帝都一年目の夏 : 夏の終わりに
「雨、止みませんね」
昨夜から降っている雨は、止む気配がない。夏に長期間雨が降るのはこの帝国では珍しい事であった。
二人の少女がヴィスコンティ家の書斎にて、止まない雨を眺めていた。一人は机の前で椅子に座って、一人は窓に手をやり、その前に立っていた。窓には銀髪の少女と、座るプラチナブロンドの少女が写っている。
「そうだな、こうして雨の音を聞くのもたまにはいいものだ」
そういってフィオレンツァは目を閉じて、雨の音を楽しむ。サーシャは窓の外を眺めながら、考え事をしていた。
「雨か…… 肩の魔法紋様を刻まれたのも雨の日だったな……」
少し悲しげな表情を浮かべたフィオレンツァは、自らの肩を撫でながらそう言った。
「最初は一〇歳になるまでは刻まない、という話だったのに。どうして早めたのだろうな…… そのおかげで今、私の肩には魔法紋様があるんだが……」
そのつぶやきを聞いたサーシャは疑問を口にする。
「と、言うことはお嬢様のご家族がお亡くなりになったのは、そのすぐ後だったのですか?」
「ん、そういう事だな。今思えばだが、何か、何かあったのかもしれないな……」
何か、とフィオレンツァは言うが、心当たりがあるわけでは無いのだろう。予感めいた物、そういったものだと言いたげだった。
「そう……ですか……」
だがサーシャはそうは考えていなかった。フィオレンツァの家族は何かをしようとしていたのでは無いだろうか、それが危険な事だと知っていたから、フィオレンツァの魔法紋様を刻むのを早めたのではないだろうか。
(証拠も……手掛かりも無いな…… カティさんに調査を頼んだけれど。まだわからないようだし)
サーシャは内心、何かあると確信をしている。しかし、それを言葉にして表せるほどの情報がなかった。
「もう二年経った。けれど、まだ家族が亡くなったと聞いた夜を思い出す時があるんだ」
フィオレンツァは机に両肘を付き、ため息と共に顔を沈めた。彼女は雨に誘われたのか、少し感傷的になっていた。
少しだけ無言の時間が過ぎた頃、ノックの音が聞こえた。
「お邪魔しまーす!お茶をお持ちしましたよ!」
クレリアが元気な声と共にお茶を持ってきた。カップの中身を見ると、どうやら紅茶のようだった。
「紅茶ですね…… いい香りです」
「ちゃんとサーシャに教わったとおりに入れたよ!カップも温めたし、ちゃんと蒸らしたもの!」
胸を張って偉ぶるクレリアに、サーシャは笑顔と共に言葉を返す。
「ええ……美味しいですね。どうですか?お嬢様。新大陸とは違う、東南の国との交易品の中の一つです。紅茶と言うんですが」
サーシャにとっては昔懐かしい思い出の味だ。その中でもこの紅茶は美味しいと思える味だった。
フィオレンツァはカップに口を付け、紅茶を味わった。
「ああ、暖かくて落ち着く味だな…… 私は気に入った」
それを聞いたクレリアは満面の笑みになった。
「良かった!なんかいっぱい種類があったから、いっぱい買っちゃって、どうしようかと思ってたんです! あ、サーシャ!夕飯楽しみにしててね!」
そう言い終えると、クレリアは尻尾を振りながら風のように去っていった。その様子をサーシャは呆然と見つめていた。
「ははっ、クレリアは元気だな…… 彼女もアレシアも探索者の子で親を失った孤児だ…… 幼い時から傍にいてね、私にとっては亡くなった家族以外での身内だよ」
フィオレンツァの表情は少し笑って入るが、未だに暗い。やはり、先ほどの話がまだ頭に残っているのだろう。彼女は先程の話を先に進めた。
「家族が亡くなって、私は領地を継いだ…… 私の様な小娘に領地の運用が出来るのか、と国内の貴族から疑問が沸いたそうだが、全て宰相閣下や皇帝陛下が黙らせた」
カティやレムスは何を考えていたのだろう、フィオレンツァを哀れに思ったのか、それともやれると思ったのか。
結果的には、フィオレンツァは領地を運用できており、結果も最近は上げ始めている。農地は順調に作物を実らせ始めているようだから。
フィオレンツァはそこまで言うと、紅茶を口にする。口から吐息と微かな微笑みが漏れる。先ほど気に入ったと言ったのは本当のようだ。
「私は上手く出来ているだろうか。父から継いだ領地をしっかりと運用出来ているだろうか。領民はどう思っているのか、時々不安になる時がある」
「お嬢様は良い領主だと思いますよ。私は、ですけど」
沈んだ表情で弱気をこぼすフィオレンツァに、サーシャは自分の考えを話す。
(領民を案じる様な領主が悪いわけがないと思うけどね……)
本心からのサーシャの言葉に、フィオレンツァは首を振って答えた。
「そうか?そうだろうか。サーシャが来る前、私はギリギリのところで領地を保っていたに過ぎない。サーシャのおかげで私は楽にはなり、成果が上がりつつあるが、それはサーシャが居たからこそだろう?」
どうやらフィオレンツァが言っていたのは、内面の事ではなく、能力のことであったらしい。その発言を受けて、サーシャは少し考えて、イレーネに習った少し丁寧な口調で言葉を返す。
「私を高く買って頂いているようで、ありがとうございます。 ですが、そんな私がお嬢様を良い領主だと言っているのですよ? もちろん、能力の面でもです」
サーシャは嘘を付いてはいない。フィオレンツァは一〇歳とは思えない才覚の持ち主だ、サーシャは…… 見た目通りの年齢では無い、そう、中身は。ずるをしているようなものなので、比べるべくもないのだ。
「そうか…… そうかな?」
フィオレンツァが少し安心したような顔をして、少し首をかしげてサーシャに聞く。
「ええ、そうですよ?私が保証してあげます。自信を持ってください、お嬢様」
優しくフィオレンツァを見ながらサーシャは答える。その言葉にフィオレンツァは口元を緩めた。
そんな中、書斎のドアが空き、クレリアが、少し後からアレシアが駆け込んできた。
「お嬢様!サーシャ!夕食が出来ましたよ!」
「クレリア、ノックはしないといけないよ」
慌ただしく入ってきた二人を見て、サーシャとフィオレンツァの二人は、キョトンとしたお互いの表情を見て、少し笑った。
「くっくっく、わかったよクレリア、アレシア。直ぐ行くから安心してくれ、なぁサーシャ」
「ふふっ、そうですねお嬢様」
「わかりました!じゃあ準備を終わらせますよ!」
それを聞いたクレリアは、踵を返すと最後の準備のために走り去った。
「えっ、クレリア。待ってよ」
アレシアが慌ててゆっくりとクレリア追いかける。
嵐のように去っていった二人が居なくなった書斎で、立ち上がったフィオレンツァはサーシャに話しかけた。
「さぁ、サーシャ。今日は君が主役だろう。早く行ったほうがいいんじゃないのか」
「主役?何のですか?」
身に覚えがないといった表情のサーシャを見て、フィオレンツァは笑う。
「なんだ?忘れているのかサーシャ?」
「はぁ……覚えが無いですねぇ……」
それを聞いてフィオレンツァは、サーシャの方向を向いて口を開く。
「誕生日だよサーシャ、君が今日だと言っていただろう?」
「あ…… そう言えば……」
書斎にあるカレンダーは、確かに今日がサーシャの誕生日であることを示していた。
「そういう事だ。誕生日おめでとう、サーシャ」
夏の終わりを告げる雨の音が鳴り響く中、笑うフィオレンツァを見たサーシャは、心からの笑みを浮かべた。




