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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
66/133

1-3 悪魔の真意、人のもくろみ


 昼下がりの太陽に照らされた田舎道を、二人の男が行く。まだ若い領主と、司祭。謹厳な顔つきを崩さない領主がぽつぽつと漏らす言葉に、穏和な微笑を湛えた司祭が答える。あまりにも当たり前の景色。

 後ろからついて歩くエリアスは、まだ信じ難い気持ちでそれを眺めていた。


(間違いなく悪魔と魔道士だというのに、この自然な様子はいったい何だ)


 二人の言動にはどこにもおかしなところがない。嘘やごまかし、狂気、悪事に対する自己弁護、欺瞞に詭弁。この五年で遭遇した悪魔憑きには、ことごとくそうした兆候があった。なのにこの二人は、こちらがどれほど敵意を見せつけようと、あくまで人間らしいままだ。領主にいたっては、グラジェフを手に掛けたことについて言い逃れもせず、心底悔いているようにさえ見える。


(契約して日が浅いから正気が残っているだけか? アレシュの時のように……いやしかし、もう半年近くになるはず。悪魔のほうも、霊力の輝きはともかく言動はまるきり人間くさい。あれでは、普通一般の人間にとっては『なんだか素敵な司祭様』にしか思われないだろう)


 ――まともに話が通じる悪魔に出くわしたのは初めてかい?


 当の悪魔の声が脳裏によみがえる。グラジェフは動揺しなかったというが、本当だろうか。むろん師のほうが浄化特使としての経歴は長い。様々な悪魔を見て来たのだろうが、それにしても……

 ちょうどその思考をなぞるように、前の司祭が振り向いて言った。


「そうだ、僕はまだ特使殿のことを何も聞いていなかったね。名前は? 随分若いようだけど、浄化特使になって何年ぐらいだい」

「…………」

「そう睨まなくても。無意味な世間話をしたいわけじゃないし、君の身の上を探ってどうこうしようというのでもないよ。浄化特使である君に尋ねて確かめたい気がかりがあるんだ」


 ユウェインはまったく悪びれない。エリアスが警戒を解かず黙っていると、カスヴァが眉をひそめて質した。

「今朝の話か? 去年から暑すぎるとかいう」

 うん、とユウェインが肯定する。エリアスは眉間の皺を深くした。

 暑すぎる? 確かにこのところいい陽気続きで、寒波と雪の逆襲にも遭わず楽な旅ができた。だがそれと悪魔に何の関係が?

 自己防衛よりも不審と疑念を晴らしたい欲求がまさり、彼は質問に答えた。


「……名はエリアス。浄化のつとめは四年、見極めの一年を加えるとおよそ五年になる」

「ありがとう」

 ユウェインはひとまず礼を言った。はにかみがちの微笑はいっそ芸術的なまでに美しく、エリアスの心にさえ一瞬の隙を生じさせた。

(騙されるな!)

 すぐさま彼は気を引き締めた。これは人間の美ではない、忌まわしく邪悪な魅了だ。優しく美しく甘ったるく、悪魔は人を誘惑する。

 彼の葛藤には構わず、ユウェインは続けて問うた。


「エリアスか。うーん、なんとなく君を知っているような気がするんだけどな。出身は……ああごめん、そんな話は後だね。君が浄化特使になってから今まで、悪魔には何回遭遇した? その中で君ひとりでは手に負えない悪魔はいたかい」

「見極め期間の一回を含めて四回だ。外道か悪魔か区別がつかない程度のものを加えると六回になるが、いずれも独力で対処できた」


 最後の一言は、少し舌に引っかかった。イスクリの件は、後から振り返れば単独で充分に対処可能な小物悪魔だったが、初めての悪魔祓いでグラジェフに随分と世話をかけてしまった。

 以後に遭遇した明白な悪魔憑きは三回。すべて契約によって魔道士となった者で、乗っ取られた例は今回が初めてだ。エリアスは眉を寄せて唸った。


「貴様のように最初から堂々と自分が悪魔だと名乗り出た輩はいない。どいつもこそこそ隠れ潜み、正体を暴かれまいとあさましく詭弁を弄した」


 聖都で学んだ悪魔祓いの事例は実際そのような内容が多く、悪魔の脅迫や誘惑に屈しない心得を説かれた。それは現状に即した内容であったわけだが、大悪魔との遭遇にはまるで役に立たない。もっとも、黄金樹の書庫で得た過去の大悪魔に関する知識も、使えないという点では大差なかったが。


(地位権力のある人間を誘惑してその肉体を乗っ取り、大勢を抱き込んで対立と混乱を煽り、多くの死者を出してその魂を喰らった……まさにアレシュに憑いた悪魔ツェファムのやり口だ。しかしこいつは様子が違う)

 村における司祭の影響力は絶大であるにしても、こんな人口の少ない土地では大悪魔も活躍しようがないだろう。

(見過ごされている間に村を滅ぼして楽しもうというのなら、手頃な獲物なのかもしれないが……司祭ユウェインの『願い』が強固に束縛していると見ていいんだろうか)


 考え込んでいるところへ、するりと質問が差し挟まれる。

「悪魔の出現数は減っているようだけど、外道との遭遇頻度は? 感覚で構わないよ。この五年で増えたかい、減ったかい」

「増えた。明らかに」

 エリアスは苦々しく答えた。どうせなら悪魔が次々姿を現してくれたら、片っ端から殺してやれるのに。そうすれば、あの悪魔ツェファムを捕らえる日も近付くだろうに。

 闇に堕ちた獣や人をいくら殺したところで、悪魔は減らないし悪魔祓いの腕も磨けない。むしろ剣の筋が荒れてしまうばかりだ。まったくもって忌々しい。

 舌打ちしたと同時に、「やっぱりか」というつぶやきが耳に入った。はっとして目を上げると、前を歩く司祭は難しい顔で顎に手を当てて思案していた。


「やはり、とはどういう意味だ。心当たりでもあるのか」

「ああ、まあね。この身体を得る前は結構長いこと霊体だけの状態で過ごしていたから、感覚と記憶が曖昧で、なんとも判断しにくかったんだけど……ユウェインとしてこの村に来てから、どうも思っていたより外道が多いと気付いたんだ。村が襲われたのもちょっと予想外だったし」

「昔はこんなに多くはなかった、と?」

「ご明察」

 ユウェインがうなずく。横からカスヴァが困惑顔で議論に加わった。

「ちょっと待て。その流れからすると、大悪魔が減って外道が増えた、というように受け取れるぞ。そんな、狼を狩りすぎたせいで野兎が畑を荒らす、みたいな話なのか?」

「近いと言えば近いけど、微妙に違うかな……外道も悪魔も共食いで数は減っていくはずなんだ。野兎みたいに自然にぽこぽこ殖えるものじゃないからね」


 何気ない口調の答えに、エリアスは小さく息を飲む。師に授けられたかつての『命題』が脳裏によみがえった。


 ――世界における霊魂の総量は変化するか。


 彼の反応に気付き、ユウェインがおやと眉を上げた。

「何やら食いついたね。どうやら君もいろいろ調べていたらしい」

「……」

「頼むから少し警戒を緩めてくれないかな。そんなに敵意ばかり向けられるとさすがに心が痛いし、話も進めづらいよ」

 悲しそうに訴える黒髪の司祭を、エリアスはじっと無言で見つめる。


 ――悪魔どものささやきにすら真実は潜んでいる……


 真実か。だが、

「悪魔は嘘をつく」

 どうやってふるい分けたら良いのか、どこが峻別の一線なのか。この青年司祭本来の姿、言葉使い、癖などを、自分は何も知らない。悪魔の偽装と見分ける手がかりがない。


 一方ユウェインは天を仰ぎ、つかのま瞑目した。そして、

「苦節千五百年、嘘つき呼ばわりされ続けてさすがにおなかいっぱいだから、言わせてもらうよ」

 鈍い怒りを帯びた声音で前置きすると、顔を下ろして浄化特使をまっすぐ見据えた。


「嘘つき? そりゃそうさ、元が人間なんだから当然だろう。曖昧にしておけば過失は問われまいと事実をぼかして伝える嘘。相手に興味関心も好意も持っていないくせに上辺だけ話を合わせて良い人ぶる嘘。妄想で何回殺したか知れない客や上役に愛想笑いでへつらい保身をはかる嘘。……本当はつらくて苦しくて助けて欲しいくせに、大丈夫と強がる嘘。ああ、人間は嘘ばかりつく。だから当然、悪魔も同じさ。むしろ面倒な義理や損得に縛られないぶん、正直なんじゃないかと思いさえするね!」


 苦々しく吐き捨てられた毒に、聞いていたカスヴァのほうが竦んだ。さもありなん、普通の人間ならば思い当る節が無数にあるだろう。エリアスのほうはそれを横目に、まったく動じない。眉ひとつ動かさず非難を受け流し、涼やかに佇んでいる。効果なしと見てユウェインはため息をつき、続けた。


「もちろん、だからって今すぐ僕を信じてくれとは言わないさ。そもそも相手が何であれ、初対面で信用できるわけじゃないしね。でも、少なくとも当面、僕は君を騙して惑わせるつもりはない。君にも本当のことを教えてもらいたいからだよ」


 相変わらず悪魔憑きの弁舌は滑らかで、気を緩めるとすぐに乗せられそうになる。エリアスはなおしばし相手を睨み続けた。


 と、そこへ、

「あっ、司祭様! おぅい!」

 朗らかに呼ぶ声が割り込み、司祭二人は揃って振り返った。畑を横切って走ってきた農夫がエリアスの銀環に気付き、あれれ、と驚いた様子で軽く会釈する。

「こりゃどうも、失礼。うちの司祭様を呼んだんで……ユウェイン、こないだ言ってたあれ、よく効いてるみたいだよ。ほら、紫豆の煮汁を混ぜろってったろ」

「ああ、根切り虫退治の。そうですか、それは良かった」

「ありがとうよ。なんせ今年は早くからあったかくなったから、虫も多かろうと心配したんだが……そうだ、ちょっと見て欲しいんだが、いいかね」


 相談を持ちかけられ、ユウェインは躊躇する。カスヴァが「行ってやれ」と促した。

「先に館に戻っている。用が済んだら来てくれ」

「すんませんなぁ、そちらの司祭様は遠いところおいでなすったんでしょうに。……本当にいいのか、ユウェイン?」


 農夫がエリアスに詫びた後、心配そうに念を押す。なかなか最後のところで信頼されない元泣き虫少年は、苦笑気味にうなずいた。


「大丈夫ですよ。こちらはグラジェフ殿の弟子のエリアス殿で、墓参りに来られたんです。もうそれは済みましたし、グラジェフ殿のことなら私よりカスヴァのほうがよく知っていますから」

「おお、グラジェフ様の!」


 農夫は大声を上げ、赤毛の青年司祭のほうへ身を乗り出した。思わずエリアスはのけぞったが、農夫は構わず熱を込めて続ける。


「村を守って下すって、わしら皆、本当に感謝しております。立派なお方でした、本当に本当に……そうですか、お弟子さんがいらしたとは。わしらは直接お話しする機会もそんなにありませんでしたが、道で行き合うたら気さくに言葉をかけて下すって、たわいない話も、相談事も、嫌な顔ひとつせずに相手をして下さった。偉ぶらない、本当にいいお人でしたよ」


 素朴な言葉でつくづくと語られる師の姿に、エリアスの瞼が熱くなった。瞬きして堪え、彼はかすれ声で訊ねる。


「……師は、穏やかに過ごせている様子でしたか」


 戦いに疲れ絶望に苛まれた苦悩の表情ではなく、平和な暮らしになじんだ笑みを湛えて田舎道をのんびり歩く師のまぼろしが、今の風景に重なって見える。

 ええ、そりゃあもう、と農夫が肯定し、エリアスはたまらず口元を覆って顔を背けた。


「行きましょう」

 カスヴァがやんわり促し、震える背にそっと手を添える。ごく自然に示された心遣いに、エリアスも敢えて抵抗せず歩きだした。


 少し行くとすぐにエリアスは気を取り直し、唇を引き結んで顔を上げる。それを見たカスヴァは支えるように寄り添ったまま、声を低めて切り出した。


「ちょうど良かった。ユウェインに聞かれないうちに、頼みたいことがある」

「……ほう?」

 瞬時にエリアスの心はぴたりと凪ぎ、曇りが晴れて鏡のごとく理性が冴える。

「魔道士が悪魔に隠し事か。実に、貴殿らは今まで見てきた悪魔憑きとは大きく異なるな」

「他の例がどうだか、俺は知らない。だがあいつが自分の正体を隠さないのなら、俺も正直に話すまでだ。……亡くなった妻の話をしたが、彼女は幽霊が怖くて浄化特使を呼んだんじゃない。そもそもはじめから、あいつが悪魔憑きじゃないかと疑っていたんだ」


「そんなことだろうと思った」

 エリアスは素っ気なく応じた。だがそうなるとますます、ノヴァルクの司教が黙っているのは怪しい。その疑問は続く説明で解けた。


「後で手紙の返事を見せるが、どうやら名指しで告発したのでなく、村に悪魔がいるようだ、という風に相談したらしい」

「なるほど。……司教は自分の対応が遅かったから外道の襲撃や特使の死亡につながったのだと非難されないよう、保身をはかったわけか。報告書に『偶然』居合わせたと記されていたのをいいことに、相談されていた事実は伏せて知らぬふりを決め込んだ」


 ちっ、と舌打ちひとつ。忌々しい。事実の記録と検証よりも、保身と言い訳ばかりだ。これだから土地付きどもは。

 現地聖職者全般に対する悪態を奥歯で噛み潰す。低く唸ったエリアスに、カスヴァはわずかに肩を竦める仕草をした。そこは関知するところではない、というのだろう。


「ともかく彼女はあいつを疑っていた。それで、あいつが子供時代の名残を持ち出して池に沈めたと推理し、夜中にこっそりそれを取りに行って……溺れて死んだ」

「殺された」


 ほとんど声にならないささやきだったが、即座にカスヴァは「違う」と否定した。彼は己の反応に当惑したように視線をさまよわせ、一呼吸置いて続けた。


「あくまでも事故だ。あいつの話が本当なら、だが。実際、彼女は夜中に館を抜け出して池に行った。暗いうえに霧も出ていたし……事故が起きてもおかしくない。あいつは『助けようとした』と言った。良き司祭でありたいという願いに縛られているのなら、まかり間違っても人殺しなんてできるはずがない」

「だが、何があったかを知っているのは悪魔だけだ。貴殿は悪魔の言葉を信じるのか」

「わからない。だからあなたに池を調べて欲しいんだ。東南の岸、漁師小屋が見える辺りに、あいつが立っていたことがある。モーウェンナが死んだのも恐らく、その辺りだ。あいつが何か罠を張っていたのか、今もまだ……ユウェインが人間だった頃の名残がそこに隠されているのか。俺が調べに行けばすぐに気付かれる」


 ふっ、とエリアスの唇がほころんだ。悪魔を裏切る魔道士か。珍しい、そして好もしい。


「確かに、術の痕跡を探るのにも悪魔の力を借りねばならぬとあらば、身動き取れまいな。だが貴殿、それでもしも奥方が事故ではなく殺されたのだと判明したら、どうするつもりだ。随分と親しげだが、叛逆すればあの悪魔とて同じ態度ではいまい」

「モーウェンナの仇は必ず討つ。それでユウェインを喪うとしても」


 カスヴァはうつむき、闇夜を思わせる声音で唸った。その手がきつく拳に握り締められる。固い決意のあらわれに、エリアスはつい、辛辣な一言を突き刺してしまった。


「その強さをもっと早くに発揮してもらいたかったものだな。外道を退けた後、我が師ではなく悪魔を殺したなら、すべて片付いていたろうに」

「――っ!」


 カスヴァが息を飲み、よろめくように一歩離れる。衝撃と痛苦に顔を歪め、しかし針樅色の双眸には激しい怒りを燃やして。ひりつくような沈黙の後、彼は今にも喉笛に噛みつきそうな形相で、斬りつけるようにささやいた。


「共に育った友人の肉体と魂を持ち、俺の息子の病を癒し、身体を張って猟師の若者を助け、果てはチェルニュクを守るために戦った恩人だぞ。悪魔憑きというだけで殺せと? 戦に身を置く司祭は人の心を失くすらしいな」


 穢れなき怒り、正当な批難だ。しかしエリアスはそれをまともに受け止めて動じなかった。だからどうした、と冷め切ったまなざしで口を開く。


「奴ら悪魔は実におためごかしを好む。弱き者、困窮している者を獲物と定め、憐れむふりで近付く。救ってやる、助けてやる、守ってやる……そうして恩を売り信頼を得て、人の魂を蝕んでゆくのだ」

「だが、あいつは!」

「私の一族は魔道士に皆殺しにされた。ああ、最初は優しく親切だったとも」

 気色ばんで弁護しかけたお人好しを遮り、エリアスは容赦なく告げた。カスヴァが言葉に詰まり、地面に目を落とす。


 エリアスはゆっくり周囲を眺め渡し、独り言のように続けた。

「今、この村で『良き司祭』としてふるまうあの悪魔の真意が何かはわからない。だが悪魔の優しさも親切も美しさも、すべて見せかけだ。善なるもののひとかけらぐらいはあるとしても、上辺の一枚を剥ぎ取れば邪悪な魂胆が奈落への口を開けている。油断召さるな、領主殿」


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