勤務二日目 その2
朝食はコルネットというクロワッサンの様なパン、それにカモミールティーが並んだ。
コルネットは砂糖やバターが使われているらしく甘い、サーシャにとって好ましい味だった。
アルバ島での食卓にも良くハーブティーは出たが、紅茶やコーヒーはまだ見たことがない。
隣国との交易は行われているようだが、紅茶やコーヒーの生産国とは交易していないのだろうか?
そもそも存在しているかがわからないのだが。
(ハーブティーも十分美味しいんだけどね。甘いケーキを食べて、紅茶かコーヒーで流し込む夢は叶わないのかなー)
そんなことを思いながら、サーシャは黙々と食事を進める。
目の前にはイリーナが座り、上座に座るフィオレンツァも落ち着いてカモミールティーを飲んでいる。
サーシャの感覚からすると、貴族とかそういう偉い人は使用人と一緒に食事などしないものだったが、この家では違うのだろうか?
そのままの疑問を口にすると、フィオレンツァは答えてくれた。
「この家に以前、沢山使用人が居た時はそうしていたよ。けれど今はそんな事はしていない。無駄だからな」
そう言えば、とサーシャは思い返す。
昨夜も今朝もだだっ広い食堂では無くて、少し小さめの部屋に……それでも日本人的には十分広いが、
そんな部屋に八人程度が座れるテーブルが用意された部屋で食事を取っている。
「あんな広い部屋なんて使ってられないな。冬になると寒いんだよあそこは」
そう言って笑うフィオレンツァは歳相応の少女に見えた。
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(さて、手伝うとは言ったけど、どうしようかな……)
とりあえずサーシャは、フィオレンツァがどう書類を片付けているかを確認するために、処理済みの書類を見せてもらった。
その書類を見て、サーシャは思わず呻いてしまった。一枚の陳述書に付属された書類には、細かくびっちりと内容に対する意見、解決方法、スケジュール表などなどが書かれている。内容自体はサーシャが判断するには正しく、効率的であるが、ここまでキッチリ書かれても出来る気がしない。
「お嬢様…… これは一体何ですか……」
冷や汗をかいたサーシャは、サラサラと羽ペンで書類を書いていたフィオレンツァに聞いてみる。
「ん? 今後の計画表や、問題の解決策を書いたものだが」
何事も無く言ってくるフィオレンツァだが、この陳述書はただ単に人手を増やしたいが良いですか? という内容に過ぎないものだ。
それに対する返答として、人手の動かし方やらスケジュール表が来られてはたまったものではない。
しかも内容を見る限りフィオレンツァは、現場で働いている全ての人員を知っていて、どれぐらいの働きをする作業員かも知っている。作業に必要な資材までも書かれており、調達方法まで書いてあった。
そんな相手に細かく指示されれば、いちいち書面で問いかけるのも納得がいった。現場監督の元執事に怒りが沸いていたサーシャだったが、一気に同情へと変わった。
「これはお嬢様が悪いですねぇ……」
「ああ、わかっているよサーシャ。君に言われるまでもない……」
「多分ですが、私の言っている意味とはまた違うんですよねぇ……」
サーシャは当初思っていたよりは大変だと思った。そんなものは自分達で考えろと現場に送りつけて、終わりにしようとしていたのだが。これはフィオレンツァの意識を変える必要がある。
「お嬢様、作業中断です。私の話を聞いて下さい」
「ん?何でだ?」
「い、い、か、ら、聞いて下さい」
サーシャは手を止めないフィオレンツァの肩に手を回し、こちらを見るように椅子を回転させる。
「あのですね、お嬢様。あの指示はダメです。完璧に出来ればダメでは無いんですがね…… それはひとまず放っておいて。何がダメかを説明しますから聞いてくださいね?良いですか?」
「そ、そうか……ダメか……」
少しサーシャから目を逸らすフィオレンツァ。フィオレンツァの目線を追いかける様にしてサーシャは動きながら続ける。
「お嬢様は難しく考え過ぎなんです、ある程度は人に任せないと」
サーシャは懐から自作の支持棒を取り出して、書類の一部分を指した。
「具体的には、ここと、ここと、ここと…… あれ? うーん、全部です!」
「えっ、全部ダメなのか……」
指して見ると全部が指示で、現場の意思など特になかった、これでは動きづらい。
「お嬢様が全部監督するわけには行かないんですから、人に任せてしまうところは任せてしまえばいいんですよ。指示しすぎは成長しません! 私の好きな人の言葉でこういうのがあります」
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。(By 山本五十六)
「取り敢えずやって見せないとダメですけどね。それでいて仕事を任せて、出来たら褒めてあげればいいんです」
「そんなものか? 私はこの指示通りにやれば大丈夫だと思っていたのだけれど」
「やれば、ですよね。多分無理ですよこれ、作業量は適切なんでしょうけどね。それに書類をやりとりしてる以上、時間差がありますよね」
「それも、計算に入れているが」
サーシャは驚愕の眼でフィオレンツァを見た、書類の内容といい本当に十歳の少女なのだろうか。
「それでも、お嬢様は全ての書類を処理できないでしょう? 量的に不可能なんですよ。さっと考えついた限りですが、こうすれば良いはずです」
サーシャは案を出した。
基本方針を打ち出して、それに外れない限りは現場の作業でやらせるようにし、どうしても判断が付かないようなら書類で送るように。やっているうちに慣れて、自分たちの判断でやるようになるだろう。
「作業報告みたいなものは定期的に送ってきてもらうほうがいいですね」
「ふむ…… それで状況を判断して、大筋だけ見ればいいのか」
「後は数字ですかね……細かい所は良いんじゃないですかね。羊皮紙もったいないですし」
(どうにか説得できたかな…… 後は現場の方たちに頑張ってもらおう)
「じゃあ、お嬢様。書類を分けましょうか、送り返す分と一応意見を書く分に」
「いや、それは私がやろう。サーシャ、君は君の仕事に戻るといい」
「そうですか? では下がりますね」
サーシャにとって正直言えば、まだ不安だがフィオレンツァの目には力が宿っていた。空元気では無いだろう。
「あ、サーシャ!」
サーシャが書斎から退出しようとすると、フィオレンツァが少し照れた様な顔をして声をかけてきた。
「ありがとうサーシャ、君のおかげで助かった」
それを聞いたサーシャは、ニッコリ笑って人差し指を口元に持っていった。
「私はお嬢様の侍女ですから。困ったときはお助けしますよ」
(具体案も無い状態で意見したんだけど、上手くいった方かな。案ずるより産むが易しとはよく言ったものだ)
退出したサーシャは歩きながら考える。まだ昼まで時間はある、イリーナに仕事が無いか訪ねに行くつもりだった。
(それにしても、まだ十歳の女の子とは思えない実務能力だな…… 口調も大人びてるしね)
そんな少女に少しは助けになれたことを誇りつつ、先ほどの事を思い返していた。
そう、唇に指を当てて女性的に微笑んでいた自分の事を……
(あああああああ。完全にこの状況に染まってしまっているじゃないか。身体は変でも僕は男だ……男だよな?)
彼のジェンダー・アイデンティティはブレまくっていた。




