帝都一年目の春 : 魔石屋さんとお兄様
とある日のサーシャは帝都の西側……住宅街や高級な商店が並ぶ場所へ来ていた。
宰相のカティが言っていた、魔石屋を探すためだ。魔石屋は五年ぐらい前にこの一角に出来たという。
サーシャはバッグに入れた、先端にそろばんのように魔石が付いた杖に触れる。
そのミスリルの魔石杖には、『風』や『加速』、『硬化』などの単体では価値がわかりにくかった物は付けているのだが。価値がわかりやすい『氷』などはアルバ島には出回っていなかったので、付けられなかった。
冷蔵庫やフィオレンツァの魔法などの一件で、『氷』の絶大な効果を目の当たりにしたので、魔石屋に無いかどうか探しに来たのだ。
(魔石の流通量も帝都のほうが多いだろうし、ね。夏になったら避暑にも使えそうだし)
日本ほどでは無いとサーシャは感じているが、アルバ島の夏は割と暑かった。アルバ島より北上した地点にある帝都ではあるが、備えるに越したことはなかった。少なくとも、露出が高い女物の服を着なくても済むように。
サーシャは周りを見渡すが、ブティックの様な服屋が並ぶ通りに来てしまったようだ。並ぶのは女性物ばかりで、微妙に居心地が悪い。
さっさと通りすぎてしまおうと歩調を早めると、見覚えがある銀髪の後ろ姿を発見した。
その後ろ姿は石壁の影に隠れて、何かを見張っているようだ。その視線の先には女性の姿がある。非常に怪しい姿だった。
「何してるんですかお兄様……」
「わっ! なんだサーシャか……」
怪しい後ろ姿こと、ダーシャが驚いてサーシャをチラリと見て、再び監視に戻る。
「騎士団の任務ですか?」
少し声を潜めて、サーシャはダーシャに問いかける。監視している彼女が容疑者という可能性もあった。
「えっ?! いや…… うん、そうだよ?」
「えっ…… なんですかその反応…… 本当は危ない趣味に走ったわけでは有りませんよね? 実の兄が犯罪者とか嫌なんですけど……」
ジト目で兄を見るサーシャに、ダーシャは慌てて否定した。
「落ち着いてくれ妹よ、兄は犯罪者じゃないよ。単にあの人が気になったから付けているだけだよ」
「それってストーカー…… 何か言い残すことはありますか?」
キョロキョロと憲兵を探すサーシャ、せめて自分の手で突き出してやりたいとの感情からだった。
「待つんだ妹よ。これには理由があるんだ、僕を憲兵に突き出すのは聞いてからにしてくれないか」
ダーシャの話にまとめると、以下の様になる。
先ほど町中で美女を見かけた、彼女はとある紋様が書かれた杖を持っていて、それは〈神人族〉が持っている物に書かれる紋様だったという。ということは、その美女は〈神人族〉ではないかという考えに至った。後、外見が気に入ったから尾行した。
それを聞いたサーシャは、取り敢えず憲兵に突き出そうと考えた。
「じゃあ行きましょうか、お兄様。ここで受刑者がどうなるかは知りませんが、お元気で」
「〈神人族〉がこんな所に居るのも気になるんだよ、妹よ。〈森秘族〉ほどでは無いにしろ、〈神人族〉は普通、東の遠い地からこんな所まで出てこないからね。だから突き出すのはやめてくれないか」
サーシャとしてはダーシャの目的に少し邪念を感じなくもないが、同族の女性が気になるのも確かであった。
「直接声をかければいいんじゃないでしょうか……」
「騎士団長が言うには女性に声をかける時は、情報を集めてからの方が良いと」
「尾行して得た情報を何に使うんですか…… あ、そう言えばお兄様は擬態は知っていたんですか?」
「うん?サーシャぐらいの年齢の頃には父様に聞いたよ?多種族の男性に会う時は使えって。もしかしてサーシャは母様に聞いてなかったのかい?」
「そうなんですよ、それで酷い目に合いまして……」
そんなやり取りをしていると、女性は通りの角を曲がって行った。
「このままだと見失ってしまう!追うよ、サーシャ!」
「えっ、私も追うんですか? これ罪になったりしませんよね?」
仕方なく、走りだしたダーシャをサーシャは追いかけた。
角を曲がった女性はある家屋の鍵を開けて、中へ入っていった。家屋には看板が有り、黒い石が書かれている。
「あれってもしかして魔石屋なんですかね。お兄様何か知ってますか?」
「そうだね。女性の家に向かう時の心得は、まだ騎士団長には聞いてないな」
「私もそんな事は聞いてないんですけどね。私は魔石屋に用があったので、あそこへ行ってみます」
サーシャは悩んでいるダーシャを置き去りにして、魔石屋と思わしき家屋のドアにノックをして、中に入った。
中には誰も居なかったが、カウンターが有るので多分店だろうとわかる。
「すいませーん、誰か居ますか―」
サーシャはカウンターの奥へ声をかけた、中に女性が入って行ったので居るのはわかっているのだが。
少し待つと、ドタドタと音がして奥から人がやってきた。
「はぁい、お客さんですかぁ?」
現れたのはのんびりした口調のむせ返るような色気を持った美女だった。
ふわふわした黒髪に茶色の目、抜群のスタイルが目立つ様に胸元が大きく開いた黒いドレスを着ている。
なるほど、道行く男性の目を引くであろう美女だった。それに今回はダーシャが引っかかった形となる。
「ここは魔石屋でいいのでしょうか?」
女性の姿に店を間違えたかと思ったサーシャだったが、直ぐに落ち着いて尋ねる。
「うん、そうよぉ。可愛いお客さぁん」
ふにゃっとした表情で、カウンターに両肘を付いてサーシャを眺める女性。
その女性は、何かに気付いたようにサーシャの少し後ろを見た。
「後ろのお客さんはぁ、可愛いお客さんのお兄さんか何かかしらぁ?」
サーシャの後ろにいつの間にかダーシャが居た、どうやら特攻することにしたらしい。
「そうですね、残念ながら私の兄です」
「妹よ、僕の扱いが酷くなっているよ?」
それを聞いて、女性はニコニコして口を開く。
「そうよねぇ、髪も顔も良く似ているわぁ。似たような魔力を感じるわねぇ…… 貴方達ぃ、もしかして〈神人族〉?」
(魔力を……感じる?)
サーシャは女性の言葉にどこか引っかかったが話を進めることにした。
「ええ、私達は〈神人族〉です。 どうしてわかったのか聞いてもいいですか?」
「わたしはぁ、魔力をなんとなぁく感じる事ができるのぉ。 それでぇ魔石の鑑定してるのよぉ」
(へぇ…… 便利なものだな)
サーシャは彼女に質問を投げかける。
「ふむ…… それって後天的に身につけることが出来る技術なんでしょうか?」
「うぅん……わからないわねぇ。わたしとぉ同じ『能力』を持った人はぁ見たことないわねぇ」
「そうですか…… 自己紹介がまだでしたね。私はアレクサンドラ・ドラグミーノフと言います」
サーシャの後ろで女性の色香にやられて呆けていた、ダーシャが気を取り戻した。
「僕はダーリヤ・ドラグミーノフだ。よろしく」
「懐かしいわねぇ、そのぉ名前の感じ。帝都じゃあ聞かないのよねぇ。わたしはぁアンジェリカ・ヴォロフよぉ。アンジェって呼んでねぇ」
「お兄様、ちょっと我慢しててくださいね。私の用件を先に済ませてしまうので。アンジェさん、『氷』の魔石有りませんか?」
可愛らしく小首をかしげ、指を唇にやるアンジェ。少し悩んでいたが、口を開いた。
「ええっとぉ、少し高いわよぉ? 確かぁ銀貨五枚ねぇ。最近忘れっぽいのよねぇ」
「買います。これでいいですか?」
サーシャは財布から銀貨を五枚取り出し、カウンターに載せた。黒ずんでいた銀貨はしっかり磨いてある。
「いーちにーいさーん……銀貨五枚ねぇ。よっこいしょっと、はいどうぞぉ」
アンジェは腰をさすり、持ち上げた重そうな箱から一つの黒い石を取り出して渡してきた。サーシャは魔力を流して、文字を確認する。
「確かに、『氷』ですね。ありがとうございます」
その様子にアンジェのニコニコして閉じられた目がぴくりと動く。
「サーシャちゃん…… サーシャって呼ぶわねぇ、良い?」
「ええ、構いませんよ。私もアンジェと呼ばせてもらいます」
「いまぁ、『氷』の魔石を発動させてぇ無かったわよねぇ。どうしてそれが『氷』だってわかったのぉ?」
その事かとサーシャは考える、別に隠すことでは無いとの答えに至る。
「魔石の文字が読めるんです。えっと、研究の成果で」
「文字ぃ?文字ねぇ…… そう言えばぁ魔法学校の教授にぃ、そんな事言ってる人がぁ、居たわねぇ」
アンジェには魔石に魔力を流した続けた時の紋様を文字とは認識していない。
彼女にとって、魔石の種類は魔力の流れや間隔で判断するものでしかなかった。
「へぇ……魔法学校にそんな人がいるんですか……」
サーシャは頭の中に情報を刻み込む、魔法学校に行くときに思い出せるように。
「面白い情報ありがとうございます。今度また来ますので、その時は色々魔石を見せてくださいね」
「うぅん。また遊びに来てねぇ。お菓子でも用意しておくわぁ」
そして振り返り、黙りこくったダーシャに声をかける。
「私の用事は終わりました。では、頑張ってくださいねお兄様」
「ああ、任せておくといい妹よ!」
サーシャが礼をして、店を去る時。緊張したダーシャの声が聞こえたような気がした。
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「お兄様も気付いても良いようなものですけどねぇ。けど見た目がああならわからないものでしょうか」
道を歩くサーシャはアンジェが見た目通りの年齢では無いと踏んでいた。所作や言葉の節々にどこか年寄り臭さを感じたからだ。老人……というわけでもないだろうが、ダーシャと少なくとも同年齢……二〇代では無いだろう。
遠い東の国から出てきた……という事は、旅ができるような年齢になってから。しばらく旅をしてここまで来たということだ。どれぐらいの期間がかかるのかは分からないが、サーシャの両親がアルバ島で一〇年過ごしたとは言え五〇近いのだから、結構かかるに違いない。それでいて、魔石屋は五年前に出来たと聞いた。
「お母様よりは若そうでしたけどね、見た目が変わらない〈神人族〉だってこと、わかっているでしょうに」
女性に年齢を聞くのは失礼だから、後でダーシャに聞いてみよう……とサーシャは黒く笑った。




