勤務初日
「ここが食堂だよ。台所は奥にある」
サーシャは前を歩くイレーネから、屋敷の各施設について説明を受けていたが、違和感を持った。
応接間、客間など様々な部屋の説明を受けたが人が見当たらない。
「さてサーシャ。ここまでで質問はあるかな?」
振り返って尋ねてくるイレーネにサーシャは質問を返した。
「そうですね……人の姿が見当たりませんが、他の方達はどこへ?」
寝室だけで20近くはあるような広い屋敷なのに、住人らしき人間は二人しか見ていない。
「ああ、その事かい。この屋敷の住民は使用人がわたしを含めて三人、それにお嬢様で四人だ。おめでとう、貴女が五人目だよ」
「はい?」
サーシャは耳を疑った。少なすぎる。
「こ、こんな広い屋敷で四人で……」
「それには理由があってね。座れる場所で話そうか、少し長い話になる」
イレーネはサーシャと食堂内に入り、座ることを奨めてきた。
対面に座ったイレーネは語りだした。
「一年前、お嬢様のご両親が亡くなった事が原因で起きたんだ」
イレーネの話をまとめると以下の様になる。
一年前、フィオレンツァの両親と親戚縁者は他の貴族のパーティに呼ばれていた。
フィオレンツァは風邪で寝込んでいたが、貴族同士の外交上休むわけにはいかなかったそうで屋敷に置いていった。
南のエトルリアという都市に向かった一行は、パーティから帰る途中に馬車の暴走事故に遭い、全員事故死した。
イレーネが言うには不自然な状況だったという。
一行が乗って行った馬車に繋がれた二頭の馬はとても大人しい馬だったと。そんな馬が引いた馬車が、整地された何も無い路面で事故を起こした。そこはたまたま付近に人が居ない場所で、発見が遅れて全員が死亡したという。馬車に細工がされていたような痕跡があったが、激しい損傷で確証は得られなったらしい。
そこでイレーネは一旦区切った、少しスッキリした顔をしている。
(誰かに話したかったんだろうな…… 自分の邪推めいた推論も含めて)
サーシャは少し踏み込んでみた。
「その事故が故意だったとして、犯人の目星は付いていたんですか?」
「それがわからないんだ、御当主様は恨みを買うような人では無かったし……」
「そう……ですか。すいません、話を区切ってしまって」
「いや、良いんだ。続きを話そう」
その事故によって、ヴィスコンティ家はフィオレンツァを残し全員死亡したことになった。
イレーネは家が取り潰されると思っていたが。皇帝は家を残し、フィオレンツァを当主として今後も家を残すというのだ。
当主となったフィオレンツァは、ヴィスコンティ家の元々の領地であった、ラティオという土地を開拓することに専念するため。
屋敷の執事であった人間を地主として採用し、屋敷には最低限の人間だけを残して他の人間は全てラティオに送った。
フィオレンツァは帝都に残り、地主を支援している。
「と、言うわけでこの屋敷は人が少ないんだ」
「お嬢様は現在の当主様なんですか……」
「そうなるね。ちなみに、他の二人は領地の件で屋敷には居ない。明日にでも帰ってくるだろうがね」
「というか、使用人が四人で足りるんですかこの家……」
「……使わない部屋は掃除の手も回ってないね。期待してるよサーシャ」
イレーネは決まりが悪そうに言う。サーシャはため息をついた。
「まぁ……頑張らせていただきます」
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残りの屋敷に関しての説明も済んだ所で、ちょうど夕飯の準備時間となった。
料理担当の使用人は外に出ているので、イレーネが食事を用意することになった。
「サーシャ、お嬢様に食事は要るかどうか確かめてきてくれないか?時々要らないと言うんだよ」
「わかりました。戻ったら料理を手伝いますよ」
アルバ島ではリーゼの手伝いをしていたので、手伝えるはずだと思い、言葉に出す。
サーシャは台所からフィオレンツァの書斎の前に立ち、ノックした。
「お嬢様?サーシャです、入っても大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ……サーシャか入ってもいいぞ……」
妙に元気のないフィオレンツァの声が聞こえた。
「お嬢様、食事ですけど要りますか……ってうわぁ」
フィオレンツァは書類の山となった机に突っ伏していた。
「そうか……もうそんな時間か。すまないが食事は要らない……君ら二人で済ませてくれ……」
プラチナブロンドを顔面に垂れさせて喋るフィオレンツァはまるで幽霊のようだった。
「お仕事、大変なんですね……」
サーシャの言葉に幽霊が頷く。
「そうだな……領地運用についてはじいに任せてあるんだがな。土地の主としての意見が必要な所が……多々あってな。借用書だの雇用の許可だの、色々と来るんだ……」
「その……手伝いましょうか?」
「いや、そういうわけにもいかない。私が当主だからな、私がやらなくては」
「わかりました、何かあったら呼んでくださいね?」
書類の山に向かっていくフィオレンツァを見送って、サーシャは書斎から出て行った。
サーシャが台所に戻った時には大体の調理は終わっていた、イレーネにフィオレンツァが食事は要らないと言っていたと伝える。
「あまり食事を抜いては欲しく無いのだけどな……」
フィオレンツァはまだ子供だ、食事を抜くことは成長に関わる。その事を考えてイレーネは不満を訴えるように苦い顔をした。
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サーシャは感動していた、施設の説明を聞いた時には耳を疑ったが。実際に目の前にあるのだから。
「まさかお風呂があるなんて……」
五人以上入れそうな広い石造りの風呂に入って、サーシャはご満悦だった。風呂があると聞いて、過剰反応したサーシャにイレーネは風呂をいれてくれた。上水道から水を入れ、魔石による火を入れて沸かしたものだ。話を聞いて判断するに、薪を使わないのでお湯はそこまで貴重なものではないようだ。その上イレーネは牛乳を入れ、牛乳風呂にしてくれた。
頭にタオルを載せて、白く濁ったお湯に口まで浸かり、息を吐いてぶくぶくと泡を立てながらサーシャは思案にふけった。
(まさか受かるとは…… 女の子のご主人様かぁ。とは言え、生えてるんでしょう?だったら男とどう違うっていうんだ。
そうそう、あんまり気にすること無いぞ僕。イレーネさんやあの娘は女の子に見えるけど男だ、象さん生えてるんだから。かぼちゃみたいなもんだと思えばいいさ)
そう思うと気分が楽になる。仕事は大変そうだが、なんとかなるだろう。リーゼに助言をもらうのも良いかもしれない。
頭を切り替えて、イレーネに聞いた事故の話を考えた。
(お嬢様のご両親が亡くなった事故…… 犯人が居るっていうんなら、一番得をした奴が容疑者にあがるんだけど。そうなると……執事の人か?いや、お家取り潰しに会うかもしれなかったんだ、可能性は低いな。
判断材料が足りないな……今度カティさんに聞いてみようか。事故の可能性の方が大きそうだけどね)
考えを先に進めようとすると、何か物音がして誰かの影が見えた気がした。
「サーシャ、湯加減はどうだい?」
サーシャは声の方向に顔を向けた、向けてしまった。
「イ、イリーナさん……」
イリーナは男らしく堂々と、前も何も隠さずに歩いてきた。無論全裸だ。
胸は女らしく膨らんでおり、確かな存在感を表していた。ナディアとは比べるのも失礼なぐらい大きい。
しかし、サーシャにとってそんなことは今どうでも良かった。いや、どうでも良くないがそれより衝撃的な事があったのだ。
イリーナの下半身には、股間には生えているはずのものが。この場では生えていなくては困るものが生えていなかった。
「えっ?ん?いや?」
サーシャはイリーナから目を離して顔をお湯の中に突っ込んだ。
(待て、待て待て待て待て待てどうなってる。どうなってるんだ、おかしい)
サーシャの考えだと、女性と名乗っているものには股間に象さんが居るはずだった。立派な象や小さな象の種類があったとしてもだ。しかしイリーナには付いていない。ナディアには付いていたはずだった、目で確認したから間違いはない。
(何だ?何が違う……うーん、種族か?いや、そんなことはどうでもいいんだ。は、早くここから脱出しないと……)
イリーナという女性が常識に沿った女性という性別なら、自分が入っている訳にはいかない。上がろうと思い、顔を上げるとイリーナはもう湯に入っていた。
「いやぁ、やっぱり風呂は気持ちいいな。ん?どうしたんだサーシャ、白い肌が赤くなっているが」
「いえっ!なんでもないです!あっ、私ちょっと用があるので先に上がります!」
強引に話を区切り、サーシャは股間をタオルで隠してイレーネから逃走した。
宛てがわれた部屋に全力で逃げ込んだサーシャは、荷物の中から魔石入れを取り出してナディアに『通信』を送った。
(せ、説明を……知ってそうな人から聞かないと……)
少し待ったが、魔石は反応して『通信』は繋がった。
「はーい、サーシャよね?なにか様?私は今、ゴールの宿に居るわよ?」
「お母様!せ、説明をください!説明を!」
「はい?」
「あ、ちょっと待って下さい。落ち着きます…… えっと質問です、《神人族》の女性には股間に生えてますよね?」
「そうね」
「それって他の種族はどうなんですか?」
「生えてないって聞くわね」
「なんで!なんで教えてくれなかったんですか!」
サーシャは思わず絶叫する、先に教えてくれたのならば対処が出来た。
「そう言えば教えてなかったわねぇ、けどその事が何か問題でもあるの?」
「問題無いわけないじゃないですか……私は女性と生活することになったんですよ?」
「サーシャだって女の子よ?何言ってるの?」
どうやらナディアの中では特に問題が無いらしい。
《神人族》にとっては常識かも知れないが。少なくとも、別種族と生活することになったサーシャには常識とは言えない。
「私の意見としてはですね、別の種族の方から見れば私って男も同然じゃないですか?生えてるんですから」
「うーん……私はそんなこと気にしたこと無かったわねぇ。そう言えば別種族の男の人と、結婚した女の人の話を聞いたけど、なんでも長続きしなかったらしいわね。詐欺だ!って言われて離婚したとか」
「ああ、そうですよね。理由はわかります……」
完全に性生活の不一致が原因だろう。
「後はなんだったかしら、お母さんから娘が出来たら伝えておくよう言われたことがあったのだけど……えーっと」
「何ですか、もう驚かないので言って下さい。もう驚き疲れました」
「そうそう、別種族の女の子に会う時は股間に魔力を込めなさいって、股間についてる物が消えるとか。なんて言ってたかしら……えーっと、ぎた……ぎた」
「多分それ……擬態です……」
擬態:ぎたい
例: カメレオンなどが自身の外見を変化させて、目立たないようにすること。
色を似せる事も同じく擬態であり、保護色と呼ばれる。
《神人族》の場合はカメレオンに近いだろう。別種族の女性に擬態して、目立たないようにするのだ。
取り敢えず、サーシャが言われたように股間に魔力を込めると、股間から感触が消えた。驚いて触ってみると何もなかった。擬態としてはこの上ない性能である。これからの生活を考えると、サーシャにとっては必須とも言っていい能力だ。
「なんですかこれ……《神人族》って一体……」
「聞きたい事ってそれだけかしら?ところで、サーシャは今どうしてるの?」
「あ、そうですね…… 面接には受かりまして、ヴィスコンティ家のお屋敷で働くことになりました」
「そう。頑張ってねサーシャ、貴方なら出来るわよ」
「はい。ありがとうございます。お兄様がどうなったかは私もわからないので、後で聞いてみますね」
「うん、おやすみサーシャ」
「はい、おやすみなさいお母様」
サーシャは『通信』を切った。そして用意されていたベッドに倒れこんだ。
(バレたら……やっぱり問題だよなぁ。擬態、擬態に頼るしかないな。なんだ《神人族》って…… なんでこんな生物が存在してるんだよ。死ぬまで若いっていうのは結構良いなって思ってたけど、普通の人間に生まれ変わったほうが良かったよ、全く)
サーシャは枕を頭の上に載せてもだえていた。
(明日……明日から普通の女性に囲まれて過ごすってことになるよね…… うわぁ、どうしよう。今更辞めるってわけにもいかないよね…… 仕方が無い、頑張ろう)
「まぁ、スッと気持ちを切り替えられれば楽ですけどねぇ……」
サーシャは呟いて、どうにか眠りにつこうとシーツを被って目を閉じた。




