お嬢様のお手並
プラチナブロンドの少女が一枚の書類を見ながら口を開く。この屋敷のお嬢様、
フィオレンツァだ。
「サーシャ、少し付き合ってくれないか? 野暮用があるんだ、私の貴族としてのな」
貴族としての、との言葉を聞いて、銀髪の少女……サーシャの顔が少し歪んだ。嫌な予感しかしない。
堅苦しいパーティやら会見やらは好きなわけではない、と口にする。
「ん?いや、堅苦しいものではないよ。私の魔法使いとしての能力が必要なんだ。さっき私の魔法が見てみたいと言っただろう? 別に隠しておくものでもないしな。南の門から外に出ることになる、君は着替えてくるといい。エプロンドレスだと動きにくいだろうしな」
フィオレンツァはサーシャの懸念を否定してみせる。
確かにサーシャは朝食の席でそう言った。冷蔵庫の一件でクレリアが言った魔石ではない魔法が気になっていたからだ。
それにエプロンドレスを着替えられるのは有り難かった。シックな色合いだが、どこか可愛らしい服にどうしても慣れない。出来ればズボンや宰相のカティが着ていたスーツの様なものが着たかった。
ナディアが用意していた服には、いくらか男装に近い物もあったはずだ。それを着ようと思ってサーシャは自室として宛てがわれた部屋に向かった。
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「話は聞かせてもらったよ」
「なんで部屋の中に居るんですか?!」
栗毛のショートヘアの女性……イレーネが腕組みをして、部屋の中央に立っていた。
「わたしは家令だからね。予備の鍵はわたしの手の中にあるんだ、これしきの事は造作でもないよ」
プライベートという言葉を無視したイレーネの台詞にサーシャは唖然とする。
「え、ええと。イレーネさん? 私、これから着替えるので外に出てもらえませんか?」
「ふふふ、話は聞いていたと言っているだろう? わたしはサーシャがどんな格好になるかを、見届けなければならないんだよ…… そう、淑女として相応しい格好になるかを、だ」
まばゆいばかりの笑顔でサーシャを見るイレーネに対し、サーシャは考えを見破られているような気がして苦笑いした。
「こ、これとかどうでしょうか……」
サーシャはズボンとシンプルなシャツを手にして見せてみた。イレーネは無言で首を振り、笑顔で話しかけてくる。
「安心するんだサーシャ、わたしが、このわたしが相応しい衣装を持ってきているよ。これを着ればいい。着方がわからないようなら、わたしが着替えさせてあげよう」
そう言ってイレーネが取り出した衣装は、胸元にフリルがたっぷりと施されたピンクのブラウスに、刺繍が施されたレーススカートだった。少女趣味とも言っていい衣装に、
サーシャは思わず後退する。
「それって、またお嬢様のお古ですか……」
「そうだよ、サーシャならきっと似合うだろうなぁ……」
後退するサーシャに少しずつ近づくイレーネ、間合いが触れると同時に距離が離れていく。お互い打開する隙を探していた。
「し、使用人程度がお嬢様のお古を着るのは不敬では無いでしょうか!」
発言すると同時にサーシャは後ろへ退く。
「サーシャは侍女だから使用人よりは偉いんだ。この屋敷ではそんな事は誰も気にしていないだろうがね。つまりはお嬢様の服を着るのも誰も気にしないさ」
すり足で距離を詰めてくるイレーネ、どうやら武術の心得があるらしく油断も隙もない。
「じゃあこの格好でも気にしないですよね!私はズボンを履きます!」
一気にダッシュして、イレーネの脇を抜けようとするサーシャ。ここでなくてもどこかの空き部屋で着替えれば良いとの判断だった。
「そこっ!」
イレーネは素早くサーシャの腕を取り、足を引っ掛けてバランスを崩させる。そして腕を引っ張り、サーシャの身体を操ってベッドの上に放りだした。
「わっ?!」
悲鳴を上げるサーシャに、イレーネは馬乗りになって手をワキワキさせる。
「おやおや、淑女が上げる悲鳴ではないね。言葉遣いも調教……いや、教えこまないといけないなぁ……」
「ちょ、ちょっとイレーネさん!目が!目が本気なんですけど! き、着替えますから落ち着いて下さい!」
サーシャの部屋の近くで掃除をしていたアレシアは、悲鳴が聞こえてきたことに少し驚いた。しかし、以前フィオレンツァも同じ様な悲鳴をあげていたが、その時はイレーネと楽しそうに遊んでいた。さっきイレーネが部屋に入ったのは見ていたから、そういう事なのだろうと納得して仕事に戻った。
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先に準備を終え、玄関でサーシャを待っていたフィオレンツァは、格好は小奇麗になっているのに何故かボロボロに見えるサーシャと、肌がツヤツヤしてニヤついているイレーネが並んで玄関まで降りてくるのを見て、状況を把握した。
「いやなんだ…… 大変だったなサーシャ」
サーシャはイレーネが用意した服を着せられ、レースのリボンで髪をまとめられていた。
念の為に魔石のコンパウンドボウを背負い、魔石のミスリル杖を入れた『軽量化』の
ショルダーバックを持っている。
「お、お嬢様……助けてください……」
「まぁ、悪気は無いんだ、多分な。少し……少しばかり趣味に走ってしまう所もあるが、センスは良いしな……」
どうやら助けてくれる気は無いようだった。
「お嬢様。わたしも行きましょうか」
イレーネはニヤついた顔を冷静な顔に張り替えて、主人の意見を聞く。
「大人しいと聞いているから大丈夫だろう、イレーネは屋敷の事を頼む」
「わかりました」
「ああ、頼む。サーシャ、いつまでも落ち込んでないで行くぞ」
フィオレンツァは意気消沈したサーシャを引っ張るように屋敷から出た。
ヴィスコンティの屋敷は、東西南北に別れた帝都の、北東方面にあった。南門までは少し歩くが、そこまで遠いわけではない。
「ぜぇ……ぜぇ……」
20分ほど歩き、南門を出たところでサーシャは力尽きかけていた。
「サーシャ…… 君ちょっと体力無さ過ぎないか?」
「自覚はしています…… 改善したいとは思っているんですけど」
「まぁ、もうちょっとだ。頑張れ」
顔を下げながらも、必死で付いていくサーシャ。
歩いているとフィオレンツァの足が止まった、どうやら着いたようだ。
「着いたぞサーシャ…… って大丈夫か?」
「え、ええ……ぎりぎり大丈夫です」
そう言ってサーシャは顔を上げた。辺り一面の草原に体長5メートルはあろうかという羊が五頭居た。
「はぁ?!」
顔を下げながら歩いていたため、ここがどの辺りかはわからないが。南門からはそこまで離れていないはずだ。数日前、帝都に辿り着いた時はこんな化け物は見ていなかったはずだった。
「お、お嬢様!なんですかこれ!」
サーシャは慌ててフィオレンツァに問いかける。
「突然変異種という奴らしいぞ。時々普通の獣だったものがいつの間にか成長している。ん? 貴方がここの地主か?」
まだ驚いているサーシャを尻目に、フィオレンツァはチラチラとこちらを伺っていた中年の男性に声をかけた。
巨大な羊を見に来たのか、多数の人が集まってきていた。
「へ、へぇ。お嬢さん達が魔法使い様でごぜぇましょうか?」
「ああ、ヴィスコンティ家のフィオレンツァだ。そこまで畏まらなくてもいい」
「あっしはカッソというもんです。それであいつらの処置をおねげぇしたいんですが……」
「全部殺してしまうのか?」
「はい、見てくだせぇ。小屋も家も全部ぶっ壊されてしまいました。それにどんだけ食うのかわかったもんじゃありませんや。元の意識があるのか、こっちの言うことは聞くんですがね…… 潰そうにもでかすぎるんでさぁ」
確かにカッソが言ったとおり、広大な放牧地に破壊された住宅や小屋の跡がある。柵やらなにやらも全て潰されてしまったようだ。
「では等間隔に並べてやってくれ、首を落とす」
カッソは言われたとおりに巨大羊達を等間隔に並べた、巨大羊は存外素直で大人しく従った。
100メートルほどに並んだ巨大羊から、少し離れた所にフィオレンツァは立ち、片手を上げた。
「サーシャ、これが君が見たがっていた私の魔法だ」
フィオレンツァの上げた片手の前に、巨大な扇状の氷の刃が発現した。巨大なその刃は羊達の首元まで疾走り、一気に五頭の首を切り落とした。片手を構えていたフィオレンツァの肩口が淡く光っていた。
「は……はい?」
「消えろ」
フィオレンツァが口にすると、氷の刃は消えて、空中に血の雨を降らせた。巨大羊の首が地面に落ち、身体が倒れる。
驚くサーシャとカッソをちらっと見て、フィオレンツァは無い胸を張った。
「ふふん。どうだサーシャ、すごいだろう」
「え、ええすごいです…… こんな広範囲に作用するものなんですね……」
「まぁ、私でも一日に一回という所だがな。実はもう魔力が無い……」
どうやら、結構強がっていたらしいフィオレンツァが草原に座り込んだ。
「だ、大丈夫ですかお嬢様」
「何、少し休めば魔力も回復するさ」
サーシャはフィオレンツァの隣に座り込んで疑問を解消するべく尋ねた。
「魔法を使う時にお嬢様の肩が光ってるように見えましたが、あれはなんでしょう」
「魔石の文様を解析して、使えるように身体に移植したものだ、見てみるか?」
豪奢なシャツを少しずらして、フィオレンツァはサーシャに地肌を見せた、肌には黒いバーコードの様な物が刻まれていた。
(バーコード?いや…… 細かいが文字、文字だな…… ダメだ、読めない。日本語じゃないな)
「多分、君にはわからないぞ。我が家に伝わっている一子相伝の文様だからな」
(人間の身体は魔力を通す…… そこに魔石を解析した文字が書かれている、つまり彼女の身体は巨大な魔石の様なものか?)
「サ、サーシャ。触りすぎだぞ、ちょっとくすぐったい」
考え事に夢中なサーシャはフィオレンツァの肩の文様を撫でる様に触っていた。
(そうだとしたら、凄まじい威力も納得できるな。僕が弓の魔石で魔法を撃った時は岩を消し飛ばしたんだ。あの時は魔力は全部使っていなかった、もし魔力を全て使えるとしたら……)
「お、おいサーシャ。くすぐったいと言っているだろう!」
フィオレンツァは肩を仕舞い、振り向く。
「ひゃっ! ご、ごめんなさい」
「全く…… ん、どうやら解体作業が始まるらしいな。魔力が回復したら氷でも作ってやろうか」
多数の人が巨大羊の死体に向かっていった。どうやら集まっていた人々は解体のための人材だったようだ。
巨大で恐ろしい羊も、死んだならば素材や食肉として加工される。そうやってこの世界の人は生きてきたのだろう。解体される巨大羊を見ながらサーシャはそう思った。




