5-6 約束
「コニツカはあまり復活の奇蹟にあずかれなかったようですな。大聖堂も崩れたまま、街並みにも大きな変化はなし。教皇聖下やヴィフナーレク枢機卿はじめ大勢が亡くなったままで、混乱に巻き込まれた無関係の市民や聖職者の一部が生き返ったとか」
ムラクがようやく届いた報告を読みながら言う。周辺を探索して帰って来たばかりのカスヴァが、それに続けた。
「塩湖が見える辺りまで行ったが、砂漠はどうやら乾いた草地程度に変わったようだ。さすがに太古の帝国の復活には至らなかったようで、ある意味、安心して良いかと」
会議机を囲む面々が、ほっと安堵の表情を浮かべる。『復活の日』からおよそひと月、各地との往来が徐々に回復しつつあった。エリュデ王国の状況はまだわからないが、聖都周辺、ロサルカ共和国やユトラル王国からは次々と情報が入ってきている。
報告会が終わると、カスヴァは休息を取るよう勧められて部屋を出た。
今の聖都は、無事だった少数の高位聖職者と事務方の職員らがどうにか以前のしきたりをつぎはぎして運営しつつ、生き返った人々を中心として教理の刷新とそれに合わせた組織再編を同時進行している、といった状況だ。すべての役職、所属や権限は曖昧かつ流動的で、厳格な組織と戒律に慣れた聖職者達は苦労している。
そんな中でカスヴァは、特に何の肩書も無いまま、事態の収拾を手伝っていた。
聖都から出たところで行く先もやはり混乱しているだろうし、それならここに留まって世界の秩序回復に微力を尽くすほうがましだと考えたのだ。実際、『炎の御子』と契約していた元魔道士として、意見を求められることもある。
カスヴァは木々が無秩序に生える庭園を通り、書庫のほうへ向かっていた。
かつてすべてが美しく整えられていた聖都も、今はすっかり混沌としている。必要不可欠な通り道は確保されたが、あちこちに瓦礫が転がったまま、低木が密生する場所は迂回するしかなく、高木の伐採などとても手をつけられない。
それでも人間の適応力とは逞しいもので、多くの住民が、まるでずっとこうだったかのように平然と行き来している。
まだ広場としての形を保っている場所に出ると、訪ねるつもりの相手がいた。
一人で剣を素振りし、鍛錬に余念のないエリアスだ。カスヴァに気付くと動きを止めて目礼し、最後に一通りの型をなぞって剣を収めた。
「帰ったか。無事で何より」
「ああ、報告を終えてきたところだ。そっちは?」
「相変わらずだ。肩は凝るし息が詰まる。やれやれ」
エリアスはぼやいて首を回す。彼は今、生き返りの人々から話を聞いて教理を再編する難事業に取り組んでいる。
筆頭責任者はルナークなのだが、感情というものを取り戻した少年はまだその扱いになじんでおらず、温厚で寛容なオリヴェルに支えられている。下書きや草案作成といった実際の作業はエリアスの分担だ。
「本音を言えば誰かに押しつけて、外に出たいところだがな……貴殿の探索に同行するのでも良かったが。しかし以前のようにはいかないし」
はあ、とため息をつく。その姿は相変わらず性別を判断しづらいが、以前と同じでないと言うように変化してはいるのだろう。
カスヴァはつい相手の横顔を不躾に見つめてしまい、ごまかすように話題をそらした。
「今日は確認したいことがあって来たんだ。グラジェフ殿の銀環をまだ持っているなら、見せてくれないか」
「……ああ」
エリアスは曖昧な表情になり、首にかけた銀鎖を引っ張りだした。
「そろそろ返さなければならないんだがな……こんな状況だし……持っていても仕方がないとは、わかっているんだが」
もごもごと歯切れ悪く言い訳しつつ、銀環を手のひらに載せて差し出す。カスヴァが無言で見下ろしていると、エリアスは頬をうっすら赤く染めて続けた。
「霊力が宿った活性状態ではない。四、五日前に少し黒ずんでいるのに気が付いて……その、磨いたから、見た目にわからないかもしれないが」
「なるほど」
カスヴァはしかつめらしくうなずき、師匠に対する弟子の追慕についてはあえて触れず、自分が身につけていたほうの銀環を取り出した。
「見てくれ」
「それは……あいつの銀環だな? どういうことだ」
「わからない。そのうち曇るんだろうと思って、時々確かめていたんだが、ずっとこの状態だ。一度も磨いていないのに」
君が持っていて、と投げ渡された司祭ユウェインの銀環は、今も明るく輝いている。グラジェフの形見と並べてみれば違いは一目瞭然だ。
「もしあいつがどこかにいるのなら、捜し出してやらないと……と思ったんだが」
カスヴァはつぶやき、口ごもる。エリアスはふたつの銀環をしげしげと見比べて、慎重に言った。
「理由はいくつか考えられる。グラジェフ様の銀環があの『復活』の影響を受けて、術が効力を失った、ということかもしれない。だがやはり状況からして、もはや司祭ユウェインは地上に存在しないという徴だろう。にも関わらずそちらの銀環がまだ活性状態ということは、存在すべてが消え去ったわけではないはずだ」
「というと……?」
「オリヴェルが言っていた“楽園の手前”のように、この地上とつながりがある別の世界で、ユウェインとしての存在を保っているのかもしれない」
さらりと告げられた可能性に、カスヴァは声を失う。そんなことがあり得るのだろうか。もしそうだとして、それは喜んでいいのか、それとも。
彼が態度を定められずにいるうちに、エリアスはにやりと獰猛な笑みを広げて続けた。
「もしそうなら、人生の果てに楽しみがあるというものだ。今度こそ、この手で力いっぱい絞め上げて、被った迷惑のほどを思い知らせてやる」
「いや、それはちょっと待ってくれ。もし本当にユウェインが楽園で、あるいはその手前で待っているとしても、それはあいつ……つまり悪魔エトラムじゃない。この銀環は本来の司祭ユウェインに結びつけられたものだろう」
いささか問題の焦点がずれている気がするが、混乱気味のカスヴァはとりあえずそう言うしかなかった。対するエリアスは鼻を鳴らす。
「むろんそうだが、魂を喰らい身体を乗っ取って『司祭ユウェイン』として銀環を使いこなしていた以上、エトラムの存在もまたユウェインとまじりあっているだろうよ。どっちにしても私の知ったことではないがな」
構わずこの憤懣をぶつけてやるまでだ、とばかりに言い捨て、彼はいくぶん殺意の薄らいだ愉悦の笑みを浮かべた。
「感謝するぞカスヴァ殿。あの日以来、初めての吉報らしい吉報だ。奴がまだこの地上とつながりのあるどこかに存在しているなら、せいぜい嫌がらせをしてやる。『炎の御子』エトラム様に輝かしいあだ名をいくつもつけてやろうじゃないか。新しい聖典に書き記して世界中から崇め奉られるように仕向けてやる。礼拝の度に恭しく仰々しい尊称で呼ばれて悶えるがいい。面倒を押しつけて逃げた報いだ、ざまあみろ」
「……随分、疲れているようだな」
「ああ疲れているとも!」
やけくそじみた肯定を投げつけて、エリアスは顔をこすった。ため息ひとつ、それからようやく落ち着いた顔になる。
「まぁしかし、おかげで女にも叙階を認めさせられるのは、せめてもの幸いだ。こんな経緯で私が関わったのでなければ、誰も女の聖職者を認めることなど思いつかなかっただろうからな。……まったく、これもまた“無限のつながり”ということか」
「教会が認めても人々がすんなり受け入れるかどうかは、別問題だろう。ああいや、エリアス殿の司祭資格について不足や不満があるわけじゃないが」
カスヴァはどっちつかずの声音で水を差し、慌てて言い繕う。皮肉っぽいまなざしで冷ややかに見つめられ、彼は潔く認めた。
「すまない。たぶん俺は自覚しているよりも保守的なんだろうな。だが心情的な問題は横に置くとしても、その……大丈夫なのか? つまり、男と同じにこなせる仕事ばかりでもないだろう」
「そうだな、実際に私がこのまま聖都で司祭としてつとめを続けていけば、不便や無理が生じる場面もあるだろう。だがそれはおいおい、環境のほうを整えていけばいい話だ」
淡々とそこまで言い、ふとエリアスは悪戯っぽい表情になった。何か、とカスヴァが身構えると、彼――彼女は、笑いを堪えるような顔で告げた。
「なにしろ『炎の御子』エトラム自身が女だったんだ。やって出来ないはずがないさ」
「……な、に?」
「ははっ、あいつめ、本当に貴殿には最後まで秘密にしていたんだな。あの大悪魔の基となった最初の一人、かつて炎の神に仕える大祭司だったエトラムは、なんと十代の小娘だったらしいぞ」
「嘘だろう!?」
カスヴァはとんでもない叫びを上げる。あまりの驚きように、とうとうエリアスが声を立てて笑いだした。朗らかで楽しげな、若々しい女の声で。
とても信じられず、カスヴァは目眩を堪えて眉間を押さえた。この恐るべき浄化特使が女だとは、と舌を巻いたのもまだ記憶に新しいというのに、まさか幼馴染みに取り憑いて司祭で友人でもあった大悪魔までが女だったとか、理解の限度を超えている。誰か夢だと言ってくれ。
頭を抱えて呻くばかりのカスヴァに、エリアスは少しばかり同情をおぼえたらしい。温かな苦笑で慰めてくれた。
「むろん我々が接していたあのユウェインだかエトラムだかは、最初の一人からは遠くかけ離れた存在だった。それでも聖典を編纂する時に、エトラムが女だったという事実は利用させてもらうさ。より広く大勢に開かれた教会となるためにな」
「……そう、か。そういうことなら……」
なんとか納得できる。カスヴァは強引に自分に言い聞かせ、どうにか気力を立て直しつつ、しげしげと司祭の銀環を見つめた。
――いやいや、今更そんなこと言われてもね、嘘はついてないよ黙っていただけで。
そんなとぼけた声が聞こえた気がして、知らず苦笑いが浮かぶ。彼は軽いため息をついて、銀環を太陽にかざした。
(次に会ったら、覚悟しろよ)
一回ぐらいは殴ってやらないと気が済まない。それから山ほど文句を言ってやるのだ。おまえがいなくなってどれだけ苦労したか。その後の世界がどんなに大変で、……素晴らしくなって、どんな美味いものが食べられるようになったか。何もかも全部伝えてやるから。
(その時まで)
――ああ、待っているよ。
答えるように銀の円環が揺れ、光を映してきらめいた。
(完)
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