの顔を確認すると、何も言わずに屋敷の中へ通してくれた。
(あの人は今回来る人、ほぼ全ての顔を把握しているのか…… すごいものだな)
きっと古くから居る人なのだろうと、サーシャは推測した。 もしかしたら、フィオレンツァの髪で判断したかもしれないが。
女性の召使いに連れられ、通された先は控え室として準備された客室だった。 鏡が用意されている、身だしなみはここで整えろ、ということだろう。
鏡の前のイスに座ったフィオレンツァをイレーネがてきぱきと身だしなみを整える。
「どうも化粧というものは慣れないな、する必要あるのか?」
はたから見ていたサーシャもそう思っていた。 フィオレンツァの肌は元から白かったし、若いのだから化粧なんて必要ないように感じた。
その言葉を聞いたイレーネの手が止まる。
「お嬢様? それはお嬢様の年齢だから言えることなのですよ。わたしぐらいになると、基礎化粧品と肌の手入れは必須……!」
(そういえばあったなぁ、古文書に化粧品の本。見た感じ重金属の類は入ってないみたいだし大丈夫か)
「それに化粧も舐めたものでは無いですよ。 美しい女性はより美しくするものなのですから」
イレーネはアイシャドーやチークで、フィオレンツァの顔に化粧を施す。 見る人が見ればきつく見えるフィオレンツァの鋭い目が柔らかく、白すぎるほどの顔色も血色が良く見えるようになった。
「どうです、変わるものでしょう!?」
(いやいや、本当だな。 これでもナチュラルメイクだろうに、良く変わるものだ)
「うーん。 何処が変わったのかが、良く分からん」
元男のサーシャにすらわかる変化は、フィオレンツァにとって難解だったようだ。
「このっ…… 素質に恵まれてるからといって……!」
「お、落ち着いてくださいイレーネさん」
激昂しかかるイレーネに、慌てたサーシャは取り押さえにかかる。
「もう私は十分だろう? サーシャにも施してやればいい」
それを聞くと、イレーネはそれもそうかと頷いてサーシャの方を向いてくる。
その表情を見て、サーシャは諦めの表情を浮かべている。
「ああ、まぁ覚悟は出来てますから…… さっさと済ませてください……」
「嫌がらないとつまらないよサーシャ。 さぁ、嫌がってくれ」
「うっさいですよ。 早くしてください」
つい、口調がいつもの調子に戻る。
「サーシャ、油断はしないようにね……」
「まったく…… なら、からかわないでください…… ここは敵地かもしれないのですから」
『敵』が誰だかすらわかっていない状況だが、念には念を入れるべきだろう……後半は少し声を抑えてサーシャは言う。
「ごめんごめん、ではさっさと済ませてしまおうか。 とはいえサーシャもお嬢様と一緒で、弄るところなんてさほどないのだけれど」
そうは言うものの、両手に化粧道具を構えたイレーネはやる気に満ち溢れていた。
鏡の中でみるみるうちに変わる自分の顔に、サーシャは眉をひそめそうになった。
(化粧で女は化けるとはよく言ったものだ……)
どちらかというと、幼い…… まぁ実際に幼いのだが、見た目のサーシャは鏡の中で女性を強く感じる顔になっていた。
「よしっ、これで良いだろう…… これで流し目でもすれば会場の男性もイチコロだよ、サーシャ」
「趣旨間違ってませんか…… いや、しかしアイシャドーとチークと口紅ぐらいで良く変わるものですね……」
「ふふん、化粧は女の必須事項だよ…… わたしに出来るのはここまでだ。 頼んだよサーシャ」
「えぇ…… わかっています」
臨むのは『敵地』へ、情報を求めに。 サーシャはドレスを着込み、出撃した。




