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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
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3-4 聖御子ルナーク


 薄暮の中でも息を飲むほどの、美しい顔立ちだった。霊力のゆえかもしれないが、元々の造作も整っているのは間違いない。

 金茶の髪は残照を映して銅のように艶やかだ。瞳の色は薄くて今は灰色にしか見えないが、思わず怯むほどに澄んでいる。それらの要素すべてを含めて人間離れした印象を受けるのは、その面にいっさいの感情がないためだった。


 緊迫した沈黙が一呼吸、二呼吸。エリアスは一度収めた剣の柄にふたたび手をかけながら、鋭くささやいた。


「どういうことです、オリヴェル」

「俺のほうが訊きたい。ハラヴァ様はおまえのことは何も仰せられなかったぞ」


 応じるオリヴェルも、困惑と警戒で硬い表情だ。そのくせ発言は迂闊である。エリアスは聞き逃さず追及した。


「ハラヴァ様があなたに指示を?」


 しまった、とオリヴェルが唇を噛む。そんなやりとりの間も、問題の聖御子様は無表情のまま黙っている。視線を誰かに据えるということもしない。

 睨み合う先輩と後輩の間に、カスヴァが割って入った。


「とにかくまず、ここから離れよう。さっきの連中が応援を連れて戻る前に」

「あ、ああ、そうだな。ルナーク様、お顔を」


 オリヴェルはあたふた言って、連れにフードを被らせる。少年は人形のように、されるがままだ。オリヴェルはひとしきり世話を焼くと、エリアス達を振り向いて早口にささやいた。


「ひとまず俺の教会に行こう。どうせ奴らは俺の身元ぐらいすぐに割り出してやって来るだろうが、他所へ逃げるにしても最低限の支度は必要だ」

「あなたの教会? もしかして、ここから少し北にある地区教会ですか。大きな栗の木がある」

 訪れるつもりだった場所を思い浮かべてエリアスが問うと、オリヴェルはあっさりうなずいた。

「この春から正司祭に着任したばかりだけどな。……なぜそんな嫌そうな顔をするんだ」

「別に。どっちにしても避けられなかったらしいと、うんざりしただけです。行きましょう。何があってこんなところに『聖御子』様がいらっしゃるのか、話してもらいますよ」


 エリアスは唸り、先に立って歩きだした。周囲の物音に耳を澄まし気配に神経を尖らせて、尾行されていないか、待ち伏せされていないかを探る。

 幸い敵はもう近くにいないようで、一行が夕闇に紛れて教会に駆け込むまで、何の妨害もなかった。


 礼拝堂ではいつ信者がやって来るかわからないので、隣接する宿坊の談話室に入る。旅の荷物を下ろすなり、エリアスは「説明を」とオリヴェルに詰め寄った。


「説明と言っても、俺も表面的な成り行きしか知らないぞ。今日おこなわれた聖王祝祷の前日礼拝、おまえは参列して……ないか。俺はもちろん支度から何から仕事があって、大聖堂に詰めていたんだが、そこでルナーク様のお披露目として、癒しの秘蹟がおこなわれてな」

「お披露目?」

 どういうことだ、とエリアスは眉を寄せる。これからこの少年が人柱になりますよ、と告知するつもりなのだろうか。まさか。


「ああ。神童の呼び声も高い最年少の司祭にして、ゆくゆくは次期教皇候補とも目される御方だからな。ただ……それが気に食わない、という向きもある」

 オリヴェルは渋い顔になり、気遣いのまなざしを少年に向けて続ける。

「ハラヴァ様がよりによって『聖御子様の再来』と謳いあげられたものだから、ヴィフナーレク枢機卿が激怒なさってな。冒涜だ、これぞ邪悪の最たる傲慢の罪である、と厳しく断じて攻撃され……ひどい騒ぎだったよ。元からハラヴァ様とヴィフナーレク様は折り合いが悪いことで知られていたが、まさか教皇聖下の御前であれほどとは。なんとかそこを抜け出した後で、ハラヴァ様が俺にルナーク様を匿うよう命じられたんだよ。とにかくひとまず安全な場所に、って」

 そこまで話し、彼は不審げに問うた。

「あの騒ぎを知らないのに、どうして『聖御子様』だと言ったんだ?」


 避けられない疑問をぶつけられたエリアスは眉間を揉み、不本意ながら意見を求めてユウェインを振り向いた。


「ルナーク様については以前の年報で、教皇聖下の甥御殿が最年少での司祭叙階と記されていた記憶があるが……貴様の言う『聖御子』の役割とは認識にずれがあるようだな」

「そのようだね。代替わりを進めている陣営とそれに反対する陣営がある上に、双方とも期限が迫っていることに気付いていない、というところかな。せっかく作った聖御子様だから、せいぜい宣伝に利用してから世界のために殉死してもらおう、って魂胆なんだろうさ。悠長なことだよ、やれやれ」


 ユウェインの答えは辛辣だ。不穏な言葉を耳にしたオリヴェルがそわそわしたが、当の聖御子様は相変わらず淡泊な態度を崩さない。会話から外れて立っているカスヴァの手元に、なぜかじっと視線を注いでいる。ユウェインが侮蔑を隠さず続けた。


「神童ルナーク様、ラドミール八世聖下の甥……というのは建前で庶子だというのは公然の秘密。我が子を神に捧げようとは、実に模範的な聖職者じゃないか」


 そこで初めてルナークが彼に目を向けた。薄い青紫色の透明な瞳に見据えられ、ユウェインは白々しく穏和な澄まし顔を装う。

 少年は無言で長々と見つめた末に、柔らかく無垢な唇をふっと開いた。


「なぜ魔道士が司祭と行動を共にしているのか、不思議に思いましたが。あなたが司祭ユウェインにして、あの巧みな術の使い手ですね。契約の指輪が炎の輝きを宿し、あなた自身も並々ならぬ霊力を帯びているところからして、さしずめ、かの名高き『炎熱の大悪魔』エトラムですか」


 言い当てられ、カスヴァがぎょっとして今さら左手を隠す。悪魔憑きの司祭は苦笑いしただけで、動じなかった。

「やっぱり『聖霊憑き』は悪魔との契約に似た状態なんだね。それにしても指輪を視認できるとまでは予想外だったよ」


 会話の流れに一番驚きうろたえたのは、気の毒なオリヴェルだ。「は、え? 悪魔?」と混乱して視線をせわしなく行き来させている。

 エリアスは深々とため息をつき、忌々しげに唸った。


「大通りや大聖堂を避ければ大丈夫だと思っていたのに、よりによって聖都そのものに匹敵する存在が向こうからやって来るとは、なんという皮肉だ」

「まことに主の御業は驚嘆すべきかな」

「黙れ悪魔」


 いつもの罵声にも力がない。彼はうんざり頭を振り、巻き込まれた先輩司祭にいささかの憐憫を込めて問いかけた。


「オリヴェル。あなたはハラヴァ様から具体的にどう指示されたのですか。ルナーク様を匿うといっても、場所も期限も示されなかったわけではないでしょう。迎えが来るまで待つか、どこかに連れて行けと指定されたのでは?」

「ん、ああ、迎えを遣ると仰せになった。ヴィフナーレク様を宥めるのは難しそうだから時間を稼ぎ、ルナーク様には密かに聖都へお帰り頂くと。なあエリアス、おまえはいったい何をどうするつもりなんだ? ルナーク様のお言葉が事実なら、なぜおまえが……よりによって浄化特使のおまえが、悪魔と」


「必要やむなく今限りだ」

 叩きつけるようにエリアスは応じた。

「あなたにすべてを話すべきかどうか、私には判断できない。ハラヴァ様があなたに真相を伏せてただ匿えと命じられたのなら、恐らく知らないほうが身のため、ということでしょう。教会内部の対立が我々の想像よりも深刻であるなら、あなたはできる限りかかわらないほうがいい」


 反論も疑問も差し挟む余地を与えず滔々と言い、彼はユウェインとカスヴァに向き直った。


「どう思う。このままハラヴァ様の使いがルナーク様を迎えに来るのを待つか?」

「そうするしかないだろう」カスヴァが答えた。「ただし俺たちは身を隠して、迎えが本物かどうかを確かめ、無事に聖都に辿り着くまで見届けなければ」

「ついでに僕らも聖都に入り込めるといいけどね。教会の目が聖御子様に集まっている間に、裏からこっそりと。さもなくば聖御子様と一緒に城壁を突破することになるか。はぁ……一晩ぐらいまともな食事と寝床にありつけると期待してたのになぁ」


 ユウェインが肩を落として嘆いたのを聞き、オリヴェルははっとなった。


「申し訳ありませんルナーク様。喉が渇いてらっしゃるでしょう、すぐに何か用意します。エリアス、すまんが手伝ってくれ。さすがに全員分を一人では手が足りない」

 当然のような発言に、ユウェインが皮肉めかしつつも温かな笑みを浮かべた。

「この善良なる兄弟に主の祝福があらんことを。悪魔や魔道士にまで、もてなしの用意をしてくれるとはね」

「いや、もてなしと言うほど贅沢なものはないんだが」


 オリヴェルは揶揄されて怒るどころか、むしろ恐縮そうに眉を下げる。とうとうユウェインはふきだしてしまった。


「僕が悪かった。前後の見境をなくして『おのれ悪魔め』だとか騒ぎださずにいてくれるだけでもありがたいのに、茶化してすまなかったよ。改めて、ご親切に感謝する」

「助けられたのはこっちなんだから、礼には及ばないさ。パンとチーズと葡萄酒ぐらいしかないが……とにかく、ちょっと待っててくれ」


 屈託のない笑顔で応じ、オリヴェルはエリアスを促して急ぎ足に出ていく。参った、とユウェインは首を振った。


「悪魔が一番苦手な性質の人間だね。隙だらけに見えて、まったく弱みがない。もっとも、人間の敵には通用しないだろうな……さて、今のうちにこちらは『霧』を纏っておこう。どんな人物が聖御子様を迎えに来るにしろ、見つからないようにしておくに限る」


 手招きされたカスヴァはルナークの目を気にしながら、ユウェインの前に立った。左手中指にきらめく炎の指輪をなんとなく手で覆い隠し、小声でささやく。


「……俺たちとしては結局、教会内の馬鹿どもの凶刃からそこの少年を守りつつ、聖都へ送り届けるわけか。彼が速やかに『失われた都』へ行くように」

「心苦しいかい?」


 ユウェインは皮肉と同情の相半ばする笑みを浮かべた。カスヴァは唇を噛んでうつむく。代替わり、と聞いただけでは具体的な想像ができなかったが、今こうして人柱にされる人物を目の前にして、自分たちが何をしようとしているのか実感してしまった。千五百年経っても同じことを繰り返すのか。しかも今度はこんな子供を。


「他に方法はないのか?」

「それが君の願いなら、叶えてあげたいところだけどね。あちらさんも大勢の願いを背負っているから」


 言ってユウェインは視線を『聖御子』に向ける。少年は相変わらず虚ろな無表情をしていたが、二人の注視に気付くと、ふと瞬きしてこちらに会釈を返した。


「どうやらあなた方は、わたしがつとめを果たせるように助けて下さるようですね。どうぞよろしくお願いします」


 淡々と言う声音には、『つとめ』に対する恐れはもちろん、覚悟や気構えすらない。カスヴァは困惑し、なんとも答えられず顔を背ける。ユウェインも小さく首を振っただけで相手にせず、己と契約者の霊力をごまかすために古い言葉を紡ぎはじめた。


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