帝都一年目の夏 : 屋敷での平凡な一日
「人から見られることを意識するんだ。そう、そうだよサーシャ、優雅にね」
「あ、あの…… この練習、本当に必要なんですか?」
このところ毎朝、サーシャはイレーネの指導の元、貴人の令嬢としての振る舞いについて練習をしている。
青地のサマードレスを無理矢理に着せられたサーシャは、歩き方を学ばされていた。
「それはそうさ。今、お嬢様が他のお家に呼ばれていないのは、御家族が亡くなって、領地の運営が大変なのを知っているからだよ。サーシャのおかげである程度は安定してきたんだ、そのうちお誘いは来るだろうさ」
イレーネはそこまで言うと、一息ついてさらに言葉を続ける。
「それに、サーシャにとって損は無いだろう? パーティにも参加するだろうし、学園に行くようになったら周りはお嬢様だらけだ、そんなところになってない所作で行ってみたまえよ、ひどく恥をかくだろうね?」
サーシャが屋敷に務め出してから半年近く経ち、イレーネはサーシャの扱い方に慣れ始めていた。
イレーネが思うにサーシャはきっちりとした損得勘定で動いている、損が大きければ動かないが、得が多いと判断すれば言わずとも動く、ならばそういう風に理由を作ればよい…… 現にサーシャは言いくるめられていた。
「そう言われると…… 仕方ないですね…… ご指導のほど、よろしくお願いします」
実際の理由としては、大半がイレーネの趣味なのだったが、サーシャは気付かない。
こうして、サーシャはイレーネの理想通りに育とうとしていた。
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「前に作ってもらった、卵焼きっていうのもふわふわで美味しかったけど。このオムレツっていうのも美味しいね!」
サーシャとクレリアは共に朝食を作っていた。オムレツを味見してもらっているようだが、好評なようだ。
サーシャが前世でのレシピを出来る限り再現したものは、割と好評だった…… 本人としては、醤油が無かったりするので首をかしげる出来だったのだが。
「日本料理を再現しようとすると、どうしても醤油が無いと思った味にならないですね……」
「ニホン?ショウユ?」
「醤油っていうのは豆から作る調味料なんですが…… 大豆が無いんですよねぇ……」
先週の交易船で運ばれてきた食料にも大豆は無かった。王城まで運ばせたジャガイモは、栽培法が書かれた古文書の一節を添付して、農場でお試し栽培をさせるべく、サーシャは働きかけていた。トウモロコシなども同様に栽培させるつもりだった。
「それ、どうやって作るの?」
どうやら、クレリアはサーシャが熱望する醤油に興味を持ったらしい。醤油、もしくはそれに及ぶものがあればサーシャとしては嬉しいので、クレリアに覚えている限りの製法を教えてみた。
「えっと、蒸した大豆と炒って砕いた小麦と食塩水を混ぜて……」
サーシャの説明は所々が抜けていたが、ある程度の製法を説明できた。説明しつつ手を動かす、穴開きのステンレス製の菜切り包丁でザクザクと野菜を切っている。
「発酵させるんだね、ヨーグルトみたいに。どんな味なの?」
ポトフを作るクレリアは、木製のお玉をあおり、味加減を確かめている。
「味は……しょっぱいですね、それでいて旨味があるというか……」
「うーん、ガルムみたいなものかなー」
クレリアはガルムに付いて説明した。彼女が言うには、魚に塩を付けて日光に晒して腐らせてから発酵させるそうだ、液化した上澄み液がガルムとなるという。
「ああ……しょっつるみたいな物ですかね…… 魚醤って言うんでしたっけねぇ」
「昔は何にでもかけてたっていうけど、最近はあんまり使わないかな。お肉にかけたりするよ、味はしょっぱかった」
「と、言うことは一応売ってはいるんですね? 今度買い物に行った時にでも買ってみましょうか……」
代用品とは言え、醤油があれば……と思うと色々と作れなかったレシピが作れる。
出来上がった料理を、サーシャが作った陶器の皿に盛っていく。わざわざ釉薬まで作り、絵もしっかり描いた自信作だった。
「じゃあ運んじゃおうか、美味しそうだね!」
焼き立てのパンにサラダ、ポトフにオムレツと美味しそうな朝食が並んでいた。
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昼食後、アレシアと掃除をしている最中にサーシャはフィオレンツァに声をかけられた。
「サーシャ、掃除が終わってからで良いから書斎に来てくれ」
「はい…… どうしたんですか?」
「用件は君が来たら言う」
それだけ口にすると、フィオレンツァは書斎の方向へ向かって歩き去った。
「なんでしょうね?」
「昨日、サーシャが出かけてる間に、王城からお手紙が届いたんだよ。お嬢様、それを見て、なにか考えてたから、その件じゃないかな」
サーシャの疑問に、アレシアが銀の食器を布で拭きながら答える。銀食器は常日頃から磨いていなければ、硫化して黒ずんでしまう、ピカピカに輝いているのは、アレシアが磨いているおかげだろう。
それを横目に、サーシャは自作のモップで床を磨きつつ口を開く。
「厄介なことでは無いといいんですがね」
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「来たか、サーシャ」
書斎のドアをノックして開けると、フィオレンツァはなんとも言えない顔で悩んでいた。
「はい。どうぞ、お茶です」
サーシャは長い話になるかもしれないと思い、ハーブティーをポットに入れて持ってきていた。イレーネに習ったように丁寧にカップに入れ、フィオレンツァの前に置いた。
「ん、ありがとう…… さて、来てもらった用だが。これを読んでみてくれ」
フィオレンツァはそう言ってサーシャに手紙を渡してくる。
内容はカティからの、ヴィスコンティ家の領地における農作物の栽培依頼だった。
サーシャが軽く読む限りは、書類の一覧にある作物から何種類かを試しとして栽培してほしいということだった。
一覧を見てサーシャは渋面を作る、ジャガイモやトウモロコシ…… 要するに、サーシャが栽培するように頼んだ作物だ。
少し考えればわかることだったが、ヴィスコンティ家の領地にも話が来たようだった。
「ああ、そうだろうなとは思ったんだ。君の顔を見る限りはやっぱり絡んでいたか」
フィオレンツァはサーシャの渋面を見て、ある程度事情を飲み込んだようだった。
「それで? 君としてはどれがお勧めなんだ? 特徴は書いてあるんだがな」
サーシャは言われて一覧を良く見る。多分この地方では無理だと、説明してあったはずのコーヒーや紅茶もあって愕然とする。
その他には、さつまいも、バルバビエートラ…… サーシャの目はそこで止まった。
「バルバビエートラ…… テンサイ?」
テンサイは日本ではこうも呼ばれている、サトウダイコンと。
「バルバビエートラです!これを栽培しましょう!砂糖が取れます!」
砂糖と言って、フィオレンツァの眉がピクリと動く。
未だ砂糖は市場価格が高く、それらを使った食品は古文書によるレシピが出回っているのに、庶民の口には入りにくい。自前で作ることが出来るなら、多大な利益となり、交易品としても活躍するだろう。
「よし、ではそれでいこう。砂糖にする手法はサーシャが知っているようだしな」
「ええ!お任せ下さい!遠心分離器も作って白砂糖にしてみせます!」
「そんなに甘いものが好きか……」
頼もしく宣言するサーシャに、フィオレンツァは少し呆れたように呟いた。
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サーシャは風呂で体育座りになり、考え事をしていた。
「一年から二年ぐらいはかかるでしょうけど、砂糖が自給出来れば安くなりますよね…… リタが喜びますかね」
おやつにしてはケーキは高すぎるため、サーシャに奢ってもらっていることが多くなり、申し訳無さそうにしていたリタの顔を思いつぶやく。
砂糖が安くなれば、彼女の手に届く価格になるだろう。競合する店も増え、バリエーションも増えるかもしれない。
「遠心分離器作るって言っちゃいましたけど、どうしましょうか……」
サーシャは最初、『電』の魔石を使って動かせばいいと思っていたが、それにはモーターなどの機械を使う必要がある。無論、そんな物はこの世界には存在しないし、作るのにも仕組みを知らない。『電』で発生する電気は所詮エネルギーにしか過ぎず、活用するためにはそれをエネルギー源とする機械が必要になる。
「まぁ……手回し式のを作ってもらいましょうか……」
屋敷の玄関には柱時計がある、ということは歯車などは存在するということだ。その製作者に頼み込んでみるしかないとサーシャは結論づけた。とは言え、柱時計の設計書は古文書にしっかりと書いてあったので、誰かが発明したというわけでは無さそうだった。
「発明家の様な人が居ないのですよね……」
王城の書庫、そして図書館でこの世界の知識を入手したサーシャは、この世界では発明家などは生まれないだろうな、と思っていた。必要性がないのだ。
生きるために必要な知識は古文書に書かれている。そして、宗教が無く、国家間戦争などがあった形跡もなかった。この世界を生きる人間にとっての敵というのは魔物ぐらいなものだった。
そんな世界で発明などをするような人間がいるとしたら、サーシャのように発明品…… それがどのようなものかを知っている者ぐらいだろう。そのサーシャでさえ、生きるためにではなく、趣味としての開発ぐらいしかしていないのだ。
(パトロンのような制度もない…… 必要性も無く、金も無いのなら誰も新規で何かを作ったりはしないだろうな)
金や資源が無いのなら、賭けの様な、結果がわからない発明品の開発になど至れない。
「面白い……変な世界ですよね」
戦争も差別も奴隷も無い、魔物は居るが人が生きるのが簡単な優しい世界。
サーシャはそんな世界に転生したことを少しだけ感謝しながら、湯の感覚を楽しんだ。




