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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
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3-6 追跡者

「やはり二手に分かれるべきだろう。敵であればここで殺そうとするかもしれないから、中に残る者は絶対に必要だ」

「ああ。だが全員ここに残っていたら、追跡が遅れる。私が外に潜もう。明かりがなくとも看破をかければ、少なくともルナーク様だけははっきり見える」


 カスヴァとエリアスが手筈を打ち合わせている間、オリヴェルはルナークのためにあれこれと心を砕いていた。


「こちらは干し無花果です。道中、召し上がってください。それと少しですが銀貨を。使う機会がなければ良いのですが、お金で解決できることもありますから」

「ありがとう」


 ルナークは礼を言ったが、意味がわかっているのかどうかは怪しかった。善意の小袋を身につけるために外套の前を開くと、真っ白な祭服が蝋燭の灯に輝く。帯も豪華な刺繍入りだ。

 オリヴェルはどうしたものかと途方に暮れたが、ルナークは気にせず、本来は種々の鍵や祭具を結ぶ紐を使って粗末な麻袋を結わえていった。

 オリヴェルの手が空いたのを見計らい、ユウェインがこっそり袖を引いた。


「どうやら君は、聖御子の代替わりを阻止せず認めてくれるらしいね」

「善いのか悪いのか、判断できないがな。しかしともかく、闇討ちを企てる側には与したくない」

「健全で結構。ただしそうなると、君も闇討ちの対象にされるだろう。ここでルナーク様を迎えの手に引き渡してしまえば、後は関係ございません何も存じません、で通せるとは……まさか楽観していないだろうね?」


 つかのま空気が冷えた。蝋燭の炎が身を竦ませる。さしものオリヴェルも不安げになった。


「しばらく身を隠したほうがいいんだろうか。しかし実際問題、ヴィフナーレク様が俺を捕らえたところで何の益もないと思うんだが」

「やれやれ。善良なる者は他人の悪意を想像できないから怖いね。ルナーク様が無事に保護されたとしても、安心はできないよ。君がハラヴァ陣営の重要な駒かそうでないか、敵は知らないからね。尋問すれば、どこを通って聖都へ向かう計画かを聞き出せるかもしれない。君を人質にして取り引きできるかもしれない。あるいはただ単に、聖御子の代替わりなどという悪行にかかわればどうなるか、見せしめのために殺すこともあり得る」


 血なまぐさい陰惨な警告。だがオリヴェルは困り顔で頭を掻いただけだった。

「世俗の貴族ならともかく、《聖き道》に仕える者がそこまでの非道をするはずがないだろう。そうでなければ何のための教えだ。いや、忠告はありがたいし、すべての人間が信頼できるわけじゃないのも承知しているよ。だが守るべき道を外れた者がいるなら、連れ戻すのが俺のつとめだ」

 最後にはいつもの明るい表情になって、前向きな意志を込めてうなずく。駄目だこれは、とユウェインはお手上げした。


「つくづく君は悪魔にとっては難敵だね。だが人間相手にそれは通じないとわかって欲しかったな。はぁ……仕方ない、君が同胞を疑って逃げ隠れするつもりはないと言うなら、最後の手段だ」

 意地悪く脅すように言って、彼は胸に光る銀環に手を置いた。目を伏せ、眼前のオリヴェルにではなく、内なるものに語りかけるようにつぶやく。

「これは魔術か秘術かと問われたなら秘術だ。しかし本来ならば司祭のおこなうわざではない。いにしえの昔、教会の創成期に各地へ向かう使徒に対して施された術……ああ、もちろんそうだとも」

 黙祷するように瞼を閉ざし、ゆっくり一呼吸。開いた目をまっすぐオリヴェルに据え、手を伸ばして指先をその額に当てた。


「汝もし耐え難き苦痛にありて救いを求むならば、三度(みたび)我が名を唱えよ。我が名はユウェイン、汝が魂の護り手なり。汝これを(うべな)うや」


 有無を言わせぬ声音で問いかけられ、オリヴェルは答えに詰まった。一拍置いて、過保護だな、と言わんばかりの苦笑を浮かべると、銀環に手を添えて「はい」と応じる。二人の銀環がほんのりと淡く光った。

 ユウェインは指を離してほっと息をつき、曖昧に微笑んだ。


「万一の時には名を呼んでくれ。声に出せたらそのほうがいいけど、無理なら心で強く思うだけでもいい。そうすれば君は苦痛から解放され、魂は僕が預かる」

「食べるんじゃなく?」

 きょとんとしてオリヴェルが問い返す。ユウェインは苦笑いするしかなかった。

「これは悪魔の契約じゃない。本来なら大司教か、せめて司教が施す秘術だ。きちんと還るべきところへ還すよ……掠め取ったりせずにね。名を呼ぶ時も間違えないでおくれよ。エトラムじゃなく、ユウェインだ」

「そうなのか。ありがとう」

「こんな事で感謝されてもなぁ。使わずに済むように祈っているけど、僕は君ほど人間を信じていないからね。本当に、雲行きが怪しくなったらすぐ逃げておくれよ」


 もはやこれ以上は処置なし、とユウェインは頭を振り、カスヴァとエリアスのほうを振り返る。

「あっちも段取りが決まったかな」

 彼がつぶやくと同時にエリアスが荷物を背負い、素っ気なく「ぬかるなよ」と一言残して外へ出て行った。


 しばしの後、オリヴェルとルナークは礼拝堂で迎えを待ち、カスヴァが祭壇の陰に隠れた。ユウェインは隣接する祭具室に引っ込ませた。剣を抜く時、そばにいられたら邪魔になるからだ。魔術を使うことにも慣れてきてはいるが、やはり瞬時に反応するとなったら剣のほうだし、『霧』をかけたと言っても常識外れの霊力は、せめて扉の向こうに隠れていてほしい。

 暗がりの中で膝をつき、剣の柄に手をかけたまま、息を殺して耳を澄ませる。迎えは三人連れだった。

 重い、だが静かな足さばき。布の擦れる音にまじる武具のつぶやき。


「ご苦労だった、司祭オリヴェル」

「失礼ながら、何か証をお持ちですか。あなた方が確かにハラヴァ様に遣わされたという」

 用心深い質問に、ガサリと紙の音が答える。オリヴェルがほうっと息をついた。

「これは、教皇聖下の……ありがたい。確かに」

「ルナーク様をお連れするところを、誰かに見られたか?」


 必要なことだけをやりとりする声は、抑制のきいた口調だったが、カスヴァはそこに獰猛さを嗅ぎとった。戦場での記憶が否応なく刺激される。

(こいつらは獣だ)

 戦に駆り出されるのは、各地の領主とその私兵であり、多くは普段、平和に土を耕し羊を追っている。それが熱狂と血臭に当てられて凶暴残虐なふるまいに及ぶのだが、中には最初から殺戮を目当てに参加する者もいた。

 そうした『本職』の放つ特有の気配が、物陰にいても肌が粟立つほどに感じられる。


(とても聖職者とは思えない。教皇聖下の使者というのが本当でも、こいつらが仕えているのは神ではなく金……いや、権威権力にだ)


 金で雇われただけの者なら、こんなにも鋭く厳しい気配ではあるまい。カスヴァは予想の甘さに歯噛みした。もしも彼らが敵だったら、自分一人でルナークとオリヴェルを守るのは不可能だろう。ユウェインの援護も間に合わない。


「この教会に入るところは見られていませんが、道中、ルナーク様のお命を狙う二人組に襲われました。幸い通りすがりの方が駆けつけて下さったので、逃げていきましたが」

 オリヴェルの説明に対し、三人が目配せを交わしてうなずき合ったらしい。

「ならば再びそなたが狙われる恐れもある。私がここに残ろう。ルナーク様はあとの二人がお護りする。……よろしいですか」


 問いかけはルナークに対するものだ。まずい、とカスヴァは顔をしかめる。ここに居残られたら後を追って出て行けない。オリヴェルも同じことを思ったらしく、ためらいながらも口を挟んだ。


「私の身などよりも、ルナーク様の安全こそが重要ではありませんか」

「なればこそだ。そなたの命を気にかけてルナーク様の歩みが止まることがあってはならぬ」


 断定の裏に、行きずりの司祭ごときが敵の手中に落ちてこちらの足を引っ張るなど許してはならない、という冷徹な合理が透けて見える。そんな事態に陥るぐらいなら、この男はためらいなくオリヴェルを斬り捨てて去るだろう。


「では宿坊のほうに移りましょう。賊が来るとしたら、真っ先にこちらに踏み込むでしょうから」

 オリヴェルがさりげなく提案し、うむ、と低く短い同意が返される。

 くぐもったつぶやきで交わされる確認、重い靴音と床板の軋みがざわざわと遠ざかる。開かれた扉の隙間から夜気が流れ込み、次いで遮断される。オリヴェルが燭台を持ち去ってしまったので――怪しまれないためには当然だ――礼拝堂は暗闇に沈んだ。


 カスヴァは目を瞑って暗がりに馴らすため一呼吸だけ待ち、素早く祭壇の裏から会衆席の陰へと移動した。何の反応もない。礼拝堂には誰も残っていないのだ。ほっと息を漏らし、静かに、いつでも隠れられるよう構えながら扉へ向かう。やや遅れて祭具室のほうからも動き出す気配がした。


 二人は扉の前で肩を並べた。外の物音に聞き耳を立て、慎重に、ほんの少し扉を引いた。弱い月明かりの下、蝋燭の火が横手の宿坊へと遠ざかっていく。一方、礼拝堂からまっすぐに門へと続く道には、人影が三つ。


 カスヴァはちらりと灯りのほうを見やった。心配ではあるが、どうすることもできない。迎えが本物で、たまたま巻き込まれた善良な司祭が何事もなく元の生活に戻れるよう、願うだけだ。たとえ不幸な結果になったとしても、その時は仕方がない。


(そもそも、誰の命が惜しむに値するのか、だからな)


 自嘲が口元をかすめた。エリアスがああして言葉にするまで、現状を正確に認識していなかった。犠牲になるのは聖御子ひとりではない。何の障害もなく人柱が勝手に破滅の火口まで行って、飛び降りてくれるわけではないのだ。


 隣に立つユウェインがそっと腕に触れた。我に返ったカスヴァは追うべき人影に注意を戻す。どちらからともなく、二人はそっと滑るように夜の中へと歩を進めた。


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