帝都一年目の春 : 買い物と古文書と
「ありゃー なんか色々と足りなくなってきたなー 夕食分でちょうど使い切りそう」
朝食後、後片付けをしている最中に、冷蔵庫をのぞいていたクレリアが楽しそうに声を上げた。頭を冷蔵庫に入れて、エプロンドレスの裾から尻尾が覗き込んでいる。
冷蔵庫を思いっきり閉めて、それを眺めていたサーシャに声を掛ける。
「ねぇねぇサーシャ!この前言ってたお買い物行かない?」
サーシャは、ほぼ毎食分の調理を手伝う様になっていた。他の人が調理を手伝えないというのも大きいが、サーシャにとって、魔物の肉を使わない調理は前世を思い出すようで楽しかったのだ。魔物の肉の方が美味しかった時もあるのが複雑だが。
「そうですね。アレシアさんを呼んできましょうか」
「ん、そうだなー あたしの勘によると、イレーネさんと居るんじゃないかなー」
やけに具体的な状況を教えられたサーシャは、朝食の後片付けを終えて台所を出て行った。
そのまま食堂を通り過ぎて、玄関から階段を上がろうとしたところ、プラチナブロンドの少女……フィオレンツァが歩いてくるのを見つけた。
「お嬢様? 書斎にいらしたのでは?」
「ん? サーシャか。いや、そのつもりだったんだけれどな、イレーネとアレシアに追い出されたよ。掃除するから出て行けーってな。まったく、誰が主人だと思っているんだ」
そうは言いつつ、フィオレンツァの顔は少し微笑みがちだった。
「確かに連日の書類整理で、散らかしっぱなしだったのは否定出来ないからな。お茶でも飲もうと下まで降りてきたんだよ」
「そうだったんですか。私はアレシアさんに用がありまして、お茶ならクレリアさんに頼んでくださいね?」
そう返すサーシャにフィオレンツァは少し不満そうな顔をした。
「なんだ? サーシャも主人を邪険にするのか、少しがっかりしたぞ?」
「い、いえ、そういうわけではないのです。食材が足りないので買い出しに出ようという話になっていまして、それにアレシアさんを誘おうと」
あわあわと必死に言い訳をするサーシャに、フィオレンツァは笑う。
「くっくっく。冗談だよ冗談。サーシャは素直だな、他の連中ならサラッと流すぞ、つまらないと思わないか?」
「お嬢様…… 趣味が悪いですよ?」
「まぁ、そう言うな。アレシアに用があるのだろう?行くがいいさ、サーシャで遊べなかった分はクレリアで遊んで憂さを晴らそう」
そう言って、フィオレンツァは髪をひるがえして台所の方向へ去って行った。
サーシャがノックをして、書斎を開けると、埃っぽく、紙が辺りに散らばった酷い状態だった書斎が、きっちりと片付けられていた。
サーシャは机の周りで雑談している二人に近づいた。
「アレシアさん、イレーネさん。片付け、もう終わったんですか?」
フィオレンツァが下に来た時間から逆算して、彼女達が掃除をする時間は一五分程度だったはずだ。それなのに地獄絵図の様だった書斎がきれいに片付いてしまっている。
「うん、アレシアは掃除の天才だからね。ふわふわしただけの女の子じゃないよ?」
イレーネがサーシャの疑問に答える。当のアレシアは。
「綺麗にするって、気持ちいいよね」
などと言っていた。
「アレシアさん、買い出し行きますけど。一緒に行きませんか?」
「うん、わかった。準備するから、玄関で待ってて」
「じゃあ私もシャツとズボンに着替えて……」
コソコソと書斎を脱出し、自室へ戻ろうとするサーシャの首根っこが掴まれた。
「まぁまぁまぁ、そんなに急ぐことはないよサーシャ」
掴んだ手の正体は案の定イレーネだった。
「イ、イレーネさん離してください」
「はぁ、わたしの用意した、淑女に相応しい服を着ろとは言わないけれど、せめて今の格好のまま行くんだよ?」
今の格好というのはエプロンドレスのことだろう。イレーネの用意する服は肌が露出していることが多いので、それよりはマシかとサーシャは考えた。
「あと、は」
イレーネは皮で出来た巾着袋を手渡してきた。ジャラジャラと音がなる。
「お手当てだよ、まぁおこづかいのようなものだと考えてくれ」
中を確認すると、銀貨が一〇枚入っていた。
「ありがとうございます。給金のようなものでしょうか?」
「まぁ、言ってしまえばね。とにかくサーシャのお金だから好きに使うといい」
サーシャは自室に戻って、両親からもらっていた銀貨を巾着袋に入れた、思えば長く使っていなかったので黒ずんではいたが。
「後で磨いておきましょうか……」
そんなことを考えながらクレリアの元へ向かうと、髪を三つ編みにされて弄ばれているフィオレンツァの姿があった。
「あ、遊ばれた……」
弄んだクレリアは満足そうにうなづいていた。
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「えーっと、どうしようかなぁ。あ!サーシャ、魔物の肉だってさ、あれ買わ…… ダメ?」
「ねぇねぇ、あの白い髪飾りサーシャちゃんに似合いそうだよ。えっと、魔物の骨…… えっ?要らないの?」
商店に並ぶ魔物の肉は一〇〇グラム辺り銅貨一枚、髪飾りは二枚だった。サーシャは自分が思っているよりも、手持ちの銀貨は高いのかもしれないと思い始めた。
手っ取り早く把握するために、サーシャは同行者に問いかけた。
「あの、外で食事を取ろうとすると、どれぐらいかかるんでしょうか」
少し考え込んでアレシアが答えた。
「屋台で軽食を頼むと、銅貨三枚…… 少し高いと五枚だよ。店内で昼食を食べると銅貨一〇枚だったと思うよ」
「ふむ……」
サーシャは周りの商品を見て、大体の価値を考える。
日本円に直すと、銅貨一枚で一〇〇円ぐらいだろうか?外食はちょっと高いとナディアが言っていた、それで昼食が一〇〇〇円ぐらいだと考えると妥当だろう。
すると、銀貨一枚は一万円、金貨は一〇〇万円になる。そうなると幼い頃、両親は銀貨五枚…… 五万円を渡してきたことになる。そして今回はイレーネが一〇万円を渡してきたことになる。
(あの人達の金銭感覚がわからない……)
少なくとも、子供に持たせるのには多い金額だ。
「細かく考えるとあらが有るとは思いますが、まぁそんなものでしょうか」
「ん?どったの、サーシャ」
独り言を呟くサーシャにクレリアが反応して顔をのぞかせた。
「いえ、何でもないです…… 買い物をつづけましょうか。重いものはこのバッグに入れれば良いですよ」
サーシャは『軽量化』のバッグを叩く、屋敷の皆にはこのバッグについては教えた。
「そう? じゃー 塩に砂糖に胡椒に香草に肉に魚に……」
「て、手加減してくださいね?なんでも入るわけではないですからね?」
そんな事を言いながら、彼女達は買い物を済ませていった。
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パンパンになったバッグ…… そこまで入れても羽のような軽さだった、はクレリアとアレシアに渡してサーシャは別行動をとっていた。
買い物が終わって二人は屋敷に帰るというので、サーシャは店をぶらついてみるつもりなので別れたのだ。
「魔石は高いと聞きましたし、あんまり売ってないんでしょうか……」
「魔石は専門店に行った方が早いと思うわよ?探索者も大体はそこに売ってるしね」
「ご丁寧にどうも…… ってカティさん」
後ろからの声に振り返ると、金髪の眼鏡をかけたスーツ姿の女性が立っていた。
「お久しぶり……ってわけでもないか、一週間ぐらいかしらね。ヴィスコンティ家には上手く潜り込めたみたいね」
「潜り込んだって言い方だと何か悪い事をしてるみたいなんですが」
「悪い事はしてないけど、領地の運営について口を出したとは聞いたわね。それを聞いてあの時、どうにかして手元に残すべきだったと思ったわよ」
「どこから漏れたんですか……」
サーシャは知らないが、筆まめなフィオレンツァは、サーシャを送ってくれたことについて、カティへ手紙を送っていたのだ。その内容に書かれていたからカティは領地の件について知っている。
「ま、そんな事はどうでもいいのよね。それでサーシャちゃん、古文書見に来るんじゃなかったの?」
「あっ。忘れてました」
ヴィスコンティの屋敷で衝撃的なことが起きすぎて、サーシャは色々と抜けていたようだ。
「そんな事だろうと思ったわよ、ちょっと暇が出来たからヴィスコンティ家まで行こうと思って来たのだけど。こんな所で会うとはね」
「うーん、今から行っても良いですか?ブラブラしてただけですし」
「そう?良いわよ。着いてきて」
彼女達は城に向かって歩き始めた。
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サーシャがカティに案内された書庫は、城の奥の方にあった。簡単な掃除しかされていないのか、どうにも埃っぽい。
「管理してたじじいが辞め腐りましたからね…… 野郎が本の整備も担当していたんですけど、それが居なくなってこのザマです」
口調が恨みを隠し切れていない。まだ人手の補充は進んでいないようだ。
「はぁ…… 大変ですね。ところで古文書はどれでしょう?」
「えーっと、この棚よ。写本だからそこまで気を使って扱うことはないわよ。ガンガン読んじゃってね」
カティはある棚を指差した、やけに分厚い本が並んでいた。
「何々…… 〈植物栽培法〉 まんまですねぇ。〈服飾図鑑〉 〈畜産の全て〉〈都市運用法〉 ふむ、どれどれ」
〈植物栽培法〉を手に取り、ページをめくる。中身は植物の栽培方法に付いて、図付きで書かれていてとてもわかりやすかった。そう、わかりやすすぎた。
(土地の慣らし方から、気候に適した植物、収穫物の保存法から病気の対策まで…… こんなのがあれば飢えないはずだ)
何年か凶作が発生しない限り、保存法が成立されているこの地では飢饉は発生しなさそうだ。それすらも冷蔵庫や畜産で乗り切るかもしれない。
全ては読まず、棚に仕舞い、もう一冊〈都市運用法〉を手に取る。
サーシャは半ば想像していたが、中身のモデル都市は、帝都とほぼ同一だった。上下水道やら、衛生管理について、ダムや下水処理の運用法……
二冊は同じ様な作りをしていた。図付きの解説付き、そして理屈がわからなくても実践できる書き方。
頭の中に疑問が浮かび上がる。
(さて、この本は誰が書いたんだ? 何故こんな知識を持っている?)
サーシャが考えるこの世界の文化レベルは、近世ヨーロッパ…… 精々一七世紀やそこらだ。ディナーフォークが無かったことやら、その他の情報を合わせて考えてだが。
しかし科学レベルは大分低い、そういう面では近世ヨーロッパには遠く及ばない。
そして、本に載っている知識は現代にも通用しそうな物だ。
どうもチグハグしていた。
不自然に感じる、作為的に感じる。異世界だからと言い張ってしまえば良いのだろうが、とてもそうは思えなかった。
この本が存在する理由があるとしたら、そしてこの本がどこから来たのかが知りたかった。
「カティさん、古文書の出処ってわかります?」
その言葉にカティはサーシャの予想していなかった答えを返した。
「それ、貴女の両親が探しているわよ」
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サーシャが両親と……というよりナディアと『通信』で連絡を取り合っているのは、基本的に夜となっていた。
具体的に何時とは決まっていないが、お互いの事情を考えてそういう風になっていた。
サーシャは焦れていた。どうしても気になって昼間に『通信』の魔石に手を伸ばしたが応答は無かった。留守番機能など付いていないので、ナディアからの連絡を期待するのは難しい。
仕方が無いので、サーシャは待っていた。大体は夕食を終えてしばらくした頃……午後七時とかそのぐらいだ、に連絡は来ていた。
こちらからかけようか……と考えた時、赤い『通信』の魔石が振動した。慌てて魔力を送り、応答する。
「はい、こちらサーシャです。お母様?」
「あ、悪い。俺だ、ヴァーニャだ。妹は風邪で寝込んでるよ」
「お父様でしたか、すいません…… 妹? お父様は妹さんがいらっしゃったんですか?」
「何言ってるんだ、ナディアの事だぞ」
サーシャは言われたことが少し理解できず呆然とした。
「えっ?はい?」
「言ってなかったか? 俺とナディアは兄妹だぞ」
言われた覚えがない。そんな衝撃的な事を言われたら覚えているはずだった。
(き、近親相姦……)
サーシャはその事はあまり考えないようにした。
「俺もサーシャの声が聞きたかったからな、連絡してみたんだが迷惑だったか?」
「いえ、そんなことはありません…… じゃ、なくて聞きたいことがあるんですお父様。お父様達が探している物の事で……」
「うーん?誰が言ったんだ? ……カティかな」
口調は問い詰めるものではなく、軽いものだった。
「え、ええ。今日、古文書を調べていたんですが。その際に教えてもらいました。お父様、あの古文書の出処は一体……」
「俺達は、俺達の種族はそこを、〈全ての知が宿る場所〉と呼んでる。おとぎ話に近い扱いだがな」
サーシャは頭の中で反芻する。〈全ての知が宿る場所〉
「まぁ一族の中でも探してるのは俺らぐらいなもんだけどな。俺らも見つかるとは思っていないし」
「それは……どこにあるとされているんですか?その、おとぎ話の範疇でいいんですが」
「東の、高い塔にあるとされている。前に東に探しに行った奴等は戻らなかったらしい」
「東……ってお父様たちは西の国に行きませんでした?」
サーシャは思い出す、西のゴールと言う国に向かって、現在はそこに居るはずだ。
「いやーおとぎ話だろ?だから間違って伝わってる可能性もあるじゃないか。だからとりあえず西に行って世界一周しようと思ってなー」
「えっ、もしかして世界一周が本当の目的なんじゃ……」
「そうだな」
軽い返事にコケそうになるサーシャだった。
「古文書についてそれ以上はわかってないんでしょうか……おとぎ話以上は……」
「んー そうだなぁ…… 古文書は同一人物が書いてるんじゃないかっていうぐらいだな。読んだ印象だけどな。そんぐらいかな」
それはサーシャも感じていた、文や絵、構成が似すぎている。同一人物で無ければ、似せて書いたことになるが、どちらにせよ親しい人物だろう。
「なんだ、サーシャも一緒に探すか?そして世界一周するか?」
「私は私で探してみます、世界一周はしません。ここ居心地良いですし」
サーシャは本心から言っていた。ヴィスコンティ家は居心地が良かった、衣食住付いてくるのだ、衣は無理矢理着せられているが。
「そうか。まぁ無理はするなよ、言ったように東に行ったやつらは戻らなかったんだからな。こっちにも古文書があって、今読ませてもらうように頼んでいる所だ。何かあったら知らせるよ」
「ええ。わかりました、お母様に身体を大事にするように伝えて下さい」
そう言って、サーシャは通信を切った。
ベッドに倒れこんで、サーシャは考えこむ。
〈全ての知が宿る場所〉などという場所が本当にあったら、そこから古文書が来ていたら。そこにある意思は何を望んでいるのだろうか。それを知ることは出来るだろうか。
サーシャは今後の目的として、この地の居場所を特定することを追加した。




