3-3 祭典の陰で
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ロサルカ共和国の首都コニツカは、常にない賑わいに活気付いていた。
大通りには土産物の屋台が並び、呼び込みの声だけでなく種々の鳴り物がそこらじゅうで騒ぎたて、行き交う荷車の車輪がガタガタ唸り、どこで何を言っているのかまるでわからない。
太陽は既に低く、空は柔らかな薄桃色に染まっているが、日脚がのびる時季とて一帯はまだ明るい。往来に溢れる人々も一向に帰宅する様子がなく、興奮に酔っている。
喧騒は中心部に近付くほどひどくなる。コニツカの象徴、第二の聖都と呼ばれるほどの壮麗な大聖堂が、このお祭り騒ぎの焦点だ。大聖堂を建立したかつての名君が楽園に召された日を記念する、盛大な典礼が執り行われるのである。
ロサルカが共和制になったのは同じ王の時代で、今は国守と呼ばれる元首と、議会による統治がおこなわれている。国守は実質的にかつての王と大差ない役割を担っているが、世襲ではなく議員による選出で、その権力構造は聖職者の位階と似ていなくもない。教会組織の効率を学んだ王による改革だとか、そもそもかの王は教皇になりたがっていたのだとか、いろいろに言われている。
ともあれ、ロサルカが教会に擦り寄っているのは間違いなく、この典礼にも大勢の高位聖職者がやって来るとあって、
「いいか、絶対に大聖堂には近付くなよ。大通りも歩くな」
悪魔憑きにとっては間が悪いとしか言いようがない状況であった。
背かば斬ると言わんばかりの殺気立った形相で念を押され、ユウェインは肩を落とした。
「わかってる、大人しくしてるよ。僕だって殺されるのは御免だし、何より君達を巻き添えにしたくはない」
「当たり前だ」エリアスが苦々しく応じた。「あの小船であの激流に挑んでぎりぎり拾った命を、ここで落としてたまるものか」
小声で唸った特使の顔色が心持ち青くなる。カスヴァも思い出して胃の辺りを無意識に押さえつつ「もっともだな」と同意した。諸悪の根源はわざとらしく敬虔な表情をつくってごまかす。
「あれはまさに主のご加護だったね……」
「黙れ悪魔」
二人が同時にぴしゃりと遮る。ユウェインは首を竦めた。
「そこまで邪険にしなくても。実際のところ面倒を省けたし、川を下れば茨森もそれほど危険じゃないとわかったのは収穫だったと思わないかい。最後だけちょっと天の助けが必要だったけどさ」
無碍に否定もできない利点を持ち出され、エリアスは忌々しげに顔をしかめたものの、事実は事実として認めた。
「面倒を避けられたのは、その通りだな」
川は森に入る前に街道沿いの村をひとつふたつ横切るのだが、最初の村のありさまを見た後は、できるだけ夜中にこっそり通り過ぎることにしたのだ。
その村には『泡』の痕跡が多数あり、人間はほとんどいなかった。逃げ出したり、恐怖と疑心暗鬼で殺し合いにまでなったらしい。残ったわずかな村人たちは司祭が訪れたのを見て、飢えた狼さながらの狂気じみた勢いで取り囲み縋りつき、救いを求めて涙を流した。
もうあの『泡』が生じることはない、心配ない、と繰り返しユウェインが説き、言葉だけでは効き目がないので例の魅了を使いもして、ようやく寝床にありつけた。食べ物はほとんど何も得られなかった。教会が荒らされ、司祭もいなかったのだ。村人の話では逃げたということだったが、恐らくどこかその辺りの穴に埋められているだろうと察しがついた。
そんな経緯で、三人は逃げるように村を後にしたのだ。もしまともに街道を歩いていたら、行く先々でどれだけ足止めを食ったか知れない。
ふっ、とユウェインが憐憫と諦念のまじる微苦笑をこぼした。
「相も変わらず人間は、弱くて愚かなままだねぇ」
千年以上を生きた大悪魔に言われたのでは、反論の余地がない。エリアスは不機嫌に無視し、通りの左右を見渡した。
この町は何度か訪れたことがある。聖都へ報告書を送ったり、情報のやりとりをするため大聖堂に出向くのが通例だったが、それ以外の教会にも足を運んだ。用が済んだら地区の小さな教会で休む方が、大勢との接触を避けられるからだ。学院の顔見知りに出くわしたら厄介だし、高位聖職者の中にはハラヴァ枢機卿の政敵がいて、子飼いの浄化特使の失点を探そうとするかもしれない。
教会が移転することはまず滅多にないから、この路地を抜けた先にあるはずだ……そう、この店の角を曲がる。記憶を手繰りながら商店の看板を確かめ、エリアスは「こっちだ」と素っ気なく言って先導した。
エリアスの後にユウェインが続き、カスヴァがしんがりについた。横道に入る前に背後を振り返り、不自然でない程度に身構えたのは、表通りに比して物騒な気配を感じたのだろう。
広い表通りにいればいつまでも薄暮の明るさが続きそうだが、通りを一本横に入れば、身を寄せ合う建物に光は閉め出され、既に暗がりの支配下だ。悪事の潜む影、獣の領分。
人通りがなくはないが、一気に少なくなる。祭りの非日常を楽しんでいる風情はあるものの、どこか陰にこもって怪しげだ。
エリアスは無意識に足を速めた。どうも嫌な予感がする。急がなければ厄介事に見舞われそうな――
予感は的中した。
さらに細い枝道、見通しの悪い路地の前に差し掛かった時、不穏な物音が聞こえたのだ。乱れた靴音に荒い息、揉み合いの末に何かが倒れた重い響き。
くそ、とエリアスは歯を食いしばり、急いで通り過ぎてしまおうとした。喧嘩だか強盗だか知らないが、首を突っ込める立場状況ではない。どうせこの界隈では日常茶飯事だろう、と自分を説得しにかかる。だが、か細い呻きがそれを許さなかった。
「主よ、護りたまえ……!」
勢いのついた足がつんのめるようにして止まる。爪先を土に食い込ませて一瞬でくるりと方向転換し、彼は剣を抜き放ちながら駆けだしていた。
「何をしている!」
路地の奥に人影を認めたと同時に怒鳴りつける。異様な嗄れ声の一矢は、狼藉者の動きを止めた。
エリアスの目に、壁際にうずくまる大人と、背後に庇われたやや小柄な人影が映る。彼らを襲っているのは二人組で、ただのごろつきではなかった。深く被ったフードで顔を隠し、外套の下から覗く手に握られているのは、目立たない大きさだが殺傷力充分な短剣。庶民でも所持している小刀とは違う、戦闘用の剣だ。
(くそっ、まずい相手に出くわした)
正体も目的も知ったことではないが、今一番かかわりたくない類であるのは間違いない。エリアスは一瞬怯み、斬りかかるのをためらった。その隙に、同じく剣を抜いたカスヴァが駆けつけ、分が悪いと見た狼藉者二人は蝙蝠のように素早く身を翻して逃走した。
(明らかに玄人だ。最悪だ、顔を覚えられたかもしれない。この地区の教会に泊まるのはやめたほうが安全だろうか)
エリアスは舌打ちし、厄介な火の粉を飛ばしてくれた人物を睨んだ。よく見るとこちらも外套ですっぽり身を覆い、一見してどこの誰とわからないように装っているではないか。庇っていた相手を気遣っているが、だからとて善良とは限るまい。助けに入ったこちらが馬鹿だったのでは?
彼は剣を収め、さっさとここから離れようとした。が、またしても祈りの主が邪魔をした。恩人を振り返って礼を言おうと口を開き、
「――エリアス!」
素っ頓狂な叫びを上げたのだ。
その声でようやく正体に気付き、エリアスは心底後悔した。思わず天を仰いで聖印を切ったほどだ。
そんな彼の反応にはかまわず、相手はずいっと間近に迫るなり両腕を広げて感激の勢い任せに抱きついた。
「ああ、これぞ天のお導き! まさかおまえが助けてくれるなんて、まことに主はすべてをご存じだなぁ!」
「……奇遇ですね、オリヴェル」
抱き潰される前に肘で相手を押し退け、エリアスは嫌そうに唸った。邪険にされても先輩司祭はまるでめげず、涙ぐみつつ満面の笑みで後輩の手を握ってくる。
「おまえが駆けつけてくれて、本当に天から御使いが降り立ったかと思ったぞ! ありがとう、おかげで命拾いした」
あなたが主に祈ったりしなければ無視して通り過ぎたんですがね、とエリアスは辛辣に考えたが、口に出すのはさすがに堪えた。余計なことを言って会話を長引かせたくない。まったく、主が祈りに答えてくれるのなら、自分が――『神の傭兵』が代わりに戦う必要もないと言うのに。
と、そこへ、遅れてやってきたユウェインが「あぁ……」と絶望的な声を漏らした。無謀な突撃で知り合いに会ってしまうとは浅慮な、と非難された気がして、エリアスはぎろりと睨みつける。だがそこにあったのは、揶揄や皮肉とはほど遠い表情だった。いつもの柔和さの影もない、嫌悪と蔑みを辛辣さで覆った、冷たく棘々しい微笑。
「大当たりを引いたね、特使殿」
「……何?」
どういう意味だ、とエリアスは眉を寄せる。カスヴァが小さく「まさか」とつぶやいて小柄な人物を見やった。ユウェインがその視線を肯定する。
「聖御子様だよ。悪魔憑きならぬ『聖霊憑き』、人為的につくられた人柱さ」
「――!」
エリアスは息を飲み、振り返った。オリヴェルの背後で、ずっと黙っていたもう一人がフードを脱ぐ。現れたのは、うっすらと霊力の輝きを帯びた少年の顔だった。




