葬想
リクエストSS、お題は「司祭になる前の本当のユウェイン」
偽物(笑)とは微妙な違いしかありませんが、種明かしをひとつ書けて楽しかったです。
ありがとうございました!
※本来のユウェインの、例の『忘れ物』にちなむ話なので、同性に対する恋愛感情の描写があります。嫌な方は回れ右してください。
報せを受け取った時、彼は己を襲った衝撃の意味をすぐには自覚できなかった。
寮ごとにおこなわれる毎朝の礼拝後はいつも、連絡事項の伝達とともに、手紙が届いている者の名が呼ばれる。貴族の子弟の場合は使者が直接本人を訪ねるので、ここで手紙を渡される者は数少ない。
庶民で、なおかつ誰かが彼のために羊皮紙を手に入れ文字をしたためてくれるだけの関係にあり、さらにそうしてまで伝えるべき事柄が生じた場合に限られる。
であるから、呼ばれた者はささやかな羨望を身に受けつつ、不安に胸を騒がせて進み出ることになるのだ。ユウェインもまたそのようにして、故郷の司祭からの手紙を受け取った一人だった。
礼拝堂から出て、明るい陽射しの下でもどかしく手紙を開いたきり、彼はそこに立ち尽くした。講義に向かう学生たちが、どこか遠くを流れる川のようにさざめきながら通り過ぎてゆく。
いつまでも動かない彼に同室の学友が気付き、心配そうに顔を覗き込んできた。
「悪い報せだったのか?」
精いっぱい気遣いを込めた声での問いかけに対し、ユウェインは曖昧に答える。
「あ、……うん。家族が、死んだって」
「気の毒に。親御さんか」
聖印を切って確認したのは祈りのためだろう。だがユウェインはまだ呆然としたまま小さく首を振り、「みんな」とつぶやくように答えた。さすがに友人が言葉に詰まり、黙って肩に手を置く。ユウェインはそれでもまだなお、悲しむよりもただ放心していた。
「……ごめん、今日の講義は出られそうにないや。後で教えてくれるかい」
「わかった。無理するなよ。ご家族が楽園で安らかであるように、俺も祈っておく」
「ありがとう」
友人の親切に礼を言い、ユウェインは一人で寮の部屋に戻っていった。今なら誰もいないから、礼拝堂よりも静かに集中して祈れるだろう。
――否、それよりも。
(どうしよう)
胸を騒がす感情の正体をやっと把握し、彼は青ざめた。
死別そのものに対する動揺ではない。村を離れている間に身内が死ぬことはあり得ると、承知していた。特に父はそう若くない。出立の挨拶は、これが最後に交わした言葉になるかもしれないと覚悟もした。
だが、先妻の子である十歳上の兄は健康だし、ユウェインの母である後妻もまだ若い。あの家に誰もいなくなることはないだろうと、どこかで勝手に思い込んでいた。
それなのに、頼りの兄はノヴァルクの市で揉め事に巻き込まれて死んだという。その後ほどなく父が病に倒れ、看護していた母も後を追った。
遠い故郷から文字だけで運ばれてきた死は、長旅の間にすっかり威力を薄められて現実味がない。かわりに、自分自身に直接かかわる差し迫った問題が胸を締め付けた。
(どうして始末して来なかったんだ)
捨てるにしのびず、葦筺の底にこっそり隠した小さな秘密。家族もそれぞれ自分の物入れを持っていて、それらは決して他人が勝手に開けて良いものではなかった。だから自分の秘密も守られるだろうと――いつか村に帰る日を具体的に計画してのことではなく、ただなんとなく先送りにしてしまった。
(もしかして、ユルゲン様はあれを見たんだろうか)
手紙の文面は厳格で情のないものだったが、元々あの司祭はそういう人だ。あれを見たからなのか、そうでないのか、判断がつけられない。
(いや……まさかね。いくら司祭でも、遺品整理に首を突っ込むはずがない。ヒネクがいるんだから)
家と舟は、漁のなりわいと共に従兄が相続する、と書かれていた。だからおまえは帰ってこなくていい、と。限られた紙幅に煩瑣な事柄は無用とばかり、ほかの遺品については言及されていない。
(どうしよう)
埒もなく同じ言葉を頭の中で繰り返し、ユウェインは拳で胸を押さえた。
ふらつきながら部屋の扉を開け、自分の机に行って手紙を置く。そのまま崩れ落ちるように腰を下ろし、両手で顔を覆った。指の間から震える吐息が漏れる。
(あれは――あれは、ああ、なぜ僕はあんな物を)
己の愚かさを呪って歯を食いしばったが、過ぎた時は戻らず、やってしまったことは取り消せない。あらゆる後悔と同じように。
(ヒネクなら、僕の物を勝手に処分したりはしないだろうけど……それも時間の問題だ)
従兄の顔を思い浮かべ、推測する。彼ならたぶん、一通りざっと家の中の物を点検して、死者の物とそうでない物を選り分けるだろう。ユウェインの物入れも、蓋を開けて持ち主をちらりと確認はするかもしれないが、中身を取り出してあらためはすまい。少なくとも、すぐには。
だがこのままユウェインが村に戻らないかも知れないとなれば、いずれは処分するためにすべてを調べるはずだ。
(何年後になるかわからないが必ず一度は帰る、だからそのまま保管していてくれ、って手紙を書くべきか? いや、わざわざそんなことをしたら不自然に思われて逆効果じゃ……)
いっそ筺ごと燃やしてくれと頼むべきだろうか。
そう考えた途端、胸がずきりと痛んで怯む。馬鹿なことをしたと解っているのに、それでもまだ未練があるらしい。ユウェインは瞼の熱を逃がすように瞬きした。
――幼馴染みに対する想いを、自分に対して認めるまでに随分と悩んだ。
だがひとたび受け入れてしまうと、彼は《聖き道》に背くと知りながらも、その甘美に酔いしれてしまった。
自分にも誰かを愛することはできる、ただ一人をこれほどに想うことができる。結ばれはしないと承知でなお愛しむのなら、この想いはより尊いと言えるのではないか。そうだ、己は見返りなど求めず、心を捧げるのだ……
そんな陶酔に任せて、初心な少年はひとつのまじないをした。幼馴染みが散髪した時にこっそり一房の金髪を手に入れ、自分の髪と結い合わせて小さな輪を作ったのだ。
己がすべてを彼に捧げ、生涯共にあらんことを願い。自己流の呪文めいた誓言をでっち上げ、一途に真剣に祈りながら二人の髪を結んだ円環。
まじないの品だというのは一目瞭然だし、持ち主とその交友関係を知っている者なら、誰の髪で何をしようとしたかまで推測できてしまうだろう。
見られるわけにはいかない。
それが誰でも、村人が知ればあっという間に噂になるだろう。カスヴァに迷惑がかかるし、仮に金髪が誰のものか断定できなかったとしても、ユウェインが魔女のようにまじないをおこなったとなれば、ユルゲン司祭は特使を通じてこの愚か者の処罰を求めるに違いない。
(ああもう、本当に何てことを)
万が一、司祭への道を閉ざされてしまったら、どうやって生きていけばいいのか。
(聖都へ行けと言われた時は、天の導きだと思ったのに)
家には兄がいる。最初の結婚は失敗に終わったが、また新しい話がまとまりそうな気配があって、そうなればあの小さな家にユウェインの居場所はない。そもそも身体が弱い彼は、あまり家業の助けにもなっていなかった。
だからせいぜい読み書き計算を勉強して、領主か教会の仕事を手伝うことで食い扶持を稼げるように、と頑張っていたのだ。自分自身が聖職者になろうなどと、だいそれたことは考えていなかった。
しかし天は彼に道を示された。
最初は戸惑ったものの、すぐにユウェインは運命を受け入れた。どのみち自分は、村の他の男たちと同じように、妻を娶り生業にいそしんで子を養う、そんな人生など送れない。司祭になれば、カスヴァへのこの想いも一生清らかに持ち続けることができる……
そこまで回想して、ユウェインは自嘲に唇を歪めた。
(やれやれだ。目も耳も閉ざされていると、自分の思い込みの極端さにも気付けない)
聖都に出てきて、想像もしなかった多様な人々と知り合い、交流の幅が桁違いに拡がった。そうなって初めて悟ったのだ。幼い頃から仲良し三人組で遊んでいた、あの関係は決して健全ではなかったと。
楽しく美しい思い出であり、素朴で純粋な信頼があった、その価値は変わらない。
だがそういう強い結びつきのなかで、己がどれほど彼らに依存していたか思い知った。頼って甘えるというのでなく、彼らの反応ひとつひとつが自分のすべてを決めるとでもいうように。
(客観的に見ればカスヴァは……モーだって、優しいだけの友達じゃなかった)
常に一番はカスヴァ。領主の若殿だから、という理由は表面的にはないことにされていたが、それでも健康で身体が大きくて強い彼は、三人の“王様”だった。思いやりの心はあったけれど、丈夫で健康な者に特有の無自覚な傲慢さで、彼はしばしば弱いちび助を傷つけた。
(カスヴァが王様、モーが王妃様。僕は憐れな従者にされていたんだ。わかっていながら、離れられなかった)
人の少ない村ではほかの遊び相手を見付けるのも難しい。仮に別の仲間に入れてもらったところで、小柄で弱い上に新参という弱みが加わって扱いがさらに悪化するだけだ。
だから、しがみついているしかなかった。頼もしくて格好良くて、親切善良なカスヴァに。悪気なく見下されても、彼の目が女の子しか見ていなくても。
(彼に恋してしまったのも、ある種の歪み、なんだろうな)
可哀想なユウェイン。
過去の自分に憫笑を漏らし、彼はゆるく頭を振った。
故郷に帰って、あのまじないを片付けなければならない。見られては困るという問題だけでなく、自分自身にもけりをつけるのだ。いつまでも、泣き虫ちび助の名残を引きずっていてはいけない。一人前の大人に、まっとうな司祭になるために。
ごく自然にそう決意してから、彼は奇妙な気分になって瞬きした。最前までの不安と動揺がきれいさっぱり引いている。まるでこの結論に達するのを待っていたかのようではないか。
(主よ、あなたのお導きですか? ならば、どうか守っていてください。あのささやかな罪、弱さの象徴が、誰にも見付からないように。僕――私自身の手で葬る、その日まで)
天を仰いで聖印を切り、祈りを捧げる。
その胸中に、はっきりと姿を現した信念を抱いて。
(私は必ず司祭になります。人に追い縋り守られるのでなく、人を守り、御許へと導く司祭に)
――時は流れて。
「これは焼き捨ててしまうべきだと思うんだけどね」
池のほとりで青年は苦笑し、独りごちる。その手には、二色の髪を結んだ小さな輪があった。司祭となった今、その髪に霊力の銀光が微かにまとわりついているのが見える。
「まったく……道理で、だ」
皮肉っぽいつぶやきに反して、榛色の目は未熟な恋心を慈しむように細められていた。かつて唱えた自己流の誓言が脳裏によみがえる。
『我がすべてをカスヴァに捧げん。離別あろうとも魂は生涯共に』
真剣な祈りは、確かに天に届いたのだ。秘術とも魔術とも呼べない程度の、ごく弱く微かな作用でしかないが、絆は結ばれた。ユウェインの魂が簡単に同化しないのは、単に意志の強さだけではなく、これがあったから。
彼は優しい瞳でまじないの品を見つめ、指先でそっと撫でた。まだ艶やかだ。
「でも、そうだね。うん……焼くのはさすがにつらいかな」
ひとつうなずいて髪に唇を寄せ、古い時代の言葉をささやく。そうして上から術を重ねがけし、しゃがんで水面に浮かべた。
想いの輪は流れもないのに動きだし、葦の間を抜けて沖に出て行く。それから傾き、ゆっくり沈みだした。
「つくづく君には負けるなぁ。いいよ、気長に待つさ」
ささやかな術はいずれ弱まり、秘密は水底の泥に埋もれるだろう。その頃にはまじないの相手も、ひょっとしたらこの身体までも、土に還っているかもしれないが。
「そのぐらいの時間は、のんびりしても……おっと」
顔を上げて対岸を見やり、村の少年たちの姿を認める。途端に表情からは追想も皮肉も消え去り、大きく開いた口から、若い司祭の張りのある声が飛び出した。
「ああ、こらこら、そこは駄目だよ!」
そうして彼は、背後から駆けつける足音を耳にする。対岸に目を据えたまま、一瞬だけ痛みを堪えるように息を詰めたが、その切なく甘い微笑が人の目に触れることはなかった。
(終)
終盤でエトラムが銀環をカスヴァに託したのは、このまじないが頭にあったから。
焼灼されて池ごと蒸発してますが、術の効果が媒体(毛髪)に依拠せず既に二人の魂そのものに及んでいたら、「もしかしたら、あるいは……いや、どうかな」というわけ。




