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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
87/133

4-5 緊迫

 各自が物思いに耽って会話もないまま、ぎこちない食事が終わりに近付いた頃、先から店内にいた商人の一行が出立する様子で席を立ち、こちらへ歩み寄ってきた。


「あのぅ、司祭様とお見受けしますが」


 主人らしき男が遠慮がちに声をかけ、道中の無事を祈って欲しいと頼む。相手はもちろん、一番人当たりが良さそうで銀環を見せている青年だ。

 ユウェインは温厚そのものの対応で祝福を授けた。むろん、旅の護りといっても先刻の『霧』とは別物、聖典の文言そのままを用いた純然たる聖句によるものだ。

 その『霧』で緩和されていてもやはりなお、ユウェインの霊力は他人を陶酔させた。商人一行は恭しく司祭を拝み、これで安心だと笑み交わした。


「ありがとうございます。この辺りまでは聖都に近いおかげで安全ですが、ここから先はしっかり主のご加護をお願いしておかなきゃなりませんから。ついこの前も、気の毒な同業者が大怪我をしましてねぇ……私どもも危ない目に遭ったことは数え切れません」


 つくづくと慨嘆した商人に、ユウェインは深刻な共感の面持ちでうなずいた。


「あなた方がそうして困難な道を越えて、村から村へ、町へ、様々な品物を届けて下さるおかげで、大勢の人が助けられていましょう。大変尊いことです」

「いやぁ、司祭様にそう言われると面映ゆいですな! 神様も見守って下さってると良いんですが。何しろ実際、苦労ばかり多くて。せめて生きている間に、悪魔や外道の心配をしないで街道を歩ける日が来て欲しいもんです」


 尊い、などと大仰に褒められた商人は口が軽くなり、つるりと余計なことまで言う。おっと不遜だったか、と彼が我に返るより早く、ユウェインが如才なく応じた。


「まことに、主はあなた方を見守って下さいますとも。地上の道に限らず、正しい道を歩まれるならば必ず、ね」


 言い回しは堅苦しい説教でありながら、声音と表情にはおどけた茶目っ気がたっぷり。いかにも信徒のあしらいに慣れた司祭らしい。見ていたエリアスは胡散臭げに眉を寄せる。商人は照れ笑いでごまかし、そそくさと退散にかかった。


「ともかく、本当に助かりました。出発前にもういっぺん教会に行かなきゃならんと思ってたんですが、こんな場所で立派な司祭様に出会えて良うございました」

「どういたしまして。もう一度……とはつまり、先に教会を訪ねられた折は留守だった、ということですか?」

 にこやかにユウェインは応じ、何気ない態度で確認する。いいえ、と商人は困ったような苦笑いを浮かべた。

「大事なお客様だとかで、お取り込み中でしてね。外に立派な馬が何頭もつながれてたんで、出直したほうがいいだろうと、腹ごしらえで時間を潰してたんですよ」


 返事を聞いたエリアスとカスヴァの表情に、さっと緊張が走る。商人は気付かず、若くて親切な旅の司祭様だけを見つめたまま名残惜しげに別れの挨拶を述べていた。

 それでは、と商人らが動き出すのにつられるように、エリアスもすぐ席を立てるよう最後のパンを水で飲み下す。カスヴァも床に置いた荷物を取ろうと屈んだ。


 しかし、彼らが腰を浮かせるだけの猶予も与えられなかった。


 外へ出ようとした商人を押し戻しながら、伝令特使が武装した一団を率いて入って来たのだ。特使を除く全員の襟に、教会裁判所の象徴たる剣と星が刺繍されている。滅多に聖都の外には出て来ないが、それだけに死神のごとく恐れられている教会兵士だ。


 狭い戸口がふさがれ、店内の客がざわめき困惑する。商人は早く出て行きたそうな顔をしたが、無謀は思いとどまり、とばっちりを食わぬようできるだけ壁際に下がった。


 特使が店内をぐるりと見渡し、エリアス達に気付くや顔色を変えた。素早く背後の兵士に「浄化特使だ」と一言ささやく。

 エリアスは舌打ちしかけたのを堪え、唇を引き結んだ。記憶にはないが、以前どこかで顔を合わせた相手かもしれない。そうでなくとも同業者は勘でわかるし、外套の陰から剣の柄が見えたら答えはひとつだ。そのうえ大悪魔と聖御子まで一緒なのでは、いかに魔術でごまかしていても、異常を嗅ぎつけられないはずがない。


 剣呑な気配が高まる中、エリアスは無言で銀環に手を添えて目礼した。確かに私は浄化特使だが、それがどうかしたか、という態度を装ったのだ。残念ながら相手は既に臨戦態勢で、名乗りもせず、誰何すいかもせず、切り口上に告げた。


「ご同行を。すべての浄化特使は悪魔との契約を疑われている」


 店内に動揺が走る。壁際で商人がぎょっとなり、何を確かめるつもりか、自分の胸や肩に手をやった。エリアスは努めて平静に問い返す。

「こんな場所で物騒なことを。聖都で何があったと言うのです」

 嗄れ声が目立たないように、ささやくほどの喋り方にとどめたが、それでも周囲の村人から恐怖の気配が立ち上るのが感じられた。

 伝令特使はエリアスに目を据えたまま、冷厳に答える。


「聖都ではない。コニツカの大聖堂が悪魔に襲われ、教皇聖下が身罷みまかられたのだ。国務省は緊急事態を宣言し、すべての元凶たる魔道士ハラヴァ、および関与が疑われる者全員に対する拘禁命令を出した」


 さすがにこれには、誰もが驚かざるを得なかった。村人がどよめき、口々に恐怖や絶望の悲鳴を上げる。その騒ぎに紛れてエリアスも「どういうことだ」とユウェインをなじり、知らないよ、とこちらもやはりうろたえた声を返される。


 エリアスは立ち上がり、厳しい面持ちで進み出た。抗議すると同時に、相手の視界を遮ってルナークを隠すためだ。意図に気付いたカスヴァも、憤慨したように装って横に並び、兵士らをじろりとねめ回す。


「抵抗すれば無傷では済まんぞ」伝令特使が身構えた。「大人しく従うなら、こちらも手荒にはしない。善良な人々を巻き込んでも良いのか」

「そちらこそ控えられよ。仮にも聖職にある身で、罪なき者を盾にするようなことを申されるな。それも、混乱した状況で下された一方的な命令を強行するためになど……あるいはその命令は、貴殿にとって主の御言葉にも等しく響いたのか?」


 エリアスは重々しく、無意識に亡き師の態度口調をなぞりながら応酬した。伝令特使がぐっと詰まったところへ、さらに言葉を重ねる。


「我々はコニツカで何があったのか全く知らないし、そもそも聖都へ向かう途中だ。付き添ってもらわずとも結構。貴殿も伝令特使ならば、我々浄化特使が身命を賭してつとめに当たっている実情をご存じだろう。その長たるハラヴァ様が魔道士などと、何かの間違いか、さもなくば教会の分裂を誘う罠としか考えられぬ」

「なればこそだ!」

 気圧されたのをはねのけようとばかりに叫び、伝令特使は拳を握り締めた。

「浄化特使の力を重々承知しているからこそ、その脅威を肌に感じてきた。悪魔を祓うために悪魔のわざを学び、無垢な者を守る為と称して古の知識を独占する。そのような者どもが《聖き道》を外れたらどうなるか、我々は常に恐れてきた。そしてその危惧は正しかったというわけだ!」


「ちょ、ちょっと待って下さい」

 いきなり震え声が割り込み、睨み合っていた二人の特使は揃って振り向いた。あの商人が見るからに怯え、何度もユウェインに目をやりながら問いかける。

「どういうことですか、悪魔だとか……それじゃあ、さっきそこの司祭様に祝福していただいたのは?」


 曖昧に語尾を濁し、両手をぎゅっと強く握って祈るその様子からして、対立する司祭のどちらに正義があるかよりも、己が身に罪や穢れが及ぶ恐れで頭がいっぱいのようだ。


 エリアスは伝令特使を睨みつけ、小声で厳しく叱責した。

「だから控えられよと言ったのだ」

 こんな場所で悪魔がどうのと言えば、教義に無知で素朴な信徒を動揺させるだけではないか、と言外に非難する。挽回の機会を与えようと一呼吸だけ待ったが、相手は迷惑そうな顔をしただけで何も言わない。エリアスは商人に向き直った。


「あるじ殿、恐れることはない。主の御力はあまねく地上にあり、司祭の行いや品格によって損なわれるほど小さなものではない。心弱き司祭――食欲に負けて何が何でも寄り道すると言い張った結果こうして面倒事に巻き込んでくれた張本人、彼が施した祝福であっても、主は間違いなくお聞き届けくださる」

 険しい面差しと異様な嗄れ声の青年司祭が冗談らしきものを口にしたことで、商人は面食らって恐れを忘れる。エリアスはその隙を逃さず、微笑と共に聖印を切って告げた。

「主はあなたの足元を照らし、旅路を守りたもう。やすんじてお行きなさい」


 商人は先ほどの陶酔とは別種の崇敬をおもてに浮かべ、改めてもぐもぐと感謝の祈りをつぶやいて頭を下げる。それから、行きなさい、と言われたからには通してもらえるのだろうか、と窺う目つきで戸口を見やった。


 幸いなことに、苛烈で知られる教会兵も噂ほどには峻厳でなかったらしい。一人が半歩下がると、つられたように残りも動いて道を空けた。商人一行がそそくさと出ていくと、再び兵士が戸口をふさいだが、最前までの一触即発の空気はもう緩んでいる。

 エリアスはそっと息を吐いて伝令特使に近寄り、低くささやいた。


「内輪揉めしている場合ではない。我々はエリュデ王国東南地方から最悪の知らせを運んできた。一刻も早く聖都に戻り、事態に対処できる誰かを探さねばならない」

「たわごとを。教皇聖下の崩御よりも悪い知らせがあるとでも?」

「ある。世界が泡立つ海に呑まれかけているのだ。私は師の墓を訪ねてチェルニュクに赴いたが、今、あの村は跡形もない。突然そこかしこに生じた『泡』があらゆるものを呑み込み始めたのだ。村人をノヴァルクに避難させ、我々は聖都に急いでいる」


 そこで彼はちらりとカスヴァを視線で示し、彼が領主だ、と一言添える。さすがに伝令特使は信じられない顔をしたが、現に貴族らしく剣を帯びた証人が謹厳にうなずいたので、疑念を口にする無礼はひとまず控えた。エリアスは構わず畳みかけていく。


「道中でも同じく『泡』に呑まれた村を見た。そこでは司祭も逃げ遅れて死んでいたし、村人同士が恐怖から殺し合った痕跡も見られた。貴殿はこれから北へ向かうのか?」

「うむ。コニツカのヴィフナーレク様の元へ」

「ならば道中、地面や木の幹が不自然に丸く抉れていないか注意されよ。そのような痕跡がある場所に留まるな」

 エリアスはそこまで言って、去った商人を追うような視線を外へ向けた。

「手だてがわかっていれば、彼らにも警告したかったが……何しろ『泡』は何の前触れもなく現れる。いつどこに湧くかも予測がつかない。教皇聖下も、もしかしたら『泡』に呑まれたのではないかと恐れているところだ。いきなり人が丸く抉れて消えるなど、悪魔のわざと思われて当然だろう。コニツカの状況が心配だ」


 意図せず声音に真情がにじむ。先輩司祭の身に起きたことを思い、彼は唇を噛んで銀環を握りしめた。伝令特使もいつしか引き込まれ、不安げな面持ちになる。


「貴殿ら浄化特使でも対処できないものなのか」

「少なくとも私は打つ手を知らない。ハラヴァ様なら何かご存じかもしれないが、今は聖都には……」

「いない。ヴィフナーレク様の知らせによれば、行方をくらましたらしい」

「まずいな。聖都で私の報告を真に受けてくれる方がいるかどうか。既に聖務省は機能停止状態だろう。貴殿、ほかに心当たりは?」

「……秘術審理課なら。ムラク様がまだ拘束されていなければ何とかなるだろう」

 伝令特使は答え、それから我に返ったようにしかめっ面をした。

「率直に言って貴殿を信じるべきか否かわからん。だが言葉通り貴殿が聖都に行くのであれば、虚偽はそこで暴かれるだろう」

「誓って真実を述べている。主と円環にかけて、……我が師グラジェフ様の名にかけて」


 誓いの決まり文句に個人的な名を添えることで重みを加えるつもりが、思った以上の効果があらわれた。伝令特使は瞑目し、魂の平安を祈ってくれたのだ。瞼を上げた時、もはやそこに敵意はなかった。


「グラジェフ様のことは私も尊敬していた。横柄で冷酷な浄化特使も多い中、あの方は常に我々伝令特使の身の安全にも気を配り、つとめの苛酷さをご理解くださっていた。上の方々の思惑はまた別だったが……」


 つぶやいて首を振り、彼は背後の教会兵に向き直って指示を出した。

 誰も剣を抜かないまま武装集団が出ていってくれたので、店内の客は皆、ほーっと深く安堵の息をついた。エリアスは騒がせたことを詫び、テーブルに代金を置いて荷物を背負う。村人がざわつき始めたのに紛れ、ユウェインがそっとささやいた。


「まさか説得できるとはね、驚いたよ」

「この声も危機感を煽る場面では役に立つ。それに……グラジェフ様に助けられたようなものだ」

「そうだね。でも見事だった。あの商人の不安を除いてやったところから、君の司祭ぶりは立派だったよ」


 素っ気ないエリアスにユウェインは飾らない賞賛を与え、小さく一言つぶやいた。これなら安心だ、と。

 何がだ、とエリアスは質したくなったが、ルナークが立ち上がったのでそちらに気を取られた。思わせぶりな悪魔の独り言に付き合ってはいられない。村からすっかり離れるまで、『聖御子』がここにいると知られぬよう注意せねば。


 さりげなく少年の姿を周囲から隠しつつ外に出ると、教会兵の一団がまだ、ほど近くにいた。しかも伝令特使が足早にこちらへ向かってきたもので、エリアスは内心冷や汗をかく。相手はすぐそばまで来ると、真剣に一言、問いかけた。


「護衛が必要ではないか」

「……?」

 眉を上げたエリアスに、伝令特使は教会兵のほうを手で示して補足する。

「一人か二人、連れて行けば安全だろう」

「いや、それは」

 予想外の申し出に声を詰まらせながらも、エリアスはなんとか表情を取り繕った。

「ご厚情には感謝する。だが恐らく我々よりも貴殿に必要となるだろう。混乱と恐怖に駆られた人々が無実の者を殺さぬよう、どうか適切にその武力を振るって欲しい」

「……そうか。無事を祈る」

「そちらも。主のご加護があらんことを」


 互いに聖印を切り、二人の特使はそれぞれの目的地へ足を向ける。青空に輝く太陽が街道を照らしていたが、その行く先はまるで蜃気楼のように危うげだった。


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